30日は沖縄県議会議員選挙の告示日だった。選挙運動は実質的には終盤戦に入っていると思うが、二議席をめぐって争われる名護市選挙区で投票が行われるのは、なんと八年ぶりである。過去二回は与野党が一議席ずつ分け合い、無投票当選をくり返してきた。有権者からすれば投票の機会さえ失われるというおぞましい事態が続いていたのだ。辺野古への米軍の新基地建設をめぐって政治的焦点となっている名護市でこういう状態だったと . . . 本文を読む
M:昨日ぬゆさんでぃがたからヤンバルぬん大雨になてぃ、ようやく梅雨らしくなってぃちゃーさや。
S:あんすとぅや。今日ぬんしてぃみてぃなーから雨ぬぷっとぅんばーえっしが、なまうてぃ雨ぬぷらんねーや夏になてぃ断水すーとぅよ、ぷいしましえんばー。農家ぬたみにん雨ぬぷいぬ時期に雨ぬぷらんねーあとぅから厄介ないとぅよ。
M:ちぬーうってぃーや、ぬーしちゅたんばーが?
S:雨ぬぷいぬめーに作業しちゅかーり思て . . . 本文を読む
例年よりだいぶ遅い梅雨入り宣言後もなかなか雨が降らなかったが、昨日、今日と時折雨が落ちる天気になってきた。それでもまだ本格的な梅雨というにはいたらない。ただ、蒸し暑さはかなり募っている。これから雨も多くなっていくだろう。
ヤンバルの森はイジュの白い花が盛りで、他にもテッポウユリやサンニン(月桃)が咲き誇っている。実家の裏庭に咲いているテッポウユリは、もう花が終わりかけている。元は父と母が近くの . . . 本文を読む
午後からキャンプ・シュワブ・フェスティバルに行く。ゲートから入ってすぐに右に行くよう指示され、1kmほど行って車の案内をしている米兵の指示に従って道路脇に駐車する。そこからまた1kmほど歩いて会場に行く。辺野古集落と緑地帯を隔てて四階建ての兵舎や郵便局、ボーリング場、映画館などの施設が建っている地域があり、そこがフェスティバル会場になっていた。プールやテニスコート、フットボール場などもあり、軍事 . . . 本文を読む
ある人の好意で映画『靖国 YASUKUNI』(リ・イン監督)のサンプルDVDを見ることができた。『すばる』6月号に書いた文章を読んでわざわざ送っていただき、深く感謝している。桜坂劇場でやるのは7月らしいから、早めに見られて有り難かった。
沖縄の人で8月15日の靖国神社の様子を目にした人は少ないと思う。この映画を見たらアキサミヨーと思うかもしれない。映画を見て興味が湧いた人は、8月15日に東京に . . . 本文を読む
5月18日に行われた「5・15命とくらしを守県民大会」で挨拶した韓国の代表キム・ヨンテック氏が、今日は光州事件があった日です、という発言を行っていた。28前の記憶が一気によみがえった。光州事件があった1980年5月18日、私は大学2年生だった。私が琉球大学に入学した1979年は、世界史の結節点となる事件が連続して起こった年だった。ベトナムとカンボジアの紛争が2月になって中国とベトナムの「社会主義 . . . 本文を読む
平和行進でヤンバルや中部の道を歩きながら、六三年前に沖縄戦で県内疎開をした人達のことを考えた。沖縄島は小さな島と思われているが、実際に歩いてみれば、那覇から名護までだって二日はかかる。道路も整備されていない時代に、男手を現地召集兵や防衛隊として取られ、女性や老人、子どもたちだけの家族がヤンバルに疎開するのは簡単なことではなかっただろう。もし家族の中に足の弱い老人や病人、体が不自由な人がいればどう . . . 本文を読む
昨日は宜野湾海浜公園で開かれた「5・15平和と暮らしを守る県民大会」に参加してきた。午後3時の開会に合わせて出かけたのだが、高速自動車道から下り、普天間を通って58号線に出たところで、渋滞に巻き込まれ遅れてしまった。県民大会会場に向かう平和行進団に、右翼団体が街宣車で妨害活動を行っていて、それが渋滞の原因だ。
