なんかつくってりゃしあわせ

なんかつくってりゃしあわせ。。。

開けている人

2012-05-27 19:40:55 | 雑感
某シアトル系コーヒー店で元気に働くアラフィフの私である。

お店は毎日様々なお客様をお迎えするのだ
そう、実に様々な・・・多種多様な・・・個性的な・・・独創的でもあり・・・或は独断的と言えなくも無いこともあり・・・まぁ、そんなこんなで日夜スタッフは様々な方々への的確なサービスを模索しつつ働いている。

よく私達はサービスの質について論議をする。

ああでもない、こうでもない。

じゃあ、端的に言うと良いサービスってナニなんですか?
と考えてみたところ最近になってある一つの答が出た。

そう“スマートでクレバー”であること。

私のサービスは泥臭い事が個性であるけど、心の中ではいつも“スマートでクレバー”であることを表そうとしてきた。

ファストフード店の中には“スピード”や“チープ”であることをサービスの中心にしてるところもあるし、“いつもやってまっせ”のところもあるだろう。

私が勤める某シアトル系コーヒー店のサービスはもちろん“スピード”も必要ではあるけれど、それはあくまでも「必要ではあるけれど」という前置きのある範疇でしかない。

我らはちょっと特殊な間柄をもとめられているのだ。
それは“スピード”であり“タイミング”であり“気の利いた”ことであり“丁度良い”ことであり“質”であり“余韻がある”ことでもある。

つまり私達の相手にするお客様は、お出しする商品の価格に較べ、比較的高度なサービスを欲しがるのは
やはり特殊なブランドなんだろうなと思うわけだ。


話は全く違うのだけど
今日、車椅子で来店されたお客様を対応した。
オーダーされた飲み物を席にお運びしたところ、ナニやらが目に入ってしまった。
その方は非常に「開(ひら)けた方」であった。

しかし、もし万が一私の見間違いだとお客様に申し訳ないので理由をつけてもう一度さりげなくしかしがっちりと観察したところ
「確信を得た」のだ。

タイミングを計った私は一度レジに戻り、間合いをとってお客様に申し上げた。


「お客さま。天気が良いので今日は少し開放的でいらっしゃるようです。」と
そうしたらその方はすぐに気がついてにっこりと照れ笑いをし、その割にはチョッパヤで修正をされていた。

私はレジに戻って今日も良い事をしたと安堵をしたわけだ。


そう
おばちゃんの私には簡単に言える事も、年若いスタッフだとなかなか口に出せない事情もあることもある

おばちゃんはすごく生きてて楽である。早くみんなおばちゃんになるといい

今日はたまたま男性のお客様だったが、いままで10人程の「開けている」お客様にご忠告をしたけれど
皆さん、喜んで下さった。
「開けている」ままの自分が本当の自分と思われたく無い方ばっかりだったから幸せだったのだ

女性のお客様も2名いらっしゃったが
「注意してくれてありがとね、誰も言ってくれなかったらずっと恥ずかしいままだもん」と言われた方もいた


仕事を終わらせて一度帰宅し、そのまま自宅でパソコン作業を昼過ぎまでしてイラストを仕上げて送り
ジムへ行った
今日は念入りにストレッチをしたのだけど最近には無い手応えを感じた
身体のいろんなところが温かい気温のせいか伸び易く、そして実際にいつもは伸びないところまで伸びた
いつもの腹筋運動も200回ほどしていたら、アーノルド吉原さん(オーストラリア人。実名)が近くでストレッチを始めた
最近アーノルドさんは筋が張ってしまってしょうがないらしく、ストレッチを積極的に行っているそうだ

今日はマッチョ有田さん(実名)もトレーニングしていたが、トレーニングも良く効いているのか肩の筋肉が盛り上がって暴力的に格好よくなっていた。
そろそろ映画出演の時期なんだろうな、と感じた。

ジムに来てる方は、名前を知らなくても挨拶をし合ったりする事が多く
そういうのを身近に観察していると「ひらけている人」と「とじている人」といる
先ほどの「開(ひら)けた方」はある箇所の話だったけど
心が「ひらけている人」は会ったときのその人の気で感じ取れる。
相手が未知を受け入れているかどうかなのだと思う


大人になってコミュニケーションの大事さや複雑さを生きて
その力の大きさが大変大事なもんだな、とうつらうつら考える

容れ物の大きな人間性でありたいものだと思う