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ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

“お客さん! 本を忘れているよ。”

2024-11-24 04:34:51 | 生活

“お客さん! 本を忘れているよ。”とは、購入したエロ本をレジに忘れて立ち去ろうとしたシイ君に、エロ本店員が放った台詞である。その店員は、エロ本専門書店店員らしからぬ朴訥とした初老男性であった。店構えも寂れた一般書店風で、ぎらついた性欲を感じさせないものだった。かつては一般書店だったものが、経営難からやむを得ずエロ本専門店になったのかも知れない。そう、今回はお楽しみ、筆者の10代日本式童貞浪人生思い出シリーズだ。21世紀直前の日本では、浪人生とエロ本にはまだ密接な関係があった。本稿はそういう文化的な記録としても、いささかの価値があると考える。

 

 

この台詞を聞くことになった経緯は以下のとおりだ。参考にしてもらいたいエロチカ。

 

 

①エロ本専門店

“川向うのエロ本専門店へ行けば、良品があるらしい”そんな噂が予備校の寮内に広まったのは、桜の木に若葉が目立ち始める頃だった。既に何人かの医科歯科志望生らが、その書店で洋モノ・ハード・コア本を入手し、大いに満足しているのだという。さっそく我々も出かけることになった。その頃のメイプル生はグルーピング活動を終え、メンバー間では食堂などで屈託なく談笑する程度の関係が構築されていた。そうなると、自ずと“エロ”つまり“下の処理”についての情報交換が始まってくるのである。寮の個室での下の処理には、これまでの家族の様子を窺いながらのオソルオソルの処理とは違う解放感があった。しかしテレビの回線もなく、ネットなど望むべくもない当時は、エロ本が必要であった。

 

 

 

②地方都市のエロ本事情

ところが当時のその地方都市は、エロ本の入手に問題を抱えていた。こういった成人書物の販売は、一般書店に加えてコンビニや(長距離運転手を対象にした)国道沿いの自動販売機などが挙げられる。しかしその地方都市特有の条例の影響なのか、一般書店やコンビニにおける成人書物の品揃えがたいへん貧弱、つまりソフト・エロ風味のものしか置かれていなかったのだ。浪人生たちはしばらくの間、寮から徒歩15分の場所にあるコンビニで、縁の太いメガネをかけた面長な中年女店員から購入したソフト・エロ雑誌で間に合わせていたが、特にハード・コア志向の医科歯科志望の浪人生たちが不満を募らせていた。

 

 

 

④エロ本専門店へ行く

講義の後に、4、5人の浪人生で川向うへと繰り出した。工学部志望(童貞)の筆者は、医科歯科志望者のようなハードコア本は必要としなかったのだが、新しい友達と知らない町を歩くことに楽しみもあり、付いていくことにした。それにシイ君が来ることで安心感もあった。彼だけは新しい友達ではなく、高校時代からの友人だったのだ。入寮当時のシイ君は、布袋寅泰と羽生結弦選手を混ぜ合わせたような不敵な風貌をしていて、積極的なグルーピング活動をせずとも自然に寮生と溶け込んでいっていた。夕暮れ前のエロ本専門店へと続く道は風があり、肌寒かった。

 

 

筆者は店内の膨大な卑猥画像に目がくらんでしまい、適当な本をササっと選んで会計を済ませた。他のメンバーも思い思いの品物を購入し、ビニル袋に入った品物を手に店先に集まった。だがシイ君が出て来ない。シイ君は丹念に商品を物色したせいで、皆に遅れをとったのだ。シイ君がやおら会計を済ませ、ニヤニヤ笑いながら奥まった店内から手ぶらで出てきたときに、“お客さん! 本を忘れているよ。”と声が店内に響いた。シイ君は慌てて“あっ すみません”と振り返ってレジへ戻った、というだけの話だ。布袋寅泰と羽生結弦選手を混ぜ合わせたような不敵な風貌のシイ君が、慌てて振り返って戻ったシーンが可笑しくて、新しい友達全員で笑ったのだ。新しい風が吹いた気がした。因みにそのときシイ君が購入したエロ本が、“ベスト・ビデオ”であり、後に寮内でベスト・ビデオ争奪戦が始まるほどの人気本となる。慧眼の持ち主である。