昨日の午後、東コースを歩いたときも右翼の街宣車が三台、行進団の横をのろのろ運転しなが . . . 本文を読む
平和行進二日目は午後から東コースに参加した。嘉手納町道の駅から北谷町砂辺の馬場公園まで、大半が嘉手納基地の金網に沿って歩き続けるコースである。普段、車で通っていても嘉手納基地の大きさは感じているのだが、歩いて体で確認するそれはうんざりするほどのものだ。特に、元の嘉手納ロータリーから砂辺に右折するまでの58号線沿いは、両側に基地の風景が延々と続く変化のない直線で、金網の長さ=基地の広大さを実感させ . . . 本文を読む
昨日(16日)は午前9時に辺野古の海岸に行き、午前中、東コースの平和行進に参加してきた。16日付琉球新報夕刊によれば、東・西・南の三コースで、出発時点の参加者は千百十人、東コースは四百四十人(主催者発表)だったとのこと。地元の労組は仕事の都合などで、途中で交代したりするので、行進終了時点での参加者はもっと多いだろう。
私は反住基ネット沖縄の一員として、午前中東コースを歩いたのだが、薄曇りだった . . . 本文を読む
前の文章の続きだが、それならヤマトゥからの参加者はない方がいいのか、という声が出そうだ。それでいいのではないか、と以前から思っている。ヤマトゥからの参加者がなくなって平和行進の参加者が激減するなら、その現実を直視した方がいい。なまじヤマトゥからの参加者があるが故に、今の5・15平和行進や県民大会が、沖縄県民から遊離してしまっている現実が見えなくなってしまっているのだ。
そのことを強く感じるよう . . . 本文を読む
今日5月15日は沖縄の施政権(支配権)がアメリカから日本に返還された日である。以前はこの日に県民大会が開かれ、その前に平和行進が行われていたのだが、最近は日曜日に県民大会が設定されるので、平和行進も5・15の前後にずれることが多い。今回は明日から平和行進が始まり、今日はそれにむけて名護市役所前広場で6時から結団式がある。これからそれに参加するつもりなのだが、いったいいつまで平和行進をくり返さなけ . . . 本文を読む
最近読んだ平櫛孝『大本営報道部 言論統制と戦意昂揚の実際』(光人社NF文庫)という本の中に、沖縄戦に関する次のような記述があったので紹介したい。著者の平櫛氏は、陸軍幼年学校、同士官学校、同大学校を出て大本営報道部員となり、その後サイパン島守備部隊の第四十三師団参謀となって、玉砕戦の中で九死に一生を得た人である。生粋の日本陸軍元軍人が書いた文章として興味深い。
沖縄戦における最大の悲劇は、多く . . . 本文を読む
4月26日に書いた「News23」の特集についての続きである。
番組の中では宮平春子さんの証言も取り上げられていた。兄の故・宮里盛秀さんが、軍の命令で玉砕しないといけない、と言うのを聞いたというもので、新聞やテレビでこれまでも紹介されてきたものである。それ以外に、春子さんの証言で強く印象に残る場面があった。宮城晴美著『母の遺したもの』について語った場面だ。
「あんな嘘ばっかり書いてる本、読み . . . 本文を読む
昨日は桜坂劇場に若松孝二監督『実録ー連合赤軍 あさま山荘への道程』を見に行った。2:50からの上映で客は30名ほど。20代から60代まで年齢層は幅広かった。
映画は3時間10分という時間をまったく感じさせないほど集中して見られた。緊迫した場面が連続することもあるが、当時の状況を連合赤軍の活動家たちの視点から描く上で必要なものだけを圧縮しているからだろう。若い役者たちの演技もよかった。
以前か . . . 本文を読む