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海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

『三中学徒隊』より

2008-04-28 23:42:04 | 日本軍の住民虐殺
 宮里松正『三中学徒隊』(三中学徒之会)より、宇土部隊の敗残兵が行った住民虐殺について、宮里氏が触れている部分を紹介したい。具体的な事例は挙げていないが、当時の状況と宮里氏の見解が記されている。
 宮里氏は1927(昭和2)年に本部町山川に生まれた。1942(昭和17)年に県立第三中学(現名護高校)に入学し、三中学徒隊として沖縄戦に参加している。のちに弁護士となり、沖縄の施政権返還を前後して、琉球政府行政主席や沖縄県副知事を務めている。当時の屋良朝苗主席・知事を支え、「復帰運動」を進めた革新側のリーダーの一人だった。そのあと革新から保守に鞍替えして、衆議院議員を三期務めている。
 米軍の攻撃に追われて本部半島の八重岳から多野岳に移ったあとの宇土部隊について、宮里氏は以下のように書いている。

 〈宇土支隊長と彼の率いる支隊主力の各隊は、多野岳でも結局戦闘らしい戦闘をせず、そのまま大宜味や国頭の山奥に逃避してしまった。それ以来彼らは、これらの山中に籠もってアメリカ軍との接触を回避し、やがて戦意を失った完全な敗残兵になりさがっていった。
 もう局面は、どう見ても回復することが不可能であり、無理に抵抗を続けてみても、それだけ無駄な犠牲を重ねるだけであった。だから、宇土支隊長らがアメリカ軍との接触を避けて山奥に逃げ込んでしまったというだけなら、まだ彼らに対する評価の仕方もあった。
 しかし、彼らはそうではなかった。彼らは、アメリカ軍に対しては、完全に戦意を失った敗残兵であった。だが、付近一帯の避難民たちに対しては、依然として聖戦遂行の任務を帯びた、大日本帝国の皇軍として振舞った。そして、これら無抵抗の避難民たちを、やたらと侮蔑し、あるいはこれをいわれなく敵視した。 
 彼らは、これらの避難民たちに対して、当然の如く食糧などの提供を求めた。避難民たちも、最初のうちは、素直にこれに応じた。身の危険を顧みず、アメリカ軍の占領下にあるから味噲、醤油、塩、黒糖、芋、その他の食料を取ってきて、これを山中の彼らに提供する者もいた。だが、やがて避難民たちの食料も乏しくなり、いつまでも山中の敗残兵たちに、これを提供するわけにはいかなくなってきた。避難民たちは、次第に食料の提供を渋るようになった。
 しかし、山中の敗残兵たちは、これを許さなかった。彼らは、やがて白昼堂々と避難民たちの食料を持ち去るようになった。中には、避難民たちに銃口を突きつけ、非国民呼ばわりに罵倒しながら、避難民たちの最後の食糧まで、奪っていく者もいた。
 食糧を奪って行くだけならまだよかった。ときには、スパイ容疑の口実を設けて、老若男女を問わずに、避難民たちを殺害することもあった。そのために、敗残兵たちの行動範囲にいる避難民たちは、昼間はアメリカ軍の掃蕩作戦に追われ、夜はこれらの敗残兵たちに生命を脅かされて、それこそどこにも身のおきどころがなかった。
 敗残兵たちがスパイ容疑の口実で暗殺対象に選んだ者は、それぞれの地域で、何らかの形で指導者と目されている人たちか、あるいは英語の達者な人たちであった。彼らは、アメリカ軍に占領されたら、直ちにその占領政策に協力させられる、と思われたのである。そして、沖縄戦の末期に、北部では、かなりの数の人びとが、スパイ容疑で敗残兵たちに殺害された。
 これは、勿論、沖縄戦の末期に、戦いに敗れて規律と理性を失った軍隊(敗残兵たち)が、一種の狂気にかられて犯した罪である。しかし、殺された本人並びに遺族の心情を思えば、これをそのような形で、簡単に片付けることはできない。沖縄戦、特に北部戦線を語るとき、私たちは、そのことを忘れることができない〉(297~300ページ)

 宮里氏は皇軍=天皇の軍隊の行為を〈戦いに敗れて規律と理性を失った軍隊(敗残兵たち)〉が〈一種の狂気にかられて犯した罪〉と捉えている。確かにそのような側面もある。しかし、同時に見落としてならないのは、皇軍の「伝統」としてあった兵站軽視=現地調達にまかせる発想と、軍人としての悪しきエリート意識=民間人蔑視、沖縄人への差別意識である。皇軍兵士たちは中国戦線でやったことを、沖縄でもくり返していたのである。それは〈一種の狂気〉というよりも、皇軍が本来持っていた体質が、敗残兵となったときにより露骨に表れたといった方がいい。彼らの住民に対する横暴さは、米軍との戦闘が始まる前から現れていた。それが敗残兵となって部隊の指揮統率が失われたとき、歯止めが利かなくなってしまったのである。
 宮里氏が指摘するように、昼は米軍に怯え、夜は皇軍に怯えながら、沖縄の住民はヤンバルの森に身を潜め、逃げまどっていたのである。

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