BOOK、CDなど

1 BOOK、CD、DVD、LP、コンサート、音楽鑑賞サークル、筋トレ等のメモ
2 失念防止のためのメモ

1996年(平成8年)から2000年(平成12年)まで

2009年01月03日 | ネット・ニュースなど

〇東電OL殺人事件(1人)~1997年(平成9年)3月19日、東京渋谷区円山町のアパートで、東京電力の女性社員渡邊泰子(39)が殺害され、現金4万円を奪われた。

その後の調べで、女性社員は慶応大学卒の東京電力という一流企業のエリート社員でありながらも、夜はストリートガールに変身して男あさりをしていたという事実が明らかになり、私生活を暴く報道が過熱。

被害者のヌード写真やベッド写真がマスコミに流れた。この事態に、弁護士グループが報道機関に対して質問状を送付、日本弁護士連合会もプライバシー侵害であるとの会長談話を公表した。

出入国管理法違反で3月23日に逮捕、地裁で懲役1年、執行猶予3年判決が確定したネパール国籍のM(30)を、地裁判決日の5月20日に強盗殺人容疑で逮捕した。

3月に逮捕された時点でMは捜査線上に上がっていたが、Mの弁護人ならびに本人が証言を拒否。女性社員に残っていた体液とDNA鑑定は一致したが、物証がなかったため、捜査は難航していた。

2000年4月14日、一審東京地裁で無罪判決。無罪判決と同時に身柄は入国管理局に移り、強制退去の手続きに入ったが、検察は控訴するとともにMの身柄確保のため勾留請求。

その後二度の請求を挟み、5月8日、東京高裁はMの拘留を決定した。2000年12月22日、東京高裁は逆転有罪、求刑通り無期懲役を言い渡した。2003年10月20日、最高裁で被告側上告棄却、確定。Mは2005年3月24日、東京高裁へ再審請求を提出した。佐野眞一『東電OL殺人事件』を参照。(http://www.geocities.jp/hyouhakudanna)  

〇月ヶ瀬村拉致撲殺事件(1人)~1997年(平成9年)5月4日、奈良県添上郡月ヶ瀬村の中学生Uさん(13)が、県内の卓球大会からの帰途で行方不明になった。現場には血痕が残され、近くにある公衆トイレの浄化槽からUさんのジャージなどが見つかった。

それと一緒にダウンベストが見つかり、それに似たベストを日頃から着ていた無職O(25)が容疑者として浮かび上がった。

6月頃からマスコミはOのところへ押し掛けたものの、Oは容疑を否定。押し寄せるテレビカメラや記者に向かい、罵声を浴びせ続けた。7月23日に未成年者略取容疑で逮捕、9日後に犯行を自供し遺体は発見された。

いたずらが動機であった。1998年10月、奈良地裁は懲役18年を言い渡すも、検察側が控訴。2000年6月、大阪高裁は一審判決を破棄し、求刑通り無期懲役を宣告。刑は確定した。2001年9月4日、Oは大分刑務所の独居房内で首をくくり自殺した。遺書はなかった。(http://www.geocities.jp/hyouhakudanna)    

〇神戸連続児童殺傷事件(2人)~1997年(平成9年)に兵庫県神戸市で発生した連続殺人事件。加害者の犯行声明に書かれた仮名から別名『酒鬼薔薇事件』とも呼ばれる。

1997年(平成9年)2月10日午後4時頃、神戸市の路上で小学生の女児2人がハンマーで殴られ、1人が重傷を負った。

3月16日午後0時25分、神戸市内の公園で、付近にいた小学生の女児に手を洗える場所はないかと尋ね、学校に案内させた後「お礼を言いたいのでこっちを向いて下さい」(少年Aの日記による)と言い、振り返った女児を、八角げんのう(金槌の一種)で殴りつけ逃走した。女児は病院に運ばれたが、3月27日に脳挫傷で死亡した。

5月24日午後、神戸市に住む男児を殺害。絞殺して遺体を隠した。5月25日、少年Aは前日の殺害現場を訪れ、男児の遺体の首を金のこぎりで切断、頭部のみ家に持ち帰った。

