うっかりユーザのパソコン奮闘記

パソコンを使っていて感じたあんなこと、こんなこと、気ままに書いていきます。

自分宛てメール送受信~ルーチンのおさらい:2

2014年09月15日 | 忘れかけていたこと

郵便の宛名は毛筆できれいに書きたい、けれども自分では筆が立たないという人のために、宛名書きを引き受けてくれるところもあるようですが、メールの宛先は自分で書きこまなければなりません。

ここにメールをくださいと、書いたものを渡された場合は、しかたなく一字一字間違いのないように気をつけて、ポツンポツンと打ち込みます。
ポツンポツンがよいか、4文字ぐらいつづけたほうがよいかは、人それぞれです。
ポツンポツンはリズムに乗せられませんが、4文字続きは、電話番号のように記憶のリズムのはたらきで覚えやすいものです。
4文字2組の8文字くらいなら、一度に読んで覚えても、ポツンポツンより間違いが少ないかもしれません。

メールアドレスは、全部半角英数、使えない記号もあって、全角の文字か記号が混じってもだめ、ドットをコンマに間違えてもだめ、ハイフンとアンダーバーの混同もだめ、スペースも記号のうちなのでこれもだめ、間違いは一つでも決して許してくれません。
もらったアドレスが印刷の場合はほとんど間違いありませんが、手書きの場合はあてになりません。
書くほうにも、読み違い書き違い記憶違いと、間違いの要因は重なって目の前にあるのですから。


アドレスを間違わないためには、メールをもらってアドレスを取り込むか、何かの方法でリンクを使うか、どちらかにすれば完全です。
さて、どの方法がよいのでしょうか。

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自分宛てメール送受信~ルーチンのおさらい:1

2014年09月14日 | 忘れかけていたこと

ルーチンのおさらいを、決まった道の散歩のような気分で始めてみることにします。
散歩道に優先順位はないので、このおさらいも順不同、思いつくままということになります。

まず、昨日コメントくださいで例示した「自分宛てメール送受信」から始めます。
それならば、自分宛メールの送受信がなぜルーチンなのか、そのことから話を始めなければならないかもしれません。

自分宛メールの送受信は、どういうときに役立つでしょうか。

1.メールのテスト
 ◇ メール送受信の体験・・・初めての人
  △ 文字のみのメール
  △ 画像入りのメール
  △ 添付ファイル付きのメール
  △ 複写送信メール

 ◇ プロバイダーを変えたとき
 ◇ メールソフトを変えたとき
 ◇ アドレスを変えたとき
 ◇ 普通でないメールが来たとき

2.返信控えの保存

3.外出先からのメモ送信

4.自分宛の激励メール

これが全部必須ということではありませんが、挙げてみたら、ざっと10項目あまりになりました。
急ぐことはないので、ちょいちょい立ち止まりながら、順番に考えていきましょう。

メールを送信するときには「宛先」の書き込みが必要です。
ひと口に書き込みと言っても、いろいろ方法があります。
皆さんはどんな方法を常用していらっしゃるでしょうか。

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ルーチンのおさらい

2014年09月13日 | 忘れかけていたこと

パソコンの操作を覚えたいという人に出会ったら、どういうことを教えてあげるとよいか、自分では簡単にできていても、初めての人には大変な作業、こんなことを整理しておいたらどうかと思いつきました。

靴を履くとき、靴べらの吊ってあるところに自然に手がのびるように、考えずにできるようになっていなければ、実用に役立ちません。

さて、どういうことがあるでしょうか。
これだけは、ということがあると思いますので、なにか一つでもコメントをください。

書き方は、たとえば
「自分宛てメール送受信」
これだけで結構です。

書き込む場所は、この記事欄の右下にあります。

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横を向いていても良くはならない

2014年09月12日 | 千差万別

I Eに欠陥がときどき現れるようです。

新しいバージョンに欠陥が出るなら古いほうがよかろうと、ダウングレードしてみようかと思ったがうまくいかないという話を聞きました。
OSは最新でI Eだけ古くしたいというのは無理だろうと思いましたが、まったく方法がないこともなさそうです。
 ⇒ http://jump.cx/iedown


