俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

執着

2016-09-04 10:11:20 | 今日この頃
もう私は30歳ですから、今から改めてなにか新しいことに挑戦しようという気持ちはあまりありません。

そもそも、ここにいたるまでしたいことがあって、してきたわけじゃありませんし…。

私立の中学校行って、東京にある大学に通って、家電量販店で働いて、ベトナムにいる。

そこに深い考えや、意思や、あこがれがあったわけじゃありません。

なんとなく、そのとき思ったことを、できる範囲でこなしただけで、とても日経新聞で私の履歴書では紹介できない内容です(何。

こと、昔からそういうところは一途ではなくて、飽きっぽいというよりは、おそらく執着心がありません。

みんなが「あれが欲しい」「あれをしたい」と思ったり言ったりするなかで、私はそう言うのからガンガン逃げてきました。

その言い訳として、「内容は何でもいいから全力を尽くす」という言葉を用意して、今日にいたります。



さて、私の話はともかくとして、ここからは一般的な話。

私はもう30歳になったから周囲と自分を比べるということから徐々に解放されつつあります。

20代のころは誰しも思うわけです。

「スタートは一緒だったのに、周りの人間はどんどん前へ進んでいく」

「自分は何もできていない、なにも見つけられていない」

そんなことを思って、いじけたり、落ち込んだり、逃げ出したりしてしまうことはあります。

そうやって友情をだめにしてしまった人たちもいるかもしれません。

でも、きっと年を取れば多くの場合、解決します。

比べたところで別に自分が変われるわけじゃないって気づきます。

どんなに時間が経過しようと、自分は自分でしかないことに気づくし、幸か不幸かはわからないけど、「どうしようもなく自分は自分なんだ」ってなんとなくわかるようになる気がします。

それに、たとえいまは確かに周囲の人間の方がやりたいことを見つけて、結果を残しているかもしれませんが、そのあとはわかりません。

そもそも、周囲の人間と自分は別の存在ですので、なりたい形も違います。

具体的な結果、たとえば車を買うという目標が友達と同じだったとしても、同じ車種が欲しいのか?同じ色が欲しいのか?そういう違いはあります。

自分が欲しかったものを他人が持っているように感じますが、本当にそうかはわかりません。

そして、もし欲しかったものが他者と仮に同じだったとしても、できることは一つしかありません。

それが手に入るまで努力するしかないんです。

運にも左右されるかもしれませんが、でも本当に欲しいならどんなに苦労しても手に入る時まで続けるしかないです。

もちろん、あきらめることもいいと思います。

あきらめて、新しくほしいものを手に入れる準備を始めるのもいいかもしれません。

あきらめたものより、その新しいものが輝ているのならそうすればいいのだと思います。



でも、残念なことに、なにをするにも、すぐには上手にならない、結果には結びつかないんですよね。

言うのは簡単ですが、結果が出るまで真剣に取り組むしかないんですね。

それがなかなかもどかしいところです。

ただ、大切なのは全力を尽くすことなんでしょうね。

恥や失敗を恐れずに、臨むことだけなんでしょう。

死に物狂いで執着しないといけないんあろうなぁって、職場の20代の人間を見ていて最近思いました。


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