海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

「季刊 目取真俊」31回

2022-11-10 08:12:07 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 以下の文章は2022年10月27日付琉球新報に〈沖縄人の戦争被害と加害/アジアの虐殺記録されず/植民地支配加担の反省を〉という見出しで掲載されたものです。    沖縄戦の際、本部半島に配置された日本軍(独立混成第44旅団第2歩兵隊や運天港の海軍部隊)は、米軍の攻撃に耐えられず4月中旬には多野岳に敗走する。本部半島や周辺の山に逃げ込んだ日本兵は、昼間は森の中に隠れ、夕方になって米軍が . . . 本文を読む

沖縄戦慰霊の日/本部町八重岳の「三中学徒之碑」と「本部壕・病院壕跡」

2022-06-23 23:43:23 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 23日(木)は沖縄戦慰霊の日で、午前中、本部町八重岳に行き「三中学徒之碑」と「国頭支隊本部壕・野戦病院跡」を訪ねた。  「三中学徒之碑」は八重岳の山頂に向かう途中にある。道路を挟んで向かいの森は真部山で、渡具地方面から登ってくる米軍と交戦し、日本軍の兵士や学徒の多くが犠牲となった場所だ。  私の父も三中学徒隊の一員として、この地で戦闘に参加しているので、毎年慰霊に来ている。   . . . 本文を読む

沖縄戦犠牲者と新基地建設

2021-05-14 21:01:14 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 以下の文章は、2021年4月28日付琉球新報に〈沖縄戦犠牲者と新基地建設/本部の山にも戦没者遺骨/辺野古土砂への使用禁止を〉という見出しで掲載されたものです。  子どもの頃、母方の祖母が住む家の隣に喜瀬さんという老夫婦が住んでいた。喜瀬のおじいは家で琉舞を教えていた。縁側には踊りを習いに来た女生徒たちが読むマンガ雑誌が置かれていて、時おり、それを読みに喜瀬さんの家を訪ねた。幼心にやさしい人たち . . . 本文を読む

兵士たちはどのように死んでいったのか

2020-08-19 17:57:44 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
   長田紀春・具志八重子編『閃光の中で/沖縄陸軍病院の証言』(ニライ社)に「第三外科の南風原撤退ーー青酸カリによる自決についてーー」という証言が載っている。編者の1人であり、沖縄戦当時、軍医見習士官だった長田紀春氏(大小九年生)の証言である。  日本軍の司令部があった首里に米軍が迫り、「本土防衛」の時間稼ぎのために軍首脳部は南部撤退を決めた。南風原にあった陸軍病院も南部に移動することになった . . . 本文を読む

沖縄戦の記憶と教訓を目の前にある軍事基地を否定する行動に繋げたい

2020-06-23 20:55:39 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 23日(火)は正午に黙とうをしてから、本部町の八重岳に向かった。八重岳の山頂近くにある「三中学徒之碑」は、多くの学徒が戦死した真部山と向かいあっている。遠くには伊江島を望むことができる。蝉の声が響く静かな山の緑の下に、今も埋もれている遺骨が数多くあるのだろう。  この碑の前で行われていた慰霊祭は、元学徒の皆さんの高齢化のため5年前に終了した。それでも、碑を訪れて花を手向け、 . . . 本文を読む

74年前の今日、八重岳で起こっていたこと

2019-04-16 23:34:51 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 16日は本部町の八重岳に行き、三中学徒之碑や国頭支隊の本部壕・野戦病院跡に花やお菓子、水、酒などを供えて御香(うこー)を上げてきた。74年前の4月16日、本部半島の八重岳を拠点にしていた宇土部隊は米軍の猛攻を受け、遊撃戦の展開を理由にしながら名護の多野岳に敗走を始める。  この日はまた、伊江島に米軍が上陸した日でもある。本部半島の本格的な戦闘は終盤となり、八重岳やその周辺では日米両 . . . 本文を読む

広島へ

2017-08-07 23:59:21 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 8月6日を前後して広島に行く。2011年に来てから6年ぶりに平和記念公園を歩き、リニュアール中の原爆資料館を見学した。  広島県の戦死者は、米軍の原爆投下によるものだけではない。南洋群島に派兵され、どれだけ多くの犠牲者を出したか。その実態にも注目しなければならない、と考えさせられた。   . . . 本文を読む

