うっかりユーザのパソコン奮闘記

パソコンを使っていて感じたあんなこと、こんなこと、気ままに書いていきます。

人間のつもりで書くか悪魔になるか:続々

2014年09月02日 | 千差万別

やっとのことで、本題にたどり着けそうです。

「そうか、そうでした」
こんなことを書いても読む人に意味がわかるわけがありません。
もう少し巧い言葉はないかと考えてみましたが、接続詞をそれらしくない言葉に置き換えるのはむずかしいものです。
接続詞には定型のものがたくさんありますが、通常は接続詞に使わない言葉に接続詞の役目を割り当ててやろうというこころみは、見事に失敗しました。
まあ実際は、そんなもっともらしいことではなく、ここでまたひとくさり何かを言うのが面倒だっただけのことなのですが。


思い直して、当然冗長の嫌いは覚悟の上で、「そうか、そうでした」に代わる別の文言を考えてみましょう。

パソコンは、「何かをする」役目がだんだんはがされて、あわや窓際、椅子までもぎ取られては、カウンターに腰かけるしかありません。
ここで窓から外に飛び出したのでは、MS-DOS以来先人が守り通してきた看板を下ろさなければなりません。
看板の寿命のあやしくなった観光地では、下駄をはくまでわからないぞという元気を見せようと、下駄ダンスと名づけたパフォーマンスが企画されるほどの時代です。
「何かをする」役目にこだわることはない、「見せる」役目もある、よし「見せよう」、それが Windows 8 だったように思うのです。
ところが、「する」ことの好みと「見る」ことの好みは、簡単には一致しませんから、「する」ものを「見る」ものに変えただけでは、役目の転換には中途半端だったのです。

そこで腰かけていたカウンターから立ち上がり、空転パフォーマンスよろしく大回転を試みます。
「する」とか「見る」とか、買った人が何をするかでなく「売られる」、これこそ商品のお役目ではありませんか。
助け合いから始まった保険でさえ、その役目が「売られる」ものになり、売る側も、客になりそうな人の前で平気で「この商品は」などと説明してはばからない世の中になりました。

「そうか、そうでした」は「パソコンは売られるものという役目に変わったのでした」と書けばもうすこしわかりやすかったのかもしれません。

予期した通りの冗長、本題の入り口で空転が止まりました。
着地には明日までかかります。あすぃからず。

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