BOOK、CDなど

1 BOOK、CDなどを断捨離、コンサート、リウマチ(膠原病)などのメモ
2 失念防止のためのメモ

The Rolling Stones①

2009年01月03日 | ロック、ポップス(DVD)

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The Rolling Stones

ブリッジス・トゥ・バビロン・ツアー

国内盤、ワーナー、DDP-36440

通販、980円税込み、933円税抜き

収録曲

01 サティスファクション

02 夜をぶっとばせ!

03 フリップ・ザ・スウィッチ

04 ギミー・シェルター

05 ワイルド・ホース

06 セイント・オブ・ミー

07 アウト・オブ・コントロール

08 ライク・ア・ローリング・ストーン

09 悪魔を憐れむ歌

10 ダイスをころがせ

11 ホンキー・トンク・ウィメン

12 スタート・ミー・アップ

13 ジャンピン・ジャック・フラッシュ

14 無情の世界

15 ブラウン・シュガー

他全19曲

なぜか、paint it black が入っていない。


2011年(平成23年)、気になる事件・事故

2009年01月03日 | ネット・ニュースなど

2011年12月16日~長崎ストーカー殺人事件

2011年12月16日午後9時前、長崎県西海市西彼町風早郷の山下さん方で、山下さんの次男が帰宅し、家に明かりがなく居間の窓ガラスが割られているのを見つける。次男は、東京にいた父親に電話で伝える。父親は長崎県警西海署に通報。次男は近所に住む親類男性と家族を探し、9時10分頃、車の荷台に倒れているのを発見。110番通報した。

県警西海署員が現場に駆け付けたが、荷台にいた2人の女性のうち、1人はその場で死亡を確認、もう1人は搬送先の病院で死亡を確認。死亡したのは、山下さんの妻(当時56歳)と母(当時77歳)の2人と判明した。

長崎県警は西海署に捜査本部を設置し、殺人事件として捜査を始めた。司法解剖の結果、死因は失血死と判明。2人共複数回刺されていた。

翌17日、長崎県警は、山下さん宅で、女性2人を包丁で複数回刺して殺害した疑いがあるとして、三重県桑名市霞町の無職、27歳男を殺人、住居侵入容疑で逮捕。18日、長崎地検へ送検した。

 

2011年12月27日、被害届提出「1週間待ってほしい」 10日後にストーカー殺人の無念

ストーカー被害を警察に相談していたのに、家族2人が殺害された。「『黙って殺されろ』と(警察から)言われたのと同じ」。長崎県西海市で起きたストーカー殺人事件の遺族は、警察への不信を訴えている。

被害相談を受けた警察の怠慢な対応が問題視され、ストーカー規制法ができるきっかけとなった桶川ストーカー事件(埼玉県、1999年)などへの反省から、警察は「変わった」はずではなかったのか。犯罪被害者の支援関係者からは失望や驚きの声も上がっている。警察からは(容疑者に)『手を出すな』と言われた」

西海市2女性殺害事件で妻と母を亡くした自営業、山下誠さん(58)は2011年12月27日、事件発生までの経緯や心境を書いた文書を報道陣に寄せた。

山下さんの3女(23)がストーカー被害にあっており、この「ストーカー」、無職筒井郷太容疑者(27)=三重県桑名市=が2人を殺害したとして長崎県警に逮捕された。交際に反対する家族を逆恨みしたとみられている。

山下さんは文書で、千葉県警から被害届を出すのを「1週間待ってほしい」と言われたことや、「警察からは(容疑者に)『手を出すな』と言われたが、『黙って殺されろ』と言われたのと同じ」と訴えている。

山下さんの文書などによると、事件の経緯は次のようなものだ。

10月末、山下さんは長崎県警を通じ、3女が住む地区を担当する千葉県警習志野署に通報した。ネットで知り合った容疑者が3女宅に押しかけ、監禁状態にしていることを知ったからだ。

10月30日、習志野署員らは現場へ向かい、容疑者を傷害の疑いで任意同行した。逮捕はせず、「3女には近付かない」と誓約書を書かせるにとどめた。

しかし、容疑者はその後、3女の友人らに「3女の居場所を教えないと殺す」と脅迫メールを送った。

「被害者の安全確保が最優先。注意は逆効果」「繰り返される同じ事件」

12月6日、山下さんらは3女への傷害の被害届を出そうと習志野署を訪れたが、「1週間待ってほしい」と言われた。

12月9日、千葉県警は容疑者を出頭させ話を聞いた。容疑者は、3女への暴力はもうふるわず、連絡も取らない、と話したという。この段階でも県警は逮捕を見送っている。

12月12日(6日から約1週間後)、山下さんらは再度習志野署を訪れ、被害を訴えた。千葉県警は14日に傷害事件として被害届を受理した。

そのわずか2日後の16日夕、2女性殺害事件が長崎県西海市の山下さんの自宅敷地で起きた。翌17日、容疑者が逮捕された。

こうした警察の対応をどう見るのか。

インターネット上では、ツイッターなどで「被害者の安全確保が最優先。注意は逆効果」「繰り返される同じ事件」「どうやって身を守ればよいのか、銃を持てと言うのか!!!」といった反応がみられた。

ストーカー事件に詳しい東京都内の男性弁護士は、「遺族のお気持ちは分かるし、警察をかばう気もないが、今報じられている範囲では、即警察がけしからん、というのは難しいのではないか」と話した。

10月末と12月6日の相談の後、ほどなく本人を出頭させるなどの対応は取っており、「桶川事件とは異なる印象だ」。また、「被害届の1週間先延ばし」についても、逮捕できる証拠がそろっていたのかどうか、などの状況が分からないと評価は難しいと答えた。

「おかしいし、信じられない」

一方、「全国犯罪被害者の会」の松村恒夫・代表幹事代行は、「山下さんの文書や報道が事実だとすれば」という前提で次のように話した。

「理由も明かさずに『被害届を1週間待ってほしい』と警察が言ったのだとすればおかしいし、信じられない。桶川事件などを受け、警察の対応はもっと被害者に寄り添う方向に向かっていたと思っていたが、今回の報道を知り、びっくりしている。残念だ」

遺族の山下さんは、「こういうことになるのであれば、私が(容疑者を)殺しておけばよかった」とも綴っている。

「1週間待ってほしい」などと対応したとされることについて、千葉県警は、J-CASTニュースの取材に対し、「事実関係を検証中」と回答した。


2006年(平成18年)から2010年(平成22年)まで

2009年01月03日 | ネット・ニュースなど

〇秋田連続児童殺害事件(2人)~2006年(平成18年)5月18日、前日の17日から秋田県山本郡藤里町で行方不明になっていた小学校1年生の男児が、隣の能代市で他殺体となって発見された事件。

2006年7月15日、畠山鈴香容疑者が「長女を橋からつき落とした」と供述。 7月18日、畠山鈴香容疑者を彩香さん殺害容疑で再逮捕。同日、秋田地検は米山豪憲君殺害容疑で畠山鈴香容疑者を起訴。(net news)
  

 

〇川崎通り魔事件(1人)~2006年(平成18年)9月23日、帰宅途中のアルバイト黒沼由理さん(27)=が殺害される事件が起きている。未解決。

23日午前0時ごろ、川崎市宮前区のトンネル内で同区のアルバイト黒沼由理さん(27)が血を流して倒れているのを帰宅途中の男性会社員が発見、通報した。
黒沼さんは右胸と左腹を刃物で刺されており、病院に搬送されたが、間もなく死亡した。

現場はJR梶ケ谷貨物ターミナル駅下の長さ約180メートルのトンネル内の歩道で、約40メートルにわたって血痕が残っていた。神奈川県警捜査1課は宮前署に特別捜査本部を設置。殺人事件とみて調べている。

県警によると、黒沼さんはトンネル内の歩道に血を流してうつぶせに倒れており、右胸と左腹に刃物で刺された刺し傷があった。手提げかばんを握ったままだった。左腹の刺し傷は腎臓に達していたが、出血はほとんどなく、右胸の刺し傷は右肺に達し、大量に出血していた。死因は失血性ショックとみられる。

黒沼さんは両親と妹の4人家族で、現場から約150メートル離れたマンションに住んでいた。マンションの住民によると、身長160センチ程度で細め。長い髪で現代風な「きれいな人」だったという。

県警によると、黒沼さんは川崎市内のコンピューター関連会社に勤めていたが、今年退職。8月22日から週1回程度、東京都千代田区の輸入チーズの梱包(こんぽう)会社でアルバイトを始めていた。

22日はアルバイトの日で朝8時半ごろ自宅を出発。午後7時ごろまで仕事をした後、同僚の送別会のため、東京駅近くの飲食店で飲食後、午後11時ごろ、東京駅で同僚らと別れたという。梶が谷駅の防犯ビデオには午後11時40分ごろ、改札を1人で出る黒沼さんが写っていた。

トンネルは約30年前からあるが、不審者が出ることもあり、女性は夜間、ほとんど使わないという。ただ、黒沼さんのバッグには現金約4万3000円が入った財布が残っており、捜査本部は金目当ての犯行の可能性は低いとみて交友関係などを調べている。
(net  news)

被害者黒沼由理さん(27歳

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〇新宿・渋谷エリートバラバラ殺人事件(1人)~2006年(平成18年)12月16日、東京都庁のある新宿区西新宿の路上で、ビニール袋に入った上半身だけの遺体が発見される。

当初は、歌舞伎町に近い西新宿という土地柄、被害者を外国人と断定し、暴力団関係者・中国系マフィアなどによる犯行という見方が多かった。


2006年12月28日、渋谷区の空民家の庭で下半身のみの切断遺体が発見。この下半身遺体と、西新宿で見つかった上半身遺体のDNAが一致し、遺体は外資系不動産投資会社員の三橋祐輔さん(当時30歳)と判明した。

最初の発見から約1か月経った2007年1月10日死体遺棄で容疑者逮捕。逮捕されたのは、被害者の2歳年上の妻三橋歌織(当時33歳)であった。逮捕後、町田市の芹ヶ谷公園で頭部を発見。手首はゴミと一緒に捨てたと供述している。事件の経緯~元々不仲であったとされ、妻は夫に自分の過去を全否定され、DVを受けたと供述。又、お互いに不倫相手がいたとも供述をしている。

逮捕の決め手となったのは、夫の上司がマンションの防犯カメラで帰宅する夫の姿を確認したことである。事件発覚前の12月15日に妻が捜索願を出していた。

その後、自宅をリフォームするなど隠蔽工作も図っており、計画性があると言う憶測も呼んだが、事件を起こした12月12日の2日後にタクシーを使って上半身を遺棄し、持ち運びに疲れたために下半身を民家に遺棄、そしてバッグに頭部を入れ電車に乗り町田の公園に遺棄したと供述し、短絡的な犯行ともいわれている。

被害者である夫は私立大学の法学部を卒業後、司法試験浪人を経て、モルガン・スタンレー系列の不動産投資会社に勤務。また、加害者である妻も、父親が会社を経営する資産家の家に生まれ、新潟県内の進学校から良家の子女が多く通う都内の有名女子大学へ進んだ。

彼女自身、長身で容姿端麗であり、犯行当時専業主婦で会員制のスポーツクラブに通うという傍から見れば恵まれた環境にあった。 夫婦は都内の高級賃貸マンションに住み、殺害の凶器がワインボトルであったことからセレブによる殺人事件というイメージが先行した。

しかしながら実際には金銭的に余裕ある状態ではなく貯金も殆どなかったとされる。また夫も私立大学出身で、司法試験受験に挫折し民間企業に就職した経歴から、いわゆる典型的なエリートであったのか不明。

裁判~精神鑑定では検察、被告人の鑑定証人が共に心神喪失との判断を下した。両鑑定が精神喪失を認定していており、近年最高裁判決でも精神鑑定の結果を尊重する判決が出る傾向があり、東京地方裁判所がこの結果をどのように判断するか注目されていた。

しかし、動機が明瞭で計画性もあり、犯行後死体遺棄や隠蔽工作を行っており精神状態は犯行の手助けにしかなっていないということで地裁判決は懲役15年となった。(net news) 

容疑者三橋歌織(当時33歳)

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〇渋谷区短大生切断遺体事件(1人)~2007年(平成19年)1月3日午後9時ごろ、東京都渋谷区幡ケ谷2、歯科医、武藤衛さん(62)方において、帰省先から帰宅した母親が自宅3階の部屋で袋詰めの遺体を発見。

遺体は十数か所で切断されており、この家に住む武藤さんの長女の短大生、武藤亜澄(あずみ)さん(当時20歳)と判明。

午後10時半ごろ、父親が警視庁代々木署に届け出た。1月4日になり、この家の3浪中の二男の武藤勇貴容疑者(当時21歳)を死体損壊の容疑で逮捕した。

弁護士は1月11日に記者会見したが、弁護士によると12月30日午後に加害者は木刀で被害者の頭を殴りつけた。

その後、2人で家族や生活態度などについて1時間に渡り話し続けたが、「夢がないね」の一言で逆上し、タオルで首を絞め殺害したたという。1月15日に加害者は殺人の容疑で再逮捕された。

殺害された長女は自由奔放な面やはばからないところのある性格だったが、努力家でもあったという。兄は妹のことを家族に迷惑をかけ、ヒステリックで恩知らずな人間と述べているが、妹の血を止めてあげる夢を見たなどの事も述べている。

後に、両親が次男を庇い長女を批判したとも取れる手記を発表し物議を醸した。両親は裁判でも弁護側証人として出廷している。

2008年5月12日、東京地方裁判所で行われた公判で、検察側は「完全責任能力があった」として、懲役17年を求刑した。同年5月27日に行われた公判では殺人に関しては有罪と認め、懲役7年、死体損壊に関しては無罪の判決が下された。

その他~警視庁は2月9日、凶器として押収された木刀、のこぎりと家族が着ていた衣類2点の重傷証拠品4点を紛失したと発表した。1月6日に捜査一課の捜査員がゴミと間違えて処分してしまい、翌日紛失に気づいたという。しかし裁判では代替品を用いることにするため多少の損失はあるが大きな問題はないとされている。(net news)

被害者武藤亜澄(あずみ)さん(20歳)

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〇リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件(1人)~2007年(平成19年)3月、英会話学校講師で英国籍のLindsay Ann Hawker(当時22)が遺体で見つかった事件。正式名称は市川市福栄における英国人女性殺人・死体遺棄事件。

2007年3月26日、被害者と同居していた女性の相談を受けた千葉県警察船橋警察署員が、被害者宅を捜索。被疑者のものとみられる氏名・電話番号と、被害者の似顔絵を描いたと思われるメモを発見し、被疑者宅へ向かった。 同被疑者は、午後9時40分ごろ千葉県市川市の被疑者宅(マンション4階)玄関にて、家宅捜査に駆けつけた捜査員を振り切り、非常階段から裏の駐車場を通り東京メトロ東西線行徳駅方向に逃走した。捜査員は、数百メートル追いかけたが見失った。 午後10時ごろ被疑者宅のベランダに置かれた浴槽の中で、全身が園芸用砂に埋もれ全裸で前屈みに座り、手だけ外に出た状態で死亡している被害者を捜査員が発見した。2007年11月10日神戸市東灘区のフェリー乗り場にて沖縄に向かおうとしていた被疑者に似た不審な男をフェリー会社の従業員が発見。警察に通報し大阪南港フェリーターミナルに先回りし待機していた警察により身柄を確保。住之江署で逮捕され、その後新幹線で行徳署に移送された。(wikipedia参照)

被害者リンゼイ・アン・ホーカーさん(22歳) 

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〇山下茜ちゃん、彩菜ちゃん殺害事件(3人)~2007年11月16日、香川県坂出市で、山下茜(あかね)ちゃん(5歳)と彩菜(あやな)ちゃん(3歳)が、祖母とともに行方不明になっていた事件。

無職川崎政則被告(62)は、2007年11月16日午前3時45分ごろ、義姉の坂出市林田町、パート従業員三浦啓子さん=当時(58)=方に無施錠の玄関から侵入し、就寝中の三浦さんの胸などを包丁で複数回刺して殺害。たまたま泊まりに来ていた隣に住む孫の山下茜ちゃん=同(5つ)=、彩菜ちゃん=同(3つ)=も刺殺した。その後、3人の遺体を自分の車で運び、坂出港近くの資材置き場に18日夜までに埋めた。殺人と死体遺棄などの罪に問われた祖母の義弟で香川県高松市国分寺町国分、無職川崎政則被告(62)の初公判が2008年7月17日、高松地裁(菊池則明裁判長)で開かれ、川崎被告は起訴事実について「間違いありません」と認めた。

