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『四国八十八ヶ所巡りへ』 第60番札所から第70番札所まで(今回はこれで打ち終わり)

2015-06-02 22:46:51 | 四国八十八か所巡り

 

 

朝目覚めて、カーテンを開けると、快晴です 

GWのお遍路さんも今日で終わり  最終日もお天気に恵まれて、本当に良かった

日焼けしそうな日差しがサンサンと降り注ぎます

朝ご飯は、ホテルの部屋で 残っていたパンを食べ、自販機で購入した缶コーヒーを飲んで終わりました

今日も元気に歩くよ~    と 二人で出発 

 

今日は、まず昨日、見損ねた 「銭形」を見に行きます 

観音寺の街中には、沢山の「寛永通宝」がありました

 

 

昨日、歩いた道を逆戻り   68・69番札所へと歩を進めます

 

銭形へは、どこから行ったら良いか判らなかったので、納経所に行ってみると「案内図」があり、説明をしてくださいました。昨日も判っていれば、この案合図に気づいていたんでしょうが(笑)  すっかり見落としていました

昨日、「階段大変そう~」と、登らなかった薬師堂への階段を登ると、遊歩道につながるそうです

納経所にあった案内図に気が付いていたとしても、昨日だったら、登ってたかなぁ???? 疑問だなぁ 

 

 

  こんな感じで登り、「琴弾公園内の展望台」に着きます  5分位登ったでしょうか?

地元の方も、丁度良い散歩道らしく、思ったより人は歩かれていましたね

 

展望台まで上がってきました  下に何やら見えます

 肉眼で見ると、もう少しはっきりと「寛永通宝」の文字が見えるのですが・・・・・

写真では、判らないですよね  

地元のおじさんから「朝は、良く見えないよ。昼過ぎになったら、影の加減で文字がはっきりと見える」と教えてもらいました

残念~~~~   

心の目で見てみる・・・・・いやいや、やっぱ見えんぞwwwww 

そのおしゃべり、いや、案内好きのおじさん曰く、「4月の連休前に、文字を綺麗にやり直した。何人も下で作業をして、展望台の上から、号令をかける人がいる。その、号令をかける人が一番いばってる」との事

その様子は想像しかできないですが、大変だろうな~ 

 

有明浜の白砂に描かれた「寛永通宝」は、東西122m南北90m周囲345mもある巨大な砂絵で、琴弾山々頂から見るときれいな円形に見えます。一般には、寛永10年(1633)藩主、生駒高俊公を歓迎するために一夜にして作られたといわれ、他に類を見ないものといえます。この銭形を見れば健康で長生き、しかもお金に不自由しなくなると伝えら、多くの人がこの地を訪れています。

 

 

時間が合えば、こんな風に見えるようです   

<HPより 写真抜粋>  

これを拝めば、ご利益あるかもね  

 

銭形砂絵もしっかり拝みました(ご利益たっぷり有るように 

70番 本山寺へ向かいます 

 

川沿いの道がお遍路道  日差しが強く、暑い・暑い    日焼けしそう

  約5キロ  平坦な道をテクテク歩きます

昨日までの、山道・登り坂が嘘の様でした  でも、こんな道も意外と長く感じる物です

不思議ですよね

 

ぼくちゃんから激写   されました  

3日間の登り・下りの歩きの為か、更に立派なふくらはぎになった気がします(元から立派だった  

 

 

二人で話しながら歩いていると、見えて来たよ   

 

到着~~~  

 

     

 

 

第70番札所 本山寺

本山寺の歴史・由来

大同2年(807)平城天皇の勅願により、弘法大師が七十番札所として開基。当時は「長福寺」という名で、本堂は大師が一夜ほどの短期間にて建立したという伝説が残ります。およそ2万平方メートルの広大な境内には国宝の本堂はじめ、仁王門、五重塔、鎮守堂、大師堂、十王堂、赤堂(大日堂)、慰霊堂、鐘楼、客殿などが並び、大寺として栄華を極めた当時を偲ばせます。