5月27日早朝、被害男児の頭部が市内の中学校正門前で発見。頭部には二枚の紙片(犯行声明文)が添えられていた。この中で少年Aは自らを「酒鬼薔薇聖斗」(さかきばら・せいと)と称し、捜査機関等に対する挑戦的な文言を綴っている。6月28日、少年A逮捕。(wikipedia)

神戸児童連続殺傷事件~1997年(平成9年)5月27日、神戸市須磨区で24日から行方不明になっていたH君(11)の頭部が同区中学校の正門で発見される。口には犯人から警察への挑戦状とも取れる紙片が入っており、末尾には「酒鬼薔薇(サカキバラ)」と記されていた。同日午後、胴体部分が近くの山で発見。

6月4日、「酒鬼薔薇聖斗」と名乗る犯人から神戸新聞社宛に犯行声明文が届く。マスコミによる情報合戦が繰り広げられたが、6月28日、同区に住む中学三年生の少年(15)が逮捕された。

少年は2月10日、小学6年生の女児二人をハンマーで殴り怪我を負わせていた。また3月16日には、小学4年生の女児の腹を刺して重傷を負わせ、同時に別の4年生の女児の頭をハンマーで殴り死亡させていたことも自供した。

少年は東京都府中の関東医療少年院に収容後、2004年に仮退院、2005年1月に本退院となった。当時少年だった男性(22)は「一生かけて償います」という謝罪の言葉も遺族側に伝えた。(http://www.geocities.jp/hyouhakudanna)    

〇和歌山毒物カレー殺人事件(4人)~和歌山市園部の自治会が1998年(平成10年)7月25日に空き地で開いた夏祭りで、カレーを食べた67人が急性砒素中毒を発症し、自治会長や小学4年生男児ら4人が翌日死亡。

和歌山県警は同地区に住む元生命保険会社営業職員HM(37)を、保険金目的で知人男性に砒素入り牛丼を食べさせた殺人未遂と詐欺の疑いで逮捕。のちに毒物カレー事件で再逮捕。夫の元シロアリ防除業、HK(54)は三件の保険金詐欺事件で共犯とされた。

和歌山地検はHMをカレー事件で殺人、殺人未遂罪、HKや知人男性など三人に砒素入りの毒物を食べさせて殺害しようとした殺人未遂罪、HKの高度障害保険金や自らの入院給付金を搾取した詐欺罪で起訴。

HKについては、知人男性の保険金搾取を除く三件の詐欺罪の共犯として起訴。HKは一審で懲役6年判決。HMも詐欺罪については認めたが、殺人未遂、殺人罪については否認している。

一審でHMは黙秘を貫いたが、2002年12月11日、和歌山地裁はHMに死刑判決を下した。控訴審では黙秘をやめ、無罪を主張。しかし2005年6月28日、大阪高裁で控訴棄却。現在、上告中。(http://www.geocities.jp/hyouhakudanna)  

〇光市母子殺害事件(2人)~1999年(平成11年)4月14日に山口県光市で発生した凶悪犯罪。当時18歳の少年により主婦(当時23歳)が殺害後暴行され、その娘(生後11カ月)の乳児も殺害された。

1999年4月14日の午後2時半頃、当時18歳の少年が山口県光市の社宅アパートに強姦目的で押し入った。排水検査を装って居間に侵入した少年は、女性を引き倒し馬乗りになって強姦しようとしたが、女性の激しい抵抗を受けたため、女性を殺害した上で強姦の目的を遂げようと決意。頸部を圧迫して窒息死させた。

その後少年は女性を屍姦し、傍らで泣きやまない娘を殺意をもって床にたたきつけるなどした上、首にひもを巻きつけて窒息死させた。そして女性の遺体を押入れに、娘の遺体を天袋にそれぞれ放置し、居間にあった財布を盗んで逃走した。