被害者山下茜ちゃん(5歳)、彩菜ちゃん(3歳)と被害者三浦啓子さん(58歳)

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〇茨城連続殺傷事件(2人)~2008年(平成20年)3月19日午前中、茨城県土浦市において、三浦芳一(みうら・よしかず)さん(72)が、自宅玄関付近で首を刺されて死亡。現場にあった自転車から同市の無職金川真大(かながわ・まさひろ)容疑者(24)が浮上。自宅で三浦さんと同じ血液型の血が付いた着衣が見つかり、県警は21日、殺人容疑で指名手配した。金川容疑者は22日「早く捕まえてごらん」と110番。県警が同市のJR荒川沖駅などに捜査員を配置する中、23日午前11時ごろ、同駅改札付近で男女8人が刃物で刺され、会社員山上高広(やまかみ・たかひろ)さん(27)が死亡。金川容疑者が自ら通報し、三浦さん殺害容疑で逮捕。

8人が死傷した1999年9月の池袋通り魔事件、その3週間後に起きた15人殺傷の下関通り魔事件など、殺人事件が多い。(2008年3月30日)

 

〇高1少女殺害事件(1人)~2008年(平成20年)5月8日、京都府舞鶴市朝来(あせく)中の朝来川南側にある雑木林で、府立東舞鶴高校浮島分校1年、小杉美穂(こすぎ・みほ)さん(15)が死亡しているのが見つかった。

頭や顔を工具類で激しく殴られたことによる失血死。未解決。(2008年5月10日ネットニュース)

被害者小杉美穂さん(15歳)

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〇江東区OL行方不明事件(1人)~2008年(平成20年)5月12日、東京都江東区潮見2丁目のマンションのマンションで会社員・東城瑠理香さん(23)が行方不明になった事件で、殺害や遺体切断を認めている派遣社員・星島貴徳容疑者(33)=住居侵入容疑で逮捕=が、東城瑠理香さんに目を付けた理由を「そこに女がいたから」と供述していることが29日、分かった。

また、マンション近くの下水道管から、人間の骨片のほか、東城瑠理香さんの名前の一部がローマ字で書かれたプラスチック片が見つかっていたことも分かった。

星島容疑者の部屋からは、複数の包丁が押収された。容疑者は「包丁やノコギリで遺体を切断した」と話しており、押収された包丁が事件に使われたかどうかなど、殺害から遺体切断に至る詳しい経緯を調べている。

調べでは、星島容疑者は4月18日夜、東城瑠理香さんを自室に連れ込んで刺殺、遺体を切断した疑いが持たれている。室内からは大量の血液反応があり、東城瑠理香さんのものと一致したことが分かっている。捜査継続中。(2ちゃねる)

被害者東城瑠理香さん(23歳)

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〇東京都江東区潮見2丁目のマンション9階建てについて、防犯カメラが付き、オート・ロック、廊下の見通しの良いセキュリティの高いマンション、隣人が犯人。安全はどこに。

JR京葉線の潮見駅付近、カテナ本社に近接の賃貸マンションか。

カテナ本社の住所は東京都江東区潮見2丁目10番24号で、西側にクレストフォルム(分譲)系列のマンションがある。

付近の住民も大変だろうと推察する。

事件のあった賃貸マンションの不動産会社も連日、報道され迷惑だろう。

一番の被害者は東城瑠理香さん、冥福を祈る。(2008年5月31日)  

〇秋葉原通り魔事件(7人)~2008年(平成20年)6月8日、8日午後0時半ごろ、東京都千代田区外神田1の秋葉原電気街の交差点で、2トントラックが突進し、横断中の通行人3人をはねた。運転していた派遣社員加藤智大容疑者(25)は車を降り、持っていたサバイバルナイフ(刃渡り約13センチ)で通行人らを次々に刺し、7人が死亡した。

7人が死亡した秋葉原通り魔事件で、現行犯で逮捕された派遣社員加藤智大容疑者(25)=静岡県裾野市=が、警視庁万世橋署捜査本部の調べに「人生に疲れた。秋葉原に何度か来たことがあり、人がたくさんいることを知っていた。

2、3日前に犯行を決意した」と供述していることが分かった。秋葉原通り魔事件で、無差別に襲われた被害者たちは、東京都内の救急病院に次々と運び込まれたが、7人が亡くなった。(ネット・ニュース)

〇秋葉原通り魔事件で使われた凶器は、野外で日常用具として使われる片刃のサバイバルナイフでなく、武器として設計された両刃のダガーナイフ(短剣、刃渡り13センチ)だった。

刃渡り15センチ以上の刃物所持を許可対象とする銃刀法の規制外で、販売店やインターネットで容易に購入が可能だ。日常用具ではない対人武器が若者にも販売されている。(ネット・ニュース)

ダガーナイフ

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〇2008年(平成20年)6月10日、日経新聞の社説、警察は、秋葉原通り魔事件を未然に防げなかったのか。

人口割合でイタリアの警察の半分の人員しかいない日本警察に期待は、出来ない。

公務員は、増員しない方針を国民が選択、予算がない。

何の法律でクレージーな人間を社会から排除することが出来るのか。

過去の法律の復活、警察犯処罰令、治安維持法を復活、不審者を社会から隔離。

人権に配意、国民が選択、無理だろう。

現在の法律の弱さ、迷惑防止条例、軽犯罪法、精神保険法、ストーカー行為等の規制等に関する法律など。

犯罪者には、優位な法体系、人権を尊重する現代社会。

自己責任と自己防衛。

危険な時間は避ける。

危険な場所に行かない。

危険な人物に近づかない。

安心、安全は、難しい。

この種の犯罪の模倣犯がまた出るだろう。

いつも被害者と家族が、犠牲となる。

被害者の冥福を祈る。

犯罪のない社会はない。

運。

カルマ。(2008年6月10日)

 

〇2008年(平成20年)6月12日、秋葉原通り魔事件で、犠牲になった東京芸大4年、武藤舞さん(21)の葬儀が12日午前10時から、東京都台東区上野公園の寛永寺輪王殿でしめやかに営まれた。今回の事件で死亡された方

東京都北区・大学生・武藤舞(21)さん、失血死=東京医科歯科大

東京都杉並区・無職・中村勝彦(74)さん、左背中刺創=慈恵医大     

東京都板橋区・無職・小岩和弘(47)さん、背部刺創=東京女子医大   

千葉県流山市・大学生・川口隆裕(19)さん、腹部打撲=国際医療センター 

埼玉県熊谷市・大学生・藤野和倫(かずのり)(19)さん、不明=三井記念病院

埼玉県蕨市・会社員・宮本直樹(31)さん、胸部貫通刺創=墨東病院  

神奈川県厚木市・調理師・松井満(33)さん、背部刺創=駿河台日大

以上7人。被害者7人の冥福を祈る。(2008年6月12日、YAHOO NEWS)

被害者武藤舞さん(21歳)

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〇八王子通り魔事件(1人)~2008年(平成20年)7月22日夜、東京都八王子市の京王八王子駅ビル「京王八王子ショッピングセンター」において、「啓文堂書店」アルバイト店員、斉木愛(まな)さん(22歳)=中央大学4年、八王子市打越町=ら2人が殺傷される事件が発生した。

殺人未遂容疑で会社員、菅野昭一容疑者(33)=同市川口町=を緊急逮捕。同人は、「現場近くで文化包丁を購入した」と供述している。

被害者斉木愛さん(22歳)

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〇秋葉原通り魔事件に続き、通り魔事件が、また発生したが。

下関通り魔事件の判決について~山口県下関市のJR下関駅で1999年9月、5人を殺害、10人に重軽傷を負わせたとして、殺人罪などに問われた元運送業上部康明被告(44)の上告審判決で、最高裁第二小法廷は十一日、被告の上告を棄却した。一、二審の死刑判決が確定。

結審したのは、2008年7月11日。

裁判は、長い。約9年。遺族の気持ちを考えるとつらいものがある。

被害者の冥福を祈る。

秋葉原通り魔事件、八王子通り魔事件の裁判も長くなりそうである。

裁判員制度より、迅速な裁判への改革が必要。(2008年7月12日)  

     

〇千葉港死体遺棄事件(1人)~千葉市中央区の千葉港で切断された女性の胴体と両脚が相次いで見つかった死体遺棄事件は、遺体発見から2か月近く経過し、女性の身元が判明した。遺体が見つかった9日前の7月2日から同居人と連絡がとれなくなっていたといい、千葉中央署捜査本部は、以前の仕事先や交友関係などを中心に、その後の足取りを調べている。

遺体は千葉市稲毛区山王町、無職金子真由美さん(当時30歳)と確認。

近所の住民などによると、金子さんが住んでいたのは2階建てアパート1階の部屋で、男性3人と同居していた。いずれも50歳前後で、5年ぐらい前から住んでおり、金子さんは約2年前から同居していたという。この部屋には作業着姿の男性が出入りし、会社の寮として利用されていたらしい。金子さんは接客関係の仕事をしていたといい、同居する男性がワゴン車で送り迎えをしていた。午前9時ごろに家を出て、夜遅くに帰ってくる姿が目撃されている。近所に住む男性会社員(37)は「(金子さんは)いつもジーンズをはくようなカジュアル姿だった。最後に見たのは6月中旬。まさか事件で被害に遭うとは思わなかった」と驚いていた。

金子さんの胴体は7月11日、千葉港で発見され、同14日には近くの海底から両脚も見つかった。いずれもロープがまかれ、重しが付けられていた。頭部や腕は見つかっていない。(net news)

通り魔事件の次は、バラバラ事件が発生した。(2008年9月10日)

被害者金子真由美さん(30歳)

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〇成田幸満(ゆきまろ)ちゃん殺害事件(1人)~2008年(平成20年)9月21日午前11時すぎから午後0時26分までの間、東金市東上宿の東金南公園近くの道路脇に、成田幸満ちゃんの遺体が放置。

千葉県東金市の保育園児成田幸満(ゆきまろ)ちゃん(5)が遺体で見つかった事件で東金署捜査本部は6日午後、死体遺棄容疑で、同日朝から事情聴取していた現場近くのマンションに住む無職勝木諒容疑者(21)を逮捕した。

勝木容疑者は捜査本部に対し「事件当日は5歳ぐらいの女の子と会っているが、その後はよく覚えていない」と供述しているという。捜査本部は、勝木容疑者の刑事責任能力の有無についても慎重に調べを進める。

捜査本部によると、勝木容疑者は以前、県立の特別支援学校高等部に通っていたという。

被害者成田幸満ちゃん(5)

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〇元厚生次官夫婦殺人事件(2人)~2008年(平成20年)11月18日、さいたま市で元厚生事務次官夫妻の遺体発見。

同日、東京都中野区でも元次官の妻が刺される。

〇2008年11月18日、刺殺された山口剛彦氏と、妻が刺されて重傷を負った吉原健二氏の両元厚生事務次官は、基礎年金制度の導入を柱とする1985年の年金改正に担当幹部としてかかわった接点がある。また吉原元次官は社会保険庁長官も務めた。
 基礎年金の導入は、それまで厚生年金、国民年金などに分かれていた年金制度で全国民共通の基盤を作った点で画期的だった。吉原元次官は当時年金局長として、また山口元次官は年金課長として大改正に取り組んだ。
 年金制度をめぐってはその後約20年を経て、基礎年金番号に統合されていない「宙に浮いた」年金記録が約5000万件に上ることが2007年に発覚。同年の通常国会は同問題で大荒れとなった。
 吉原元次官が社保庁長官を務めた86-88年当時はちょうど、年金記録管理のオンラインシステムへの切り替えが行われていた時期に当たる。年金記録のミスはオンライン化時に多数発生したとみられている。
 両氏はまた、小泉純一郎元首相が2度厚相を務めた時にそれぞれ事務次官だった共通点もある。
 現役の厚生労働省幹部は「年金問題が関係しているのか分からない」と話し、犯行の動機が不明なだけに不安を募らせていた。(net news 2008/11/19)

〇山口元事務次官は東大法学部を卒業後、1965年に厚生省に入省、年金局年金課長、年金担当の官房審議官、年金局長などを経て、96年から厚生事務次官を2年9カ月担当した。その後、社会福祉・医療事業団と、事業団が組織変更した独立行政法人福祉医療機構の理事長を08年3月まで務めた。現在は全国生活共同組合連合会理事長。年金課長時代に85年の年金制度大改正を手がけ、省内では「年金制度のスペシャリスト」と呼ばれていた。(net news 2008/11/19)

〇吉原さんは昭和7年、山口さんは16年生まれという年の差はあるが、2人はともに東大法学部を卒業。厚生行政を担うエリート官僚として、社会人としての人生を歩み始めた。かつ2人はともに、キャリアを積むために三重県に出向経験がある。厚労省幹部は「昔は同郷出向者の職員同士でグループを作り、異動のたびに歓送迎会を開くなど、年次を超え、交流は深かった」と語る。

吉原さんは30年に入省し、児童局企画課から勤務をスタートさせた。34年5月~35年4月まで年金局に勤務。その後、39年9月に三重県へ出向。吉原さんも48年4月に三重県へ出向の経験がある。

三重県に次ぐ共通点が「年金」だ。年金部局は厚生省のエリートが経験するポジション。吉原さんが59年6月に年金局長となった際、山口さんは同局課長。上司と部下の関係だった。

60年4月の国会参院社会労働委員会では、吉原さんと山口さんがともに政府委員として同席。当時、委員会では基礎年金と生活保護との関係が議題となり、吉原さんが年金改正案と生活保護との関係について答弁。基礎年金と生活保護の支給費について説明していた。「2人は当時、国民の誰もが受け取れる基礎年金制度を導入した立役者」と関係者は話す。

「2つの事件が関連しているかどうか分からないが、卑劣な行為」。元厚生事務次官夫妻らが相次いで殺傷された事件に、舛添要一厚生労働相は18日夜、東京都内の自宅前で記者団にそう語った。

旧厚生省幹部を狙った連続テロの可能性を問われると、「中身が分からないので情報収集に全力を挙げるよう事務方に指示した。偶然かもしれないので」と具体的な言及は避けた。

ある職員が「恨まれるとしたら、心当たりが多すぎる」というほど、最近の厚労省への世間の風あたりには激しいものがある。直近1年だけでも、吉原さんと山口さんの経歴が重なる年金問題の不祥事にとどまらず、薬害C型肝炎、医師不足、後期高齢者医療、派遣労働者問題…。所管するあらゆる分野が、国民の大批判を浴び続けている。
(net news 2008/11/19)



〇個人的に気になる点、誰か調べて。マスコミは、報道しない。

① 山口剛彦氏の厚生省の退職金は ?
② 山口剛彦氏の独立行政法人福祉医療機構理事長として、年俸は ?
③ 山口剛彦氏の独立行政法人福祉医療機構理事長として、退職金は ?
④ 山口剛彦氏の全国生活共同組合連合会理事長として、年俸は ? 
⑤ 山口剛彦氏は、二回も天下りしている理由は、何か。 
⑥ 山口剛彦氏は、報道するように、りっぱなで清貧な官僚なのか、否か。 
⑦ 吉原健二氏の厚生省の退職金はいくらか。
⑧ 吉原健二氏は、天下りしていないのか。天下りの回数は。 
⑨ 吉原健二氏は、報道するように、りっぱなで清貧な官僚なのか、否か。
⑩ 山口剛彦氏、吉原健二氏の裏の面、汚職などの噂、疑惑はないのか。
⑪ 山口剛彦氏、吉原健二氏の住所を犯人は、どうして知りえたか。
⑫ 山口剛彦氏、吉原健二氏の両氏に恨み、嫉妬する人物の存在は ?
⑬ 厚生労働省を恨み、憤怒する精神異常者の存在は ?