天正の兵火では長宗我部軍が本堂に侵入の際、住職を刃にかけたところ脇仏の阿弥陀如来の右手から血が流れ落ち、これに驚いた軍勢が退去したため本堂は兵火を免れたといわれます。この仏は「太刀受けの弥陀」と呼ばれています。その後、「本山寺」と名を改め、今に至ります。

 

三豊市のHPの中にも本山寺の詳しい案内がありました

http://www.city.mitoyo.lg.jp/forms/info/info.aspx?info_id=457

 

 

今回の打ち終わり 「本山寺」へお参りです  今までより少し深く頭を下げて、大門をくぐります

 

 

 

まずは、本堂へ・・・・

 

 本 堂

昭和30年6月22日 国宝に指定され、一重寄棟造り、本瓦葺きの風格あふれる建物。正安2年(1300)建立の折衷様式で、外観は京都風、内部は奈良風の造りです。

 

国宝です 

  

 

 

本尊は馬頭観世音菩薩で四国霊場では唯一のもの。頭上に馬頭をいただく観音様です。そのため、祀られている本堂のそばには馬の像が控えています  

競馬の神様じゃないんだよ~

 

その他、本堂の近くで見かけたもの・・・・

お接待の「重し石」 一つ一つ手書きで本山寺のシンボルの五重塔が描かれていました

ありがたく、一人ひとつづつ、記念にいただきました ありがとうございました 

 

 

太子堂

寛政7年 (1795) 建設、明治16年改修、入母屋造屋根の三間堂

平成26年に 国の登録文化財に登録されました

     

沢山の方がお参りされていました

 

 

 

五重塔

 明治43年、住職の頼富実毅(よりとみじっき)が再建。盲目だった実毅は五十九番国分寺を巡礼後、目が見えるようになり、その恩に報いるため堂宇の復興に意欲を燃やしました。遠くからでも目に付き、本山寺のシンボルとなっています。四国霊場では竹林寺・志度寺・善通寺とこの本山寺の4ヶ所だけという五重塔が目印。大同4年(809)の建立でしたが損傷が激しく明治43年に再建されました

本山寺へ歩いているときに、遠くから見えていたのはこの五重塔だったのですね

 

竹林寺・志度寺・善通寺の五重塔の事は思い出せますよ。どこも敷地が広くてお参りの後、中を散策するのに時間をかけたのを思い出しました

 

 

大日堂

 

 

十王堂

  

仁王門

室町時代中期建立の三間一戸八脚門。切妻造、本瓦葺。主柱、前後の控柱ともに円柱とする。建築様式は和様を基調とするが、柱の下部に礎盤を設ける点など細部に禅宗様を取り入れている。明治37年8月29日に重要文化財に指定

 

 

 

鐘 楼

 

冠木門

ゆっくりと時間をかけてお参りとお寺の中を見て回りました

難所もあった今回のお遍路さんもこれで終わり

達成感、ほっとした感、色々な気持ちを感じていました

でも、心配してたお天気もほとんど雨に降られることもなく、本当に恵まれていました

これで、2月から4月で歩いた 讃岐の国の 71番 弥谷寺から 86番 志度寺まで繋がりました

後は、87番 長尾寺  そして結願の寺 88番 大窪時を残すのみです

 

ここから、1キロ位離れたJR本山駅まで歩き、帰途につきます

 

本山のショッピングモールで、アイスコーヒーと軽食  冷たい飲み物がすごく美味しかった 

生き返ります

涼しい所でゆっくりと休憩&お土産も購入

 

本山駅へ

 

 

多度津で特急に乗り換え岡山へ    ここでも、1時間くらいのんびりしてました

 そうそう、JR四国は駅の表示も 「駅ナンバリング」されていました

HPより( http://www.jr-shikoku.co.jp/01_trainbus/st_number/index.shtm )

