Negative Space

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虚匠の迷作を斬る!:『切腹』

2017-06-11 | その他



 
 「虚匠」の「迷作」を容赦なく斬って捨てる新シリーズ「時代劇映画千本斬り!」。

 今回は“巨匠=虚匠”の代名詞、小林正樹『切腹』(1962年、松竹)の巻!


 話としては最高にエンターテイニングだ。セットをほぼお白洲だけに最小化するというコンセプトやよし。小林は松竹にまっさらなセットをわざわざ新調させたらしいが、予算がかからないから、むしろほんらいB級映画向けの素材だろう。いわば新東宝的なおどろおどろしさにも事欠かないし。

 一方的に他家に押しかけていってずうずうしい注文をつぎつぎくりだして懲りない異様におしゃべり好きな主人公は、それこそ三船タイプの役者にやらせれば、それをギャグにできたろうし、もっとちゃらんぽらんな(つまりは「人間くさい」?)キャラに仕立てることもできただろう。黒澤へのつまらぬ対抗心ゆえ、小林正樹としてはそうしたくなかったのかもしれないが(本作は『椿三十郎』と同年の作品である)。

 むしろ、そういう一面を暗示させるにとどめた仲代のニヒル一本槍の演技だからこそいいのかもしれない。好意的にかんがえればそんなふうにもいえるだろう。ただし結果的に、魅力もないかわりに欠点もない中途半端なキャラにおさまってしまったことはいなめない。立ち回りのシーンはスーパーヒーローもかくやの恰好つけぶり。

 いまだに本作が「封建主義批判」の映画だなどと信じられているのは(しかし誰が本気で信じているのか?)小林がこの話をわかりやすい勧善懲悪のメロドラマに落とし込んでしまった証拠である。いうまでもなく、わかりやすさとエンターテインメントはまったく別物だ。

 御殿場ロケになる仲代と丹波の決闘シーンは真剣を使ったことが売りであるそうだが、それがなんだというのか?「様式化」は演出の放棄とは別物である。サッカーの長友をおもわせる貧相などぜう顔メイクの仲代は実年齢よりも三十も上の人物を演じるために発声の際にもっとも低い音域を貫いたという。が、どこからみても初老の男には見えない。リメイク『一命』において、歌舞伎と映画の区別をまったく心得ず、ナルシスティックに朗々と声張り上げるだけの某海老蔵も殺人的にひどく、見られるものではなかったけれど(察するに三池崇の食指をそそったのは本作のマカロニウェスタン的側面ではないか?)。

 演出は説明的に流れ、監督は省略ということを知らぬようだ。これではせっかくのミニマル化というコンセプトそのものが台無しである。切腹詐欺の流行を石浜に改めて説明させるひつようがどこにあるのか?娘と孫の死の場面は省略してくれているので、岩下志麻の「狂乱の場」を見せられたりせずに済みたすかりはしたが(それらしき場面は存在するけど)。

 公開当時、後半部におけるストーリーテリングの弛みを荻昌弘が「あまりにも息抜きのない緊張感」ゆえと控え目に指摘したそうだが(岩波書店刊『映画監督 小林正樹』参照)、その事実は誰の目にも明らかである。もともとの素材が長尺向けではないのだから。

 春日太一が指摘するように、三國の演技については出色だ。本作の見せ場は仲代と三國のインタープレイにありとは一応うなずける。ただしそれは仲代のミスキャストを正当化しない。