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定年後の伊豆高原 バラと酒と音楽と

伊豆高原に終の棲家を建築し永住。カミサン、愛猫ジローとの伊豆での老後は如何に。薔薇・酒・音楽・日々の徒然。

目を覚まさなくっちゃ

2012年04月23日 | バラ日記

つまりはだ、結論は出てるってことだろ。そう、やっちゃえばいいのよ。どうにかなるって。それとも何か?猫とバラの世話に明け暮れ、下手なギター抱えて老人施設で拍手を浴びて悦に入り、ウィスキーを舐めながら水戸黄門のワンパターンを笑い、年金と蓄えを食いつぶすだけの人生の黄昏で心穏やかに隠居出来るってか。

ウジウジウジウジウジウジウジウジ・・・・

あれからいろんな事があったよね。何よりもでっかい出来事が東日本大震災。そして原発事故。絶望と悲観と恐れに呆然とし、家内の転倒骨折での寝たきりで介護の負荷は更に増し、止めは音楽仲間のAさんの死。
静岡癌センターでのライブ、耳に届いただろうか。その次の日に旅立つなんて。僕より二つも下の君が、煙草も吸わない君が、最高峰のJBLでJazzを聴かせ、美味いコーヒーを淹れてくれた君が、ソウルフルな声で歌ってくれた君が、事もあろうに余命を宣告され、かすかな希望と絶望と無常と死への恐れの毎日を経て結局は往ってしまった。

人生、何が起こるか判らないね。明日も同じ生活があるなんて判らないね。

亡くなる十日くらい前の事だったっけ。AさんとAさんの奥さんに背中を押されたのさ。
「ジローさん、やるべきだよ、ぜったいやるべきだ。明日が見えない不安はいっぱいあるけど、万一の時のリスクヘッジがされているんだったら、踏み出すまでだよ。死に際にやり残したことを後悔するか、面白い人生だったと納得しながら往くか、この違いはでっかいよ。七十まであと四年しかないって?だからやるべきだよ。」

そろそろ目を覚まさなくっちゃ

 


心の澱

2012年04月23日 | バラ日記

心に澱がへばりついて取れないんだ。吐き出そうとするんだけど、このはっきりしないモヤモヤが澱のようにへばりついているのよ。その澱の正体が一体何なのかを探ろうとするんだけど、いつも堂々巡りになっちゃうのさ。判っているんだけどね。澱の正体は自分自身だってことが。老いた自分を見たくないんだと思う。老いた自分の姿が澱そのものなんだから。

どうしようかな、やっぱりリスクあるよね…老後の生活賭けるほどのリスクじゃないけどさ、でも、リスクあるよなぁ…。
 
でもさ、もう一度、何ていうかなぁ…燃えたいっていうか。ま、そんな大袈裟なもんじゃないんだけど、要は活きている実感が欲しいんんだよ。単に「生きている」じゃなくってね。
 
バラじゃ満足出来ないのかって? バラに飽きた訳じゃないんだ。バラもそれなりに老後の趣味としては評価出来るんだけど、何ていうかなぁ…俺の老後ってバラ一筋?んな事ないよね。趣味ではあるけど、夢中になるとか熱中するとかいうのとは少し違うんだよね。
 
でも、やっぱり無理があるよね。老後生活の鉄則は「無理してはいけない」っていうじゃない。身体も頭も懐も若くはないんだからさ。無理しないで、じっとして、静かに穏やかに波風立てないで…じっと…黄昏を深めて…お迎えを待つ? そこが嫌なんだよ、そこが。何が嫌かって、だってつまんないじゃないの。
 
どうしよっかな…ブルースでもかけてモルトをチビチビ飲りながら考えて…どうどう巡りね。


ん?この呟き言ったっけ?…2010年10月24日のブログで呟いたセリフだわさ。ふ・・・二年前からずっと同じ思考の繰り返しじゃないか。