自動という仕組みは、便利一方かというとそうでもない。
私はむしろ、自動装置との付き合いは不自由との付き合いで、自動システムは、拘束・不自由を条件にして成立するものと思っている。
体は楽でも心は窮屈なのである。
粗忽度の増加を自認して運転をやめた自動車も、ATは性に合わず最後までMTで通した。
パソコンの操作には、自動でできることがいろいろある。
Google で「自動 」で検索してみる。自動の後に空白を入れないと、気が利きすぎて「自動車」の検索に走ってしまう。
「自動 ○○」というのが10項目ほど出てくる。そのうち8項目がパソコンの動作、操作にかかわることである。
Webを見ていると、これをどうぞというメッセージウィンドウが不意に現れることがある。
組み込まれているソフトのアップデートの勧めの場合はよいが、新しいバージョンにさっさと対価を払って乗り換えろ、旧版のサポートはいついつまででおしまいなどと、脅しめいた催促メッセージもある。
新しいバージョンをインストールすると、そのあと急に自動再起動が始まったり、フリーズしたり、おかしな具合になることがある。
同じA社を名乗っていながら、ソフトFはよくない結果がついてまわり、ソフトRは支障が起きない、そんなこともある。
自動は不自由だけでなく、不安との付き合いでもある。