ブリキ星通信

店主のひとりごと

ブリキ星通信/2005年12月号

2005年12月01日 | 2005年

秋は展覧会活況の季節です。
「案内状がたくさん送られて来て、
どこに行こうか迷ってしまう」という声を
よく耳にします。
11月23日から27日まで、ブリキ星では、
恒例となった「オランダ蚤の市」の開催でした。
長い間オランダに在住されている清水さんご夫妻が
一年間かけて、オランダ中の蚤の市を歩き回って
集めた楽しい品々が大集合。
使われて磨り減った石製の積木、ブリキで作った
オモチャの「ふみきり」などなど、
手離したくないようなものも…
会期は5日間でしたが、たくさんの方に
よろこんでいただけたのがなによりでした。
来年も予定していますので、ご期待ください。

時同じく、近所の「ギャラリー金子」さんでは、
ぐっと渋い「インドネシアの祖先像」展。
そこで譲ってもらったのが、写真の木彫。
インドネシアのキサールという島(東ティモールか
らずっと離れた小島)の祖先像です。
キュビズムの時代のピカソを連想させられます。
こちらは知性でつくった「作品」ではなく、
神と信仰の世界から生まれたものなので、
もっと美しいと思いますが。
手に鳥を抱く、片目のない不思議な人物像。
その造形のすばらしさに、飽きることなく見入って
いる昨今です。
こうしてときどき、「生業」を離れて、
「もの」に向き合う時間を持つことが、
自分の活力になっているのかもしれません。

ブリキ星通信/2005年11月号

2005年11月01日 | 2005年

かねがね一度行ってみたいと思っていた、ちひろ美術館。
習慣になった「夜のウォーキング」で、上井草方面に向かっ
ていたとき、美術館の案内板に出会って、こんな近くにあっ
たことを知りました。
早速定休日に行ってきました。
住宅街の一角にある美術館には、平日の雨降る寒い日だとい
うのに、老若男女たくさんの人がいて、気持ちよくくつろい
でいる様子は、まるで都会のオアシスのよう。
小中高校生が入館無料というのがすばらしい。
女子学生さんが一人で、 静かに絵本を読んでいる姿はいい
ものです。
いわさきちひろさんの絵は、60年代、反戦・平和の活動に
夢中だった自分の青春時代と重なって、懐かしい。
絵の心が人に伝わるのは、奇跡に近いことだと私は思って
いるのですが、いわさきちひろの絵が、これだけ多くの人の
心をつかみ、共感を呼んでいることは、凄いことだと思います。
改めて、子どもの絵を見ても、一本の線の見事さを感じます。
ただ、私にとっては、「子ども」という「概念」は伝わって
きますが、「個性」は伝わってきません。
おかしな言い方ですが、だからこそ、広く人びとの心に受け
入れられるのかもしれない、と考えたりします。
20年前、調布市の団地に住んでいた時、隣にちひろちゃん
という名前の可愛い女の子がいました。
やはり、お母さんがちひろの絵が好きなので、ということでした。
いろいろな思い出のあるちひろの絵。
ときどき訪ねて、喫茶室でまたあの、苦いオーガニックの
コーヒーを飲みながら、絵について考えてみたいと思います。

ブリキ星通信/2005年10月号

2005年10月01日 | 2005年

企画展案内状の宛名を、手書きから印刷ラベルに
変えました。ようやくというか、とうとうという
べきか…。
手書きのほうが「ブリキ星らしくていい」と言っ
てくださる方もいたのですが、元来の悪筆に加え、
その時々の気分と体力で、間違いが多くなったり、
発送枚数が少なくなったりして、手書きの限界を
悟ったわけです。
絵描きのKさんに、エクセルの使い方を指導して
もらいながらの宛名ラベル作成となりました。
これで、手を痛くしながら毎月1~2回の宛名書
きをしなくてよくなった、という安堵感を抱く一
方、身の回りから手書きの文字が消えていく世の
流れに乗ってしまった、という複雑な感情が湧い
てきます。
それというのも、先日、大正時代の普通の人が書
いた文字を見たからです(写真)。
それは、書家のSさんが骨董市で見つけてきたも
ので、和とじの小冊子になっています。
一冊には、「弘法大師 いろは わさん」の題字と、
大正元年の年号が書かれています。
けして上手な字とはいえませんが、人生を重ねた
人の覚えたての字(書)は、力と味わいの両方が
あります。
書いている人の思いが感じられて、見ていると
ドキドキしてきます。
「書は人なり」とはよく言ったものです。
書いた人は、かなり年配の女性のような気がして、
その声まで聞こえてきそう。
生身の文字の醍醐味ここにありです。

ブリキ星通信/2005年9月号

2005年09月01日 | 2005年

夜風が気持ちよい季節になりました。
7月の健康診断の結果に衝撃を受けてから、
夜のウォーキングに励んでいます。
西荻北を基点にして、東西南北の住宅街を、
毎日1時間以上歩いています。
いろいろな発見があって楽しく、
やみつきになってしまいそう。
青梅街道を越えた北側の「今川」や「上井草」は、
道幅広く整然とした町並み。
古い大きな屋敷に出くわしたり、
都立農芸高校の敷地のあまりの広大さに驚いたり。
南のほうの「松庵」は細い真っ直ぐな路地が幾筋も
ある閑静な住宅地。
とある1本の路地を通り抜けて、五日市街道に出た
ところで、小さな神社を見つけました。
松庵稲荷神社です。
鳥居の向こうに、赤いエプロンを着せてもらった
お稲荷さん。抱かれた子狐が愛らしい顔をして
親狐を見上げています。
横には、お狐様を祭った祠があり、
その裏には庚申塔までありました。
立札によると、松庵村は、江戸時代に、萩野松庵と
いう医者が開いたと伝えられているそうです。
そうなのか、稲荷神社は穀物の豊穣を祈る神様だけ
れど、松庵先生ゆかりの地ならば、お願いしたい。
「難病とたたかっているKさんが、
どうか回復しますように…」。Kさんは20年来の
友人。我家に食文化革命をもたらしてくれた人。
骨董の世界に入るきっかけをつくってくれた人。
今こうして人生を二度楽しむことができているのも、
彼のおかげなのです。
好奇心旺盛、生きることに貪欲なKさんなのだから、
きっと元気になってくれると信じています。
あれこれ思いをめぐらせながら、
今日もまた夜の街を歩きつづけます。