(2008年11月22日) 

 

〇元厚生次官夫婦殺人事件の犯人が逮捕された。

マスコミの騒ぎすぎ、テロではなかった。

マスコミは、テロでないことを残念がっていた風潮、マスコミも異常。

犯人は、単なる異常者、性格破綻者。

(2008年12月6日)

 

〇松山市死体遺棄事件(1人)~2009年1月24日、午後1時ごろ、松山市九川の県道脇の山中に女性がうつぶせに倒れているのを、ドライブ中の夫婦が見つけ110番した。目立った外傷はないが既に死亡しており、松山東署は現場の状況などから、死体遺棄事件の可能性があるとみて捜査を始めた。同署によると、女性は10代後半から30代とみられ、身長約160センチ。茶色の短髪で、灰色のパーカに紺色のジーパン姿。はだしの足の裏に汚れはなく、所持品や現場に来るための車も周囲に見つからなかった。死後間もないとみられる。県道から約10メートル下の急な斜面で、落ち葉に顔をうずめた状態で発見。斜面に滑り落ちたような跡が残っており、同署は県道から遺棄されたとみて、司法解剖して身元や死因の特定を急ぐ。現場は松山市中心部から北東に約15キロの人通りの少ない山中。松山市内の山中で若い女性の遺体が見つかった事件で、愛媛県警は25日、女性は同市余戸南5丁目の無職西山良枝さん(21)で、司法解剖の結果、死因は首を圧迫されたことによる窒息死だったと発表した。県警は殺人・死体遺棄事件と断定し、松山東署に特別捜査本部を設置した。県警によると、西山さんは23日午後以降に死亡したとみられる。首に内出血した跡があった。ひもを使って絞められたような跡ではなかったという。西山さんの中学時代の同級生の男性から25日午後、「西山さんと連絡が取れない」と県警に相談があり、西山さんの母親が遺体を確認したという。(net news)

松山市の山中で1月、同市内の無職西山良枝さん(当時21)の遺体が見つかった事件で、愛媛県警は8日、松山広域福祉施設事務組合臨時職員で特別養護老人ホーム介護員の河合亮容疑者(23)=同県伊予市米湊=を殺人と死体遺棄容疑で逮捕したと発表した。

河合容疑者は同日未明に携帯電話の出会い系サイトで西山さんと知り合い、松山市北部の高縄山へ自分の車でドライブした、と供述。「夜景を見た後、山を下りる途中で西山さんと言い争いになり、素手で絞めて殺した。怖くなって遺体を捨てて逃げた」などと話しているという。県警は西山さんの携帯電話の通信記録を電話会社から取り寄せて河合容疑者を割り出し、8日に任意同行して事情を聴いたところ容疑を認めたため逮捕した。

河合容疑者は、松山市など3市3町でつくる同事務組合の臨時職員に07年12月から採用され、同組合が運営する特養ホーム「久谷荘」(松山市)の介護員として入所者の食事や入浴などの世話をしていた。(net news)

 

〇千葉女子大生放火殺人事件(1人)~2009年10月24日、千葉県松戸市のマンション一室で10月22日、この部屋に住む千葉大園芸学部4年、荻野友花里さん(21)の遺体が見つかった火災で、荻野さんの首と胸に刃物によるものとみられる傷があったことが10月24日、県警捜査1課の調べで分かった。県警は荻野さんが何者かに殺害され、その後部屋を放火されたとみて同日、松戸署に捜査本部を設置した。

捜査関係者によると、荻野さんは火災2日前の20日夜、友人の女性宅に宿泊しした。2人は同日午後11時ごろ就寝したが、翌朝、女性が目を覚ますと荻野さんの姿が見えなくなっていたという。女性はその後、携帯メールや電話で連絡を取ろうとしたが、荻野さんから応答はなかったという。女性は22日、自身の交際相手で荻野さんとも親しい会社員男性と一緒に荻野さん宅を訪れることにした。午後8時20分ごろ、先に着いた男性が部屋の窓から火が出ているのを発見したという。

捜査本部によると、荻野さんが住むマンションの入口はオートロック式。出火当時、2階にある荻野さんの部屋の玄関は施錠されていたが、ベランダの窓には鍵がかかっていなかった。荻野さんの首と胸には、刃物でつけられた刺し傷が数カ所あったが、凶器とみられる刃物は残されていなかった。遺体の近くにはライターが落ちていた。

千葉大園芸学部4年、荻野友花里さん(21)1

          

               

      

                     

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〇島根県立大学生死体遺棄事件(1人)~2009年10月26日、広島県北広島町の臥竜山で島根県立大1年の平岡都さん(19)=島根県浜田市=の遺体の一部が見つかった事件。

遺体の首に指で圧迫したようなあとが残っていたことが9日、捜査関係者への取材で分かった。島根、広島両県警の合同捜査本部は、首を絞められて殺害された可能性があるとみて捜査。遺体の状況から鋭利な刃物で切断されたとの見方を強めている。捜査本部は8日、現場付近で女性の胴体部分を発見。7日前に付近で脚部分の骨が見つかっていたことも分かり、いずれもDNA型鑑定で平岡さんと確認した。司法解剖して死因を調べるとともに、遺体の手足などほかの部分がないか9日朝から引き続き現場付近を捜索した。近くの住人によると、現場付近は日中は登山客が多いが、夜間は人通りがほとんどなく道も入り組んでおり、捜査本部は犯人が過去に現場を訪れたことがあるとみている。捜査本部によると、胴体部分が見つかったのは、8合目の林道終点にある車両転回場付近。6日に頭部が見つかった地点から70~80メートル北の斜面で、肩と股(こ)関節から手足が切断された状態だった。衣類や目立った血痕はなかった。

平岡さんは10月26日午後9時15分ごろ、アルバイト先の飲食店を出た。飲食店が入るショッピングセンターの防犯カメラには姿が写っていたが、帰宅経路のコンビニなどの防犯カメラには写っておらず、帰路についた直後にトラブルに巻き込まれた可能性がある。捜査本部は捜索のほか、現場から浜田市内へつながる島根県内の国道186号沿線を中心に捜査員を投入。遺体を運ぶのに車を使った可能性が高く、不審車両などの目撃情報を収集し、交友関係を含め調べている。頭部の司法解剖では顔面に複数の殴打痕があったことが分かっており、死亡したのは行方不明になった直後から5日以内とみられる。死因は特定されていない。

         

マツダ工場11人死傷事件(1人)~2010年06月22日、広島県のマツダ工場で乗用車が暴走し、社員1人が死亡、10人が重軽傷を負った事件で、乗用車は敷地内をUターンするなどして7カ所で11人を次々とはねていたことが22日、広島県警への取材で分かった。

 県警は同日、広島南署に捜査本部を設置。殺人未遂と銃刀法違反の疑いで現行犯逮捕した元期間従業員引寺利明容疑者(42)の広島市の自宅アパートを捜索し、通帳やキャッシュカードなど20点を押収した。現場にブレーキ痕がないことなどから、引寺容疑者が強い殺意を持って無差別に社員を襲い続けたとみて今後、殺人容疑に切り替え調べる。

 捜査本部によると、乗用車は引寺容疑者の所有で、包丁は運転席側のドアポケットから見つかった。同容疑者は「車を止めて振り回そうと思った」と供述している。

 引寺容疑者は22日午前7時35分ごろ、広島市南区の宇品工場の東正門から侵入。まず2人をはねて南進し、突き当たりで2人をはね左折、さらに2カ所で3人はねた。

 その後、専用の連絡橋で北東側の同県府中町にある本社工場へ移動。北進してからUターンするように南へ向きを変え、亡くなった浜田博志さん(39)を含む4人を3カ所で次々とはねながら周回し、北門から外に出た。

秋葉原の模倣犯。

   

2010年06月23日、広島県のマツダ工場で乗用車が暴走し、11人が死傷した事件で、殺人未遂などの疑いで逮捕された元期間従業員引寺利明容疑者(42)が、「秋葉原の(無差別殺傷)事件のようにしてやろうと思った」と供述していることが23日、捜査関係者への取材で分かった。

 調べに対し「マツダの中で車を止めて、包丁を振り回してやろうと思った」と供述していることが既に判明。広島南署捜査本部は、秋葉原の事件を模倣し、車と刃物を凶器に無差別殺傷を図った疑いがあるとみて、動機や生活状況を調べる。

 逮捕容疑は、22日午前、マツダ宇品工場(広島市南区)や本社工場(広島県府中町)で社員ら11人を乗用車ではねて、殺害しようとした疑い。また逮捕場所の府中町の山中で、刃渡り約18センチの包丁を所持した疑い。

 捜査本部によると、引寺容疑者は「マツダに恨みがあった。どうでもよくなった」と自ら110番。包丁は運転席側のドアポケットからむき出しの状態で見つかり、捜査本部はすぐに取り出せるようにしていた可能性もあるとみている。

 また、捜査関係者らによると、引寺容疑者は約2年前に破産。捜査本部は、家宅捜索で押収した通帳やキャッシュカードなどから経済状況も調べている。

   

想像したとおり。

これからも起きる可能性大。

防ぎようがない。

どうする。

      


2001年(平成13年)から2005年(平成17年)まで

2009年01月03日 | ネット・ニュースなど

〇大阪児童殺傷事件(8人)~2001年(平成13年)6月8日午前10時15分ごろ、元伊丹市職員宅間守(37)は大阪府池田市の小学校に乗用車で乗り付け、校舎1階の教室外側のテラスの引き戸を開けて侵入。刃渡り約15センチの出刃包丁を振り回し、逃げる児童らを追いかけ、約15分にわたって4つの教室と廊下で児童や教諭を1人ずつ刺していった。

教諭2人を含む23人が首や背中などを刺され病院へ運ばれたが、2年生の女子7人と1年生の男子1人が死亡、教諭1人を含む7人が重傷、教諭1人を含む8人が軽傷を負った。宅間は教諭ら2人に取り押さえられ、池田署員が殺人未遂容疑の現行犯で逮捕した。

宅間は1999年3月、技能員として当時勤務していた伊丹市の小学校で、教諭4人に精神安定剤入りのお茶を飲ませたとして、伊丹署に傷害容疑で逮捕されたが処分保留で釈放され、措置入院させられた。最近も「調子が悪いので入院したい」と自分で申し出て、先月23、24日、同じ病院に入院した。

宅間は「事件直前に精神安定剤を大量に飲んだ」などと事件当初は供述し、犯行を否認していたが、後に精神病者を装って責任を免れようとしたことを供述し犯行を自供。

「なにもかもうまくいかないので、周りの人間を困らせるため」「職を失った」「離婚無効訴訟などの裁判がうまくいっていない」などと動機を語る。約730万円の負債を抱えていたことも判明。その後は「早く死刑になりたい」と供述した。

2003年8月28日、大阪地裁は求刑通り死刑判決。被告の弁護団は控訴するものの、9月26日に本人が控訴取り下げ、確定。2004年9月14日、執行。40歳没。確定から1年弱での執行は、近年では異例。(http://www.geocities.jp/hyouhakudanna)

 

〇佐世保小6女児同級生殺害事件(1人)~2004年(平成16年)6月1日、長崎県佐世保市の市立小学校で、給食準備中に6年生の女児(11)が、同じクラスの女児(12)を別室に呼び出し、カッターナイフで首などを切りつけて殺害した。インターネットの掲示板に、名指しこそされなかったが、悪口を書かれたと思いこんだのが動機とされている。長崎家裁佐世保支部は3ヶ月間の精神鑑定を経て、同年9月、加害女児を児童自立支援施設に入所させ、2年間行動の自由を制限できる「強制的措置」を認める保護処分を決定した。同決定を受け、女児は国内で唯一、個別処遇の設備がある女子用施設「国立きぬ川学院」(栃木県)に送致された。2008年現在、入所中。

被害者の死因は首をカッターナイフで切られたことによる多量出血だった。被害者女児は当時の毎日新聞佐世保支局長の娘であった。(http://www.geocities.jp/hyouhakudanna) 

 

〇奈良県少女誘拐殺人事件(1人)~2004年(平成16年)11月17日に起き、誘拐された少女の母親の携帯に「娘は預かった」とのメールが入る。その後、殺人事件に発展。死因は水死と見られている。

少女の遺体にはいくつもの傷があり、歯が抜かれていることも判明した。なお、犯人は一ヶ月以上にわたり潜伏を続けていたが、2004年12月30日に奈良西署捜査本部は誘拐容疑で毎日新聞配達員小林薫容疑者(36)を逮捕した。(wikipedia)

〇吉田有希ちゃん殺害事件(1人)~栃木県今市市(現・日光市)で2005年12月1日、下校途中に連れ去られ、小学1年吉田有希ちゃん(当時7歳)が殺害された事件。犯人は、捕まっていない。

被害者吉田有希(7歳)

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〇塾講師小6殺人事件(1人)~2005年(平成17年)12月10日、京都府宇治市の学習塾で、小学6年生が大学生のアルバイト講師に刺殺される事件が起きた。準備してきた包丁で首を切り付ける残忍な犯行。

事件は10日午前9時ごろ、宇治市神明石塚の学習塾「京進宇治神明校」の教室で起きた。宇治市の府職員、堀本恒秀さん(42)の長女で、市立神明小6年、紗也乃さん(12)が血を流して倒れていた。紗也乃さんは間もなく死亡した。

京都府警宇治署は現場にいたアルバイト講師で、同志社大法学部4年、萩野裕(ゆう)容疑者(23)=宇治市寺山台=を殺人未遂の現行犯で逮捕した。萩野容疑者は平成15年6月、京都府警に強盗致傷容疑で逮捕され、一年半の停学処分を受けていた。(wikipedia)

京都府宇治市の学習塾で2005年12月、小学6年の堀本紗也乃さん(当時12歳)を刺殺したとして、殺人罪などに問われた元アルバイト講師萩野裕被告(24)の論告求刑公判が23日、京都地裁(氷室真裁判長)であった。

検察側は「教育現場で児童を殺害するという犯罪史上まれに見る犯行。
落ち度のない被害者への確定的な殺意に基づく計画的犯行で、身勝手な動機に酌量の余地はない」として無期懲役を求刑した。(ネット・ニュース)

犯罪史上まれに見る犯行なら、個人的には、死刑を求刑すべき。

1人なら、無期懲役を求刑か。

納得がいかない。

判決は、どうなのか。

被害者の心情は、癒されない。

被害者の魂は、悔しいだろう、冥福を祈る。

被害者堀本紗也乃さん(12歳)

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〇品川スナックママ殺人事件(1人)~2005年(平成17年)4月19日(火)、品川でスナックのママをしていた女性(39)が自宅マンションで遺体で発見。警察の捜査で、被害者と交友のあった前田優香容疑者(41)が指名手配された。

彼女は数々の偽名を使い、なかなかその居場所を確認出来なかった。数々の目撃情報を入手しながらも逮捕に至らず。事件発生から731日、2007年3月25日、北区の健康ランドで一般市民からの通報により前田優香容疑者逮捕された。(net news) 

容疑者前田優香(41歳)

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〇広島小1女児殺害事件または、木下あいりちゃん殺害事件(1人)~2005年(平成17年)11月24日、広島市安芸区で下校途中の市立矢野西小1年木下あいりちゃん(7)が殺害された事件。

広島市安芸区の小学1年の女児、木下あいりちゃん(7)が下校中に殺害された事件で、広島県警捜査本部は30日未明、現場近くに住むペルー人ヤギ・カルロス容疑者(30)を殺人、死体遺棄容疑で、三重県鈴鹿市の知人宅で逮捕した。捜査本部は、捜査員を現場に大量に投入して徹底的なローラー捜査を展開、数人の不審人物が浮上し、詰めの捜査を進めていた。女児が段ボール箱に詰められて住宅地に放置される異常な事件は、発生から1週間で解決した。(ネット・ニュース)

被害者木下あいりちゃん(7歳)

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〇個人的には、犯人を死刑にしたほうがいいと思う。しかし、裁判になれば、裁判官は、被害者の人数、前例の判例から判決を考慮、無期懲役あたりに終わるだろう。

裁判官は、建前上、公平、法律を遵守。本音は、所詮他人事であり、職務のなかでのこと、被害者、家族のことなど考慮しない。私の予想として、裁判は、長くなり、次のいずれか

