残暑厳しい折り恐縮ですが、「地獄絵」の話題から・・・
「悪いことをすると地獄に行くぞ」とか、
「ウソをつくとエンマさまに舌を抜かれるからね」とか、
子どもの頃よく脅かされました。
太宰治も、幼いとき女中のたけにお寺に連れて行かれ、
地獄絵を見せられて振るえ上がったという話があります。
太宰が見た「地獄絵」は、
赤い火のめらめら燃えている籠を背負わされた人、
蛇にからだを巻かれて苦しがっている人、
血の海や奈落の底があったりとか、
地獄の不気味さがいっぱい。
子どもが見たら泣き出すこと必定でしょう。
写真の「地獄絵」は江戸中期頃のもので、
ちょっとマンガチック。
大人が見れば、閻魔さまや地獄の鬼さんも可愛く見えます。
細かく見ていくとユーモラスで思わず笑ってしまいます。
こんな「楽しく魅力的な地獄絵」もあるのですね。
一方、中世の地獄草紙は実にリアルで、
今見ても気味悪く迫力があります。
それだけ人々の生活が「生き地獄」と
隣り合わせだったからかもしれません。
それを思い知らせてくれたのは、
『大和誕生と水銀ー土ぐもの語る古代史の光と影ー』
(田中八郎著、彩流社、2004年)という本。
著者の田中八郎さんは、先月の奈良・大和路の旅で宿泊した
「ペンション・サンチェリー」の主人です。
この本では、奈良の大仏建造によって
水銀中毒が増大した様子が縷々述べられています。
平城京には5千人とも5万人ともいえる水銀中毒患者が
ひしめいていた、奈良の都の晩年は、
あたかも「地獄」を垣間見るかのような悲惨な状態だった・・・
だから平城京は廃止になって都を京都に移したのだ、とも・・・
大仏と水銀中毒の話は昔、杉山二郎さんの本で読んだことがあったので、
うなづける部分がありました。
この本の「まえがき」にはこんなことも書かれていました。
節義の事例を日本史になぞってみると
「命がけでも守るべき正義・信条・節義が
危機に立ち至ったときの行動には、内通・裏切り・寝返りが多く、
勝ち馬に乗れるか乗れないかをもって人間価値観の判定基準とする」、
「その所業の全てが大和時代に創設された」と。
ウーム、人間はそんな昔から権謀術数を繰り返しているのか~
夏休みが終わって、大和・まほろば、よかったなあ、
という想いにひたっていた頭を、コツンとたたかれたようです。