マイクロソフト社からは、欠陥が見つかった、修正プログラムの配布を始めた、という発表があるだけですから、どういう欠陥なのかはわかりません。
わかる人にはわかる方法があるのでしょうが、それがわかったところで、一般ユーザーには何をどうすることもできません。

「分かっていようと分かってなかろうとインターネットのアクセスには注意すべきです」
これはHさんの明言で、私たちにはむやみやたらにつつき回さないことが唯一の対策でしょう。

ソフトには自動更新機能つきのものがあって、I Eもその一つです。
自動更新にしておかないと、修正プログラムが出ても気づかずに、欠陥を抱えたままになることもあるでしょう。
自動更新だけは嫌がらずに「する」ことにしておいたほうがよさそうです。
 ⇒ http://jump.cx/ienew

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覚えなくてもかまわないネット用語

2014年09月11日 | 千差万別

メール文やネット記事の末尾に、ときどき意味のわからない記号を見かけます w 。

たとえばこんなものという例示のつもりで前の行末に入れましたが、常用者からはダサイとみられるでしょう。
句点の前か後か、入れるところに迷った挙句、とりあえずこの場所ということにしたので、そんなことを考えるのも、句点を持ち出すのも、たぶん論外なのだと思います。

フッと笑いがこみ上げたところで w で結ぶ、そこには文の形がどうこうなどという体裁論の入り込みは許されません。

これらの記号は、見えなければ話になりませんから、文字の形はしていますが、たぶん文字ではないのでしょう。
文字でなければ読みもありません。
見るだけの記号に読みはいらないのです。
いや、どうしても読めと言われたときには、「わらう」か、「わら」になるそうです。

これらの記号には、「文字で感情を極限にまでに表現する、という意思が無意識に働いている」との簡明かつ難解な説明もあります。

どんなものであるかは、こちらをどうぞ。

■ネット用語の意味まとめ
 ⇒ http://imimatome.com/netyogonoimi/

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聞きとれなくても唄は唄

2014年09月10日 | 千差万別

聞き取れない早口の唄があります。

ブリキノダンス
 ⇒ http://jump.cx/brkdance

あの歌は聞き取れない、意味がわからないと、文句を言う人もいます。
意味を調べたりわかろうとしたりするものではなく、流して聞くために作られた曲に、そんな文句をつけてもはじまりません。

ボカロと呼ばれる音声合成技術、ボーカロイドを使えばいくらでも早く歌わせることができます。
耳がそれについていけるかいけないか、ぎりぎりの早さが面白さを生みだします。

耳はこういうことに耐えられますが、パソコンの画面がこんなふうに早変わりしたらどうでしょう。
目が疲れてかなわない、と思うでしょう。
目は疲れると言われますが、耳が疲れるとは聞きません。
そのときは、頭がおかしくなると言われます。
目より耳のほうが辛抱強いのか、選択能力が優っているのか、どうなのでしょう。

目で見る画面は、もう一度見たい瞬間を保存できますが、音声は、瞬間の保存~再生に意味がありません。
見たものは忘れにくいのに、言われたことはすぐ忘れるのです。

聞かせるだけのものに、「ブリキノダンス」と、見せるもののような名前のついているわけがわかるような気がします。

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何でも知っておく必要はなくなった

2014年09月08日 | 千差万別

インターネットは、ものしりの必要をなくしました。

ひとに何かを尋ねられたとき、そのことを知らなくても、インターネットを見る道具さえそこにあれば、単語を書き込んで「検索」で、ほとんどのことはわかります。

尋ねる人が何を知りたいのか、それさえわかれば、こちらは何もかも知っているものしり博士である必要はまったくありません。
もし検索がままならないなら、その方法を手引きしてあげれば、ことは済みます。

うまくいかないのは、100人中せいぜい2人ぐらいでしょう。
1人めは、何を知りたいのか自分でわからない人、2人めは、知りたいわけではなく聞いてみたいだけの人です。

