海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

『鉄血勤皇隊』より

2008-08-07 07:47:05 | 日本軍の住民虐殺
 『鉄血勤皇隊』(ひるぎ社)の著者大田昌秀氏は、今さら言うまでもなく元沖縄県知事であり、参議院議員も一期務めた。1990年代の沖縄の政治状況を論じる上で最も重要な人物であり、これから先も多様な角度からその行動と思想は論じられるであろう。その大田氏はまた、琉球大学教授として、沖縄戦や沖縄のメディア、思想、政治など多方面にわたる研究を行い、精力的に執筆・発言を行ってきた。
 私が学生時代、西原キャンパスに琉大が移転して、法文ビルの五階に国文科の研究室があり、四階に社会学科の研究室があった。法文学部ビルやキャンパス内を歩いている大田氏を時々見かけたが、授業を受けたことはなかった。今さらながら、一つくらい何か講義を受けとけばよかった、と思う。
 大田氏が沖縄戦当時、師範学校の生徒として鉄血勤皇隊に参加したこともよく知られている。そして自らの沖縄戦体験をもとに戦後の研究を追求していったことも、折りに触れて語られている。本書はその大田氏の沖縄戦体験を記したものである。1953年に友人の外間守善氏・安村昌享氏らと編んだ『沖縄健児隊』(日本出版共同刊)に発表した「血であがなったもの」に〈全面的に手を入れたものである〉(本書まえがき)とされる。
 本書は、沖縄戦の戦没者の三十三年忌(終わり焼香)にあたる1977(昭和52)年6月に出版されている。三十三年忌を迎えるにさいし、あらためて戦没者の「死」の持つ意味の重さを考え、自らの沖縄戦体験を自己検証した記録として、本書は出されている。その中に、日本軍による住民虐殺について記された一節がある。以下に引用する。

 タタタッ……。突如大気を引き裂く機銃の響きで、私の感懐もあっけなくとび散った。無意識に身をかがめ、目を上げると、いま飛び去ったばかりのグラマンが大きく旋回してくる。「いけないッ!」咄嗟に道路を左下に駆けおりた。壕が横目に見えた。入口の方には簡単な土堤の爆風よけがあり、一見して民家の壕と知れた。土堤を回って一歩身をかくそうとした途端、銃口がグッと胸元に突き出され、怒声が弾丸のように飛んできた。
「この野郎、これが見えないか。誰がここに入れといったんだ。出て失せろ。チェッ、学生のくせして」  
 口汚く悪罵するその顔は何に似ているだろう。これが皇軍兵士というものだろうか。神兵だろうか。タッタッタタ……。竹を割るようなグラマン機の銃声が降り注いできた。周りには身を隠す何物もない。私は思わず壕の入口に一歩足を入れかけた。すると、
「貴様、いってもわからんのか。まごまごしているとぶっ殺すぞ。貴様にはそこに転がっているのが見えないのか」
 銃口が指す方向に目をやると、四、五メートル前方の芋畑の中に、一人の老人がのけぞっていた。黒ずんだ着物の胸がはだけて、太もものあたりに血痕がどす黒く滲んでいた。
 私はそれを見た瞬間、胸が燃え立つものを覚えながら歩き出していた。
〈まさか、そんなことはあるまい。あり得るはずはない〉と、私は頭の中に湧き起こった疑惑を振り払うように首をふった。だが、〈確かにそうだ〉という想いが執拗に追いかけてくる。「貴様はそこに転がっているのが見えないか。学生、貴様は……」という言葉がどこまでもこびりついて離れない。私は混乱してきた。
 敵艦載機の爆音が尾を曳いて過ぎていったが、今ではそれにも無感覚だ。
〈皇軍、これが俺たちの憧れていた皇軍なのか〉と思う反面、〈いや、奴はきっと狂っているに違いない〉と懸命に否定する気も起こる。その下から「貴様一人のために皆が迷惑するぞ。……これが見えないか」と、あらためてさっきの兵隊の言葉がよみがえってくる。
〈そうだ、これが敵味方に分かれて殺りくし合う戦争というものなのだ。平時にあっては一人殺しても極刑に処せられる。それがここでは百人殺しても当然、かえって英雄となる。それどころか味方を殺す場合だってありうるのだ〉 戦場を離れている人びとは、何の罪とがもない同胞が菊の御紋章のついた銃でみじめな最期をとげようとは夢にも思うまい。私たちは「敵」という観念に翻弄されて戦場を右往左往しているが、真の敵とは何だろう。誰なんだ。(94~96ページ)

 芋畑にのけぞって倒れていた老人が、どのように殺されたか具体的には分からない。しかし、大田氏が迷いつつも認めざるを得なかったように、壕の入口で銃を突きつけた兵隊か、その仲間に殺されたのは間違いないであろう。心から信頼を寄せていた皇軍兵士が自分に銃を突きつけ、沖縄の住民を殺害する。予想もしなかった事態に直面して、激しく動揺する大田氏の心情は、引用した文章のあとにも続いている。このような体験を通して、大田氏は次第に皇軍や戦争への懐疑を抱きはじめるのだが、それは十五年戦争のただ中で教育を受けてきた自身の価値観を根底から揺るがすものだった。
 本書には資料として「沖縄師範学校職員・生徒の状況」や「沖縄戦主要年表」が巻末に収められている。大田氏自身の体験はもとより、鉄血勤皇隊の活動状況や沖縄島南部の状況が記された貴重な記録である。

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