「死亡遊戯」は黒い縦線の入った黄色いトラックスーツを一躍世界的に有名にした記念すべき作品でもある(後に多くのパロディー映画を作り出しているが、中でもタランティーノ監督の「キル・ビル Vol.1」(写真)でユマ・サーマンが着ていた黄色いトラックスーツが記憶に新しい)。


1972年にブルース・リーは「ドラゴンへの道」を完成させた後、次回作の撮影に撮りかかった。脚本の完成前、塔の各階に待ち受ける格闘家を次々に唐オながら塔を上がっていくというクライマックス格闘シーンの撮影がまず先行スタート。映画のタイトルとして「死亡遊戯」と名づけられたこの作品は、リーの截拳道哲学をふんだんに盛り込んだ彼の集大成となる計画だった。截拳道の教え子でも有り、身長218cmでバスケットボールNBAレイカーズの有名選手であったカリーム・アブドュル・ジャバールとの死闘や、同じく教え子で、後に截拳道の継承者となったダニー・イノサントとの壮絶なヌンチャク対決はブルース・リー映画史上でもかなりの見応えがある戦いだ。このクライマックスの格闘シーンをかなり撮り終えたところで、ハリウッド大作「燃えよドラゴン」制作の話が出た為、「死亡遊戯」は暫く撮影ホールドとなった。しかし、リーが1973年に他界してしまったので、死亡遊戯は未完となってしまう。その後、燃えよドラゴンの大ヒットで、ブルース・リーの名声は世界を駆け巡り、既にこの世に存在しないという事実も手伝って、伝説と化したのだ。「死亡遊戯」を完成させてほしいという世界からの熱い要望も有り、燃えよドラゴンの監督、ロバート・クローズを再び起用して「死亡遊戯プロジェクト」はその後また動き出した。結局、クライマックスの格闘シーン以外は新たに撮影する必要あったが、そっくりさんなどを使って完成させただけあってかなり陳腐なシーンも数多くあるし、全体的にはお粗末な作品である。映画の中で主人公をブルース・リーと同じくアクション映画俳優として設定することで、リーの過去の映画シーンなどを使ったり、その彼を劇中で死んだと見せかけた上で変装しながら敵への復習を狙う物語設定は、代役を最大限活かす為の苦肉の策であった。なお余談だが、まだ多く現存する「死亡遊戯」の未使用映像をぜひ公開してほしいとのファンの熱い願いが形となり、2000年に「Bruce Lee in G.O.D – 死亡的遊戯」という作品が公開された。これは前半ドキュメンタリーとも映画ともつかないお粗末な内容だが、後半は死亡遊戯の未公開映像が収録されており、ファンにとってはたまらない作品となった。

この他1981年に日本で公開された、「死亡の塔」という作品があるが、これは「燃えよドラゴン」の未公開フィルムをほんの少しだけ使って作った映画で有り、真のブルース・リー映画と呼ぶには相当苦しい作品だが、”ブルース・リー最後の映画”と呼ばれてしまうことも多い(実際、公開当時そう言う触れ込みで映画宣伝が繰り広げられたが、ブルース・リーファンの期待は見事に裏切った内容だった)。しかし、この映画はブルース・リー作品としてでは無く、死亡遊戯でリーのそっくりさんを演じたタン・ロンが活躍するアクション映画として見れば、かなり秀逸な出来栄えとなっている(ちなみに、この映画のアクション指導をしているのが、「マトリックス」や「グリーン・デスティニー」、「キル・ビル」などのアクション監督としても有名なユエン・ウーピンである点もアクション映画ファンには興味深い)。