犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

金素雲③~鉄甚平『三韓昔がたり』

2007-08-10 07:16:15 | 日帝時代の証言
 東大教授の小堀圭一郎が,人に紹介されて金素雲の知遇を得,韓国の民話について話をかわすうち,小堀氏が韓国の昔話をよく知っているので,素雲は小堀に

「三国遺事などをよほど勉強したのか」

と尋ねた。


「いいえ,勉強などは一向に。実を申せば唯一冊子供向きの本が私の知識の材源なのです。子供の頃に愛読し,何故か今でもなくさずに持っていてなお時々取り出して読むことがあります」

「何という本です」

「『三韓昔がたり』という,戦時中に出た大して厚くもない本です」

「著者は」

「鐵甚平という,くろがね甚平とでも読むのでしょうか。その後全くきかない名前ですが大へん立派な文章を書く人です」

「あ,それは私です」

 小堀は絶句した。子供のころに愛読し,長じてもときどき書棚から取り出して繙くことのある愛読書の著者を,50歳をこえるこの瞬間まで,普通の日本人の学者であると思っていた。すばらしい文章,ゆきとどいた脚注,そして何よりもページの隅々にゆきわたり,行間にまでにじみ出てくる,朝鮮の歴史と民俗に寄せる著者の愛情から,著者がなみなみならぬ力量をもった碩学であると想像しつつも,これが朝鮮人かもしれないとはついぞ思いつかなかった自身の不覚を恥じた。金素雲は続けた。

「私は鉄(てつ)甚平と名乗ったのです。あれは金素雲などという名では決して本をだしたりはできない時代でした。仕方がないから日本人と聞こえる様な名にした。鉄は金を失する,で,金とは名乗れないのでそのことへの自嘲の意味をこめてつけたのです。すると出版社の方では鉄は略字を使ったにすぎないと思ってか,本字の鐵で印刷しました。そこで更に訂正を要求するまでもないと思ってそのままになったのです」

 金という姓を失った(実際には,金素雲は創氏改名をしたわけではない。朝鮮人名で公然と本を出すことがはばかられた時代であったという意味である)金素雲は,その失ったことを密かに訴えたのだが,出版社の余計な善意のために,抗議する手段さえ失った。小堀氏は,「甚平」が何を意味するかについては聞かなかったが,もしかすると「金を失って甚だ平らかなり」といった諦観と自嘲の籠もった遊びではないかと想像している。

 その後小堀氏は,この戦前の隠れた名著の復刊を願い,ほうぼうの出版社にあたったところ,講談社学術文庫編集部の目に留まり,『三韓昔がたり』は1985年,金素雲の名で復刊された。金素雲が亡くなって4年後のことであった。


 小堀圭一郎というのは,名うての右派論客。大東亜戦争は言うまでもなく,満州事変に始まる中国侵略も「侵略」とは認めない徹底ぶりです。その右翼が,朝鮮の民族と歴史に深い愛情をもち,金素雲の著書を復刊し,巻末に長大な解説を付しているというのがおもしろい。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 金素雲②~種痘としての親日派 | トップ | 千里香 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日帝時代の証言」カテゴリの最新記事