Negative Space

日本映画、文語文学、古代史劇映画、西部劇、フィルムノワール、hip-hopなど。

極(きはみ)の露伴:『運命』『幽情記』

2016-03-07 | 文語文



「世おのづから数(すう)といふもの有りや。有りといへば有るが如く、無しと為せば無きにも似たり。」

 明治三十年代に入つて口語体に乗り換へた露伴は、そのうち自然主義的な風潮に愛想をつかし、小説の筆を半ば折つて『女仙外史』といつた中国のふるい文献に没頭するやうになる。その後大正八年、十四年間のブランクをへて発表された『運命』は、芥川が絶賛し、谷崎が熱狂した露伴文語文学の極北である。

 「古より今に至るまで、成敗の跡、禍福の運、人をして思を潜めしめ歎を発せしむるに足るもの固より多し。されども人の奇を好むや、猶以て足れりとせず、是に於て才子は才を馳せ、妄人は妄を恣にして、空中に楼閣を築き、夢裏に悲喜を画き、意設筆綴して、烏有の談を為る。或は微しく本づくところあり、或は全く拠るところ無し。」

 元から明への移行期、建文帝と永楽帝による亡き太祖の後継者争ひ。後継者の座を得た永楽帝は早逝し、破れた建文帝は、露伴によれば出家して生き延びる。建文帝は永楽帝に責められた際に城内で死亡したといふのがもつぱらの定説。露伴は創作のうたがひがつよい建文帝延命説にあへて与し、対照的な二人の人物の数奇なる運命の交錯を謳つてみせる。

 「是の如きの人にして、帝となりて位を保つも得ず、天に帰して諡(おくりな)を得る能はず。廟無く陵無く、西山の一抔土、封せず樹せずして終るに至る。嗚呼又奇なるかな。しかもその因縁の糾纏錯雑して、果報の惨苦悲酸なる、而して其の影響の或は刻毒なる、或は杳渺たる、奇も亦太甚しといふべし。」

 史料の引用が間々あることもあり、全篇ハードな漢文読み下し調。とても日本語とはおもへぬ見た目にもごつごつした漢語の語彙がつぎつぎ繰り出される。太祖にいたるまでの王朝の変遷の一部始終とホメロスふうのドライな合戦の記述が中盤までの大半を占める。土地の名、人の名、かの国の夥しい固有名詞が洪水のやうにぶちまかれ、人物関係を正確に辿ることは不可能。それがそこかしこで一般名詞とごつちやになる。この混沌とした読書体験は至福。ただ文体だけが読者を運んでいく。

 「建文帝は今は僧応文たり。心の中はいざ知らず、袈裟に枯木(こぼく)の身を包みて、山水に白雲の跡を逐ひ、或は草庵、或は茅店に、閑座し漫遊したまへるが、燕王今は皇帝なり、万乗の尊に居りて、一身の安き無し。」

 雌雄が決せられたあと、永楽帝に味方した男たちの人生が長々と回顧されていく。とくに異僧・道衍のそれを描く端正な筆遣ひ。一方、破れた建文帝に仕へた者らは先帝をしのびつつ自害して果てる。

 「永楽帝既に崩じ、建文帝猶在り、帝と史彬と客舎に相遇ひ、老実貞良の忠臣の口より簒国奪位の叔父(しゅくふ)の死を聞く、世事測る可からずと雖、薙髪して宮を脱し、堕涙して舟に上るの時、いづくんぞ茅店の茶後に深仇の冥土に入れるを談ずるの今日あるを思はんや。あゝ亦奇なりといふべし」

 露伴はスピリチュアルなものに憑かれた作家。ここで描かれた運命(「数」)は、晩年の連作における「連環」へと繋がつていく。

 同年の『幽情記』は短い歌物語を連ねた連作。天才的な詩人が、同じくらゐ天才的で多くのばあい絶世の美女でもある才女と運命的に邂逅し、やがて結ばれてしばし桃源郷にあそぶかのやうな幸福を謳歌するも、これも運命が約したかの如き悲劇的な別離を迎える。二人の運命は、どれもきわめて数奇な仕方で最後に死を越へて結ばれる。この単純な物語、単純な調べが都合十三回、リフレインのやうにくりかへされる。二人の運命を導くのはつねに歌である。歌は単なる媒体ではない。最後には人も世界も消え、ただ歌だけが読者の現前に残る。篠田一士はいみじくもさうのべた。つまりスピリチュアルな世界だけが残る、といふことだらう。ものみな歌でをはる。

