海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

埴谷島尾記念文学資料館

2011-06-17 20:21:50 | 生活・文化

 3月11日の午後3時少し前にラジオをつけると、東北地方で大きな地震があった、というニュースが流れていた。まだ、津波が襲来する前で、事態の大きさがよくつかめないまま聴いていると、相馬という地名が耳に入った。すぐに思い浮かんだのが埴谷雄高と島尾敏雄のことだった。数年前に福島を旅した折、埴谷島尾記念文学資料館を訪ねようと思ったのだが、宿を取った郡山市からは電車やバスでは簡単に行けないと知って、次の機会にしようと諦めた。いつかぜひ訪ねようと思っていたが、福島第一原発の事故が起こり、同資料館のある南相馬市小高区も20キロ圏内に入ってしまった。
 同資料館の現状が気になっていたところ、『自然と人間』6月号を読んでいると、南相馬市在住の詩人・若松丈太郎氏のインタビューがあり、その中で同資料館のことが語られていた。

〈埴谷雄高と島尾敏雄は、小高区(旧小高町)が本籍地ですが、このふたりについて地元でも知らない人が多かったのです。私は高校の国語教師をしていたので、地元の人たちに知ってもらおうと、ふたりのことを調べては書いていました。そんな縁で小高町から相談を受け、ふたりを記念する「埴谷島尾記念文学資料館」をつくるお手伝いをしました。
 そのことを理由に検問を通してもらい、20キロ圏内にある資料館を見に行きました。幸いなことに建物の内部はそれほどの被害はなかったのですが、そのまま放ってはおけないと思っています。
 埴谷さんの蔵書は、亡くなられた後にほとんどをいただいています。埴谷さんが読んだ本に書き込みが入ったものもたくさんあります。研究者にとってはたいへん価値のある資料です。それがそのままの状態で放置されていますから、なんとかしたいと私は思っているのです〉(5ページ)。

 東北・関東地方を襲った地震と津波では、人命とともに多くの文化財、歴史資料なども失われた。同資料館の資料に被害が少なかったのは、不幸中の幸いだった。ただ、福島第一原発の事故によって、そこに行くのは特別な理由が無い限り不可能な状況になってしまった。資料を一時的に別な場所に保管するのも、容易なことではないだろう。
 まずは原発事故に収束のめどがつくのを待つしかないのかもしれないが、現状は極めて厳しい。小高区の人々が家に戻れ、同資料館が再開される日はいつになるか。その時はぜひ小高区を訪ね、二人の稀有な書き手の資料を目にしたいと思っているのだが。

 今の若い世代は埴谷のことを知らない人も多いと思うが、1995年1月にNHKのETV8で放映された『埴谷雄高・独白「死霊」の世界』がユーチューブ見られるので、紹介しておきたい。

http://www.youtube.com/watch?v=dI-GpfSqq2E&NR=1

 

 

 

 


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3 コメント

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Unknown (姥桜のかぐや姫)
2011-06-19 07:59:04
埴谷雄高の活字を見ましてドッキとしました。

彼の作品は当方にとり難しいですがでもとても
好きな作家です。
島尾さんも然り、一日も早い復興を祈ってやみません
埴谷・島尾記念館 (黄英治)
2011-06-22 17:35:12
若松さんは、おそらく震災後初めての文学者による書下ろしを含む著書『福島原発難民―南相馬市・一詩人の警告』(コールサック社)を上梓されています。この本のなかに、埴谷さんや島尾さんのパネルが折り重なっている記念館の写真があります。

私も、記念館を訪ねようと思い続けていたひとりとして、復旧を心から願っています。
島尾敏雄の実家 (かあ)
2011-06-23 10:05:50
ミホさんも亡くなって、長男の方がひとり父の故郷をたずねる文章を読んだことがあります。

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