心に澱がへばりついて取れないんだ。吐き出そうとするんだけど、このはっきりしないモヤモヤが澱のようにへばりついているのよ。その澱の正体が一体何なのかを探ろうとするんだけど、いつも堂々巡りになっちゃうのさ。判っているんだけどね。澱の正体は自分自身だってことが。老いた自分を見たくないんだと思う。老いた自分の姿が澱そのものなんだから。
どうしようかな、やっぱりリスクあるよね…老後の生活賭けるほどのリスクじゃないけどさ、でも、リスクあるよなぁ…。
でもさ、もう一度、何ていうかなぁ…燃えたいっていうか。ま、そんな大袈裟なもんじゃないんだけど、要は活きている実感が欲しいんんだよ。単に「生きている」じゃなくってね。
バラじゃ満足出来ないのかって? バラに飽きた訳じゃないんだ。バラもそれなりに老後の趣味としては評価出来るんだけど、何ていうかなぁ…俺の老後ってバラ一筋?んな事ないよね。趣味ではあるけど、夢中になるとか熱中するとかいうのとは少し違うんだよね。
でも、やっぱり無理があるよね。老後生活の鉄則は「無理してはいけない」っていうじゃない。身体も頭も懐も若くはないんだからさ。無理しないで、じっとして、静かに穏やかに波風立てないで…じっと…黄昏を深めて…お迎えを待つ? そこが嫌なんだよ、そこが。何が嫌かって、だってつまんないじゃないの。
どうしよっかな…ブルースでもかけてモルトをチビチビ飲りながら考えて…どうどう巡りね。
ん?この呟き言ったっけ?…2010年10月24日のブログで呟いたセリフだわさ。ふ・・・二年前からずっと同じ思考の繰り返しじゃないか。
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