6月30日(水)は午後12時36分頃と1時8分頃、豊原の高台から辺野古側埋め立て工区の様子を見た。
名護市は前日未明、線状降水帯の警戒情報が出され、断続的に豪雨と雷に見舞われた。今日も時折雨が降るなか、K8・K9護岸では土砂の陸揚げが行われ、②工区の3地点に投入されていた。
午後1時12分頃、ガット船2隻(聖嶺、栄雄丸)が大浦湾から出ていった。入れ替わりに入るガット船 . . . 本文を読む
「提言」では米海兵隊の新しい戦略「遠征前方基地作戦」(以下EABO)に焦点が当てられている。『豊かな選択肢』で野添氏は、EABOについて次のように語っている。
〈そこでは、集中した固定的な基地は中国のミサイルにねらわれやすいので、それを避けるために何としかしなければいけないというのが、非常に大きな問題意識となっています。EABOは、固定的な基地に依存することなく、小規模で分散された舞台で重要な位 . . . 本文を読む
沖縄で発行されている評論雑誌『越境広場』の7号から、「地を這う声のために」という時評を連載させてもらっている。その第2回が載った『越境広場』8号が発行から半年ほどたったので、編集・発行人の許可を得て、以下に転載したい。なお、第2回は昨年10月に執筆したものである。
二〇二〇年九月一五日に、かもがわ出版から『辺野古に替わる豊かな選択肢』(以下『豊かな選択肢』)が発行された。 . . . 本文を読む
26日(土)は午後3時46分頃、豊原の高台から辺野古側埋め立て工区の様子を見た。K8護岸にはランプウェイ台船が接岸し、土砂を陸揚げするダンプカーが行き来していた。
K9護岸から運ばれてきたものを含め、②工区の3地点に土砂が投入されていた。
②工区の辺野古崎側では、K4護岸近くでショベルカーが土砂をすくい上げ、L字型擁壁の台座部分まで嵩上げしていた。
午後4 . . . 本文を読む
24日(木)は午前、午後と名護市議会の傍聴に行った。
合間の昼休みには名護市役所の中庭で、ヘリ基地反対協議会と島ぐるみ会議名護の主催による集会に参加した。小雨が降るなか、主催者によれば90人ほどの参加があったとのこと。
名護市議会は一般質問の最終日で、午前中に川野純治議員、午後に大城敬人議員の一般質問を傍聴した。
美謝川の切り替え問題で、名護市の渡具知武豊市長は沖縄防 . . . 本文を読む
23日(水)は沖縄戦慰霊の日だった。午前中、スーパーで酒やお茶、お菓子、板御香などを買って、本部町の八重岳に行った。山頂近くに「三中学徒之碑」と国頭支隊本部壕・野戦病院跡があり、酒やお菓子などを備えて御香を上げ、手を合わせた。
朝方の雨が止んで、しだいに青空が広がり始めた。セミと鳥の声が広がる樹陰をコノハチョウが何匹も舞っていた。チョウが舞う姿は人の魂が舞うのと同じ、という祖 . . . 本文を読む
22日(火)は午前中2時間ほど、本部港塩川地区に行き土砂積み込みに抗議した。
途中、午前9時25分頃、名護市安和の琉球セメント桟橋によると、ガット船・聖嶺が接岸し、土砂を積み込んでいた。
午前9時32分頃、本部港塩川地区に行くと南側岸壁にランプウェイ台船2隻(呉屋5号・東栄三号)、北側岸壁に1隻(呉屋7号)が接岸し、ダンプカーが乗り込んで土砂を積み込んでいた。
ベ . . . 本文を読む
21日(月)は午前7時4分頃、瀬嵩の海岸から大浦湾の様子を見た。K9・K8護岸ともにランプウェイ台船が接岸し、土砂の陸揚げが始まっていた。
両護岸ともに前日の続きなのか、3隻のランプウェイ台船に載っている土砂の量はどれも少なかった。
この日は天候不良で、カヌーで海に出ることはできず、抗議船・平和丸を出して海上から作業を監視した。
午前8時24分頃、ガット船1隻(m . . . 本文を読む
数日前、マーハーを見に行った。子どもの頃、よくトーィユーやタナガーを捕って遊んだ泉で、当時、まわりは田んぼだった。マーハーから湧き出す水を用水路に引いて稲を作り、下流の方は蒲が茂る湿地帯となっていた。
1970年代になると水田はしだいに廃れていった。沖縄国際海洋博覧会に向けて新しい道路が造られると、マーハー周辺の開発が進み、今では住宅街となって以前の面影はない。
マーハーは今でも . . . 本文を読む
私が琉球大学に入ったのは1979年4月で、在学中に琉大が首里キャンパスから西原キャンパスに移転したので、両方のキャンパスを経験することができた。
一時期だが男子寮でも暮らし、今は県立芸大がある首里の男子寮の最後の寮生となり、新しくできた西原の男子寮の最初の寮生となった。これはとても幸運だったと思っている。
首里のキャンパスや寮の壁には、学生運動が盛んだったころの落書きやポスターが残ってい . . . 本文を読む
18日(金)は夕方から、名護市安和の琉球セメント桟橋に行き、短時間だが、出入り口で土砂積み込みに抗議した。
午後5時34分頃、桟橋にはガット船・清明が接岸していた。喫水線から見て土砂積み込みを始めたばかりのようだった。
安和の琉球セメント桟橋では、午後8時頃までの残業が普通になっている。新型コロナウイルスによる活動自粛に加えて、午後5時を回るとさすがに市民の数も少なくなる . . . 本文を読む
17日(木)はカヌー6艇と抗議船2隻(平和丸・不屈)で海上行動を行った。沖縄はハーリー鐘が鳴ったら梅雨が明ける、と言われているのだが、今年は旧暦5月4日(ユッカヌヒー)を過ぎても雨空が続いている。
朝、松田ぬ浜を出発して間もなく雨が降り出し、1時間ほどテント2で待機してから再出発した。
午前9時40分頃、K8護岸の近くまで来ると、接岸しているランプウェイ台船に乗った土砂はわず . . . 本文を読む
16日(水)は所用があったので、夕方から辺野古へ行き、埋め立て工事が何時まで行われているかを確認した。
午後5時15分頃、瀬嵩の海岸から大浦湾の様子を見ると、K9護岸にはランプウェイ台船が2隻、K8護岸には1隻が接岸して土砂の陸揚げを行っていた。K8護岸の台船(明神3号)は、作業が終わりかけていた。
ガット船は第八そうほう丸、第八高砂丸、國喜18、清明の4隻が停泊していた。土 . . . 本文を読む
15日(火)は午前7時13分頃、瀬嵩の海岸から大浦湾の様子を見た。K9護岸には2隻、K8護岸には1隻のランプウェイ台船が接岸し、土砂の陸揚げが始まっていた。
辺野古弾薬庫近くの歩道から見ると、ガット船・栄雄丸によるランプウェイ台船への土砂の積み替え作業も行われていた。
この日は朝から雨で、海上行動は中止となったので、1時間ほどテント2周辺の草刈りをしてから、ゲート前に向かった . . . 本文を読む
14日(月)は旧暦5月5日(グンガチグニチ)で、父方の祖父の出身である旧岸本(キシムトゥ)の人たちが使っていたヤナジガーで、ハーウガミ(泉拝み)を行った。
昨日、今日と雨が降り、草刈り作業が大変だったが、どうにか今年も行うことができた。私が子どもの頃は大勢の人が集まったというが、今年は私一人で草刈りをし、酒や花米などの供え物をして、火をつけない線香を置いて手を合わせた。
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