少年は盗んだ金品を使ってゲームセンターで遊んだり友達の家に寄るなどしていたが、事件から4日後の4月18日に逮捕された。

被害女性の夫であり、被害女児の父である本村洋(もとむら・ひろし、1976年3月19日 - )は犯罪被害者遺族として、日本では「犯罪被害者の権利が何一つ守られていないことを痛感し」、同様に妻を殺害された元日本弁護士連合会副会長岡村勲らと共に犯罪被害者の会(現、全国犯罪被害者の会)を設立し、幹事に就任した。さらに犯罪被害者等基本法の成立に尽力した。本村は広島大学工学部入学直後に被害者女性と知り合い(当時共に18歳)、遠距離恋愛の末、結婚。裁判継続中。(wikipedia)

〇池袋通り魔殺人事件(2人)~1999年(平成11年)9月8日午前11時40分頃、東京都豊島区東池袋の東急ハンズ前で起こった通り魔殺人事件である。包丁と金槌で通行人を襲い、女性2人が死亡した。(wikipedia) 

〇下関通り魔殺人事件(5人)~1999年(平成11年)9月29日午後4時25分頃、レンタカーに乗った上部康明(当時35歳)が、JR下関駅東口の歩道を車ごと横断し、ガラスのドアを突き破って駅構内の自由通路に侵入、そのまま売店や多数の利用客などの存在する駅構内を約60m暴走して7人をはねた。その後車から降り、さらに刃渡り18センチの包丁を持って駅改札口から侵入、階段やホームにいた乗客ら8人に切り付けるなどし、5人が死亡、10人が重軽傷を負った。男は駅員に取り押さえられ現行犯逮捕された。(ネット・ニュース)    

〇桶川ストーカー殺人事件(1人)~1999年(平成11年)10月26日に埼玉県桶川市のJR高崎線桶川駅前で、女子大生猪野詩織が以前に交際していたという元風俗店経営・小松和人(当時27歳)とその兄が雇った男によって殺害された事件である。

被害者猪野詩織がこれらのグループから監視・中傷・脅迫等のストーカー行為を受けていたために、「ストーカー殺人事件」と呼ばれることが多い。またこの事件がきっかけとなって、「ストーカー規制法」が制定された。


被害者猪野詩織とその家族は、幾度となく埼玉県警上尾署に相談し告訴状を提出していた。

しかし警察側は捜査をせずにこれを放置し、被害者猪野詩織の家族に告訴の取り下げを要求し、また、告訴状を改竄していたことが発覚した。

改竄に関わった署員は懲戒免職になり、のちに有罪判決を受けた。被害者猪野詩織の人格を攻撃するなどして、自らの捜査怠慢をひた隠しにしてきたという。また遺族の家に刑事が常駐し、マスコミとの接触をさせないようにしていたとも言われる。

遺族は埼玉県(埼玉県警)を相手に「国家賠償請求訴訟」を起こしたが、2006年8月30日最高裁にて、捜査怠慢と殺人の因果関係は否定し慰謝料550万円の支払いのみを命じた1・2審の判決が確定した。(wikipedia)

被害者猪野詩織さん

Photo 

〇てるくはのる事件(1人)~1999年(平成11年)12月21日午後2時ごろ、京都市伏見区にある、市立日野小学校の校庭で、友達と遊んでいた、重機運転手Nさん(35)の長男で同小二年T君(7)が、黒の目出し帽をかぶった男に文化包丁(刃渡り三十センチ)で首や腕など十数か所を切られ、約三十分後、出血多量のため死亡した。

現場には他にも児童がいたが、怪我はなかった。現場に「日野小を攻げきします。理由はうらみがあるからです」「今は逃げますが、後で名前を言うつもりでいます。だから今は追わないで下さい。私を識別する記号『てるくはのる』」などと書かれた「犯行声明」とみられる紙が残されており、京都府警捜査一課は、同小に恨みを持つ者が無差別に児童を襲った可能性が高いとみて、殺人容疑で山科署に捜査本部を設置した。

翌年2月5日、警察は有力容疑者としてO(21)に任意同行を求めるも、Oは捜査員の隙を見て逃走。そのまま近くの団地に駆け上り、飛び降り自殺をした。

京都府警は遺体発見の直前に殺人の疑いでOの逮捕状を取っており、被疑者死亡のまま書類送検をした。Oは日野小を出ておらず、動機等は一切闇の中に隠れたままになった。(http://www.geocities.jp/hyouhakudanna)
 

