海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

富山丸遭難事件

2010-06-29 17:25:42 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 今から66年前の1944年6月29日午前7時20分頃、徳之島東方海上を沖縄に向かって航行していた富山丸が米潜水艦の攻撃を受けて沈没した。乗船していた4千数百名の将兵のうち3700名を超す死者が出て、一隻の犠牲者としては世界の海難史上でも最大級の惨事となった。  本ブログの2009年10月10日「十・十空襲の証言」で紹介したK氏は、この富山丸遭難事件の生存者でもある。操舵室で対潜監視にあたっていて . . . 本文を読む

「佐藤優のウチナー評論を読む」 2

2010-06-27 15:56:20 | 米軍・自衛隊・基地問題
 さらに佐藤氏は沖縄の〈革新〉による〈保守〉への厳しい姿勢が、〈結果としてそれが東京の政治エリートに事実上の白紙委任状を与え、「平成の琉球処分」の環境整備をしてしまう〉とまで書いている。辺野古への「県内移設」を強行しようとしている東京の〈政治エリート〉の問題は棚に上げて、まるで問題は沖縄の〈革新〉側にあるかのような書きぶりだ。佐藤氏の評論を読むと、仲井真知事を批判するのも利敵行為であるかのようだが . . . 本文を読む
コメント (1)

「佐藤優のウチナー評論」を読む 1

2010-06-27 15:54:53 | 米軍・自衛隊・基地問題
 琉球新報で毎週土曜日に連載されている〈佐藤優のウチナー評論〉で、佐藤氏が〈平成の琉球処分その4〉(2009年6月19日付)、〈平成の琉球処分その5〉(同6月26日付)と題して、沖縄の〈革新〉と〈保守〉への提言を行っている。一見、双方を対等に扱い中立の立場から提言しているかのように見せかけているが、内容はといえば〈革新〉を批判する一方で〈保守〉を礼賛し、〈目に見えない沖縄党を強化しよう〉という美名 . . . 本文を読む

日露戦争写真展

2010-06-26 05:20:13 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 25日は午後から本部町立博物館に行き、特別展「日露戦争写真展」を見てきた。本部町出身で山梨学院大学名誉教授の我部政男氏が、アメリカや中国、ロシアの公文書館から収集した写真168点を本部町に寄贈したことから企画された展示会ということで、日露戦争の戦場や日本軍の様子、現地住民の生活などを写した貴重な写真をはじめ、本部町から出征し、戦死した兵士の資料や、厭戦気分の高まりの中で生じた徴兵忌避の状況、「本 . . . 本文を読む

少年護郷隊之碑と和魂の碑

2010-06-24 18:37:36 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 南東慰霊之碑慰霊祭のあとに少年護郷隊之碑に向かった。午後3時から慰霊祭が行われたのだが遅れてしまい、着いたときにはすでに終わっていた。僧侶の稲福氏があとから来る人のために残っていて、ほかに数名の参加者が碑文を読んだり、メディアの取材を受けていた。  沖縄戦当時10代だった護郷隊之隊員たちも80歳を越している。元隊員の一人は去り際に、身体が動く限り必ず来て慰霊祭を続ける、と言い残した . . . 本文を読む

南燈慰霊之塔慰霊祭 3

2010-06-24 17:02:25 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 遺族ほかの献花の後、名護高校吹奏楽部の伴奏で、三中校歌、三高女校歌、名護高校校歌の斉唱が行われた。  祭主の南燈同窓会・玉城勲会長に続いて、遺族、同窓会員、職員・実習生、生徒の順で焼香した。生徒たちは菊の花の献花を行った。  閉式の辞を南燈同窓会副会長の並里早智子氏が述べ、慰霊祭を終了した。  ご遺族の皆さま、同窓会の皆さま、当時の職員の方々、そして、名 . . . 本文を読む

南燈慰霊之碑慰霊祭 2

2010-06-24 16:50:56 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 続けて名護高等学校の高安美智子校長が追悼の辞を述べた。  追悼の言葉。  6月中の梅雨は沖縄県民の思いを表しているかのように激しい雨となり、蒸し暑い日が続いていました。慰霊の日を前にその梅雨があけましたら、今日はどんよりとした小雨が続いています。本日ここに終戦65年目の慰霊の日を迎え、県立第三中学校、並びに県立第三高等女学校の在学生、卒業生の戦没者375名の御霊に対し、名護高等学校を代表して謹 . . . 本文を読む

南燈慰霊之碑慰霊祭 1

2010-06-24 16:39:16 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 23日は本部から今帰仁に寄って名護に戻り、午後2時から行われた南燈慰霊之塔慰霊祭にも参加した。  南燈慰霊之塔は県立名護高校の敷地内にある。校門から入ると正面に、前に紹介した沖縄県立第三中学校校歌の歌碑と並んで県立第三高等女学校校歌の歌碑がある。  慰霊祭は遺族、三中・三高女の同窓生、名護高校の生徒・職員・教育実習生の参加の下に開催された。  発言者の全員が、沖縄戦を振り返り、戦 . . . 本文を読む