  1、高裁で、判決。

  2、高裁での判決に不服、最高裁に行く。

  3、高裁から地裁に差し戻し。

そして、犯人は、被害者より、人権が守られ、長く生きる。

裁判、裁判官は、時代、世相にあわない。

裁判員制度を考えたのは、狡猾な裁判所と怠惰な裁判官。

自分の責任を放棄。

国民は、裁判員制度を支持したのだろうか。

裁判制度の改革より、裁判官の意識改革と思うが。

1人殺しても、死刑、国民の声は、ここにあると思うが。

この裁判が始まっても終わっても、テレビ、新聞に小さく報道されるだけ。

マスコミも他人事であり、ニュースを報道するのが、職務、それで終わり。

私もすぐ忘れるし、他人は忘れる。

被害者、家族は、忘れないし、癒されない。

被害者の冥福を祈る。

テレビ、新聞に裁判経過が報道され、見落とさなければ記載予定。

(2008年11月24日)


1996年(平成8年)から2000年(平成12年)まで

2009年01月03日 | ネット・ニュースなど

〇東電OL殺人事件(1人)~1997年(平成9年)3月19日、東京渋谷区円山町のアパートで、東京電力の女性社員渡邊泰子(39)が殺害され、現金4万円を奪われた。

その後の調べで、女性社員は慶応大学卒の東京電力という一流企業のエリート社員でありながらも、夜はストリートガールに変身して男あさりをしていたという事実が明らかになり、私生活を暴く報道が過熱。

被害者のヌード写真やベッド写真がマスコミに流れた。この事態に、弁護士グループが報道機関に対して質問状を送付、日本弁護士連合会もプライバシー侵害であるとの会長談話を公表した。

出入国管理法違反で3月23日に逮捕、地裁で懲役1年、執行猶予3年判決が確定したネパール国籍のM(30)を、地裁判決日の5月20日に強盗殺人容疑で逮捕した。

3月に逮捕された時点でMは捜査線上に上がっていたが、Mの弁護人ならびに本人が証言を拒否。女性社員に残っていた体液とDNA鑑定は一致したが、物証がなかったため、捜査は難航していた。

2000年4月14日、一審東京地裁で無罪判決。無罪判決と同時に身柄は入国管理局に移り、強制退去の手続きに入ったが、検察は控訴するとともにMの身柄確保のため勾留請求。

その後二度の請求を挟み、5月8日、東京高裁はMの拘留を決定した。2000年12月22日、東京高裁は逆転有罪、求刑通り無期懲役を言い渡した。2003年10月20日、最高裁で被告側上告棄却、確定。Mは2005年3月24日、東京高裁へ再審請求を提出した。佐野眞一『東電OL殺人事件』を参照。(http://www.geocities.jp/hyouhakudanna)  

〇月ヶ瀬村拉致撲殺事件(1人)~1997年(平成9年)5月4日、奈良県添上郡月ヶ瀬村の中学生Uさん(13)が、県内の卓球大会からの帰途で行方不明になった。現場には血痕が残され、近くにある公衆トイレの浄化槽からUさんのジャージなどが見つかった。

それと一緒にダウンベストが見つかり、それに似たベストを日頃から着ていた無職O(25)が容疑者として浮かび上がった。

6月頃からマスコミはOのところへ押し掛けたものの、Oは容疑を否定。押し寄せるテレビカメラや記者に向かい、罵声を浴びせ続けた。7月23日に未成年者略取容疑で逮捕、9日後に犯行を自供し遺体は発見された。

いたずらが動機であった。1998年10月、奈良地裁は懲役18年を言い渡すも、検察側が控訴。2000年6月、大阪高裁は一審判決を破棄し、求刑通り無期懲役を宣告。刑は確定した。2001年9月4日、Oは大分刑務所の独居房内で首をくくり自殺した。遺書はなかった。(http://www.geocities.jp/hyouhakudanna)    

〇神戸連続児童殺傷事件(2人)~1997年(平成9年)に兵庫県神戸市で発生した連続殺人事件。加害者の犯行声明に書かれた仮名から別名『酒鬼薔薇事件』とも呼ばれる。

1997年(平成9年)2月10日午後4時頃、神戸市の路上で小学生の女児2人がハンマーで殴られ、1人が重傷を負った。

3月16日午後0時25分、神戸市内の公園で、付近にいた小学生の女児に手を洗える場所はないかと尋ね、学校に案内させた後「お礼を言いたいのでこっちを向いて下さい」(少年Aの日記による)と言い、振り返った女児を、八角げんのう(金槌の一種)で殴りつけ逃走した。女児は病院に運ばれたが、3月27日に脳挫傷で死亡した。

5月24日午後、神戸市に住む男児を殺害。絞殺して遺体を隠した。5月25日、少年Aは前日の殺害現場を訪れ、男児の遺体の首を金のこぎりで切断、頭部のみ家に持ち帰った。

5月27日早朝、被害男児の頭部が市内の中学校正門前で発見。頭部には二枚の紙片(犯行声明文)が添えられていた。この中で少年Aは自らを「酒鬼薔薇聖斗」(さかきばら・せいと)と称し、捜査機関等に対する挑戦的な文言を綴っている。6月28日、少年A逮捕。(wikipedia)

神戸児童連続殺傷事件~1997年(平成9年)5月27日、神戸市須磨区で24日から行方不明になっていたH君(11)の頭部が同区中学校の正門で発見される。口には犯人から警察への挑戦状とも取れる紙片が入っており、末尾には「酒鬼薔薇(サカキバラ)」と記されていた。同日午後、胴体部分が近くの山で発見。

6月4日、「酒鬼薔薇聖斗」と名乗る犯人から神戸新聞社宛に犯行声明文が届く。マスコミによる情報合戦が繰り広げられたが、6月28日、同区に住む中学三年生の少年(15)が逮捕された。

少年は2月10日、小学6年生の女児二人をハンマーで殴り怪我を負わせていた。また3月16日には、小学4年生の女児の腹を刺して重傷を負わせ、同時に別の4年生の女児の頭をハンマーで殴り死亡させていたことも自供した。

少年は東京都府中の関東医療少年院に収容後、2004年に仮退院、2005年1月に本退院となった。当時少年だった男性(22)は「一生かけて償います」という謝罪の言葉も遺族側に伝えた。(http://www.geocities.jp/hyouhakudanna)    

〇和歌山毒物カレー殺人事件(4人)~和歌山市園部の自治会が1998年(平成10年)7月25日に空き地で開いた夏祭りで、カレーを食べた67人が急性砒素中毒を発症し、自治会長や小学4年生男児ら4人が翌日死亡。

和歌山県警は同地区に住む元生命保険会社営業職員HM(37)を、保険金目的で知人男性に砒素入り牛丼を食べさせた殺人未遂と詐欺の疑いで逮捕。のちに毒物カレー事件で再逮捕。夫の元シロアリ防除業、HK(54)は三件の保険金詐欺事件で共犯とされた。

和歌山地検はHMをカレー事件で殺人、殺人未遂罪、HKや知人男性など三人に砒素入りの毒物を食べさせて殺害しようとした殺人未遂罪、HKの高度障害保険金や自らの入院給付金を搾取した詐欺罪で起訴。

HKについては、知人男性の保険金搾取を除く三件の詐欺罪の共犯として起訴。HKは一審で懲役6年判決。HMも詐欺罪については認めたが、殺人未遂、殺人罪については否認している。

一審でHMは黙秘を貫いたが、2002年12月11日、和歌山地裁はHMに死刑判決を下した。控訴審では黙秘をやめ、無罪を主張。しかし2005年6月28日、大阪高裁で控訴棄却。現在、上告中。(http://www.geocities.jp/hyouhakudanna)  

〇光市母子殺害事件(2人)~1999年(平成11年)4月14日に山口県光市で発生した凶悪犯罪。当時18歳の少年により主婦(当時23歳)が殺害後暴行され、その娘(生後11カ月)の乳児も殺害された。

1999年4月14日の午後2時半頃、当時18歳の少年が山口県光市の社宅アパートに強姦目的で押し入った。排水検査を装って居間に侵入した少年は、女性を引き倒し馬乗りになって強姦しようとしたが、女性の激しい抵抗を受けたため、女性を殺害した上で強姦の目的を遂げようと決意。頸部を圧迫して窒息死させた。

その後少年は女性を屍姦し、傍らで泣きやまない娘を殺意をもって床にたたきつけるなどした上、首にひもを巻きつけて窒息死させた。そして女性の遺体を押入れに、娘の遺体を天袋にそれぞれ放置し、居間にあった財布を盗んで逃走した。

少年は盗んだ金品を使ってゲームセンターで遊んだり友達の家に寄るなどしていたが、事件から4日後の4月18日に逮捕された。

被害女性の夫であり、被害女児の父である本村洋(もとむら・ひろし、1976年3月19日 - )は犯罪被害者遺族として、日本では「犯罪被害者の権利が何一つ守られていないことを痛感し」、同様に妻を殺害された元日本弁護士連合会副会長岡村勲らと共に犯罪被害者の会(現、全国犯罪被害者の会)を設立し、幹事に就任した。さらに犯罪被害者等基本法の成立に尽力した。本村は広島大学工学部入学直後に被害者女性と知り合い(当時共に18歳)、遠距離恋愛の末、結婚。裁判継続中。(wikipedia)

〇池袋通り魔殺人事件(2人)~1999年(平成11年)9月8日午前11時40分頃、東京都豊島区東池袋の東急ハンズ前で起こった通り魔殺人事件である。包丁と金槌で通行人を襲い、女性2人が死亡した。(wikipedia) 

〇下関通り魔殺人事件(5人)~1999年(平成11年)9月29日午後4時25分頃、レンタカーに乗った上部康明(当時35歳)が、JR下関駅東口の歩道を車ごと横断し、ガラスのドアを突き破って駅構内の自由通路に侵入、そのまま売店や多数の利用客などの存在する駅構内を約60m暴走して7人をはねた。その後車から降り、さらに刃渡り18センチの包丁を持って駅改札口から侵入、階段やホームにいた乗客ら8人に切り付けるなどし、5人が死亡、10人が重軽傷を負った。男は駅員に取り押さえられ現行犯逮捕された。(ネット・ニュース)    

〇桶川ストーカー殺人事件(1人)~1999年(平成11年)10月26日に埼玉県桶川市のJR高崎線桶川駅前で、女子大生猪野詩織が以前に交際していたという元風俗店経営・小松和人(当時27歳)とその兄が雇った男によって殺害された事件である。

被害者猪野詩織がこれらのグループから監視・中傷・脅迫等のストーカー行為を受けていたために、「ストーカー殺人事件」と呼ばれることが多い。またこの事件がきっかけとなって、「ストーカー規制法」が制定された。


被害者猪野詩織とその家族は、幾度となく埼玉県警上尾署に相談し告訴状を提出していた。

しかし警察側は捜査をせずにこれを放置し、被害者猪野詩織の家族に告訴の取り下げを要求し、また、告訴状を改竄していたことが発覚した。

改竄に関わった署員は懲戒免職になり、のちに有罪判決を受けた。被害者猪野詩織の人格を攻撃するなどして、自らの捜査怠慢をひた隠しにしてきたという。また遺族の家に刑事が常駐し、マスコミとの接触をさせないようにしていたとも言われる。

遺族は埼玉県(埼玉県警)を相手に「国家賠償請求訴訟」を起こしたが、2006年8月30日最高裁にて、捜査怠慢と殺人の因果関係は否定し慰謝料550万円の支払いのみを命じた1・2審の判決が確定した。(wikipedia)

被害者猪野詩織さん

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〇てるくはのる事件(1人)~1999年(平成11年)12月21日午後2時ごろ、京都市伏見区にある、市立日野小学校の校庭で、友達と遊んでいた、重機運転手Nさん(35)の長男で同小二年T君(7)が、黒の目出し帽をかぶった男に文化包丁(刃渡り三十センチ)で首や腕など十数か所を切られ、約三十分後、出血多量のため死亡した。

現場には他にも児童がいたが、怪我はなかった。現場に「日野小を攻げきします。理由はうらみがあるからです」「今は逃げますが、後で名前を言うつもりでいます。だから今は追わないで下さい。私を識別する記号『てるくはのる』」などと書かれた「犯行声明」とみられる紙が残されており、京都府警捜査一課は、同小に恨みを持つ者が無差別に児童を襲った可能性が高いとみて、殺人容疑で山科署に捜査本部を設置した。

翌年2月5日、警察は有力容疑者としてO(21)に任意同行を求めるも、Oは捜査員の隙を見て逃走。そのまま近くの団地に駆け上り、飛び降り自殺をした。

京都府警は遺体発見の直前に殺人の疑いでOの逮捕状を取っており、被疑者死亡のまま書類送検をした。Oは日野小を出ておらず、動機等は一切闇の中に隠れたままになった。(http://www.geocities.jp/hyouhakudanna)
 

〇恵庭OL殺人事件(1人)~2000年(平成12年)3月17日朝、北海道恵庭市の農道で、完全に炭化した女性の遺体が発見された。解剖結果で絞殺後に焼かれたものと判明。特に喉と下半身がひどく焼かれていた。

翌日、遺体の身元は千歳市の会社に勤める橋向香さん(24)とわかった。橋向香さんは16日夜から帰宅しておらず、両親が道警に通報していた。警察の捜査の結果、同じ会社に勤める大越美奈子容疑者(29)が、2年間付き合っていた男性が橋向香さんに交際を申し込んだため別れ話を切り出されていたことがわかった。

さらに事件の夜、大越美奈子容疑者は橋向香さんと二人で会社を出たこともわかり、アリバイもなかった。道警は4月14日から6日間、任意聴取を行った。大越美奈子容疑者は一貫して容疑を否認。その後、「心因反応」と診断され入院。退院した5月22日、「自白の強要など違法捜査で精神的苦痛を受けた」として、道に損害賠償を求めて提訴。

同時に警察は、自白は得られなかったものの虚偽の供述があったと判断し、5月23日、逮捕に踏み切った。大越美奈子被告は今も犯行を否認。

主任弁護士には元衆議院議員の伊東秀子弁護士が付き、知人を中心とした支援活動も活発に行われている。2003年3月26日、札幌地裁は求刑懲役18年に対し、懲役16年を言い渡した。被告側は控訴したが棄却。2006年9月25日、最高裁第一小法廷で被告側上告棄却。刑が確定した。

大越美奈子は月刊誌の記事や文庫本で名誉を傷つけられたとして、出版元の新潮社などに販売差し止めや550万円の損害賠償を求めた。

東京地裁は2007年1月23日、「真実と信じるに足りる理由はない」として名誉棄損を認定。新潮社側に文庫本の販売差し止めと計220万円の支払いを命じた。

しかし二審で東京高裁は、損害賠償を110万円に減額。さらに文庫本販売差し止めを棄却した。2007年10月、最高裁は大越美奈子の上告を棄却し、判決は確定した。(http://www.geocities.jp/hyouhakudanna)

 

〇ルーシー・ジェーン・ブラックマン失踪事件(1人)~2000年(平成12年)7月、子市でイギリス人女性のルーシー・ブラックマン(Lucie Blackman)さんが殺害されたとされる事件。

2000年7月1日、元英国航空乗務員で、ホステスとして六本木で働いていた被害者が友人に連絡後に行方不明になった。3日には、男から被害者の友人に電話があり、不審に思った友人が警察に捜索願を出した。8月22日に被害者の妹が記者会見し、1万ポンド(当時160万円)の懸賞金をかけて有力情報の呼びかけを行った。9月下旬には、警視庁捜査一課と麻布署が被害者が勤めていたクラブの常連客で不動産管理会社社長の男を調査している事が明かになった。また、被害者の周辺で新たに外国人女性二人が行方不明になっている事が発覚した。10月には、別件の準強制わいせつ容疑で容疑者が逮捕された。後日、神奈川県三浦市内の所有するマンションの一室やモーターボート付近の海岸などを警察が捜索した。被害者が失跡した直後の7月5日頃、容疑者がこのマンションを訪れて管理人とトラブルになったり、スコップを持って海岸を歩いているのが目撃されていた。11月17日に同容疑者が再逮捕された。東京地検は同日、英国人女性に対する準強姦罪で追起訴された。警視庁はDNA鑑定のため、ルーシーさんの家族に毛髪提供要請した。2001年1月26日、オーストラリア人女性に対する強姦致死容疑で再逮捕された。2001年2月、容疑者のマンションから近い三浦市内の海岸にある洞窟内で、地面に埋められた浴槽内で遺体がバラバラに切断された状態で発見された。(wikipedia参照)

 