シュガーローフの慰霊祭とケン・ローチ監督の新作。

2017-05-21 13:14:08 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 20日は那覇市新都心の水道タンクがある丘で開かれたシュガーローフ慰霊祭に参加した。お昼過ぎに行くと、展望台のそばに設置された説明版の前にカーサバームーチーが供えられ、サンニンの花が飾られてた。今年は呼びかけが不十分だったとのことで、参加者は少なかったが、黙とうのあと呼びかけ人の具志堅青鳥さんがあいさつし、海勢頭豊さんと娘の愛さんによる「月桃」「喜瀬武原」の演奏があった。  伯母 . . . 本文を読む

沖縄戦を考え、その教訓を受け継ぐために。

2016-03-28 23:24:34 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 3月28日は71年前に渡嘉敷島で強制集団死(集団自決)が起こった日である。今日は所用があってカヌーの活動は休んだが、日に何度も慶良間諸島で起こった惨劇のことを思った。  1945年3月26日、慶良間諸島に米軍が上陸し、沖縄における地上戦が始まった。慶良間諸島に配置されていた海上特攻艇マルレは出撃することなく破壊され、日本軍は山中に逃れる。米軍の攻撃を受けて混乱する中、一般住民にも配布されていた . . . 本文を読む

紹介:安世鴻氏の写真展「重重 消せない痕跡 アジアの日本軍性奴隷被害女性たち」

2015-09-05 17:41:08 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 久しぶりに東京に来ている。今日は午後から神楽坂セッションハウス2Fガーデンで開かれている安世鴻氏の写真展「重重 消せない痕跡 アジアの日本軍性奴隷被害女性たち」を見てきた。 https://www.facebook.com/photographerAhnSehong/photos/pcb.888690277833130/888686671166824/?type=1&theater  昨日は . . . 本文を読む

アンガウル島の慰霊祭

2015-04-13 22:58:05 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 2010年9月30日にパラオ諸島を訪ね、アンガウル島とペリリュー島で行われた慰霊祭に同行させてもらった。ペリリュー島まではリーフに囲まれ波が穏やかだが、アンガウル島は外洋にあり、天候と波に恵まれないと行けないとのことだった。さいわい、この日は大丈夫、ということで最初にアンガウル島に向かった。  船に乗ると、波飛沫をかぶるからと雨合羽を渡された。これでも波が穏やかな方のか、と思うほど . . . 本文を読む

パラオ諸島にある沖縄の塔

2015-04-12 23:18:52 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 天皇夫妻が来島したことでペリリュー島のことがマスメディアでしきりに報じられた。「玉砕の島」と言われたペリリュー島のことを初めて聞いたという人も多いと思うが、パラオ諸島に三つの沖縄の塔があることを今どれだけの人が知っているだろうか。写真は上からパラオ諸島のコロール島、ペリリュー島、アンガウル島に建てられた沖縄の塔である。言うまでもなくアジア・太平洋戦争で犠牲になった沖縄人の慰霊のために . . . 本文を読む

70年前に大浦湾であったこと。

2015-01-23 21:23:38 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 70年前の沖縄戦のとき、私の父は14歳で沖縄県立第三中学校(現県立名護高校)の学生だった。鉄血勤皇隊として本部の八重岳に配置され、日本軍の擲弾筒隊の弾運びをやったと話していた。4月の中旬に本部半島にいた日本軍・独立混成第44旅団第2歩兵隊(通称宇土部隊)は米軍の攻撃に敗走して名護の多野岳に移動する。  父は三中の仲間たちと八重岳の南側(勝山)に下り、三土手から羽地の武田薬草園近くを通って伊差川 . . . 本文を読む

ハワイの日系二世の戦争体験を聴く。

2014-12-07 15:00:55 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 6日は糸満市の件平和祈念資料館に行き、「日系二世ウチナーンチュが見た戦中・戦後-母国と祖国の間で-」というシンポジウムを聴いた。沖縄戦に米軍の通訳兵として従軍し、うちなーぐちで投降呼びかけをした比嘉武二郎さんが91歳。終戦直後の神戸や舞鶴でCIC(対的諜報部)として活動したという大城義信さんが86歳。日系二世の元兵士たちの証言を生で聴ける機会は少ないので、糸満まで車を飛ばした。同シン . . . 本文を読む

登戸研究所と新宿デモ

2014-07-07 13:09:32 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 5日は午後から明治大学生田キャンパスにある「明治大学平和教育登戸研究所資料館」を見学してきた。桜坂劇場でドキュメンタリー映画『陸軍登戸研究所』を見て、ぜひ訪ねてみようと思ったのだが、土曜日で団体の見学者も多くかった。キャンパス内に残された研究所の遺跡も含めて、日本陸軍の秘密戦、謀略戦の実態を知り、考えることができる貴重な場所である。 http://www.mei . . . 本文を読む