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早読みの早とちり

2014年09月07日 | 千差万別

情報が目の前に一度に現れると、目当てのものを見つけるためには、早読みが必要ではないかという気になります。
これは一種の強迫観念で、早く読み取らなければ目の前の情報が消えてなくなってしまうような錯覚なのです。
パッと読み取りたくなる気持ちにブレーキをかけて、努めてゆっくり読む習慣をつけたいと思うのですが、ゆっくりとうっかりは仲が悪いらしく、私には「これなんだろう」にとにかく早く行きつきたがる悪い癖がついてしまっています。


「技術をどうマネ・・・」という見出しが目に入りました。
あれ、またあの国のマネの話かと思ったら、そうではなかったのです。

それは、マネタイズ:収益化のことでした。
 ⇒ http://jump.cx/monetize

技術をどうマネタイズするか、「どのように作るか」だけではなく、「何を作り、誰に対して販売するか」が重要だという、セミナーの宣伝だったのです。
先生方が、研究成果や蓄積知識を、誰にどう売るか、マネタイズの実践体験をこころみているようにも見えました。

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意味を調べない辞典

2014年09月06日 | 千差万別

辞典というものは、まず言葉の意味を調べるものと思われるでしょう。

意味を調べない辞典というのがありました。
意味を求めた人にはわからずに、意味を考える人にはちょっとおもしろそうな辞典です。

「笑える日本語辞典fleapedia」というサイトです。
 ⇒ http://www.fleapedia.com/

イミワカンネー系に興味をお持ちの方はどうぞ。

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パソコンのすそ野はまだまだ広がる

2014年09月05日 | 千差万別

「Googleもドローン配送システムを開発中」という記事がありました。
 ⇒ http://jump.cx/drone

ドローンと呼ばれるのは無人飛行機で、何かを電話で注文すると、無人飛行機が配送してくれる仕組み、洪水災害地への薬品輸送などには活躍してもらえそうです。
電話で注文なら、パソコンからネット通販もできるでしょう。

ちなみにドローンはオス蜂、操られてブンブンぼやきながら動き回るのらくら者をそう呼ぶらしいのですが、物品配送をさせるなら、ドローンと呼ぶのは気の毒な感じもします。

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差し上げるには紙がよい

2014年09月04日 | 千差万別

モバイル型のインクジェットプリンターが売り出されます。
 ⇒ http://jump.cx/mvpr

A4までなら封筒もOK、バッテリーはもちろん内蔵です。

見せるだけでなく、差し上げてくる、お子様やペットの写真を撮って、どうぞと置いてくれば、明日にでも電話がかかってくるかもしれません。

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人間のつもりで書くか悪魔になるか:続々々

2014年09月03日 | 千差万別

あの記事を書いた8月29日から、5日目になりました。
八日目の蝉には少し早いようですが。

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役目にもいろいろありまして、それが何かをする役目は、いつのまにか、お役目ではなくなってしまうようです。
そうか、そうでした。
売られるのが役目というお仕事は、姿かたちを変えこそすれ、昔も今もあるのでした。

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パソコンは、ついに売られるのが役目になってしまったのかと気づいたとき、ふとあることが頭をよぎりました。
しかし、それが何かを書くわけにはいきません。
これこれこういうことなのだと、うっかり書いてしまえば、それこそ愚態的記述に目のくらんだ、醜態の上塗りになってしまいます。

その手のことを平気で書く人も中にはいます。
ゲージュツに頭の芯を狂わされた、悪魔になりかかった人間たちがそうするのだと思っています。

こういうことをわざわざ書きくわえるのも、悪魔の囁きに惹かれているからかもしれません、くわばらくわばら。

たった3行の記事の顛末を、だらだらと引きずりまわした結果は以上のとおりです。
あの記事は、まあともかくそう思ったというだけのことで、容認するとか否定するとか、そういうことは考えてもいないのです。
考えていても書けないことがあるのに、考えてもいないことは書きようがありません。
考えもしないことを書くとすれば、それは、たぶん悪魔の仕業でしょう。
うっかりユーザーには、残念なことに、悪魔になって書けるほどの「能」がそなわっていないのです。

