Negative Space

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颱風倶樂部:成瀬巳喜男の『春の目ざめ』

2018-03-26 | 成瀬巳喜男




 成瀬巳喜男「春の目ざめ」(1947年、東宝)

 
 どことも知れない地方の町(とりあえず東京弁が話されている)。中高生らが“春の目覚め”に悶々とする。

 成瀬も参加した同年のオムニバス映画『四つの恋の物語』でデビューしたばかりの久我美子が入浴シーンをふくめた感動の体当たり演技(?)をみせる。

 中高生らの心の(下半身の?)もやもやを象徴するように、ある場面では永遠の雨が降り続いていたかとおもうと(「あたまがおかしくなる!」)、別の場面ではにわかに空がかきくもって風鈴がせわしなく鳴り響き、たちまち豪雨が降りこめる。

 厳しい家庭に育つヒロイン。恋人をつくった女中が暇をだされたことをきっかけに無邪気だったその表情にものおもわしさがくわわるようになり、仲のよかった妹を疎んじるようになる。

 おりしも学校で「とってもいやらしい」絵が発見され事件になっていた矢先、親に内緒で出かけたハイキングで親友に盗み撮りされた幼馴染の少年とのツーショットが教師にみつかり、親が呼び出されて叱責されるにいたって(叱責の場面は巧妙に省略される)、ますますふさぎがちになる。

 仲のいい芸者屋の娘(身体検査の場面で同級生らに豊乳をからかわれる)が宴席で客にセクハラを受けたり、下宿屋の娘である同級生が下宿人の子を宿すにいたって、幼馴染にたいする無自覚だった恋心に罪悪感を抱きはじめる。

 勉強を教えてもらっていた高校生に礼を言おうとかれが一人で絵を描きに行っていた山寺に赴くと、ふとしたはずみでかれに唇を奪われる(ことがおこるまでのサスペンスフルな演出が見事だ。かれの「裸体画」にたいする関心やヒロインへの視線といった伏線の張り方もわるくない)。

 帰宅後、明かりもつけない部屋で手拭いでなんども口をこするその目には思春期とくゆうの狂気じみた影が宿る。

 思いつめた表情で母親(杉村春子)に「子供はどうやって生まれるの?」と問うが、「それを知るには若すぎる」云々ののらりくらりとしたこたえに「じゃあ、ほかのひとに聞く」。部屋を出て行こうとするヒロインを慌てた母親が止めると、振り向いて母親の逃げ場を塞ぎ、パニックの体でさらに同じ問いをたたみかける久我のアップの連続はただならぬすごみを帯びる。

 同室で勉強している妹が布団の上に座ってぼんやりしているヒロインに「犬は dog、馬は horse、じゃあうさぎは?」と質問すると、「子供はうるさくていやあね」と突き放す。むっとした妹が「じゃあ、お姉さんは大人なの?」と返すと、狂気じみた笑いの発作に襲われて布団の上を転げ回る。いつなんどき号泣に反転するかもしれないヒステリックな笑いがいつまでも尾を引く。インサートされる曖昧な表情のアップはハッとさせるような色気を帯びている。

 ヒロインの唇を奪った画家志望の少年からの葉書のアップ。もとからきめていたとおりに少年は修行のために東京へ旅立っていた。

 ラストは幼馴染をふくめた親友らが赴いたキャンプ地にヒロインが遅れて到着する場面。水浴中の親友らがとおくからかのじょをすがたをみとめて名を呼ぶ。白い大きな帽子の縁で枠取られたヒロインの満面の笑みがそれにこたえるアップで幕。

 余計な説明の一切ない鮮やかな幕切れ。ラストでヒロインを水辺に佇ませるのは遺作『乱れ雲』を想起させ感慨ふかい。

 ヒロインの幼馴染は医者の息子。志村喬演じる父は息子とヒロインとの関係に気づいている。ある晩、塞ぎがちな息子の部屋に上がってきてズバリ『性医學』という書名の本を手渡し読むように言う。おまえはすでに知っておいてよい年齢だ。だれかをすきになるようなことがあったらわたしに相談にくるといいよ……。

 そわそわと懐を探るようすに息子が「マッチですか?」と気遣うと、「いや、いいんだ。下にまだ用があるから」とそそくさと退室する父。このあたりのフォローの呼吸が父=医者の理想主義をいささかも不自然に感じさせない。

 下宿屋のおかみがくだんの娘の堕胎をかれに泣いて頼み込んでも、かれは頑として首を縦に振らない。「でもこのままじゃ娘が不幸になるばかりです」「不幸になるときまったわけではない。不幸にならないようにしてあげるのが大人のつとめではないですか?」

 診察室に降りてきて息子はヒロインへの愛情を父親に告白する。「はなしてくれてありがとう。ただしいまのおまえにはこのことがすべてではない。からだを鍛えてしっかり勉強にうちこむんだね。休暇はどうするんだい?……仲間とキャンプか。それはいいね」

 腹痛を起こしたヒロインの妹の往診にきた医者は、ヒロインの両親に向かって、時が来たらひつような情報をあたえ、子供らが健やかな精神状態で思春期を通過できるように大人が適切に導いてやるべきだという健全な介入主義を持論として述べる。

 昨日だかの新聞でよんだが、都内のある中学校でおこなわれた性教育の授業で、安易な性交をいましめる内容を教育委員会が問題視し、議論が起こっているという。「月経」や「射精」は教えても、「性交」は教えてはいけないことになっているそうだ。いまだにこんなレベルにとどまっているわが国の性教育の実態に照らせばずいぶん進歩的な映画である。

 故田中眞澄は「戦後少年少女の生態に警鐘を鳴らす意図だろうが、抒情の勝った甘い作品になって、その分現実から遠ざかり、社会性が後退した」(『映畫読本 成瀬巳喜男』)などと評しているが、いったい本作の何を見ているんだろうか?

 思春期の生理を生々しく描いた作品として相米慎二のあるしゅの作品を先駆けるような佳作というべきだ。マイナーな成瀬はつくづく掘り出し物だらけである。

 脚本は成瀬と八住利雄。キャストはほかに飯田蝶子、村瀬幸子ほか。