イパネマ・カフェ、そしてその周辺とはハートフォード市パークストリートの一角にあるポルトガルレストランと、周辺のポルトガル語コミュニティのことだ。2020年6月、ニューイングランドの人々は短い夏を絶対に満喫しなくてはならず、これ以上のコロナ禍の自粛生活は懲り懲りといった状況だ。そのため州政府はコロナの完全な終息とは程遠い状況下にも関わらず、酒場やアミューズメント施設などの限定的な営業を認め始めている。だが悲しいことに筆者の生活はもともと自粛しているようなものだったようで、何かが解禁されても特段影響がありません。
このエリアの特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。
①パークストリート
ハートフォード市のパークストリートはダウンタウンから西へ延びる道で、なかなかディープなエリアだ。ダウンタウン寄りの“Frog Hollow”という名のエリアはプエルトリコからの移民のコミュニティになっていて、それっぽい食堂やバー、服屋が並ぶ。歩く人々も所謂ストリートファッションに身を包んだ褐色のプエルトリコ人が多く、ややこわい。ネットで調べるとやはり夜間には近づかない方がよいエリアとのことだが、コロンビア料理屋やプエルトリコ料理屋、キューバサンドウィッチ屋などがあるので昼間にウロウロするぶんには楽しいものだ。パークストリートをさらに西へ進み84号線の下をくぐるとParksvilleというエリアになり、ここが今回紹介するエリアである。
②Parksville
さて、ウィキペディアによれはParksvilleはハートフォード市による都市開発が最も遅れて為されたエリアであり、1800年代にこの辺りにレンガ製造工場ができてからは、労働者やレンガ職人の町になっていたそうだ。世界大戦後にレンガ産業が廃れると共に人々は去り、代わりにポルトガル人が小さなコミュニティを作った歴史があるとのこと。歩いてみるとFrog Hollowよりはいくらか平和な匂いがする。ニューブリテン市のポーランドコミィニティのように大きくないので、ポルトガルらしさを感じるものは多くないが、ブラジル料理のお店、ポルトガル人用の小さな雑貨屋などが見られる。
③イパネマ・カフェ
このParksvilleには小ぢんまりした葡料理屋が2軒並んでいる。どちらも町の風情に似つかわしくないこじゃれた外観で、向かって左側がイパネマ・カフェだ。筆者が訪ねたのは3月頃、ちょうどコロナ禍の影響でレストランでの飲食が禁止される直前だったので、客足は少なかったのだが、魚介をメインにしたポルトガル料理やワインがなかなかに楽しく、それに店員のイパネマの女が色っぽかったのが記憶に新しい。パエリヤのような数人で楽しむメニューも散見されたが、孤独な筆者は鱈のすり身の揚げ物やエビのピリピリソース炒めなどのアパタイザーを注文するよりなかった。
③ソルマーマーケット
イパネマ・カフェを少しだけ西へゆくと対面に小さな赤いオーニングテントの商店がある。そこはソルマーマーケットと言い、ブラジルやポルトガル料理用の缶詰や粉ものなどの他、一番奥で鮮魚が売られている。この鮮魚コーナーでは割と小ぶりなサイズのレッドスナッパーやポギー等が売られているのが独り暮らしには嬉しい。それに時折“FISH EGG”と言う名で。たぶんポギーの卵が非常に安価で売られていて、他の魚と一緒に買うと店員の親父は“卵はもう無料でいいよ”と袋に入れてくれる。これを持ちかえって醬油で煮ると旨いものだ。
アメリカでは人権問題を発端として、ついにはコロンブスなどの白人偉人の像を撤去する方向へと向かっている。たしかに歴史にはニンゲンの偏見・無知によるおぞましい悲劇があって、それは変えられない。しかし私たちの存在は、こうして毎日をとりあえず過ごしている事実は、悲しいけれどその悲劇にも依存しているのではないか。仮にタイムマシンがあって、今の正義感を持ってして未然に悲劇を防いだとしたら、立ちどころに私たちの存在が『すぅ』と消えてしまうかも知れない。もっと非道い世の中になっている可能性もある。ニンゲンは孤独だったり、貧しかったり、今現在も過去の歴史のように悲劇に出くわしたりするのだろうが、うまく言えないが、もっと歴史を大きな目で見て、朝に目が覚めること、孤独だが飯が食えること、天気が良好なこと、そんなことを嬉しく思えることを、大きな歴史全体に感謝できないものだろうか。これは歴史から豊かさを享受している側の30代独身日本式サラリーマンの傲慢な考えだろうか。でもこのままでは、きっと次はキング牧師の像が撤去される日がくるだけだ。このように、30代独身日本式サラリーマンは、無意識に自粛しながら色々と無駄なことを考えるのだ。