2000年7月1日、元英国航空の女性客室乗務員、ルーシー・ジェーン・ブラックマンさん(当時21)が、渋谷区のアパートで同棲していた友人の女性の携帯電話に午後7時頃、「あと一時間で(デートから)帰れる」と電話があったのを最後に連絡が途絶えた。

日本には5月に来日。その後、東京都港区六本木のクラブにてホステスとして働いていた。

同日夜、逗子市の消防本部に男の声で「大変なことが起きた。いまやっている病院はあるか」と問い合わせる電話がかかっていた(後に発覚)。

2000年7月3日、東京都港区麻布署に「自分の意思なので、そっとしておいてほしい」という彼女からの手紙が届くが、筆跡が違うため事件性があるものとして捜査を開始。

7月下旬の沖縄サミットで来日した英国のブレア首相が森喜朗(元)首相との会談で
この事件を取り上げた。

2000年8月22日、ルーシーさんの妹のソフィーさんが記者会見し、1万ポンド(当時160万円)の懸賞金をかけて有力情報の呼びかけを行った。翌月8月31日には懸賞金を10万ポンドに引き上げている。7月半ばに香港にて彼女の姿が目撃されている事を英国BBCテレビが報道。当初報道が過熱していたのはイギリスの方で、「失踪事件にカルト教団が関与」(Times誌)「事件に暴力団の影」(Guardian誌)など、早い段階からただの失踪事件ではない空気は感じていたようだ。これに対し日本のマスコミは「巨額の懸賞金がかけられた」と報道。

2000年9月下旬、警視庁捜査一課と麻布署がルーシーさんが勤めていたクラブの常連客で、不動産管理会社社長の織原城二を調査している事が明かに。また、ルーシーさんの周辺で新たに外国人女性二人が行方不明になっている事が発覚。

2000年10月9日、織原城二容疑者を準強制わいせつ容疑で逮捕。自宅の豪邸からは、織原容疑者が白人女性をレイプするビデオテープの他、大量の薬物、プリペイド式携帯電話などが見つかった。取り調べに対し、「今は言えない」と供述。経営には行き詰まっていたようだが、クラブでは派手に金を使っていた。白人女性が好みのようで「薬物が入ったとみられる酒を飲まされて意識を失った」という被害者もいる。

14日には神奈川県三浦市内の織原容疑者が所有するマンションの一室やモーターボート、付近の海岸などを捜索。ルーシーさんが失跡した直後の7月5日頃、織原容疑者がこのマンションを訪れて管理人とトラブルになったり、スコップを持って海岸を歩いているのが目撃されている。資産家の異常犯罪、それも強姦・薬物・複数失踪とワイドショーでは連日報道されるようになった。

2000年10月27日、織原容疑者を「カナダ人女性への準婦女暴行罪」で再逮捕。
当初「合意だった」と容疑を否認していたが押収したビデオが決め手となった。
ルーシーさんについては、関与そのものを否定。織原容疑者は女性を「海に行こう」などと連れだし、催眠作用を持つ薬物の入った酒類を飲ませ、女性の意識を失わせて乱暴をした疑い。同容疑者は女性トイレ盗撮で2年前に逮捕されていた。

2000年11月17日、同被告を再々逮捕。東京地検は同日、英国人女性に対する準強姦罪で追起訴。警視庁はDNA鑑定のため、ルーシーさんの家族に毛髪提供要請。

2000年12月14日、六本木連続準強姦事件初公判。織原被告が起訴事実を否認。
初公判を傍聴しようと、60席の一般傍聴席に対し892人が並んだ。
マスコミも連日この報道を続けたが、2月に遺体が見つかるまでは「盛り上がり」としては少々トーンダウン。年末年始にかけて外国人女性3人、日本人女性2人への暴行により5度逮捕される事になる。

2001年1月26日、オーストラリア女性に対する強姦致死の疑いで6度目の逮捕。
死因は(酒中に混入された)大量の薬物摂取による肝不全と断定。
捜査本部はこれまでの捜索で、睡眠薬や睡眠導入剤のほか、「デート・レイプドラッグ」とも呼ばれ、性犯罪に悪用される恐れがある薬物やクロロホルムなどを織原容疑者の関係先から押収している。睡眠薬の中には、正規のルートでは入手できない製剤前の主成分原料約5kgも含まれていた。

ワイドショーはこの一連の出来事を受けて「欲望のままに抵抗できない女性に乱暴したのは許せない」という論調で報じた。
しかし発端であるルーシーさんとの関与を本人が否定しており、この件に関しては遺体を埋めたと推測される別荘から証拠が発見されるのではないかと「期待」されていた。
ニュースなどでも捜索現場を中継するシーンが幾度と無く見られた。

織原は単なる金持のボンボンの変態が起こした性犯罪、というスタンスで報道は続けられた。年始においては「織原容疑者を逮捕したのは警察の勇み足ではなかったか」とまで聞かれるようになった。これは同容疑者を同じ容疑で6度も逮捕している(最終的に7度)他、事件発生から7ヶ月、逮捕から4ヶ月たっても決定的な証拠品=遺体が見つからなかったためである。マスコミの矛先は次第に「警察の無能さ」へ向かうようになった。

2001年2月9日、三浦市の海岸にある洞穴の入り口約3メートルの所で地面に埋められた浴槽の中に、バラバラに切断された「大柄な外国人女性」の遺体を発見した。
翌日、遺体をルーシーさんのものと断定。両親が「とても悲しく、衝撃的なこと」とコメント。この件に関して英国外相が「あとは殺人者を司法の場で裁くことだ」とコメント。
それほどまでにこの事件は英国で大きく報じられていた。以降、本人の特定がしづらい「プリペイド式」携帯を使っていた事、友人や消防署にかけられた電話を特定した事、新たな証拠物の押収、切断に使われた凶器の断定(チェーンソー)、「死んだ犬の遺体を数日保存したい」とドライアイスを購入していた件など連日次々と見つかる事実に報道は過熱する一方であったが、これに前後して織原被告が在日韓国人であると言われ始める。

韓国名は金聖鐘。

米国のWashington Post誌は「警察が犯罪を見過ごした、発見も遅い」と非難。

2001年3月3日、ルーシーさんの遺体、英国に帰国。

2001年4月、完全に報道の熱は沈静化。

2004年12月10日、ルーシーさんの父親が、織原城二(金聖鐘)被告の裁判傍聴の為に訪日。日本のマスコミは完全にスルー。英国・米国では大々的に報じられる。

2005年3月23日(現地時間・英国)、ルーシー・ブラックマンさんの葬儀が行われ、遺体が埋葬された。(http://www.asyura.com/0601/nihon19/msg/394.html)

被害者ルーシー・ブラックマンさん(当時21歳)

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〇世田谷一家殺害事件(4人)~2000年(平成12年)12月30日午後11時ごろから翌31日の未明にかけて、東京都世田谷区上祖師谷3丁目の会社員宅で、長女(当時8歳)や長男(当時6歳)を含む一家4人が惨殺された事件、または当該事件の一般的な呼称。隣に住む母親の実母が、31日の午前10時55分ごろ発見したが、犯人は既に逃走していた。


現場には犯人の血痕や指紋、靴の跡(足跡)のほかに、多数の遺留品も残されていたが、現在も捜査は難航し、現在未解決。捜査特別報奨金制度対象の事件。正式名称は上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件である。(wikipedia)    

 

〇レッサーパンダ事件(1人)~2000年(平成12年)4月30日、元建設作業員Y(28)は、わいせつ目的で東京都台東区の路上を徘徊していた。午前10時半頃、女子短大生(19)に背後から近づいたが、振り返った短大生の顔を見て「バカにされた」と思い込み、持っていた包丁で背中や腹部を刺して殺害した。

犯行後、かぶっていたレッサーパンダのぬいぐるみの帽子や包丁を近くの公園に捨てて、逃走した。Yには自閉症などの広汎性発達障害と軽い知的障害があり、犯行当時の精神状態が裁判の焦点となったが、2004年11月、一審無期懲役判決。被告は控訴するものの、2005年4月に取り下げ、確定。(http://www.geocities.jp/hyouhakudanna) 


1991年(平成3年)から1995年(平成7年)まで

2009年01月03日 | ネット・ニュースなど

〇札幌両親強盗殺人事件(2人)~イベント会社役員Y(24)は、2年前の夏に大学生C(19)と知り合い、1年前の9月から同棲を始めた。二人は結婚を求めたが、Cの両親であるI夫婦に反対されていた。YとCはI夫婦の殺人を決意。

1991年(平成3年)11月22日、YとCはI夫婦を刺殺。Iさん所有の乗用車に夫婦の遺体を乗せ、Yが勤める会社が所有する原野に穴を掘って車を埋めた。そして保険金を解約して、300万円を手に入れた。

12月に妻の親族から捜索願が出され、行方を捜した結果目撃情報が寄せられ、12月26日に掘り返したところ、車と遺体が発見された。YとCは死体遺棄容疑で逮捕、後に殺人罪で再逮捕された。

二人は別々に公判を受け、Cは殺人を否認。しかし1994年3月、札幌地裁は求刑通り無期懲役の判決を言い渡した。一度は控訴するもその後取り下げ、刑は確定。Yは求刑死刑に対し、同じく無期懲役判決。検察側は控訴、さらに異例の上告までするものの、1999年12月、最高裁は検察側の上告を棄却、刑は確定した。(
http://www.geocities.jp/hyouhakudanna)   

〇市川一家4人殺人事件(4人)~1992年(平成4年)3月5日に千葉県市川市で発生した当時19歳の未成年者による殺人事件である。

1992年2月、少年(当時19歳)は、フィリピン人のホステスと性的関係を持ったことにより、暴力団関係者から200万円を要求されていた。工面に困った少年は、その数日前に交通事故で轢き強姦した女子高校生のA子さん(当時15歳)の家に強盗目的で押し入る事にした。

3月5日午後4時30分頃、少年は家に押し入り、現金8万円を奪った後A子さんの祖母(当時83歳)を絞殺。その後、帰宅したA子さんを監禁し、午後7時頃に帰宅したA子さんの母親(当時36歳)を刺殺。A子さんを強姦した後、午後9時頃に帰宅したA子さんの父親の会社社長(当時42歳)を殺害、預金通帳を奪う。翌6日午前6時頃、A子さんの妹(当時4歳)を刺殺。

同日午前9時過ぎ、A子さんの父親の会社から「様子がおかしい」と通報が入り、警察官が駆けつけて少年を逮捕し、A子さんを保護した。

1994年8月8日、千葉地裁で少年に死刑判決が言い渡された。少年は控訴したが、1996年7月2日に東京高裁は控訴を棄却。更に上告するが、2001年12月3日に最高裁で上告が棄却され、死刑が確定した。

過去に暴行事件や強姦事件(事件実行当日にも別の被害者への強姦事件を起こしている)を起こしていた点、逮捕されてから裁判中まで、被疑者の当時の少年には事件を起こしたことに対して全く反省した態度が見られない点、A子さんの目の前でA子さんの肉親を殺害したという残虐性、警察が踏み込んだ際にA子さんに包丁を持たせ自分が被害者を演じた計画性などが裁判で重く見られた。

未成年者に死刑が言い渡され、刑が確定するに至ったのは、永山則夫連続射殺の永山則夫以来であった。(
http://www.geocities.jp/hyouhakudanna)     

〇旧八郷町・元美容師殺人事件(1人)~1993年(平成5年)1月12日、石岡市(旧八郷町)柴内の国有林内で平成5年1月、常総市(旧石下町)新石下の元美容師、谷嶋美智子さん=当時(22)=が全裸遺体で発見された殺人死体遺棄事件は13日、発生から丸15年が過ぎ、同日午前0時で公訴時効を迎えた。

捜査本部のこれまでの調べでは、谷嶋さんは4年11月末まで、旧石下町内の美容室で働いていた。遺体で発見された前日の5年1月12日午前7時半ごろ、黒っぽい服装でアパートの自室からタクシーに乗り、旧石下町の自動車教習所に向かい、午前10時半ごろまで教習所にいたことが確認されている。

元担当捜査員で現職警察官の1人は「解剖所見では死因は心臓損傷による失血死だが、相当な刺し傷や右大腿(だいたい)部にかなり大きな切創が認められた」と指摘。
さらに、「殺害のされかたが、米映画の『氷の微笑』に似ているというので、レンタルビデオ店の顧客名簿なども調べ上げたが、犯人像を絞り切るまでには至らなかった」と明かした。(net news)     

被害者谷嶋美智子さん

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〇大阪愛犬家連続失踪殺人事件(5人)~大阪府八尾市のUは、蓄犬業で金儲けしようと、長野県塩尻市内の農地を借りた。Uは「犬の訓練士」と称して業界紙に広告を出し、出資者を集めようとした。1992年5月、預かった犬を散歩させていた途中、偶然Aさん(23)と出会う。Aさんとは以前一緒にあるバイトをしていた仲だったが、UがAさんの悪口を言いふらしたと文句を言ったことから殴り合いになりかかった。

Uは知り合いの獣医を訪ね、犬の安楽死に使うと、筋肉弛緩剤である塩化スキサメトニウム2%溶液のアンプルを入手。Aさんを呼び出し、仲直りだと言って睡眠薬入りの酒を飲ませて眠らせ、腕に注射して殺害し、塩尻の訓練所予定地に埋めた。

1992年10月頃、大阪市の主婦B子さん(47)と知り合う。1993年にB子さんは銀行から80万円を借り、10月25日以降行方不明になった。

1991年9月頃知り合った大阪の主婦C子さん(47)も、1992年10月29日から失踪していた。

1991年頃、犬の雑誌を通して知り合った大阪市の無職Dさん(35)は、1992年7月にUの銀行口座に30万円を振り込み、8月頃から失踪した。

警察庁は一連の失踪事件を広域重要事件120号に指定。Uの身辺調査に入った。1994年(平成6年)1月26日、大阪府警が殺人などの容疑でUを逮捕。

連続殺人を自供した。DさんとB子さんは出資金のトラブルから、C子さんは車に隠していたB子さんの遺体を見付けられそうになり、殺したものだった。さらにアルバイト料を催促していたEさん(20)も殺害していた。いずれも筋肉弛緩剤で殺害し、遺体を塩尻の予定地に埋めていた。

Uはその後、供述は警察の暴力によるものだとして一貫して無実を訴えたが、2005年12月15日、最高裁で死刑が確定した。(http://www.geocities.jp/hyouhakudanna)

〇世田谷大学生殺人事件(1人)~1994年(平成6年)2月18日、青山学院大学の卒業を間近に控え、航空大学へ進学が決まっていた大学生Mさん(23)がアパートの自室にて刃物で刺されて殺されているのを、連絡が付かなくなって心配した母親の依頼を受けた伯母が発見した。Mさんにはトラブルもなにもなかったため、捜査は難航した。

2月22日、静岡県の別荘に無断侵入していたアベックがガスコンロで自殺をはかろうとしたところ、ライターの火がガスに引火、男が全身に火傷を負ったとの通報が入った。二人はD(20)とI(20)だった。Dは病院に運ばれ、Iは熱海警察署で事情聴取されたが、このとき世田谷の大学生殺人事件を認めた。

DとIは1年前に知り合い、Iが仕事を辞めたあとは盗みなどを繰り返して転々としていた。DとIは、Iの中学時代に付き合いのあった大学生(20)のアパートを2月11日に訪れるものの、実家に帰って留守だった。そこで自殺しようとしたが失敗。15日に隣室のMさんに口実を付けて誘い込んで縛り上げ、5万円を奪った。

DはIにMさんと性行を強要、IはMさんにまたがって性行を始めた。その後DとIは普通に性交したあと、Mさんをナイフで刺して逃走した。

9月5日、東京地裁はDに無期懲役、Iに懲役15年を言い渡した。二人は控訴せず、刑はそのまま確定した。Iは妊娠しており、後に獄中出産をした。(http://www.geocities.jp/hyouhakudanna)   

〇井の頭公園バラバラ殺人事件(1人)~1994年(平成6年)4月23日、東京三鷹市にある井の頭公園で、男性のバラバラ遺体が発見された。

切断された遺体の断片は全部で27個、いずれも半透明のビニール袋に入れられ、池の周囲にあるゴミ箱に点々と捨てられていた。遺体は手足と胸の一部だけで、頭部と胴体の大部分がなかった。