 雄渾な『運命』が交響曲であるとすれば(べつに洒落ではなく)、和文脈を交へた親密な小曲である『幽情記』のはうは言はば室内楽。スタイルこそちがへおなじ精神が脈打つてゐる、とも篠田は喝破した。『幽情記』のどれも捨てがたい十三の挿話中、篠田が(しばし迷つたすゑ、とことはつたうへで)筆頭にあげるのは「共命鳥」である。このチョイスに深く頷く。これほどの美、これほどのかなしみはない。匂ひたつエロス、うねるやうに濃密な文章。ここでの露伴の筆は神がかつている、あるいは魔ものに憑かれているとでもほかいはうやうがない。

 「銭牧斎の愛姫を柳夫人といふ。[……]風流温雅、画を能くし、詩を善くし、好んで書を読みて日に霊根を培ふ。しかして其の姿色の美、技芸の精は、もとより一時に冠絶して、三千の粉黛を圧倒するものありければ、公子才人、争ひてこれに趨り、花の下に車を停め、柳の陰に馬を繋ぐもの麕(むれ)至りて断えず、君と席を同じうして語を交すをもて、璧を得、蟠桃を受くるの思を為せり。されば黄金を軽んじて誠をあらはし、千篇を寄せて才を示し、願はくは君と一生を共にせんといふ者も多かりけれど、如是君これを意に上せず、たゞ心ひそかに牧斎に許して、虞山の隆準公、未だ古今に夐絶せずと雖、亦一代英雄を顛倒するの手(しゅ)なりとて、其の才に服して之を重んじたり。牧斎もまた紅花の影揺らぐ筵に文君の奇を認め、緑酒の瀾(なみ)皺む宵に眄々の志を察し、昔の人も、蓬島に遊び桃渓に宴するは、一たび好き人を見るに如かずとなせり、吾が世に当たりて此の人を失ふ可けんやとて、遂に幣を委ねてこれを迎へ取りぬ。願へるなり望めるなり、所を得たるなり人を得たるなり、金蘭の好、琴瑟の情、如何ばかり濃やかにやありけむ、牧斎は山荘を築きて、紅豆と名づけ、姫(き)と与に其内に吟味し、茗椀薫炉、繍床禅板、いと楽しくぞ日を送りける。
 紅豆は亦相思子といふ。木質蔓生にして高さ丈余、莢を成して子(み)を結ぶ、其の大さ豌豆の如く、色鮮やかに紅にして、甚だ愛すべし。嶺南暖地の産にして、中土には稀なり。昔人ありて遠き境に歿しけるが、其妻これを思ひて樹下に哭して卒りしといふ伝説あるより相思子の名あり。されば其子(み)のしほらしく美しく、其名のなつかしく韵(にほひ)あるに、唐以来の詩人のこれを詠せるもの多し。牧斎の山荘、此の樹ありて、此の樹の伝説愛す可きあるより、取りて以て名とはなしけむ」。

 おもむろに挿入される植物学的記述。散文的なことばのまとふなんといふ艶かしさ。

 詩人・牧斎は無実の罪で獄中の身となり、妻と引き裂かれる。獄中では筆も紙も使へない。獄吏に詩を暗誦させて妻に思ひを伝へる詩人。泣ける。やがて詩人は獄中で死ぬ。夫の遺した多くの借金と年端のゆかぬ子供を抱えた妻のもとに借金取りらがおしかけ、弱みにつけこみ非道な所業をはたらく。妻はお上に訴へ出て外道らを告発したうへで首をくくつて果てる。彼女の死後、その訴へが聞き入れられ、詩人の名誉は守られる。愛は勝つ。