〇恵庭OL殺人事件(1人)~2000年(平成12年)3月17日朝、北海道恵庭市の農道で、完全に炭化した女性の遺体が発見された。解剖結果で絞殺後に焼かれたものと判明。特に喉と下半身がひどく焼かれていた。

翌日、遺体の身元は千歳市の会社に勤める橋向香さん(24)とわかった。橋向香さんは16日夜から帰宅しておらず、両親が道警に通報していた。警察の捜査の結果、同じ会社に勤める大越美奈子容疑者(29)が、2年間付き合っていた男性が橋向香さんに交際を申し込んだため別れ話を切り出されていたことがわかった。

さらに事件の夜、大越美奈子容疑者は橋向香さんと二人で会社を出たこともわかり、アリバイもなかった。道警は4月14日から6日間、任意聴取を行った。大越美奈子容疑者は一貫して容疑を否認。その後、「心因反応」と診断され入院。退院した5月22日、「自白の強要など違法捜査で精神的苦痛を受けた」として、道に損害賠償を求めて提訴。

同時に警察は、自白は得られなかったものの虚偽の供述があったと判断し、5月23日、逮捕に踏み切った。大越美奈子被告は今も犯行を否認。

主任弁護士には元衆議院議員の伊東秀子弁護士が付き、知人を中心とした支援活動も活発に行われている。2003年3月26日、札幌地裁は求刑懲役18年に対し、懲役16年を言い渡した。被告側は控訴したが棄却。2006年9月25日、最高裁第一小法廷で被告側上告棄却。刑が確定した。

大越美奈子は月刊誌の記事や文庫本で名誉を傷つけられたとして、出版元の新潮社などに販売差し止めや550万円の損害賠償を求めた。

東京地裁は2007年1月23日、「真実と信じるに足りる理由はない」として名誉棄損を認定。新潮社側に文庫本の販売差し止めと計220万円の支払いを命じた。

しかし二審で東京高裁は、損害賠償を110万円に減額。さらに文庫本販売差し止めを棄却した。2007年10月、最高裁は大越美奈子の上告を棄却し、判決は確定した。(http://www.geocities.jp/hyouhakudanna)

 

〇ルーシー・ジェーン・ブラックマン失踪事件(1人)~2000年(平成12年)7月、子市でイギリス人女性のルーシー・ブラックマン(Lucie Blackman)さんが殺害されたとされる事件。

2000年7月1日、元英国航空乗務員で、ホステスとして六本木で働いていた被害者が友人に連絡後に行方不明になった。3日には、男から被害者の友人に電話があり、不審に思った友人が警察に捜索願を出した。8月22日に被害者の妹が記者会見し、1万ポンド(当時160万円)の懸賞金をかけて有力情報の呼びかけを行った。9月下旬には、警視庁捜査一課と麻布署が被害者が勤めていたクラブの常連客で不動産管理会社社長の男を調査している事が明かになった。また、被害者の周辺で新たに外国人女性二人が行方不明になっている事が発覚した。10月には、別件の準強制わいせつ容疑で容疑者が逮捕された。後日、神奈川県三浦市内の所有するマンションの一室やモーターボート付近の海岸などを警察が捜索した。被害者が失跡した直後の7月5日頃、容疑者がこのマンションを訪れて管理人とトラブルになったり、スコップを持って海岸を歩いているのが目撃されていた。11月17日に同容疑者が再逮捕された。東京地検は同日、英国人女性に対する準強姦罪で追起訴された。警視庁はDNA鑑定のため、ルーシーさんの家族に毛髪提供要請した。2001年1月26日、オーストラリア人女性に対する強姦致死容疑で再逮捕された。2001年2月、容疑者のマンションから近い三浦市内の海岸にある洞窟内で、地面に埋められた浴槽内で遺体がバラバラに切断された状態で発見された。(wikipedia参照)

 

