俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

浅はかな自分

2006-09-20 03:03:05 | ATOP
 お久しぶりです。NANAの最新巻を買うお金すらないATOPです。最近家にも帰らず、ネットもテレビも新聞も読んでいなかったらすっかり世の中から取り残されています。でもまぁその方がある意味では救われていることなのかもしれない。

 とりあえず新聞できました。今回は1つも記事はなく、レイアウターでもなく、役職が紙面関係でもないため、なにもすることなく編集期間が終わりました。おそらく入部してから作った新聞で一番何もしなかった号です。ただ何もしなかったわりに『編集期間短いなぁ』とは思いました。
 新聞のことはまぁいいとして、部全体の話を少しします。以前ブログで部活動の本質は「自主性」という風に言いました。もちろん今も変わりません。ようするにやる気がなきゃやらなくていいのよ。めんどくさいならやらなくて構わないのよ。無理して我慢してやってるならいっそやらなければいいのにって最近思うことがある。なんでそこまでして部活やる意味がるんだろうかって単純に不思議に思う。好きだからする。嫌いだからしない。こんな単純なことなのに。ただいるだけなんて阿呆だと思う。
 そうした時に、好きだから部活やるってことは自分からやる(自主的行動)が当然存在するはず。自分から知ろうとしなければ何事も上達しない。それは運動部であろうと文化部だろうと変わらない。うちの部活で言えば記事がうまくなりたいなら新聞を読むとか記事を多く書くとか、良い写真撮りたいならカメラの使い方や機能を覚えるとか自ずとするはず…でも最近はそうでもないらしい。結局は部活というものがどういうポジションにあるかって言うのと関係しているのかもしれないけどね。
 正直な話、私に迷惑をかけるのは全然構わない。でも迷惑は引き受けるけど、やる気なき迷惑とか失敗とかは頭にくる。言われたこともできないとか、責任感を微塵も感じていないとか、約束を守れないとか、平気でやられると頭にくる。正直、人間としてどうかと思うことが多々ある。多分まだ先輩後輩、同期の関係だから口で注意する程度で収まっているけど、そうじゃなかったら確実に殴ってる…というより相手しないだろうと思う。なんか現実が見えていないというか、見ようとも気付こうともしない脳天気な判断能力が存在している気がする。可哀想なぐらいに自分自身の浅はかさに気付いていない。
 まぁここでこんな事書いていたってなんの解決にもなりませんが、最近はもう注意するのも馬鹿馬鹿しく思えるときがあります。何度も何度も同じ事で注意するなんて阿呆らしい。つまりは相手側にやる気がないのかもしれない。こっちばかりが必死になっていて向こうはテキトーに流しているのかもしれない。もしそうだったらまじめに時間とエネルギーの無駄だし、一生懸命やってる私が可哀想だし、一生懸命にやってる他の部員も可哀想だ。実際そうでないことを願うばかりだが、正直やる気がないのなら中途半端にいるよりかはいないで欲しい…。それは先輩後輩とか同期とかって問題ではなくて、部に関わる…というよりも組織に属するものにとっての問題だと思う。
 最近確実に思うことは、本当に江戸取に通えて良かったということ。なによりも人の話を聞く姿勢だとか、挨拶だとか、返事とか人として当たり前のことを教えてくれたから。本当に外出てみてそれに気付かされる。世の中多くの人が浅はかな自分自身に気付いていない。救われない。