三日後、公園の近くに住む一級建築士Kさん(35)の遺体と判明。被害者をバラバラにしたことから顔見知りの犯行と思われたが、捜査線上には何も浮かんでこなかった。現在も捜索中。(http://www.geocities.jp/hyouhakudanna)     

〇松本サリン事件(7人)~オウム真理教は長野県松本市に支部を開設しようとしたが、購入した土地をめぐって地元住民とトラブルになった。1994年(平成6年)7月19日に長野地裁松本支部で予定されていた判決で敗訴の可能性が高いことから、教祖麻原彰晃(本名松本智津夫 当時39)は裁判官はじめ反対派住民への報復を計画。

土谷正実(当時29)、中川智正(当時31)、林泰男(当時36)らが作成したサリンや噴霧装置を用い、6月27日、村井秀夫(当時35)、新実智光(当時31)、遠藤誠一(当時34)、端本悟(当時27)、中村昇(当時27)、富田隆(当時36)の実行部隊6人は教団施設を出発したが、時間が遅くなったため攻撃目標を松本の裁判所から裁判官官舎に変更。

官舎西側で、第一通報者の会社員男性(当時44)宅とも敷地を接する駐車場に噴霧車とワゴン車を止め、午後10時40分ごろから約10分間、サリンを大型送風機で噴射した。7人が死亡、586人が重軽傷を負った。

第一通報者で被害者の男性(44)は、警察の家宅捜査、事情聴取を受け、マスコミにも犯人扱いをされた。証拠不十分で捕まることはなかったが、1995年3月20日の地下鉄サリン事件まで、警察、マスコミから疑惑の人物扱いをされた。

本事件がオウム真理教によるものとわかったのち、男性の元へ野中広務国家公安委員長(当時)が謝罪に訪れた。しかし長野県警は未だ謝罪しておらず、捜査のミスも認めていない。またマスコミ各社は謝罪文等を掲載したものの、男性への直接謝罪は皆無である。

村井秀夫は1995年4月23日、教団東京総本部前において殺害された。松本智津夫は求刑通り死刑が二審で確定。端本悟は求刑通り死刑が最高裁で確定。土谷正実、中川智正、新実智光、遠藤誠一は一・二審死刑判決。現在上告中。中村昇は無期懲役(求刑死刑)判決が最高裁で確定。富田隆は懲役17年(求刑無期懲役)判決が二審で確定。(http://www.geocities.jp/hyouhakudanna)   

〇つくば母子殺人事件(3人)~1994年(平成6年)11月3日、横浜市鶴見区の京浜運河で、ビニール袋に入れられ、重しを付けられた女性と女児の絞殺遺体が発見された。

調査の結果、10月29日に捜索願が出ていたつくば市に住む医師N(29)の妻Eさん(31)と長女(2)と判明した。続いて長男(1)の遺体も横浜港近くの海で発見された。捜査本部は、N夫婦の身辺調査を進めた結果、Nが複数の女性と付き合ったり、借金の利子返済に追われていたことがわかった。

取調官は11月7日からNを事情聴取して説得、25日にNは自供した。10月29日、朝帰りをしたNはEさんに離婚を切り出され、慰謝料とEさんのローンを支払うよう要求され逆上、Eさんを絞殺した。我に返ったNは、母を失い、父が殺人者になった子供が哀れになり、眠っている長男を絞殺。さらに犯行を偽装に見せかけるため、長女も絞殺した。

10月31日早朝、遺体を車に乗せ、海中に投げこんだ。死体を遺棄する前、ストリップやソープランドに立ち寄ったり、翌日には愛人の看護婦とともに北海道旅行の予約をするなど、異常な行動が見られている。

一審横浜地裁では、検察側の死刑求刑に対し「被告の人格が未熟であった。計画性はなく、衝動的な犯行である。夫婦不和が原因であり、被告人の責めにのみ帰することはできない面がある」として無期懲役判決を下した。

検察側は量刑が軽すぎる、弁護側は量刑が重すぎると控訴。1997年1月31日、東京高裁は両方の控訴を棄却、無期懲役判決を下した。Nは上告したものの、その後取り下げ、刑が確定した。(http://www.geocities.jp/hyouhakudanna)     

〇地下鉄サリン事件(12人)~目黒公証役場事務長(当時68)拉致事件などでオウム真理教への強制捜査が迫っていることに危機感を抱いた教祖麻原彰晃(本名松本智津夫 当時40)は、首都中心部を大混乱に陥れて警察の目先を変えさせるとともに、警察組織に打撃を与える目的で、事件の二日前にサリン散布を村井秀夫(当時36)に発案。

遠藤誠一(当時34)、土谷正実(当時30)、中川智正(当時32)らが生成したサリンを使用し、村井が選んだ林泰男(当時37)、広瀬健一(当時30)、横山真人(当時31)、豊田亨(当時27)と麻原被告が指名した林郁夫(当時48)の5人の実行メンバーに、連絡調整役の井上嘉浩(当時25)、運転手の新実智光(当時31)、杉本繁郎(当時35)、北村浩一(当時27)、外崎清隆(当時31)、高橋克也(当時37)を加えた総勢11人でチームを編成。

1995年(平成7年)3月20日午前8時頃、東京の営団地下鉄日比谷線築地駅に到着した電車など計5台の電車でサリンを散布し、死者12人、重軽傷者5500人の被害者を出した。

松本智津夫は地下鉄サリン事件、松本サリン事件など全13事件、計27人が死亡、約6000人が負傷したとして起訴された。薬物密造他4事件については、裁判迅速化を図るため、検察側が起訴を放棄した。

松本被告の弁護側は一審の裁判で無罪を主張。事件は村井秀夫元幹部が計画したものと主張した。松本被告は公判途中から一切の発言をしなくなり、弁護側との接見にも応じなくなった。

2004年2月27日、東京地裁は全事件について松本被告が首謀者と認定、求刑通り死刑判決を言い渡した。

弁護側が控訴。一審弁護団12人は全員辞任。新たな私撰弁護人がついたが、松本被告は弁護士の接見の求めに一切応じなかった。東京高裁は控訴趣意書の提出を2005年1月11日に設定。

その後弁護団の要請により8月31日に延長した。しかし弁護団は高裁の鑑定への立ち会いや公開法廷での鑑定人尋問などが拒否されたことを理由に、趣意書の提出を拒否した。

2006年2月20日、東京高裁から精神鑑定を依頼された精神科医西山詮医師は、「訴訟を継続する能力を失ってはいない」とする鑑定結果を同高裁に提出した。東京高裁は、3月15日までに意見書を提出するよう弁護団に要請した。だが弁護団は、西山医師の鑑定書を批判する内容の意見書を提出するだけだった。その後28日に趣意書を提出する旨を明らかにしたが、27日に東京高裁は松本被告の訴訟能力を認めたうえで、控訴を棄却する決定を出した。

最高裁の統計がある1978年以降、一審で死刑とされた被告の控訴審が、棄却決定されるのは初めて。刑事訴訟法は、裁判所が指定した期限内に控訴趣意書を提出するよう定め、これに違反した場合は決定で棄却するよう規定している。一方、刑事訴訟規則で「遅延がやむを得ない事情に基づくと認めるときは、これを期間内に差し出されたものとして審判をすることができる」との規定も設けられている。

弁護団は3月28日に趣意書を提出するとともに、30日に決定に対する異議を東京高裁に申し立てた。東京高裁は不定出を理由に5月29日、異議を却下した。9月15日までに最高裁第三小法廷は東京高裁の控訴棄却決定を支持し、被告側の特別抗告を棄却する決定を出した。これで松本被告の死刑が確定した。

村井秀夫は1993年4月、刺殺された。犯人は逮捕されたが、動機は不明である。横山真人、林泰男は求刑通り死刑が最高裁で確定。土谷正実、広瀬健一、豊田亨、新実智光、遠藤誠一、中川智正は一・二審死刑判決、上告中。

井上嘉浩は一審無期懲役判決だったが、二審で求刑通り死刑判決、上告中。林郁夫は逮捕後犯行をすべて自供したことが認められ、求刑通り一審無期懲役判決がそのまま確定。

杉本繁郎、北村浩一は求刑通り無期懲役判決が最高裁で確定。外崎清隆は求刑通り一・二審無期懲役判決、上告中。高橋克也は逃走し、現在も特別手配中である。


1986年(昭和61年)から1990年(平成2年)まで

2009年01月03日 | ネット・ニュースなど

〇トリカブト保険金殺人事件(1人)~1986(昭和61年)年5月20日、沖縄旅行中の神谷力被告(46)と三度目の妻であるA子さんは、A子さんが半年前まで池袋のクラブで働いていたホステス時代の仲間3人を那覇空港に出迎えた。神谷被告は急用があると空港に残り、女性陣は予定どおり石垣島行きの飛行機に乗った。島に着いた正午過ぎ、A子さんは多量の発汗、悪寒、手足麻痺で苦しみ、3時に死亡した。死因は心筋梗塞とされた。

1991年、神谷被告は別の横領容疑で警察に逮捕されたが、その取調中にA子さんの変死事件が浮上した。A子さんは神谷被告を受取人として1億8500万円の生命保険金に入っていた。死亡後、神谷被告は保険金を請求したが、死因に不審を抱いた保険会社は支払いを保留。神谷被告は訴訟を起こすものの、取り下げていた。同年7月1日、警察は殺人と詐欺未遂で再逮捕した。証拠らしい証拠はなかったが、A子さんの検視医が不審を抱いて心臓や血液を保存しており、血液からトリカブト毒、さらにフグ毒が検出された。

神谷被告は全てを否認しアリバイを主張。さらにトリカブト毒の即効性により自分に殺害は不可能であると主張した。状況証拠はあるが、直接証拠はない事件である。一審・東京地裁は、被告がトリカブトを大量に購入していたことや、妻に1億8500万円の保険をかけていた事実などを積み重ねて有罪と判断。二審・東京高裁も一審の結論を支持し、被告の控訴を棄却していた。2002年2月21日、最高裁は神谷被告の上告を棄却、無期懲役が確定した。(
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〇札幌テレホンクラブ殺人事件(2人)~1988年(昭和63年)10月28日、札幌市のマンションの一室から若い女性のガス中毒死体が発見された。部屋の住人はY(25)。病院での検死後、Yの両親に遺体を確認させたところ、「娘に間違いない」と断言。Yは腰痛などで入退院を繰り返したことや離婚歴があったこと、窓ガラスをガムテープで目張りしていたことから、前途を悲観してのガス中毒と判断。札幌南署は遺体を両親に引き渡した。

2日後、札幌市の教師Fさん(32)が、Yの部屋で死んだのは自分の妻S(27)ではないか、との届出があった。Fさんは23日から修学旅行の付き添いで留守にしていたが、29日に帰ってみるとSさんの姿がない。捜索願いを提出後、妻は協会の信者友達であるYのところへ遊びに行ったことを思いだした。札幌南署で確認したところ、遺体の血液型はO型で妻と同じだった。ところがYの血液型はAB型だった。南署は直ちにYの両親に連絡したが、遺体は既に荼毘に付されていた。

31日、南署がYの部屋で再検証に行ったが、部屋は既に両親の手によって綺麗に片付けられていた。しかし、Fさんの家で採取したSさんの指紋と遺体の指紋が一致し、遺体はSさんと断定された。

11月2日、Yの部屋で採取した指紋が、1987年5月28日に札幌市ススキノのラブホテルで刺殺された会社員Sさん(27)の現場で採取された指紋と一致した。捜査本部は直ちにYを指名手配。11月4日、Yはススキノを歩いているところで逮捕された。元々の動機は、彼女が両親に肯定された存在でなかったことが始まりだったらしい。1991年、一審無期懲役判決。翌年、控訴棄却。そのまま確定。(
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〇女子高生コンクリート詰め殺人事件(1人)~1988年(昭和63年)11月25日、帰宅途中の女子高生Wさん(18)に少年Cが襲いかかった。主犯である少年Aが助けるふりをして近づき、甘言を弄して誘拐。少年B、Dも荷担。C宅に略取した。その後41日間、Wさんを不法に監禁、強姦行為や暴力行為、陵辱を繰り返した。1989年1月4日、Wさんはショック死。4人は遺体をボストンバックに入れた後ドラム缶にコンクリート詰めにし、空き地に投げ出した。

3月29日、別事件で少年鑑別所に収容されていたA、Bのもとに、綾瀬署の刑事が訪れた。刑事たちは、1988年11月16日に起きた綾瀬母子殺人事件の捜査で、現場付近の不良グループを虱潰しにチェックしていた。刑事はAを見て、何かあると思い「お前、人を殺しちゃ駄目じゃないか」とカマをかけた。Aは「すみません、殺しました」と答えた。しかし告白したのは、綾瀬の事件ではなく、本事件であった。

1990年7月、東京地裁はAに懲役17年(求刑無期懲役)、Bに懲役5年~10年(求刑懲役13年)、Cに懲役4年~6年(求刑懲役5~10年)、Dに懲役3年~4年(求刑懲役5~10年)の刑を言い渡したが、検察側は刑が軽過ぎると控訴。1991年7月、東京高裁でAに懲役20年、Bに懲役5年~10年、Cに懲役5年~9年、Dに懲役5年~7年の刑を言い渡し、確定。既にB、C、Dは出所している。

99年に出所したBは2004年5月19日未明、東京都足立区の路上で、好意を寄せていた女性と交際していると思い込んだ知人男性に「女を取っただろう」などと言いがかりをつけ、車のトランクに押し込んで埼玉県内のスナックに4時間以上監禁し、顔を殴るなどして約10日間のけがをさせた。このとき、Bは男性を「人を殺したことがあるんだぞ。本当に殺すぞ」などと脅していたとされる。Bは6月4日に捕監禁致傷の疑いで逮捕された。2005年3月1日、東京地裁はBに対し、懲役4年(求刑懲役7年)を言い渡した。(
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〇佐賀女性七人連続殺人事件(7人)~1989年(昭和64年)1月27日、佐賀県北方町の山林で三人の女性の死体や白骨が発見された。佐賀県警は捜査本部を開設、連続殺人と見た。白骨遺体は武雄市の料亭従業員A子さん(48)で、1987年7月8日から行方不明になっていた。二遺体は、北方町の主婦B子さん(50 1988年12月7日から行方不明)と、同町の従業員C子さん(1989年1月25日行方不明 37)であり、二遺体はいずれも絞め殺されていた。

国道34号線は佐賀県鳥栖市から長崎に至る幹線道路であり、この間で4人の女性の未解決殺人事件があった。1980年6月24日、白石町のウェイトレスD子さん(20)。6月27日、白石町の中学生F子さん(12)。1981年10月21日、中原町の会社員F子さん(27)。1982年2月18日、北茂安町の小学生G子さん(11)。C子さんを主要対象に選び捜査が進められたが、物証はほとんどなかった。被害者同士の接点はなにもない。奇妙なのは、失踪したのがほとんど水曜日であることだった。既に4人の事件については時効が成立している。

時効直前の2002年6月11日、佐賀県警はC子さん殺害容疑で、住居侵入と窃盗の罪で鹿児島刑務所に服役中の元運転手M(39)を逮捕した。MはC子さんと顔見知りであり、1989年には一度C子さん殺害を自供していた。ところがその後、容疑を否認。物証が乏しく、逮捕が見送られていた。引き続きA子さん、B子さん殺害でも逮捕、起訴された。Mは容疑を一切否認している。

2005年5月10日、求刑死刑に対し佐賀地裁で無罪判決。2007年3月19日、福岡高裁は検察側の控訴を棄却、一審判決(無罪)を支持した。検察側は上告せず、無罪は確定した。7月6日、Mは弁護士を通じて、無罪判決が言い渡されるまでの464日間の拘置期間について、佐賀地裁に補償を請求。地裁は「長期間拘置された上、無期懲役および死刑を求刑され、精神的にも肉体的にも大きな被害を受け、名誉も傷つけられた」として、刑事補償法の上限である1日当たり1万2500円、総額580万円を支払うことを決めた。(
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〇宮﨑勤幼女連続殺人事件(4人)~1989年(昭和64年)7月23日午後、宮崎勤(26)は幼女(6)に声をかけて車に乗せ、八王子郊外の山林に連れ込み、裸にしてビデオを撮ろうとしたところ、尾行していた幼女の父親に捕まった。その後の取り調べにより、4件の犯行が明らかになった。

