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智を開く

本当の「生きる力」を求めて…

「原型」

2008-04-23 09:34:05 | ハハ
先日のブログにも書きましたが、第2回学校説明会で那須野校長が「原型」という言葉を出されました。

「原型」とは、自分の「核」のようなもの。
その「核」を作った、つまり人格形成に大きな影響を与えた環境とでも言うべきもの。
ノーベル賞受賞者の「原型」が作られたのは、ある人は「砂場」だったりまたある人は「シーソー」だったりするそうだが…
ひと昔前まで、私たちは「異学年齢集団の仲間たち」の中で「原型」を作ってきたのではないだろうか。
自分もそんな仲間たちと一緒に遊んだり、秘密基地を作ったりして大きくなってきた。

…こんなお話でした。


「原型」ねぇ…
お話を聞きながら、ふと考えてみました。
すると、私の場合、やはり小学校時代までさかのぼるんですね。

私は鳥取県の、本当にど・ど・ど・ど・ど田舎で小学校時代を過ごしました
実家は神社なのです。
村(村ですよ!村!)の中心に「お堂」があるんです。
そこが子どもたちの集合場所。
学校から片道3.5キロ(遊びながら帰るので、だいたい片道1時間)の道のりを歩いて家に帰り、ランドセルを置いたとたんお堂へダーッシュ
三々五々集まってくる子どもたちは、みんな年齢も性別もばらばら。
でも、集まった者からすぐに何かの遊びが始まります。

鬼ごっこ、カンけり、隠れんぼ、ゴム跳び、めんこ、ビー球…といった定番遊びはもちろんのこと…
広ーい田んぼのれんげ草の中でかくれんぼ(仰向けに寝ると遠くからは意外に見えないんです!)
シロツメクサで首輪や指輪作り
わらを使って秘密基地作り(わらをかまくらのように積んで、みかんとか「かきもち」とか持ち寄ってきて中で食べるんです)
田んぼに張った氷の上でスケート競争(…と、言っても普通の運動靴なので氷が割れてパンツがビショビショ
肥料袋のそりで雪面を滑走(裏山の果樹園はちょうど良いスロープ、昔は雪がいっぱい降ったものです
クリ拾いにギンナン採り…おまけに他人の敷地のアケビ盗り(このスリルはたまらない
ウラ山登り(道無き道をかきわけかきわけ登った先の、頂上の眺めは絶景自分で作ったお弁当持って1人でもよく行きました)
清流のセリをとってきて隣村の八百屋に売りに行ったり

それから、それから…
真っ赤になるのが見たくて山のサワガニとってゆでたり
用水路のフナを追い詰めて捕らえて、食べもしないのに意味もなくゆでたり
おたまじゃくしをマツの葉っぱに3匹ずつ串刺しにして「焼き鳥屋」さんごっこしたり
あまがえるの口に爆竹入れて投げたり、自動車にひかせたり(ひぇー
村長の家の風呂場にいたアオダイショウを「悪いヤツだ!」と決め付けて頭上から大きな石を落として息の根を止めたり(その夜、そのアオダイショウが夢に出てきてうなされ…もう二度としないと誓いました

…何て残酷なことをしてたんでしょう
でも、そうして「命」の尊さを学んだのかもしれません。
今の子どもたちは、そんな遊びをしないから、そのエネルギーがどんどんたまっていって、ある時いきなり爆発するのかな、とも思います。

今みたいに「ゲーム」なんてなくて、唯一の楽しみは学校帰りに立ち寄る「駄菓子屋」
お祭りの縁日なんて、もう一大イベントですよ
「塾」なんてものもありゃしません。

…だんだん私の「育ち」と「歳」がばればれになってきましたが

人間関係について言うと「いじめ」られたことも「いじめ」たことも両方ありました。
いわゆる「ガキ大将」もいたし、上級生に「ぱしり」に使われていた子もいました。
派閥の対立もありました。
でも、いつのまにかみんなまた仲良くなって、何ごともなかったかのように遊んでいるのです。
不思議ですね。
そんな中でみんな精神的にもまれながら成長してきたんですね。

そんな「野生児」だった私
その子どもなので「お嬢様」とは程遠いわけです、うちの「娘」

でも、いいよ
これからも、お互い、強く生きようね
コメント
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