これは…なんていうか、開き直りというか、言い訳なんですが。
私は教師としては破たんしているなぁと自分で思う4ヶ月でした。
この4ヶ月指導したクラスは、この2年間で一番苦労しました。
教師から見ればどんな学校でも入学してくる学生は選べません。
学生というか、学生の質ですかね。
どんなに質が低かろうと、どんなにやる気がなかろうと、その学生を向上させないといけません。
ある意味では「技術」を教えるのではなくて、「やる気にさせる」のが教師の役割なんだと思います。
もちろん、学校の種類にもよります。
自動車学校に、やる気にさせるかどうかを気にしている学生や保護者はいません。
もちろんやる気にさせる方が、効率的に学べるのでしょうが、まぁ学校の形態によりますね。
こと、語学学校においてはこの「やる気にさせる」ということが大切になります。
ましてや、初級、語学を始めたばかりの人間にとっては重要です。
みなさんにも覚えがあるとは思いますが、やり始めが面白くないと全く持って続きません。
なんでもそうですが、はじめを乗り越えれば自分の中に目的意識ややる気がふつふつとわいてきて、おのずと向上する意識が持てます。
教師として「やる気」を学習者に求めるのではなく、引き出す技術というのは語学学校の教師には求められていると思います。
それってすごく難しくて、とくに年配の男性教師はそれを苦手としていて、初級をしたがらないひとも多いように思います。
やっぱり自分で勉強して、自らやる気になって話してくれる学生を相手していた方が楽だし、楽しいですからね。
はっきり言って、幼稚園児か小学校低学年を相手する器の大きさをもって接しないと、学生のやる気はすぐ失われてしまいます。
まぁ、それはともかく、今回担当していたクラスは苦労しました。
やる気云々のまえに、勉強のやり方や、勉強する動機、目標がはっきりしていなさすぎました。
そして、それが30人以上もいました。
期間は4ヶ月。
そして、本人たちのやる気や質とは関係なく、クライアントからの条件は高い。
(私が教えている学校は特殊で、多企業から学生を預かっています)
私はすっかり困ってしまいました。
とりあえずは一カ月半指導して、様子を見たのち、決断しました。
学生に対して、本人たちのやる気や性格を考慮せず、クライアントからの条件に従って、学生に優先順位をつけました。
なんと表記したらいいのかわかりませんが、一律的な指導を放棄しました。
たとえるなら、アクション映画で特殊部隊の人間が救出対象者に優先順位をつけて、救出するように。
全員を救出しようとすると全員助からないという自分の推測のもとに。
現状、自分のスキルや持てる時間や、他の協力を仰いだとしてもできることに限りがあると感じたので、優先順位をつけました。
自分自身の中でもそれをやっては教師失格ではないかという葛藤もあったのですが、それ以上にクライアントの希望に応えられなければ次はない営業マン的な考えが捨てきれませんでした。
いま一番重要なのはクライアントの要望に応えることだと判断しました。
それができなければ、次のチャンスを失ってしまう。
次の学生たちの進路も断たれてしまうので、それだけは避けようと思い、実行しました。
結果として、クライアントの要望にできるだけ近づけることには成功したものの、クラスとしての輪を失い、順位の低かった学生は自信を失ったように思います。
そして、自分自身でも思いました。
こんな働き方は教師じゃないなって。
同僚のベトナム人教師からは冷ややかな視線もいただきました。
でも周囲の教師にも学生にもはっきり言いましたが、「ここは学校であって、学校ではない」って私はやはり思うのです。
みんながみんな幸せになって、卒業していくことができないことを分かって入学してくる、そして、指導することが分かっているんです。
そうじゃなくて、みんながみんな、将来を約束されているのであればあきらめはしなかったのでしょうが、
最初から将来を約束されている人間とそうでない人間が存在している、もしくは、それをかけて競争させている教育環境なのだから、
こういう選択もせざるを得ないのではないかと私は思うのです。
私たちに求められているのは「結果」なんだと、教師としての「結果」、学生としての「結果」が問われているんだと思います。
いくら努力しました、頑張りましたとクライアントに報告しても、条件を満たしてなければ商売は成立しないのだから。
この4ヶ月で教師としての信用は大いに下がったのではないかとなんとなく思います。
でも、それは自分のスキルのなさからくる結果なので、致し方ないことです。
勉強においてその教科が好きになるかどうかは、教師と学生の信頼関係なんですけどね…
最終的には、自分のスキルのなさを商売や取引のせいにして、学生を信じなかっただけなのでしょうね。
