以下に紹介する文章は、『新刊ニュース』1997年10月号に掲載されたものです。一部語句を修正してあります。
今、沖縄島から南西に三百キロほど離れた宮古島というところに住んでいる。山もなければ川と呼べるほどの流れもないこの島では、昔から台風と旱魃の被害に苦しんできた。最近ではコンクリート造りの家や地下ダムによって、だいぶ状況は良くなってはいる。それでも島の人たちの風に対する恐れ . . . 本文を読む
以下に紹介する文章は、2004年6月と7月に上演された演劇集団「創造」第33回公演「人類館」のパンフレットに、「腐れ沖縄 豚殺し」という題で掲載されたものです。
私の祖母は十代の頃に神奈川の紡績工場に働きに行っている。沖縄に戻って半年ほどして関東大震災があり、一緒に働いていた女工の多くが犠牲になったと話していたので、大正十一年から十二年にかけてのことだろう。
震災後の混乱 . . . 本文を読む
3月も半ばを過ぎ、沖縄は昼の日差しが暑いくらいだ。実家の桜の実も色づいている。
ビワの実も黄色くなり、もうすぐ食べ頃だ。
黒木の新緑も美しい。
リュウキュウセッコクの清楚な花が、春風に揺れている。
大江健三郎氏が亡くなった。
大江・岩波沖縄戦裁判では、毎回、大阪地裁まで傍聴に行った。
法廷で相手方の徳永弁護士の質問に、最初は緊張した様子だったが、終盤は余裕 . . . 本文を読む
その行き着く先を最後に上げる。
沖縄は来年「祖国復帰」二十周年を迎える。その記念行事として行われる全国植樹祭の会場誘致をめぐって、名護市を中心とした北部地域と糸満市を中心とした南部地域の間で激しい確執があった。中心となって動いたのは市町村の首長や商工会議所のリーダー、つまり政治屋と地域資本家で、住民の大多数は無関心だったのだが、そこで持ち出された論理が「植樹祭を地域活性化の起爆剤へ」である。 . . . 本文を読む
農、漁村から都市への人口の流出とそれに伴う共同体の崩壊という現象は、本土においては戦後復興から高度経済成長にかけて五十年代から六十年代に大規模に進行した事態であろう。戦後二十七年間にわたるアメリカの施政権下で高度成長から取り残された沖縄では、一九七二年の「祖国復帰」を境にそれが一挙に進む。
本土資本の流入とドル・ショック、石油ショックによる経済混乱の中で、七五年の国際海洋博覧会の開催にむけて . . . 本文を読む
このような状況は沖縄の各地の部落(しま)においてみられることだ。祭祀を司る神人(かみんちゅ)の高齢化が進む一方で後継者を立てることができず、区長や公民館の書記を中心に老人達の助言を受けながら規模を縮小したり、形式を省略したりしてどうにか折々の行事を執り行っていく。あるいはそれもできずに中止となり、やがて廃れていく。
その原因を一々あげる必要もあるまい。部落の祭祀は部落を立て、自然の営みを司る . . . 本文を読む
以下に載せる文章は、「幻視なき共同体の行方」と題して、『現代詩手帳』の1991年10月号に掲載されたものです。32年前の沖縄の状況について書いたもので、そのあと書いた小説の根底にある認識でもある。
サージャーウェーは沖縄本島北部にある今帰仁村の古宇利(こうり)島と天底(あめそこ)部落で行われる神行事である。一昨年の夏、地元の教育委員会の臨時職員をしていて、行事の調査に参加する . . . 本文を読む
3月4日(土)はキャンプ・シュワブゲート前で開かれた県民大行動に参加した。
毎月、第1土曜日の午前11時から開かれているが、3月に入って日差しも暑いくらいで、580人余の市民が集まった。
石垣島の自衛隊基地にミサイル発射機を含む約200台の車両が搬入され、琉球列島全体が対中国の軍事要塞と化していることに強い危機感が語られた。抗議のため今日は石垣島に向かった市民もいる、との . . . 本文を読む