三中学徒之碑慰霊祭

2010-06-24 00:34:01 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 三中学徒之碑は本部町の八重岳に登る道路脇にある。道沿いはヒカンザクラが植えられていて、1月には日本一早い桜祭りが開かれて観光客でにぎわう。  向かって右側に説明版があり、左側には戦死した学徒の氏名を刻んだ石版の上に、観音菩薩のレリーフがはめ込まれている。  午前10時過ぎに名護を出たときには薄曇りだったのだが、伊豆味に入ったところから雨が降り出し、八重岳に向かう山道で土砂降りにな . . . 本文を読む

名護市屋我地の平和祈願祭

2010-06-23 02:28:21 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 6月22日の午後2時から屋我地島饒平名にある慰霊の塔で、屋我地地区平和祈願祭が行われた。  私の母は沖縄戦当時屋我地島で生活していた。生まれは今帰仁村の玉城なのだが、1936年頃に祖父が家屋敷を売って屋我地島にわたり、1950年代初め頃まで我部の前垣で暮らしていた。沖縄戦の2年前に祖父が病死し、祖母は女手一つで3名の子供つれて戦火をくぐっている。戦争中の母の体験の一部は、『沖縄「戦後」ゼロ年』( . . . 本文を読む
コメント (1)

「沖縄戦『強制連行犠牲者』遺族による証言の集い」

2010-06-22 00:23:59 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 6月19日(土)の午後6時から読谷村文化センターで「沖縄戦『強制連行犠牲者』遺族による証言の集い」が開かれたので聴きに行った。主催はNPO法人沖縄恨(ハン)之碑の会。韓国から来沖した権水清(グォン・スチョン)氏が、父親が日本軍に徴用されて沖縄戦の犠牲となったことや、9歳で母親も亡くして親戚に引き取られ、畑仕事などに追われ学校に行けなかったこと。成人してからは主に工場や建設現場で働いてきたが、19 . . . 本文を読む

緊急シンポジウムー名護・徳之島から5.28日米共同声明を問うー

2010-06-21 02:16:27 | 米軍・自衛隊・基地問題
 6月20日(日)午後1時から名護市民会館中ホールで「緊急シンポジウムー名護・沖縄から5.28日米共同声明を問うー」が開かれた。主催は沖縄の「基地と行政」を考える大学人の会で、名護市、徳之島伊仙町、天城町が共催し、300人ほどの参加があった。5時までの予定を40分オーバーして数多くの発言が行われたが、そのごく一部を紹介したい。  第1部では、宮城実篤嘉手納町長が「歴史の転換点に立ってー今、嘉 . . . 本文を読む

名護市議会傍聴/普天間基地の辺野古移設問題について

2010-06-18 06:17:24 | 米軍・自衛隊・基地問題
 6月15日から名護市議会定例会の一般質問が始まっている。17日(木)の午後に行われた仲村善幸議員の一般質問から、「1普天間基地の辺野古移設問題について」より、以下の(1)~(7)の質問項目に対する稲嶺進市長の答弁を紹介したい。 (1)菅新内閣が普天間基地の辺野古移設を明記した「日米共同声明」を踏襲する意向を示したことに対する市長の見解を求めます。 (2)辺野古移設に対する市民の意味は何か見解を . . . 本文を読む

50年目の6・15

2010-06-16 23:57:55 | 米軍・自衛隊・基地問題
 6月15日は60年安保闘争のさなかに全学連の学生が国会に突入し、樺美智子さんが亡くなってから50年の節目の日であった。かつて6・15は反安保の象徴的な日であり、全国各地で集会やデモが行われていた。沖縄では基地問題がくり返し焦点となるため、米軍基地の法的根拠である日米安保条約の問題は今も問われ続けている。しかし、全国的にはほとんど関心を持たれないまま、50年目の6・15を迎えたのが現実だろう。   . . . 本文を読む

ワシワシーの羽化

2010-06-13 18:39:59 | 生活・文化
 今日の名護は薄曇りの空にところどころ青空が見えていて、街や海、山にかかった靄が陽光を柔らかくしている。明後日は旧暦の5月4日(ユッカヌヒー)だ。ハーリー鐘が鳴り、梅雨ももうすぐ明けるだろう。  今年はまだワシワシー(リュウキュウクマゼミ)の鳴き声を聞いていないのだが、昨日、実家で作業をしていたら、庭のサルスベリの木でワシワシーが羽化しているところを見つけた。オスだったので今頃は今帰仁のどこ . . . 本文を読む
コメント (2)