ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

カシマさん

2021-08-01 11:13:54 | 生活
 カシマさんとは、筆者が30代前半既婚日本式サラリーマンだった頃に出会った女のことである。当時の筆者の生活は荒れていた。能力以上の職務を、能力以上の役職に座る上司や、勢いだけは一流の元ヤン風部下にけしかけられながらこなす毎日のために精神的に病んでいっていた。結果、女房との関係も気づかぬうちに悪化していき、『帰るのも嫌だ、だが職場も嫌だ』という四面楚歌に陥り、毎夜近所の酒場に入り浸っていたのだ。とはいえニンゲンの感情などは便利にできているもので、そんな日々の辛さも今はいい思い出になりかけている。カシマさんとはそんなときに出会い、少しの間助けてもらった人である。そう、今回はお馴染み筆者の思い出回顧録シリーズだ。


カシマさんとの出来事の詳細は以下の通りだ。参考にしてもらいたい。


①門前中町の焼き鳥屋
カシマさんとの出会いを書けば身バレの可能性が少しだけあるので割愛する。とある夜にカシマさんと行くことになった門前中町の焼き鳥屋は、永代通りと平久川の交差するあたりにある隠れ家的っぽい居酒屋で、当時の筆者の感覚ではお洒落すぎず・場末すぎずちょうどよい店であった。 “あまり派手な店でも何だか意識しているようで恥ずかしい”という思いがあったのだろうと、あれから10年近く経った今でも当時の筆者の思いを見て取れるので、その面では筆者はほぼ成長していないと言える。とにかくその酒場では楽しく会話することができた。カウンター先の調理人も筆者のトークをサポートしてくれていたように思う。カシマさんは九州の女であった。『九州のどこでしょう?』という他愛のない質問にも筆者は本気で考えてズバリ当てたりと、なんだかよいムードだったのだ。



②焼き鳥屋を出る
二人は焼き鳥屋を出た。筆者は気分よく酔っぱらっていた。外はもう夜空で暗かったのだが、筆者はカシマさんの荷物を持って『せっかくだから富岡八幡宮にお参りしよう』とぐいぐいと歩いたのだが、なかなか正門に出られず、結局八幡宮の東側の小さな門から二人で何かをお願いしたのだった。筆者はまだ帰りたくなかった。だが変な誤解を与えたくなかったのであえて場末の酒場にでも入ろうと思いつつ歩いていたら、古びたスナックがあったので『この店は絶対面白い』とカシマさんを誘った。扉をあけて内階段を上るとまさに昭和の寂しいスナックで、カウンターには中年のママがひとりで居た。客は我々二人だけだ。




③スナックでの男
スナックのママは気さくな人だったので3人でわいわいと話していると、当時の筆者と同じ年くらいのサラリーマン男が入ってきた。馴染みの客のようであった。『30そこそこでこの手のスナックに一人で来るなんて、なかなか “通” ですね』と声をかけてからは今度は4人で話が弾んだ。カラオケも数曲歌い、最後には少し酔ったカシマさんもその気になってジュディマリだか何だかを歌っていた。



④タクシー
帰りのタクシーの窓から見える景色は現実であった。現実が急に圧し掛かった。自分のしていることはただただその現実からの逃避で、それにカシマさんを利用しているだけだと気が付いていた。だからカシマさんとの距離を縮めたいと思う自分も嫌になってきた、だけれども離れるのはもっと嫌だった。ふとポケットに手を入れると何か入っていたので取り出せば、さっきのスナックで会った男の名刺だった。『またどこかで会いましょう!』などと調子のいいことを言って交換したのだ。“今日のことは忘れて、現実に向き合おう” そう思い窓を少しだけ開け、小さな決意を込めて彼の名刺をポイっと捨てた。すると半分寝ていたカシマさんが、『あれ、今あの名刺捨てた?』と気が付いて笑ったのだ。


 カシマさんにはその後もしばらくは迷惑をかけ続けたが、最悪の迷惑をかけるには至らなかったので本当に良かったと思う。でも逆にそれが痛々しい黒歴史だったりもする。あれから少しは大人になったはずなのだが、どうだろうか。そしてあのスナックで出会った男は今頃どうしているだろうか。とりあえず連絡がなかったので、彼もまた筆者の名刺を捨ててしまったに違いない。すれ違ったりぶつかったり、ぶつかったことに気が付かなかったり、すれ違っただけなのにぶつかったと思ったり、若いニンゲンはいつも妄想で忙しいのに、現実に邪魔されてばかりなのかも知れない。