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人間のつもりで書くか悪魔になるか:続々

2014年09月02日 | 千差万別

やっとのことで、本題にたどり着けそうです。

「そうか、そうでした」
こんなことを書いても読む人に意味がわかるわけがありません。
もう少し巧い言葉はないかと考えてみましたが、接続詞をそれらしくない言葉に置き換えるのはむずかしいものです。
接続詞には定型のものがたくさんありますが、通常は接続詞に使わない言葉に接続詞の役目を割り当ててやろうというこころみは、見事に失敗しました。
まあ実際は、そんなもっともらしいことではなく、ここでまたひとくさり何かを言うのが面倒だっただけのことなのですが。


思い直して、当然冗長の嫌いは覚悟の上で、「そうか、そうでした」に代わる別の文言を考えてみましょう。

パソコンは、「何かをする」役目がだんだんはがされて、あわや窓際、椅子までもぎ取られては、カウンターに腰かけるしかありません。
ここで窓から外に飛び出したのでは、MS-DOS以来先人が守り通してきた看板を下ろさなければなりません。
看板の寿命のあやしくなった観光地では、下駄をはくまでわからないぞという元気を見せようと、下駄ダンスと名づけたパフォーマンスが企画されるほどの時代です。
「何かをする」役目にこだわることはない、「見せる」役目もある、よし「見せよう」、それが Windows 8 だったように思うのです。
ところが、「する」ことの好みと「見る」ことの好みは、簡単には一致しませんから、「する」ものを「見る」ものに変えただけでは、役目の転換には中途半端だったのです。

そこで腰かけていたカウンターから立ち上がり、空転パフォーマンスよろしく大回転を試みます。
「する」とか「見る」とか、買った人が何をするかでなく「売られる」、これこそ商品のお役目ではありませんか。
助け合いから始まった保険でさえ、その役目が「売られる」ものになり、売る側も、客になりそうな人の前で平気で「この商品は」などと説明してはばからない世の中になりました。

「そうか、そうでした」は「パソコンは売られるものという役目に変わったのでした」と書けばもうすこしわかりやすかったのかもしれません。

予期した通りの冗長、本題の入り口で空転が止まりました。
着地には明日までかかります。あすぃからず。

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人間のつもりで書くか悪魔になるか:続

2014年09月01日 | 千差万別

8月29日の「パソコンの役目は終わったのか」で、「意見」とみていただいた部分をもう一度読み直して、カサゴのひれのようなものを少しつけたしてみたいと思います。
行ったり来りの面倒を除くために、再掲をしておきましょう。

          *****************

役目にもいろいろありまして、それが何かをする役目は、いつのまにか、お役目ではなくなってしまうようです。
そうか、そうでした。
売られるのが役目というお仕事は、姿かたちを変えこそすれ、昔も今もあるのでした。

         *****************

ここには意見めいたことは書いてない、ただの妄言なのですが、いくらかの意味はもたせたつもりです。
「役目」とは、もちろんタイトルどおりの「パソコンの役目」です。
「何かをする役目」というのは、パソコンが生み出された時代に持っていた「手と頭を使ってしていたことの相当な部分を受け持たせる役目」なのですが、あまりにもくどい言い回しになるかと、縮めすぎたきらいはあります。
はじめは、この「何かをする役目」が大いに幅を利かせていたのですが、同じ働きをパソコンにさせなくても、もっと小さなコンピューターを機械や器具に組み込めば、データ処理はまとめて別のところでできるようになってきました。
こうなると、はじめにだいじがられた「何かをする」ことが、いつのまにかパソコンでなければならない「お役目」ではなくなって、パソコンはいわば手持ち無沙汰になります。
それなら存在価値さえ怪しくなるはずなのに、機能だけはどんどん上げられる、ではパソコンの役目はどうなったのか、と考えていて気付いたのが「そうか、そうでした」のつぶやきになったのです。

なにが「そうか」は、もう少し長くなりますので、また明日ということで。

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