海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

『記録 自決と玉砕』より3

2008-06-05 02:50:03 | 日本軍の住民虐殺
 本書を編集している安田武氏の解説の中にも、日本兵による日本人住民の虐殺が、米従軍記者が書いた従軍記からの紹介という形で記されている。

 〈従軍記者として、サイパン島に上陸したロバート・シャーロッドは、その従軍記のかなりの頁を割いて、日本人非戦闘員の集団的な自決の模様を書いているが、なかに、つぎのようなまことに驚くべき事実の報告が含まれている。--洞窟に立てこもった日本軍の狙撃兵がいた。彼の狙撃は的確で、遠く離れた距離から確実に海兵隊員を射ってきた。すでに二名の海兵隊員がそのために死んでいた。たった一人の日本兵を包囲したアメリカ軍は、手を焼いていたのである。と、その時、四人の子供を連れた日本人夫婦が、巌の上に姿を現した。明らかに、投身自殺をするため高い巌をよじ登ってきたのであった。だが、幼い子供づれのこの夫婦は、いざ決行しようとなると、心が鈍るらしく、なかなか海中へ飛び込むことができない。見守る米軍兵が片唾(ママ)を呑んでいた一瞬である。洞窟に立てこもるかの日本兵の一弾が、父親の背中に命中し、アッという間に、真っ逆さまに海中に転落していった。続いてつぎの一弾が、母親に当たった。しかし、これは即死ではなかった。母親は鮮血にまみれ、巌の上をのたうちまわっていたが、やがて、ハッと気をとり直すように立ち上がると、四人の子供たちをかばって、よろよろ岩陰に逃げていった、というのである。
 日本の狙撃兵は、母親の逃げ去ったことに憤然として、洞窟から姿を現したところを、待ちかまえていた米海兵隊員の十字砲火を浴びて射殺された、とシャーロッドは書いているが、自決をしぶる日本人親子を、日本兵自身が銃撃したわけである。同じような事例は、沖縄にもあった。つまり、「玉砕」とは、この場合、強制された集団死を意味していた、ということなのだ〉(358~359ページ)。

 米軍の従軍記者が撮ったサイパン戦のフィルムの中に、子供を崖から海に投げ捨て、自らも身を投げる母親の映像がある。これまで何度も見てきて、映像が目に浮かぶ人もいると思うが、安田氏が指摘するように、それを米軍に追いつめられたあげくの自殺と単純にとらえることはできない。
 捕虜になることを許さない日本軍の方針や住民への「自決」命令。米軍に対する恐怖心の刷り込み。飛び込まなければ日本兵の手によって殺されるような状況。これらを総合的に考えれば、一見自殺に見える行為も住民が自発的に選び取った死ではなく、安田氏のいう「強制された集団死」ととらえた方が的を射ているだろう。
 サイパン戦について林博史氏は、『沖縄戦と民衆』(大月書店)で以下のように記している。
 〈このサイパン戦のなかで、住民虐殺、住民スパイ視、投降阻止、自決強要、壕追い出し、食糧の強奪など、沖縄戦でおこったことのほとんどすべてがすでにおきていた〉(169ページ)。
 そして、追いつめられた日本人住民に対し「決して捕虜になるな、捕虜になるくらいなら自決せよ」という軍命令が出され、手榴弾や青酸カリが配られたこと。海岸部で軍から「みんな自決しろ」と言われて多くの人が崖から身を投げたこと。投降しようとしたり米軍に保護された住民が、日本兵に射殺されたりしたことなどを指摘している。
 1943年5月にアッツ島から始まった日本軍の「玉砕」=全滅は、日本軍の敗走とともにサイパン島、グアム島など太平洋の島々から中国南部、硫黄島、沖縄島、満州へと地域を拡大し、一般住民をも巻き込んでいく。捕虜となって生き残ることを許さず、天皇のために命を捨てることを強制する全滅死の思想。15年戦争の末期に相次いでおこった「玉砕」=全滅をどのようにとらえるか。沖縄戦における「集団自決」の問題を考える鍵もそこにある。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『記録 自決と玉砕』より2 | トップ | 書評 『植民者へ』 »
最新の画像もっと見る

日本軍の住民虐殺」カテゴリの最新記事