2000年7月1日、元英国航空の女性客室乗務員、ルーシー・ジェーン・ブラックマンさん(当時21)が、渋谷区のアパートで同棲していた友人の女性の携帯電話に午後7時頃、「あと一時間で(デートから)帰れる」と電話があったのを最後に連絡が途絶えた。

日本には5月に来日。その後、東京都港区六本木のクラブにてホステスとして働いていた。

同日夜、逗子市の消防本部に男の声で「大変なことが起きた。いまやっている病院はあるか」と問い合わせる電話がかかっていた(後に発覚)。

2000年7月3日、東京都港区麻布署に「自分の意思なので、そっとしておいてほしい」という彼女からの手紙が届くが、筆跡が違うため事件性があるものとして捜査を開始。

7月下旬の沖縄サミットで来日した英国のブレア首相が森喜朗(元)首相との会談で
この事件を取り上げた。

2000年8月22日、ルーシーさんの妹のソフィーさんが記者会見し、1万ポンド(当時160万円)の懸賞金をかけて有力情報の呼びかけを行った。翌月8月31日には懸賞金を10万ポンドに引き上げている。7月半ばに香港にて彼女の姿が目撃されている事を英国BBCテレビが報道。当初報道が過熱していたのはイギリスの方で、「失踪事件にカルト教団が関与」(Times誌)「事件に暴力団の影」(Guardian誌)など、早い段階からただの失踪事件ではない空気は感じていたようだ。これに対し日本のマスコミは「巨額の懸賞金がかけられた」と報道。

2000年9月下旬、警視庁捜査一課と麻布署がルーシーさんが勤めていたクラブの常連客で、不動産管理会社社長の織原城二を調査している事が明かに。また、ルーシーさんの周辺で新たに外国人女性二人が行方不明になっている事が発覚。

2000年10月9日、織原城二容疑者を準強制わいせつ容疑で逮捕。自宅の豪邸からは、織原容疑者が白人女性をレイプするビデオテープの他、大量の薬物、プリペイド式携帯電話などが見つかった。取り調べに対し、「今は言えない」と供述。経営には行き詰まっていたようだが、クラブでは派手に金を使っていた。白人女性が好みのようで「薬物が入ったとみられる酒を飲まされて意識を失った」という被害者もいる。

14日には神奈川県三浦市内の織原容疑者が所有するマンションの一室やモーターボート、付近の海岸などを捜索。ルーシーさんが失跡した直後の7月5日頃、織原容疑者がこのマンションを訪れて管理人とトラブルになったり、スコップを持って海岸を歩いているのが目撃されている。資産家の異常犯罪、それも強姦・薬物・複数失踪とワイドショーでは連日報道されるようになった。

2000年10月27日、織原容疑者を「カナダ人女性への準婦女暴行罪」で再逮捕。
当初「合意だった」と容疑を否認していたが押収したビデオが決め手となった。
ルーシーさんについては、関与そのものを否定。織原容疑者は女性を「海に行こう」などと連れだし、催眠作用を持つ薬物の入った酒類を飲ませ、女性の意識を失わせて乱暴をした疑い。同容疑者は女性トイレ盗撮で2年前に逮捕されていた。

2000年11月17日、同被告を再々逮捕。東京地検は同日、英国人女性に対する準強姦罪で追起訴。警視庁はDNA鑑定のため、ルーシーさんの家族に毛髪提供要請。

2000年12月14日、六本木連続準強姦事件初公判。織原被告が起訴事実を否認。
初公判を傍聴しようと、60席の一般傍聴席に対し892人が並んだ。
マスコミも連日この報道を続けたが、2月に遺体が見つかるまでは「盛り上がり」としては少々トーンダウン。年末年始にかけて外国人女性3人、日本人女性2人への暴行により5度逮捕される事になる。

2001年1月26日、オーストラリア女性に対する強姦致死の疑いで6度目の逮捕。
死因は(酒中に混入された)大量の薬物摂取による肝不全と断定。
捜査本部はこれまでの捜索で、睡眠薬や睡眠導入剤のほか、「デート・レイプドラッグ」とも呼ばれ、性犯罪に悪用される恐れがある薬物やクロロホルムなどを織原容疑者の関係先から押収している。睡眠薬の中には、正規のルートでは入手できない製剤前の主成分原料約5kgも含まれていた。