四国を鉄道で旅行される外国人をはじめとして、誰にでもわかりやすくご利用いただくため、乗換駅や下車駅を簡単に理解できるよう、路線記号・番号を併記したものです。列車運行体系を考慮して、乗換えが必要な分岐駅等は複数の駅番号を表示しているんだそです

↓ 多度津  Y12 予讃(YOSAN)線12   D12 土讃(DOSAN)線12  

慣れれば、とても判りやすい表示ですね

 

 

そして、撮り鉄では無いけれど、多度津でもJR九州とは違った車両も見かけたので、パチリ

 本山駅ホームで電車待ちの時    色が鮮やか

アンパンマンのトロッコ列車

 伊予西条行 と  大歩危行

 

8600系特急電車 が停車中

平成26年6月より、22年ぶりの新型特急電車として、利便性・快適性の向上、話題性を兼ね備えた車両なんだそうです。「いしづち103号」および「いしづち104号」として高松~松山間を運転します。

見るだけで、今回は乗ることは無かったですが・・・・・

 

 そんなこんなで、一路岡山へ・・・・・ 瀬戸大橋

 

最後は、新幹線の中で、お弁当  これも楽しみの一つです

 

          

 

GW 5/1の夜出発して、5/5で今回のお遍路さん、無事に終了しました

焼山寺・雲辺寺と険しいと聞いていたので、無事に歩けるのかと、本当に本当に二人とも心配でした

この連休でお遍路さんに充てられる日にちは、最高で5日間(暦通りのお休みなので)

「GW明けの仕事等を考えたら、4日間フルに頑張って歩いて、最終日はやっぱり休息日にした方が良いよね・・・・」

「お天気はどうなるやろうね???」 等々

心配な事ばかりでしたが、何とか二人で励ましあいながら計画をクリアできました

きっとひとりで歩いてたら、無理だっただろうな~ 

(天候は本当にラッキーだったけど 

歩いている時は、慣れない山道の登り下りで、足もいつものウォーキング以上にダメージがありましたが、

それでも、バスやJRをうまく利用しながら(と思ってる)、今思えば、楽しい4日間だったです。

お寺の中、宿泊した宿で、歩いている道で、沢山の方と出会い有、楽しい話の時間有の

「一期一会」という言葉がぴったりの旅でした

 

 

 そして、次に四国に行くときは、いよいよ結願のお参りです 

 

 


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
銭形砂絵は? (hobashira)
2015-06-04 11:37:27
こんにちは~!
今回が一番きつかった疲れた、ようですね。
お疲れ様でした。
銭形砂絵は、この写真では、全然見え(読め)ませんね。
影の加減ですか? 
「早起きは三文の徳」 でもなさそう?
一度、見てみたいです。
次回は、いよいよですね。
どんなドラマが待ち受けているのだろう
とても楽しみです。
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hobashiraさんへ (ぼくちゃん 相棒)
2015-06-04 23:55:41
そうですね~
今回は今までで一番長いお遍路さんだったので最後まで予定通りに行けるかなぁと心配だったです
でも、無事に何とか歩けましたよ
「銭形」は肉眼だったらもっと良く分かったのですが、光と影の加減で昼からの方が
はっきり判るみたいですね
ご利益半分かもね(笑
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ハァ~((+_+)) (ポン)
2015-06-10 16:46:03
お疲れ様でした~。

山の坂道、下る道、着いた~と思っても
お堂は階段の上!ばかりですよね~。
その場で倒れこみそうですよ。

銭形砂絵はなるほどね~。
近所に住んでいたら毎日にでも行きたい。
強欲だわ~。

いよいよ、次をまた後日ユックリ拝読します


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ポンさんへ (ぼくちゃん 相棒)
2015-06-10 21:33:21
こんばんわ
地元の方は、「銭形」が見える高台への道が良い散歩道になっているようですね
あの急な坂を毎日登れば、健康になりそう これが一番のご利益なのかな(笑)
でも、毎日階段・登り坂、我ながら良く頑張ってるなぁ~  自画自賛 
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