犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

猫の首に鈴

2010-03-24 23:16:53 | 日々の暮らし(帰任以後、~2015.4)
 金星版国語大辞典(韓国語)の巻末に,漢字熟語を集めた付録がついています。それを眺めていたとき,

懸鈴猫頸

という漢字語を見つけました(今手許にないので,正確ではないかもしれません)。出典は,17世紀の漢籍でした。

(あれ? 「猫の頸(くび)に鈴を懸ける」というのは,イソップじゃなかったっけ)

「仲間が猫に食べられて困っていたネズミたちが相談し,猫に鈴をつければいいという名案を思いついたが,誰もつけにいくものはいなかった…」

 確かに,子どものころ,イソップ寓話で読んだことがあります。確かめようと,岩波文庫版の『イソップ寓話』をみると…

 ない。

 岩波文庫版は,300以上の話を収録しているのに,そこにないというのはどういうことか???

 そこで「猫の首に鈴」という慣用句を,成語大辞典で調べる。すると,出典は『伊曽保物語』になっていました。伊曽保物語というのは,1593年にキリシタンによって印刷された,イソップ物語の日本語訳です。

 原典のイソップ寓話にないのに,日本語訳に入っているということは,日本で独自に挿入された話なのではないか。そして,朝鮮の漢籍に入っているというのは,日本の伊曽保物語から伝わったのか,それとも朝鮮に伝えられていた話が,日本に伝わり,伊曽保物語にまぎれこんだのか…。

 しかし,それ以上調べるには,時間も資料も能力もないので,そのままになっていました。

 以来15年。

 最近,古本屋で中公新書『イソップ寓話』(小堀桂一郎,1978)を見つけました。小堀桂一郎というのは,ドイツ文学・比較文学者で,右派論客としても知られている人です(→リンク)。

 それを読んで,かねてよりの疑問が解けました。この本によれば,伊曽保物語は,当時のヨーロッパの「シュタインヘーベル集成本」の翻訳。しかし,「鼠の相談」の話は,シュタインヘーベル本にはなく,この話を収めている本は,イギリスのレストレンジ版500余編の大集成本のみ。なお,フランスの作家ラ・フォンテーヌは,「寓話」の中にこの話を取り入れている。

 小堀の推測では,今は失われたシュタインヘーベル版の異本の中に含まれていたのであろう,ということです。この話が日本または朝鮮で作られたのではないか,という推測は,私の妄想にすぎなかったことになります。

 これで一件落着といいたいところですが,つい先日読んだ戸川幸夫『イヌ・ネコ・ネズミ』の中で,

「猫はエジプトで有史以前の古い時代から知られていたが,家猫がエジプトを出るには数千年を要した。家猫が初めてヨーロッパに入ったのは,紀元1世紀ごろと言われている」

とあった。

 イソップは,紀元前600年ごろにギリシャで生まれたとされていますから,そのころのギリシャには,猫はいなかったことになる。

 ……

 ま,今イソップ物語として知られている動物寓話は,すべてがイソップ作ではなく,さまざまな時代と地域の寓話が,後に「イソップ作」として集成されたということですから,エジプトやペルシャで生まれた話,あるいは紀元1世紀以後にヨーロッパで作られた話が収められたのでしょう。


 最後に,ネットで見つけた『猫の首に鈴』の伊曽保物語原文を掲げておきます。

鼠の談合の事

 ある時、鼠老若男女相集まりて僉議しけるは、

「いつもかの猫といふいたづら者にほろぼさるる時、千たび悔やめども、その益なし。かの猫、声をたつるか、しからずは足音高くなどせば、かねて用心すべけれども、ひそかに近づきたる程に、油断して取らるるのみなり。いかがはせん」

といひければ、故老の鼠進み出でて申しけるは、

「詮ずる所、猫の首に鈴を付てをき侍らば、やすく知なん」

といふ。

皆々、「もつとも」と同心しける。

「然らば、このうちより誰出てか、猫の首に鈴を付け給はんや」

といふに、上臈鼠より下鼠に至るまで、「我付けん」と云者なし。

 是によて、そのたびの議定事終らで退散しぬ。

 其ごとく、ひとのけなげだてをいふも、只畳の上の広言也。戦場にむかへば、つねに兵といふ物も震ひわななくとぞ見えける。しからずは、なんぞすみやかに敵国をほろぼさざる。腰抜けのゐばからひ、たたみ太鼓に手拍子とも、これらの事をや申侍べき。

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