ワイドショーはこの一連の出来事を受けて「欲望のままに抵抗できない女性に乱暴したのは許せない」という論調で報じた。
しかし発端であるルーシーさんとの関与を本人が否定しており、この件に関しては遺体を埋めたと推測される別荘から証拠が発見されるのではないかと「期待」されていた。
ニュースなどでも捜索現場を中継するシーンが幾度と無く見られた。

織原は単なる金持のボンボンの変態が起こした性犯罪、というスタンスで報道は続けられた。年始においては「織原容疑者を逮捕したのは警察の勇み足ではなかったか」とまで聞かれるようになった。これは同容疑者を同じ容疑で6度も逮捕している(最終的に7度)他、事件発生から7ヶ月、逮捕から4ヶ月たっても決定的な証拠品=遺体が見つからなかったためである。マスコミの矛先は次第に「警察の無能さ」へ向かうようになった。

2001年2月9日、三浦市の海岸にある洞穴の入り口約3メートルの所で地面に埋められた浴槽の中に、バラバラに切断された「大柄な外国人女性」の遺体を発見した。
翌日、遺体をルーシーさんのものと断定。両親が「とても悲しく、衝撃的なこと」とコメント。この件に関して英国外相が「あとは殺人者を司法の場で裁くことだ」とコメント。
それほどまでにこの事件は英国で大きく報じられていた。以降、本人の特定がしづらい「プリペイド式」携帯を使っていた事、友人や消防署にかけられた電話を特定した事、新たな証拠物の押収、切断に使われた凶器の断定(チェーンソー)、「死んだ犬の遺体を数日保存したい」とドライアイスを購入していた件など連日次々と見つかる事実に報道は過熱する一方であったが、これに前後して織原被告が在日韓国人であると言われ始める。

韓国名は金聖鐘。

米国のWashington Post誌は「警察が犯罪を見過ごした、発見も遅い」と非難。

2001年3月3日、ルーシーさんの遺体、英国に帰国。

2001年4月、完全に報道の熱は沈静化。

2004年12月10日、ルーシーさんの父親が、織原城二(金聖鐘)被告の裁判傍聴の為に訪日。日本のマスコミは完全にスルー。英国・米国では大々的に報じられる。

2005年3月23日(現地時間・英国)、ルーシー・ブラックマンさんの葬儀が行われ、遺体が埋葬された。(http://www.asyura.com/0601/nihon19/msg/394.html)

被害者ルーシー・ブラックマンさん(当時21歳)

7

 

〇世田谷一家殺害事件(4人)~2000年(平成12年)12月30日午後11時ごろから翌31日の未明にかけて、東京都世田谷区上祖師谷3丁目の会社員宅で、長女(当時8歳)や長男(当時6歳)を含む一家4人が惨殺された事件、または当該事件の一般的な呼称。隣に住む母親の実母が、31日の午前10時55分ごろ発見したが、犯人は既に逃走していた。


現場には犯人の血痕や指紋、靴の跡(足跡)のほかに、多数の遺留品も残されていたが、現在も捜査は難航し、現在未解決。捜査特別報奨金制度対象の事件。正式名称は上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件である。(wikipedia)    

 

〇レッサーパンダ事件(1人)~2000年(平成12年)4月30日、元建設作業員Y(28)は、わいせつ目的で東京都台東区の路上を徘徊していた。午前10時半頃、女子短大生(19)に背後から近づいたが、振り返った短大生の顔を見て「バカにされた」と思い込み、持っていた包丁で背中や腹部を刺して殺害した。

犯行後、かぶっていたレッサーパンダのぬいぐるみの帽子や包丁を近くの公園に捨てて、逃走した。Yには自閉症などの広汎性発達障害と軽い知的障害があり、犯行当時の精神状態が裁判の焦点となったが、2004年11月、一審無期懲役判決。被告は控訴するものの、2005年4月に取り下げ、確定。(http://www.geocities.jp/hyouhakudanna)