俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

待つ勇気

2006-09-25 03:39:01 | ATOP
 3と6と9とiモードボタンが動かなーい♪とっても大事にしてたのに~♪壊れて反応しないボタンがある♪どーしよ!どーしよ!…ということで機種変しました。5年間使ったSO504iともおさらばです。ようやくカメラ付き携帯になりました。最近の携帯のカメラの凄いところはAF。むだに高機能(汗。あ、挨拶遅れました、こんばんはATOPです。気のせいか、右ほほがすごく痛いです。

 別に更新さぼってるわけじゃないです。変に忙しかったり、疲れていたりするので更新できないだけです。やりたいことあるのにやることを誰も許してくれません。黙っていたいのに、黙らせてくれません。自由でいたいのに自由にさせてくれません。そんな私は人気者(何。
 いやまぁそれは冗談ですけど、実際に何をするにも順調にいかない。なぜか想定外なことが起きる。それに対応できない自分が悪いんですけど、正直勘弁して欲しい。簡単な話、自分の面倒は自分でみやがれってことです。でもまぁ世の中そんなことができるのはほんの一握りなんだろうなぁ…なんて思います。結局、誰かに頼り、誰かに縋る(すがる)ことでどうにか過ごして、傷の舐めあいです。
 うーん、まぁなんていうんですかね、私も私で自由であり続けたいとは思いますが、いつも状況はそうさせてくれません。この発想って偉そうに思われるのかな?
 私の言う「私の自由」って説明したことはないので意味分からないと思いますが、要するに普通に戻りたいんです。正直、これまで特別な立場だったし(もちろん継続中ではありますが)、その立場を考えればいつも周囲の状況を把握してまとめたりだとか指示を出したりとかしなければならなかったと思います。でも今状況が少し変わり、ほんの少しの自由(ある意味ではゆとり)を得た私は、私自身のことに専念してもいーんじゃないかなって思うわけです。そうすることが自分のためでもあると思うし、周りのためになると思うから。
 これまである種の使命感的なものもあって言わざるを得ないとか、やらざるを得ないってことがあって周囲を待てませんでした。言い訳ではありませんが、状況とは刻々と変化しているにもかかわらず、対応が遅くなり状況が悪化するぐらいなら強制的に有無を言わさずやらせたり、一方的な方向に持って行った方が簡単だったし、ある程度の結果のめどは立ちました。正直、周りなんて待ってる余裕なんてどこにもなかった。もちろん、時期によっては最大待てる時間まで待とうとしましたが、割とその行為を存分に無と化してくれました(汗。でも今この状況において、私は待てる状況にいます。だから待つんです。黙るんです。それが結果的には自分のためでもありますし、周りのためになると思うから。それ自体が副務を希望しなかった理由だと改めて思います。面接でも言ったとおり「周りが可哀想だから」でもありますし、今思うのは「自分が可哀想」に思えたんじゃないですかね。
 そうして自由を満喫しようと思っていますが、でも正直それは無理なんですよね。自由を満喫できるほど状況は良くないと言うことを感覚的に分かるから。実際のところ自分自身のできることが他人のできることに一致してこないことが問題(私が優れているとかってことが言いたいわけではない)。良く他人に言われます。「お前ができることが誰にでもできると思うな」って。その言葉自体の意味は考えるだけ無駄なので考えませんが、そう言われてしまうとこちらからは何も言うことができなくなる。要はできるようになってくれるまで待つしかないじゃないですか。しかし、時間は有限であり物事には締め切りがつきものであるため、最終的に発言せざるを得なくなる…これが一番つらいことではあります。そして具体的に助言なりアクションを起こせば「わかってるならさっさと言えよ」と言われ、なぜか怒られる(汗。待ったら待ったで怒られ、せかしたらせかしたで怒られる…最悪です。でもそれは当然のことで、待つということもせかすことも共に忍耐であるから。そういう決意や勇気がなければ待つこともせかすこともできない。人に干渉すると言うことはそういうことなのかもしれない。
 私は1つ信じているものがあって、反省しない人間は成長しないということ。言い換えれば失敗から成功を導けないやつはクズだということ。私自身頭良い人間なんて思わないし、私より頭いい人なんてごまんといる。だからいつも反省するし、次への対策を考え、必ず成功へ導くことを自分自身に約束する。もとからセンスが良いわけでもない、頭が良いわけでもない、オールマイティーでもない。それがわかっていたから…むしろそう考えることを忘れないでいたから今の自分がいるし、今後ももっと変わっていけるんじゃないかと思える。それが自信に繋がる。だから最終的には誰にも負けたくはないし、最後には勝つことを前提にことを始める。それらをひっくるめて「自分自身に向き合う」と私は考えます。
 だから言い訳なんて通用しないし、ごまかしなんて通用しない。とことんやるなら・勝つことを前提にするなら、物事をごまかしてはいけない。例えば、チームが負けたのはチームワークが足りなかっただからという風にごまかしては、次に勝てない。負けた原因は必ずどこかにある。負けた原因をチームワークと言って片づけてしまうことだけは私にはできない。しかし、結果的に全体を見回して、客観的に見て「チームワークの欠如」と呼べる側面はある。ただそれは木を見て森を見ずではなく、森を見て木を見ていない。それでは正直勝てないのではないか、私はそう思います。だって原因と向き合うことをめんどくさがって・恐がってしないことには全く成長しない。
 さらに言えば、チーム全員がチームの直接的な原因と向き合えたときにチームワークが生まれるんじゃないだろうか。正直チームワークなんて本当に存在するのか分からないが、それを生むために集団を形成しているわけではない。集団を円滑に回転させるためにチームワークが必要で、割と二次的要素ではある。攻殻機動隊のアラマキが言ってますが、「我々の間にはチームプレイなどという都合のいい言い訳は存在しない。あるとすれば、スタンドプレーから生じるチームワークだけだ」。そうチームとは割とそういう傾向がある。同じ目標を持った人が集まった集団で、何も全員が同じ事をしなければならないわけではない。ただその目標達成のためにチームに属する個人が「何ができるか」が肝心。それを実行し、個人と個人が繋がっていくことで「チームワーク」と呼ばれるものが生まれる。だからチームワークを失敗の理由に出すのは、都合の言い訳なのではないかと私も思う。しかし、チームワークとは成功の最大の理由にはなりうるのは言うまでもないが、ここで肝心なのはその集団に属する個人個人が同じ目標を持っていることです。同じ目標をもっていなければ当然繋がっていくこともないだろうし、チームワークが生まれる土壌になり得ない。当然、部活動においても「チームワーク」は都合の良い言い訳にはなるし、結果的にチームワークがないということは目標の達成もないということだ。だから組織構成員の目標の並列化は重要かつ最難関なことである。
 まずは目標の並列化、共有化。でなければ一緒に活動する意味なぞどこにもない。だから私は勇気を持って待つことに決めた。

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