このエリアの特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。
①パークストリート
ハートフォード市のパークストリートはダウンタウンから西へ延びる道で、なかなかディープなエリアだ。ダウンタウン寄りの“Frog Hollow”という名のエリアはプエルトリコからの移民のコミュニティになっていて、それっぽい食堂やバー、服屋が並ぶ。歩く人々も所謂ストリートファッションに身を包んだ褐色のプエルトリコ人が多く、ややこわい。ネットで調べるとやはり夜間には近づかない方がよいエリアとのことだが、コロンビア料理屋やプエルトリコ料理屋、キューバサンドウィッチ屋などがあるので昼間にウロウロするぶんには楽しいものだ。パークストリートをさらに西へ進み84号線の下をくぐるとParksvilleというエリアになり、ここが今回紹介するエリアである。
②Parksville
さて、ウィキペディアによれはParksvilleはハートフォード市による都市開発が最も遅れて為されたエリアであり、1800年代にこの辺りにレンガ製造工場ができてからは、労働者やレンガ職人の町になっていたそうだ。世界大戦後にレンガ産業が廃れると共に人々は去り、代わりにポルトガル人が小さなコミュニティを作った歴史があるとのこと。歩いてみるとFrog Hollowよりはいくらか平和な匂いがする。ニューブリテン市のポーランドコミィニティのように大きくないので、ポルトガルらしさを感じるものは多くないが、ブラジル料理のお店、ポルトガル人用の小さな雑貨屋などが見られる。
③イパネマ・カフェ
このParksvilleには小ぢんまりした葡料理屋が2軒並んでいる。どちらも町の風情に似つかわしくないこじゃれた外観で、向かって左側がイパネマ・カフェだ。筆者が訪ねたのは3月頃、ちょうどコロナ禍の影響でレストランでの飲食が禁止される直前だったので、客足は少なかったのだが、魚介をメインにしたポルトガル料理やワインがなかなかに楽しく、それに店員のイパネマの女が色っぽかったのが記憶に新しい。パエリヤのような数人で楽しむメニューも散見されたが、孤独な筆者は鱈のすり身の揚げ物やエビのピリピリソース炒めなどのアパタイザーを注文するよりなかった。
③ソルマーマーケット
イパネマ・カフェを少しだけ西へゆくと対面に小さな赤いオーニングテントの商店がある。そこはソルマーマーケットと言い、ブラジルやポルトガル料理用の缶詰や粉ものなどの他、一番奥で鮮魚が売られている。この鮮魚コーナーでは割と小ぶりなサイズのレッドスナッパーやポギー等が売られているのが独り暮らしには嬉しい。それに時折“FISH EGG”と言う名で。たぶんポギーの卵が非常に安価で売られていて、他の魚と一緒に買うと店員の親父は“卵はもう無料でいいよ”と袋に入れてくれる。これを持ちかえって醬油で煮ると旨いものだ。
アメリカでは人権問題を発端として、ついにはコロンブスなどの白人偉人の像を撤去する方向へと向かっている。たしかに歴史にはニンゲンの偏見・無知によるおぞましい悲劇があって、それは変えられない。しかし私たちの存在は、こうして毎日をとりあえず過ごしている事実は、悲しいけれどその悲劇にも依存しているのではないか。仮にタイムマシンがあって、今の正義感を持ってして未然に悲劇を防いだとしたら、立ちどころに私たちの存在が『すぅ』と消えてしまうかも知れない。もっと非道い世の中になっている可能性もある。ニンゲンは孤独だったり、貧しかったり、今現在も過去の歴史のように悲劇に出くわしたりするのだろうが、うまく言えないが、もっと歴史を大きな目で見て、朝に目が覚めること、孤独だが飯が食えること、天気が良好なこと、そんなことを嬉しく思えることを、大きな歴史全体に感謝できないものだろうか。これは歴史から豊かさを享受している側の30代独身日本式サラリーマンの傲慢な考えだろうか。でもこのままでは、きっと次はキング牧師の像が撤去される日がくるだけだ。このように、30代独身日本式サラリーマンは、無意識に自粛しながら色々と無駄なことを考えるのだ。
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