1988年8月22日夕方、入間市内を歩いていた幼女(4)に声をかけ、八王子市内の山林に連れ出したが泣き出したので絞殺。遺体をビデオに撮った後、衣服を持ち帰る。

1988年10月3日、飯能市の小学校付近で遊んでいた幼女(7)を誘拐して殺害。

1988年12月9日、川越市の自宅団地のそばで遊んでいた幼女(4)を誘い出し、殺害。

1989年2月6日、8月22日に殺害した幼女の骨片や歯などが入ったダンボールを、幼女の家の玄関に置いた。

1989年2月10日、朝日新聞社宛に、誘拐、殺害の詳細を綴った「今田勇子」名義の手紙が届く。

1989年6月6日、江東区の公園で遊んでいた幼女(5)を誘拐して悪戯、殺害。遺体を自宅に持ち帰り、ビデオ撮影。二日目には遺体を切断し飯能市の霊園などに捨てた。

1989年8月11日、一連の幼女連続殺人事件の被告として、正式に逮捕された。

一審東京地裁での精神鑑定では、「極端な性格的偏り(人格障害)はあったが、精神病の状態にはなかった」「多重人格と離人症を主体とする反応性精神病」「精神分裂病だった」という3通りの結果が出た。一審判決では最初の精神鑑定を採用し、刑事責任能力があると判断して死刑判決。弁護側の「心神喪失もしくは心神耗弱」という意見は退けられた。2001年6月28日控訴棄却。2006年1月、最高裁で死刑が確定した。(
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〇坂本弁護士一家殺害事件(3人)~~横浜市磯子区のアパートに住んでいた坂本弁護士(33)、妻(29)、長男(1)が1989年(平成1年)11月3日、忽然と姿を消した。襖などから微量の血痕が検出されたこと、蒲団などの寝具類は消えていたが財布などは残っていたことから、深夜何者かに拉致された可能性が強かった。

坂本弁護士が所属していた横浜法律事務所は、オウム真理教が事件に関わっていると主張した。室内にオウム真理教のバッジが落ちていた。また坂本弁護士は、オウムに入信して帰ってこない子供の親たちが集まって結成した「オウム真理教被害者の会」の中心的役割を果たしていた。

さらに10月31日、オウムの幹部が横浜法律事務所を訪ねてきて、激しい口論を繰り返していたなどが理由である。オウム真理教は、活動を阻害しようとする罠、もしくは坂本弁護士の狂言だと反論した。事件は公開捜査となり、弁護士仲間が「救う会」を結成したが、捜査は停滞したままだった。

1995年3月20日の地下鉄サリン事件で、警視庁は3月22日にオウム真理教の強制捜査を開始した。1995年9月、実行犯の供述により新潟、富山、長野の山中から三人の遺体が発見された。10月13日、松本智津夫(麻原彰晃)被告と五人の実行犯が起訴された。

検察の冒頭陳述で、オウムの幹部たちは1989年10月26日TBSへ乗り込み、坂本弁護士の教団批判の収録テープを見て知り、殺害を決意した、としている。オウムが抗議に来て放映中止を要求したという事実を、TBSは隠し通そうとしたため、TBSの報道倫理が厳しく問われることになった。

松本は2006年に死刑判決が確定(1993年の地下鉄サリン事件に詳細を記載)。実行犯である佐伯一明は2005年4月に死刑判決が最高裁で確定。端本悟は2007年10月に死刑判決が最高裁で確定。早川紀代秀、新実智光、中川智正は一・二審死刑判決、上告中。(
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〇足利事件(1人)~1990年5月12日、4歳の少女が行方不明となり、翌日渡良瀬川河川敷で遺体が発見された。1991年12月、元幼稚園バス運転手K被告が足利署に連行され自白。被害者の下着に付着していた精液のDNAがK被告の型と一致したこともあり、K被告は起訴された。K被告は起訴後、無実を訴え続けた。公判では特にDNA鑑定の証拠能力について争われたが、1993年宇都宮地裁で無期懲役判決。1997年東京高裁控訴棄却、2000年7月、最高裁上告棄却、確定。
 2002年12月25日、弁護団は宇都宮地裁に再審請求を提出。検察側のDNA鑑定について、「捜査段階のDNA鑑定は、今は利用されていない初期のもので鑑定結果は不正確」と主張した。また殺害方法についても、自白とは矛盾すると訴えている。
 2008年2月13日、宇都宮地裁は再審請求を棄却した。決定理由で池本寿美子裁判長は、弁護側が提出した証拠の新規性を認めた上で、女児の下着に付いた体液と受刑者とのDNA型が一致しないとする主張や、殺害方法と自白の内容とが矛盾するとした鑑定結果について「いずれも明白性を欠く」と判断した。
 池本裁判長は、DNA型が一致しない疑いがあるとする上告審提出の弁護側鑑定書について「検査対象資料(毛髪)が誰のものなのか裏付けがない。分析も不正確で証明力が乏しい」と指摘。
 弁護側は、受刑者が女児の正面から両手で首を絞めたとする確定判決の認定に対し、女児の鼻や口に付いた泡沫などから、顔を水につけ後ろから首を絞めた可能性があるとの鑑定書を新証拠として提出した。
 これに対し、池本裁判長は「泡沫だけで水死と推測するのは合理性を欠く」などと認定し「新証拠は確定判決が認めた証拠の証明力を弱めるものではない」とした。弁護側は即時抗告した。
 2008年12月24日、東京高裁はDNA型の再鑑定を行う決定をした。検察、弁護側がそれぞれ推薦した専門家2人が別々に再鑑定を実施。ともに受刑者と下着に付着した体液のDNA型が一致しないという結果となった。2009年5月8日、東京高裁は再鑑定結果を検察側、弁護側双方に交付した。(http://www.geocities.jp/hyouhakudanna)

  

1990年5月、栃木・足利市で4歳の女の子が殺害された「足利事件」の再審開始を前に、菅家利和さん(62)が4日、釈放された。
記者会見した菅家さんは「当時の刑事と検察官を絶対許すことはありません」と語った。
逮捕から17年半、菅家さんが釈放され、笑顔で千葉刑務所をあとにした。
4日午後5時すぎの会見で、菅家さんは「わたしは、きょう釈放になりましたけど、本当にうれしく思います」、「自分としては、まったく身に覚えがありません。わたしは無実で、犯人ではありません」と語った。
1990年5月、栃木・足利市で4歳の女の子が殺害された「足利事件」で、無期懲役が確定し、服役していた菅家さんに対し、東京高検は、再審決定前に刑の執行を停止するという異例の判断に踏み切った。
会見で、菅家さんは「当時の警察と検察官、絶対許すことはありません。本当に間違っただけで、間違ったでは絶対済みません。自分の人生を返してもらいたいと思います」と語気を強めた。
裁判で争点の1つとなっていたのが、DNA鑑定の証拠能力だった。
事件発生当時、導入され始めたばかりのDNA鑑定で、女の子の下着から検出されたDNA型と菅家さんの型が、1,000人に1.2人の確率で一致した。
しかし、事件から19年たった2009年にあらためて行われたDNA鑑定では、検察側と弁護側、双方の鑑定人が、DNA型は一致せずとの鑑定書を提出した。
現在、鑑定の精度は4兆7,000億人に1人の確率まで向上しているという。
これを受け、東京高検は、無罪を言い渡す明らかな証拠にあたるのは確実と判断して、再審を求める意見書を東京高裁に提出し、刑の執行を停止した。
会見で、菅家さんは「やっぱり自分は無実だから、一致しなかったんだと、そう思いました。それで、同房の人と握手をしました。『良かった、良かった』と言ってくれました」と話した。
さらにもう1つの争点が、自供の信ぴょう性だった。
捜査段階で罪を認めたものの、1審の途中から無罪を主張し続けてきた菅家さんは、会見で「自白は強要された」と訴えた。
会見で、菅家さんは「刑事たちの取り調べが厳しいんですよね。髪の毛を引っ張ったり、足でけ飛ばしたり、それでお前がやったんだから、早くしゃべって楽になれと言われました」と話した。
一方、今回の判断を受け、吉村博人警察庁長官は「厳粛に重く受け止めている」とコメントした。
また、最高検察庁は「足利事件に関する全過程について精査する」としている。
再審で無罪となる公算が高い菅家さんは、殺害された女の子の家族、そして真犯人については、「(女の子の)両親に会って、『わたしは犯人ではありません』と伝えたいと思いますね」、「真犯人には、時効はあっては絶対なりません。時効になっても、わたしは許しません」と話した。(ネット・ニュース)


1981年(昭和56年)から1985年(昭和60年)まで

2009年01月03日 | ネット・ニュースなど

〇パリ人肉嗜食事件(1人)~1981年(昭和56年)6月11日、パリ第3大学で学ぶ留学生のS(32)は、自分のアパートに、同じ大学で学ぶオランダ人留学生のLさん(25)を呼び出し、関係を迫ったところ、彼女から強く拒否されたので、カービン銃で背後から射殺。尻、太ももなどをナマで食べたあと、死姦。死体を運搬するために解体。

その間にも人肉をビフテキのように焼いて食べ、冷蔵庫に死体の一部を保存していた。13日、パリの西方にあるブローニュの森の湖畔に棄てた。同日夕方、死体を詰めたスーツケースが発見され、15日に逮捕、犯行を自供。

1983年4月、フランスの予審裁判所は、事件当時Sは心神喪失状態であったとする医師の鑑定にもとづき不起訴を決定した。Sは1983年4月からパリ郊外の精神病院に入院していたが、1984年5月、帰国すると同時に精神科に入院。

1985年8月の退院後、小説を出版しマスコミにも登場した。(
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〇深川通り魔殺人事件(4人)~1981年(昭和56年)6月17日、東京、深川の商店街で、元すし職人K(29)が主婦二人(33)(29)、幼児二人(3、1)を包丁で刺殺、女性二人に重軽傷を負わせた。さらに別の主婦を人質に中華料理店に立てこもった。約7時間後に逮捕。就職を断られたことが直接の動機だが、血液と尿から覚醒剤が検出された。

また立てこもっているときも「黒幕を出せ」「電波を送られる」などと叫んでいた。心神耗弱という鑑定結果から、検察求刑無期懲役、東京地裁判決もその通りになった。当初は控訴する予定だったが、担当の国選弁護人が説得してやめさせ、一審で判決確定。(
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1981年(昭和56年)6月17日午前11時35分頃、東京都江東区森下二丁目の商店街の路上において発生した川俣軍司による無差別殺人事件。

茨城県出身の川俣軍司(当時29歳)が商店街の路上で、主婦や児童らを包丁で刺し、児童1人と乳児1人を含む4人が死亡、2人が怪我を負った。男は主婦や児童を刺した後、通行中の女性を商店街の中華料理店に引き連れ、女性と中華料理店の店員や家族などを人質にとった(中華料理店営業時間外)。家族は店の裏口から逃げ、難を逃れたが、男は店の2階に立て篭もった。中華料理店は駆けつけた警察官に包囲され、男の説得に当たった。

しかし、男は全く応じなかった。午後6時50分頃、男の隙を見て人質の女性が逃走した。これを機に警察官が突入し、柳刃包丁を振り回し抵抗する男を取り押さえ、現行犯逮捕した。女性に怪我は無かった。白いブリーフにハイソックス姿で連行される男の様子がテレビ中継され、世間の耳目を集めた。

男は傷害事件などで7回に及ぶ逮捕歴があり、覚醒剤を常用していた。男は逮捕後、取り調べで「寿司職人になろうと面接を受けたが、断られて腹が立った。子供を持つ家族が羨ましかった」と供述。

1982年12月23日に東京地裁で行われた判決公判で、裁判長は「犯行当時、覚醒剤中毒による心神耗弱状態にあった」としたが、刑事責任能力は問えるとして、無期懲役の判決を言い渡した。

当時、覚醒剤の第2次乱用期にあたり、中毒患者による事件が多発して社会問題化していた。また、犯人の男が逮捕された時の異様な風体や男の供述に出てくる電波という言葉が世間の耳目を集め、薬物中毒者が起こした象徴的事件となる。本書に記載あり。(wikipedia)   

〇西成覚醒剤常習者通り魔事件(4人)~1982年(昭和57年)2月7日午前9時過ぎ、大阪市のアパートの2階に住むH(47)は、妻(34)が食事の用意もせず外出しようとしたのに激怒。台所から刺身包丁を持ってきて妻の胸を刺した。妻は出血多量で死亡。さらに止めようとした一人息子(11)も刺した。

錯乱したHは隣の部屋に押し入り、Aさん夫婦をめった刺しにした。Aさん夫婦は血まみれになりながらも、廊下に逃げ出した。Aさんの妻は後に死亡。

同じ二階に住むBさんはAさん夫婦を見付け仰天、慌てて自分の部屋に駆け込み、夫に向かって救急車を呼んでと叫んだ。Hはその声を聞きつけ、Bさん宅に飛び込み、たまたま一緒に食事をしていた同じアパートの住人C子さん(49)の胸を刺して殺害。

一階に駆け下りたHは出勤しようとしていたDさん(56)の娘E子さん(20)と鉢合わせ。HはいきなりE子さんの顔に切り付けた。悲鳴を聞いて飛び出したDさんの胸にも包丁を刺し、Dさんは死亡。そのまま、表の路地に飛び出したが、通報で駆けつけた警官に逮捕された。

Hは覚醒剤の常習者で、7年前にも幻覚症状から妻を切り付け、逮捕されていた。生活保護を受けていたが、どこからか金を工面し、覚醒剤を続けていた。近所の人々も彼が覚醒剤常習者だと気付いていて、半年ほど前にも連名で警察に何とかしてくれと届けていた。心神耗弱が認められ、無期懲役が確定。(
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〇広域重要指定112号事件(5人)~1982年(昭和57年)5月27日、F(当時20)は藤沢市の会社員Hさんの長女(当時16)との交際を断られたことを根に持ってHさん方に押し入り、長女、次女(当時13)、妻(当時45)の母娘3人を次々と刺し殺した。

さらに6月、犯行の手助けをし、一緒に逃亡していた元ゲームセンター店員の少年(当時19)を兵庫県尼崎市内で、犯行の発覚を恐れて刺殺した。

Fはこれに先立つ1981年10月、横浜市戸塚区のキャベツ畑で、金のいざこざから盗みの仲間の無職男性(当時20)を刺殺している。

1988年3月10日、一審死刑判決。控訴するも1991年4月、Fは控訴を取り下げた。1995年6月29日、最高裁で控訴取り下げが無効になった。2001年、控訴審でも死刑判決。2004年6月15日、上告棄却、死刑確定。2007年12月7日、死刑執行。47歳没。(
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〇松山ホステス殺害逃亡事件(1人)~1982年(昭和57年)8月19日、愛媛県松山市のマンションからホステスA子さん(31)が失踪。間もなく、郊外の山林に埋められていた遺体が発見された。

捜査の結果、店の同僚だった福田和子(34)がA子さんを殺し、現金13万円と家具など956万円相当の品物を盗み、逃亡。犯行から2週間後の8月30日には東京の美容整形外科で隆鼻と二重瞼の手術を受けた。その後、大阪でも鼻と口元の美容手術を受け、各地を転々とした。

1985年には石川県の和菓子店主Bさんの内妻に納まっていた。Bさんは入籍の話を持ち出すも、福田は返事を保留。1988年にBさんは親戚に事情を説明。

ひとりが知り合いの警官に相談を持ちかけ、会ってみようと店を訪ねたら、近くの学校の行事の手伝いをしているという。学校に行くと既に帰ったとの返事。福田は警官の来訪を知り、そのまま自転車で逃亡していた。

時効直前、愛媛県警や整形外科医は福田に懸賞金をかけ、それをマスコミが大々的に報じた。福井市内のおでん屋の女将と常連客は、手配写真が時々現れる客にそっくりであることに気付き、通報。1997年7月29日、福田は逮捕された。時効成立の3週間前だった。

