ブリキ星通信

店主のひとりごと

ブリキ星通信/2009年3月

2009年03月04日 | 2009年

このところ、縄文時代の石器と茶道具の茶杓にはまっています。
石器は、縄文時代の人たちの生活(ときには祭祀)道具。
写真にあるのは、石を叩き割って造った
石匙(サジというよりナイフのようなもの)ですが、
これを造った人の個性が感じられます。
この人はかなり不器用で、自分と似ているかな、
この人はなんて見事な造形感覚の持ち主だろう、などとワクワクして眺めています。

一方、茶杓は、なんでもないシンプルな竹の匙ですが、
これまた奥の深い味わいです。
この茶杓にも造り手の茶道観や人格までが込められている
といわれていますが、私にはそこまで分りません。
石器を手にするときと同じように、只々<いいなぁ>と眺めています。
骨董でも、例えば中国の焼き物や仏教美術になると、
自分の「感性」だけでは済まされない世界があるのですが、
石器や茶杓にはそれがない。
<いいなぁ>と思う気持ちだけでつきあえるのが私には魅力です。

最近、お客さんから教えてもらって、
久しぶりにコミックを読みました。
山田芳裕さんの『へうげもの』。
利休を超えよう、自分の世界を持とうと必死にもがく、
武士であり茶人でもある古田織部が主人公で、
その「ひょうげた」生きざまが面白おかしく描かれています。
群雄割拠の戦国時代を生きる武将たちが、
茶碗1個で凋落されたり、名物のために命を賭けたり・・・
程度は違っても、いつの世にも似たような人がいるものです。

わび数寄をつき詰めるあまりに、
縄文人を模した茶席をつくってしまった古田織部。
それを見た利休が「過ぎたるはなお及ばざるが如し」と。
ふんふん、そうですね~