私は教師としては破たんしているなぁと自分で思う4ヶ月でした。
この4ヶ月指導したクラスは、この2年間で一番苦労しました。
教師から見ればどんな学校でも入学してくる学生は選べません。
学生というか、学生の質ですかね。
どんなに質が低かろうと、どんなにやる気がなかろうと、その学生を向上させないといけません。
ある意味では「技術」を教えるのではなくて、「やる気にさせる」のが教師の役割なんだと思います。
もちろん、学校の種類にもよります。
自動車学校に、やる気にさせるかどうかを気にしている学生や保護者はいません。
もちろんやる気にさせる方が、効率的に学べるのでしょうが、まぁ学校の形態によりますね。
こと、語学学校においてはこの「やる気にさせる」ということが大切になります。
ましてや、初級、語学を始めたばかりの人間にとっては重要です。
みなさんにも覚えがあるとは思いますが、やり始めが面白くないと全く持って続きません。
なんでもそうですが、はじめを乗り越えれば自分の中に目的意識ややる気がふつふつとわいてきて、おのずと向上する意識が持てます。
教師として「やる気」を学習者に求めるのではなく、引き出す技術というのは語学学校の教師には求められていると思います。
それってすごく難しくて、とくに年配の男性教師はそれを苦手としていて、初級をしたがらないひとも多いように思います。
やっぱり自分で勉強して、自らやる気になって話してくれる学生を相手していた方が楽だし、楽しいですからね。
はっきり言って、幼稚園児か小学校低学年を相手する器の大きさをもって接しないと、学生のやる気はすぐ失われてしまいます。
まぁ、それはともかく、今回担当していたクラスは苦労しました。
やる気云々のまえに、勉強のやり方や、勉強する動機、目標がはっきりしていなさすぎました。
そして、それが30人以上もいました。
期間は4ヶ月。
そして、本人たちのやる気や質とは関係なく、クライアントからの条件は高い。
(私が教えている学校は特殊で、多企業から学生を預かっています)
私はすっかり困ってしまいました。
とりあえずは一カ月半指導して、様子を見たのち、決断しました。
学生に対して、本人たちのやる気や性格を考慮せず、クライアントからの条件に従って、学生に優先順位をつけました。
なんと表記したらいいのかわかりませんが、一律的な指導を放棄しました。
たとえるなら、アクション映画で特殊部隊の人間が救出対象者に優先順位をつけて、救出するように。
全員を救出しようとすると全員助からないという自分の推測のもとに。
現状、自分のスキルや持てる時間や、他の協力を仰いだとしてもできることに限りがあると感じたので、優先順位をつけました。
自分自身の中でもそれをやっては教師失格ではないかという葛藤もあったのですが、それ以上にクライアントの希望に応えられなければ次はない営業マン的な考えが捨てきれませんでした。
いま一番重要なのはクライアントの要望に応えることだと判断しました。
それができなければ、次のチャンスを失ってしまう。
次の学生たちの進路も断たれてしまうので、それだけは避けようと思い、実行しました。
結果として、クライアントの要望にできるだけ近づけることには成功したものの、クラスとしての輪を失い、順位の低かった学生は自信を失ったように思います。
そして、自分自身でも思いました。
こんな働き方は教師じゃないなって。
同僚のベトナム人教師からは冷ややかな視線もいただきました。
でも周囲の教師にも学生にもはっきり言いましたが、「ここは学校であって、学校ではない」って私はやはり思うのです。
みんながみんな幸せになって、卒業していくことができないことを分かって入学してくる、そして、指導することが分かっているんです。
そうじゃなくて、みんながみんな、将来を約束されているのであればあきらめはしなかったのでしょうが、
最初から将来を約束されている人間とそうでない人間が存在している、もしくは、それをかけて競争させている教育環境なのだから、
こういう選択もせざるを得ないのではないかと私は思うのです。
私たちに求められているのは「結果」なんだと、教師としての「結果」、学生としての「結果」が問われているんだと思います。
いくら努力しました、頑張りましたとクライアントに報告しても、条件を満たしてなければ商売は成立しないのだから。
この4ヶ月で教師としての信用は大いに下がったのではないかとなんとなく思います。
でも、それは自分のスキルのなさからくる結果なので、致し方ないことです。
勉強においてその教科が好きになるかどうかは、教師と学生の信頼関係なんですけどね…
最終的には、自分のスキルのなさを商売や取引のせいにして、学生を信じなかっただけなのでしょうね。
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