福田は裁判で、強盗目的ではなくA子さんとの競争心、嫉妬心が動機であることを主張。二審ではさらに同性愛からのもつれである偶発的犯行と主張した。しかし裁判所は強盗目的として一審、二審とも無期懲役判決。2003年12月、上告棄却、確定。
福田受刑囚は、和歌山刑務所に服役中の2005年2月末、刑務所内で倒れ、和歌山市内の病院に搬送されたが、3月11日、脳梗塞のため死亡。57歳没。(
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〇勝田清孝連続殺人事件(7人)~勝田清孝は、72年に京都市で飲食店従業員の女性を殺害し現金を奪った後、80年までに京都、大阪などで7人を殺害。さらに82年10月には名古屋市で警察官を車ではね、奪った短銃で殺人、強盗など一連の警察庁指定113号事件を起こした。

1983年(昭和58年)1月31日、逮捕。

1986年3月24日、名古屋地裁で死刑判決。1988年2月19日、名古屋高裁で控訴棄却。1994年1月17日、最高裁で死刑確定。2000年11月30日死刑執行、52歳没。(
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〇練馬一家五人殺人事件(5人)~東京杉並区の不動産鑑定士朝倉幸治郎(48)は、練馬区の洋書販売会社課長Sさん(45)が貸借して住んでいた家と土地が東京地裁の競売にかけられているのを知り、2月、約1億円を支払って所有権を得るとともに、6月末に引き渡す転売契約を別の会社と結んだ。ところがSさん一家はまったく立ち退こうとしない。一度は民事に訴えるも、Sさんが転居を認めたことにより朝倉は訴えを取り下げた。

その後、Sさんは転居を再び拒否。引き渡しが出来ない場合、違約金3000万円を支払うことになる。焦った朝倉はSさんのところへ何回も訪れるも、家族の反応は冷ややかだった。

1983年(昭和58年)6月27日昼、再びSさん宅を訪れた朝倉は妻のS子さん(41)をいきなり金槌で殴り殺し、続いて次男(1)、三女(6)を殴殺、絞殺。まもなく帰宅した次女(9)も絞殺。夜、Sさんが帰ってくると、持ってきた鉞で切り付け、失血死させた。

その後、死体をバラバラにし、ミンチ状にした。家を出たところを近所から不審の電話をもらった警察官に見とがめられ逮捕。「骨まで粉々にしてやりたかった」と自供した。次男は翌日死亡。長女(11)だけは林間学校に行っていたため、命拾いした。

1985年12月20日、東京地裁で死刑判決。1990年1月23日、東京高裁で控訴棄却。1996年11月14日、最高裁で死刑確定。2001年12月27日、死刑執行。66歳没。(
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〇北海道男児行方不明事件(1人)~1984年(昭和59年)1月10日午前9時35分ごろ、札幌市豊平区の自宅で電話を受けたH君(当時9)が「ワタナベさんのお母さんが、ぼくの物を知らないうちに借りた。それを返したいと言っている」と家族に伝えて外出し、行方不明になった。

1988年6月、Kが以前住んでいた農家の納屋からポリ袋に入った人骨片などが見つかった。行方不明となった当時、H君の自宅近くに住んでいたKは任意の事情聴取に対し、関与を否定した。

殺人事件の時効成立2ヶ月前である98年11月、道警はDNA鑑定により人骨片がH君のものと断定し、Kを逮捕した。 借金636万円の返済を迫られていたために身代金目的で誘拐したが、犯行発覚を恐れて殺害したというのが動機とされた。

しかし「詳細な殺害方法は不明」であり、Kは完全黙秘を続けたため、事件の全容については明らかになっていない。

2001年3月、札幌地裁において検察側は無期懲役を求刑するも証拠不十分により無罪判決。検察側は事実誤認を理由に控訴するも2002年3月19日、札幌高裁は一審判決を支持。K被告の無罪が確定した。

Kは2002年5月1日までに、1998年11月の逮捕から2001年5月の釈放までに至る928日分について、1日あたり12,500円、合計1160万円の刑事補償と裁判費用を札幌地裁に請求。11月18日、1日10,000円、計928万円の刑事補償が決定した。裁判費用については約250万円を認めた。(
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〇夕張保険金目当て放火殺人事件(6人)~H夫婦(41、38)は1984年(昭和59年)5月5日、暴力団員に命令し、保険金目当てに自分の会社の従業員宿舎に放火させ、約1億3800万円を騙し取った。また従業員4人、子供2人が焼死した。殺害されると思った暴力団員の訴えにより、H夫婦が逮捕。H夫婦は放火こそ認めているが、殺意は否認した。

1987年3月、一審死刑判決。共犯の暴力団員は分離公判で無期懲役判決確定。H夫婦は控訴したものの、1988年10月11日、昭和天皇崩御に伴う恩赦を期待して控訴取り下げ、死刑確定。しかし、恩赦はなかった。1997年8月1日、死刑執行。夫54歳没、妻51歳没。夫婦ともへの死刑判決、及び執行は戦後初。妻は戦後3人目の女性死刑執行者となった。(
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〇元警官強盗殺人事件(元警官広田雅晴殺人事件)(2人)~1984年(昭和59年)9月4日、京都市上京区の船岡山公園を巡回中の京都府警西陣署巡査(30)が元同府警巡査部長の広田雅晴(41)に襲われ、刃物で刺されたうえ携帯していた短銃で撃たれて死亡した。

短銃を奪った広田は、約3時間後に大阪市都島区のサラ金店に押し入り従業員(23)を射殺し、現金73万円を奪って逃走。警視庁広域重要指定115号事件に指定される。翌日、千葉県の実家に戻ったところを逮捕された。広田は現職警官だった6年前に郵便局強盗をして服役、8月30日に仮出所したばかりだった。

1988年10月25日、大阪地裁で死刑判決。1993年4月30日、大阪高裁で控訴棄却。1997年12月19日、最高裁で死刑確定。無実であると訴え再審請求中。(
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1976年(昭和51年)から1980年(昭和55年)まで

2009年01月03日 | ネット・ニュースなど

〇道庁爆破事件(2人)~1976年(昭和51年)3月2日午前9時頃、北海道札幌市にある北海道庁のロビーで強力な消火器時限爆弾が爆発。道庁職員の男女2名が死亡、95人が負傷。同日に地下鉄のコインロッカーから「犯行声明」が発見されたことから、「反日闘争」関連のグループ、もしくは個人と警察は推測。

当時活動家であった大森勝久(27)が8月10日に逮捕された。大森は一貫して犯行を否認し続けた。物的証拠もほとんどなく、唯一、事件前に現場近くの路上で2人連れの男を見たという「目撃証言」から犯行を認定、1983年3月29日、札幌地裁で死刑判決。高裁、最高裁でも判決は支持され、1994年7月15日、最高裁で死刑が確定した。

大森死刑確定囚は現在も犯行を否認、数少ない証拠物件も警察による捏造であると訴え、2002年再審請求。2007年3月19日、札幌地裁は請求を棄却。大森死刑囚は即時抗告した。(
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〇世田谷・制服警官女子大生殺人事件(1人)~~1978年(昭和53)1月10日、警視庁北沢署経堂駅前派出所勤務の松山純広(当時20歳)巡査による女子大生暴行殺人事件。制服姿の警察官(松山)が、東京・世田谷区のアパートで、この部屋に住む清泉女子大学キリスト教文科学科4年・Y子さん(22歳)を暴行しようとし、抵抗され女子大生を殺害。

1982年11月、東京高裁で控訴棄却、無期懲役確定。1月19日、国家公安委員会は、警視総監・土田国保に減給、他警視庁幹部3名も処分した。警視総監の処分はこれが戦後初めてだった。また北沢署の署長も引責辞任している。警官の事件で驚愕した。(
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〇三菱銀行猟銃強盗殺人事件(4人)~1979年(昭和54年)1月26日午後二時過ぎ、大阪市住吉区の三菱銀行北畠支店に一人の男が入ってきた。ゴルフバックから猟銃を取り出して構え、五千万円を要求。窓口の行員は反射的に銃口を手で避けようとしたが、抵抗されたと思った犯人の梅川昭美(30)は射殺。

梅川は支店長から現金280万円を奪い、さらに行員にカウンターの金を集めさせていたが、そこに銀行から逃げ出した客から銀行強盗のことを聞いた警ら中の警官が銀行に駆けつけてきた。警官は威嚇射撃をすると、梅川は容赦なく猟銃で射殺。さらにパトカーで駆けつけてきた二人の警官にも発車。警官一人は死亡、もう一人は防弾チョッキで命拾いをし、逃げ出した。

その後も続々とパトカーが到着。梅川は客と行員37名を人質として立て籠もった。立て籠もり中、すぐに金を払わなかったと支店長を射殺している。支店の建物は武装警官隊や報道陣によって包囲され、推移はテレビで現場中継された。

大金庫の前に陣取った梅川は、行員たちを出入口などに並ばせ、人間バリケードを築いて狙撃を警戒。

さらに「ソドムの市を味あわせてやる」と女子行員全員を全裸にして扇形に並べ、警察側の動きがある度に自分は要の位置に移動し、楯代わりに使った。重傷で呻いている行員がうるさいと、そばに立っていた行員にナイフを渡し、耳を切り取れと命令。さらに別の行員には500万円を用意させ、自分の借金を払いに行かせた。

27日、食事などの差し入れと交換に、4名の死者、重傷者、客を次々と解放。警察は徹夜で電話交渉を続けた。28日午前8時、説得は不可能、人質の体力が限界に来ていると判断した大阪府警は、5名の狙撃班に突入命令を出した。

5名は死角の位置から拳銃を発射、3発が梅川に命中した。人質は無事に解放されたが、梅川は運ばれた病院で死亡した。(
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〇平取猟銃一家殺人事件(4人)~1979年(昭和54年)7月18日、O(35)はキツネの皮代の支払いが遅れていることをなじられ、平取町内のはく製業者(51)とその妻(37)、長女(22)、次男(2)の一家4人を、貸すために持参していたライフル銃で射殺した。

物的証拠がほとんどないことから、一審では32人の大弁護団が結成され、無罪を訴えた。しかしOは初公判で起訴事実を認めた。

1984年3月23日、札幌地裁で求刑通り死刑判決。1987年5月19日、札幌高裁で被告側控訴棄却。1993年12月10日、最高裁で死刑が確定した。1999年11月18日、Oは札幌拘置所内で入浴中、かみそりで右の首を切り自殺した。55歳没。(
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〇富山長野連続女性誘拐殺人事件(2人)~1980年(昭和55年)2月23日、富山県八尾町の高校三年生Nさん(18)が帰宅途中に失跡、3月6日に岐阜県の山中で絞殺体で見つかった。3月5日には長野市のOLTさん(20)が行方不明になり、自宅に女性の声で身代金3000万円を要求する電話があった。Tさんは4月2日、長野県内の山中で絞殺体で発見された。

警察庁は、広域重要指定第111号事件に指定。数日後、富山市の贈答品販売会社を共同経営しており、愛人関係にあった宮崎知子(34)と男性(28)が逮捕、起訴された。

検察側は愛人の男性が殺害実行及び主犯、宮崎が従犯として起訴した。ところが85年3月、「殺害は宮崎が単独で実行。男性は共謀共同正犯」と冒頭陳述を変更。

求刑は宮崎が死刑、愛人男性が無期懲役。しかし1988年2月9日、富山地裁は宮崎の単独犯行と認定、愛人男性は無罪判決。1992年3月31日、名古屋高裁でも同様に認定され、愛人男性は無罪確定。宮崎は1998年9月4日、最高裁で死刑確定。現在でも愛人男性が主犯であると主張、2004年再審請求。棄却され、即時抗告中。(
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〇新宿駅西口バス放火事件(6人)~1980年(昭和55年)8月19日21時過ぎ、新宿駅西口で停車中の京王帝都バスに、中年男が後部乗降口から火のついた新聞紙と、ガソリンが入ったバケツを放り込んだ。炎の回りは早く、乗客6人が焼死、22人重軽傷。

現行犯で逮捕された犯人の建設作業員M(38)は心神耗弱が認められ、死刑求刑に対し無期懲役判決。Mは服役中の97年10月、千葉刑務所作業場の配管にビニール紐をかけ、首吊り自殺。55歳没。(
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1971年(昭和46年)から1975年(昭和50年)まで

2009年01月03日 | ネット・ニュースなど

〇上野消火器販売会社一家殺人事件(5人)~1974年(昭和49年)消火器販売の元セールスマンである徳永励一(36)は親子2代で得意先を取られた怨みから、友人であり同性愛人である鳶職木村繁治(39)を誘い、1974年2月7日、上野の消火器販売会社社長(71)、妻(69)、3男(33)、3男の妻(27)、アルバイト男性(26)をハンマーとバットで殴り殺した。

金欲しさが目的であった木村繁治は金銭も奪った。遺留品から翌日には徳永が、4日後には木村が指名手配された。同日の11日、木村が逮捕、3月8日に徳永が逮捕された。

1975年12月22日、東京地裁で死刑判決。1977年3月17日、東京高裁で控訴棄却。1979年12月25日、最高裁で死刑が確定。1986年5月20日、死刑が執行された。徳永48歳没、木村51歳没。(
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〇ピアノ騒音殺人事件(3人)~1974年(昭和49年)8月28日、神奈川県平塚市の団地でピアノの騒音を理由に母子3人、刺殺される。大浜松三(46)は、この頃、階下のピアノの騒音に悩まされていた。

仕事の方も退職させられ、かなり自棄になっていた。再三ピアノの騒音について注意したものの、母親は気にする風ではなかったらしい。既にノイローゼ状態にあった大浜は殺人を決行。その後、海で死にたいと思い、さまよったが死にきれず、三日後自首。

19751975年10月、横浜地裁小田原支部で死刑判決。騒音に悩む人々の同情が集まって、助命嘆願活動が行われ、弁護士も控訴したが、大浜は拘置所内での騒音に悩まされ、「音で苦しまされるより、死んだ方がよい」と1977年4月に控訴を取り下げ、刑は確定した。(
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1975年10月20日、Aに対して死刑判決が下された。しかし、事件がマスコミによって大々的に報道された事で全国から騒音被害者などによる助命嘆願活動が行われ、1976年5月、Aに対し精神鑑定が実施され責任能力なしの判断が下った。同年10月、「刑務所内の騒音に耐えられず、死にたい。」との理由でAは控訴を取り下げ。1977年に刑が確定したが、30年以上経過した2007年12月現在、執行されていない。執行されない理由は上記によるものであると見られる。控訴を取り下げていなければ死刑判決は破棄されていた可能性が高い。(wikipedia)   

〇広域連続殺人事件(3人)~1975年(昭和50年)4月3日午前0時頃、K(30)は兵庫県内の事務所兼居宅に侵入し、就寝中の夫婦(38、36)の頭部をハンマーで殴り重傷を負わせた。さらに三女(4)の頭をハンマーで殴り、頸部を両手で絞め、ナイフで刺すなどして殺害。さらに長女(10)の頭部をハンマーで殴り殺害し、現金8000円を奪った。

1977年8月15日午前3時15分頃、Kは兵庫県内の事務所に押し入り、宿直の事務員2名(49、48)を脅して計約30000円が入った二人の財布を奪い、さらに殺害しようとナイフで二人を数回刺し、重傷を負わせた。

1977年8月18日午後1時頃、Kは三重県内の民家に侵入し、留守番をしていた女性(70)に切出ナイフを突きつけて脅迫し、同女が声をあげたりしたためその頸部を切出ナイフで突き刺して殺害したうえ、同女所有の現金28000円等を奪った。

他に強盗3件、強盗致傷3件、強盗殺人未遂1件などがある。7都道府県で犯行を行った。強盗事件と、1975年の事件の間に確定判決があり、1975年と77年の事件の間に確定判決がある。Kは14歳頃から窃盗事件を犯し、少年院に計5回入院している。成人後も強盗致傷、窃盗等で服役を繰り返した。Kは貧しい家庭に生まれ、幼少の頃父を失い、母と生別して小学校にも満足に通えなかったことが、被告の人格形成に大きな影響を与えている。被告の知能が精神薄弱者の域に達している。

1980年9月13日、神戸地裁は1975年以前の強盗事件で懲役10年、1975年の事件で死刑、1977年以降の事件で無期懲役判決を下した。1984年9月13日、最高裁で刑が確定。確定後、一部は冤罪であると主張して再審を準備していたものの、精神分裂症の症状が重くなり、事情聴取が不能のために、再審請求の準備は中断した。精神病の疑いがあるにもかかわらず、1993年3月26日に死刑執行。48歳没。(
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