ひまわり会の古本市を訪ねる。

2024-10-20 01:31:44 | 生活

ひまわり会の古本市を訪ねるとは、バークレー市に拠点を置く日系移民支援団体“ひまわり会”が毎月第三土曜日に開催する古本市へ行ってみるということだ。筆者とこの古本市との関係は、過去のブログ “人からもらった文庫本の臭いを消す”、“ベイエリアで古本を寄付する”に詳しい。今回はいわば三部作の完結編である。俳優の西田敏行さんが亡くなったとのニュースが舞い込んできた。先日、ユーチューブに落ちていた映画“敦煌”を見たばかりだったので、ショックである。

 

この出来事の詳細は以下のとおりだ。参考にしてもらおう。

 

 

①イースト・ベイへ出かける。

イースト・ベイへ出かけることが滅多にない筆者であるが、その日は仕事の道具を仕入れねばならず、朝からサンマテオ橋を渡っていた。ヘイワードにあるその店で用事を済ませ、近くで朝からやっているベトナム料理屋で“朝フォー”を食べているときに、その日が第三土曜であることに気が付いたのだった。(悲しいことに)もう暇であるし、せっかく橋を越えたのだから、北上してひまわり会の古本市を見てみることにした。筆者の“臭い本”などを寄付してからもう一年以上が経つ訳だから、さずがに売れ残っていてショックを受けることにはならぬと思ったし、売れ残っていたらば筆者が買い戻すのも一興だというポジティブ思考を持ちえたのだった。

 

 

②ひまわり会の古本市

ひまわり会の古本市はたしか午前11時からである。とはいえ開店直後は準備と並行しているために、まだ閑散としていた記憶がある(“ベイエリアで古本を寄付する”の回を参照のこと)ので、オークランド南部周辺の荒廃したエリアやバークレー大学の学生街をゆっくりと車を走らせて時間を潰した。現地の八百屋さん(“ベイエリアで古本を寄付する”の回を参照のこと)に到着したのは正午頃である。

 

 

③にぎわい

八百屋さんが入る商業エリアは駐車場が狭いので、空車が少ない。そのため車を裏通りの路地に止める。果たして八百屋さんの前は段ボールがずらりと並び、賑わいを見せていた。小さな会計コーナには、以前本を寄付したときに少しだけ話をした、伊藤いねこさんと思しき女性が椅子に腰を掛けている。本の量が思いのほか多い。それに文庫本は全て1ドル、マンガは50セントという良心的な価格で、貴重な日本語書籍がたいへん気軽に購入できるというものだ。池波正太郎などの時代小説や古い推理小説モノが並ぶ中に、ときどき現代の流行作家モノがちらほらあって、宝探し感が楽しい。客層はやはり中高年が多いものの、この日は交際前風の若い男女風の二人が、ぺちゃくちゃ話しながら本を選んでいるのがあって、筆者の嫉妬心を搔き立てたが、素知らぬ顔で文庫本(純文学)を物色した。

 

 

嬉しいことに、筆者が寄付した本は見つからなかった。つまり誰かの手に渡ったようである。筆者は誰かが寄付した別の文庫本を3冊購入した後に八百屋さんに入り、帰ってからの酒のつまみ用に、アキヤマの一夜漬けとスルメイカの刺身を購入したのだった。会計時にレジ袋をお願いすると、“こんなのになりますが、いいですか”とエコ袋を見せられた。“はい。文庫本も入れるので、その袋をお願いします” “あら、何かいいものが見つかりそうですか” “あ、もう3冊買いました” “まぁ、それはよかったですね”。久しぶりに世間と繋がっていることを感じた土曜日で、橋を渡って良かったと思った。そして帰るまでに空腹に耐えきれず、サン・ロレンゾのベトナム料理屋で“昼フォー”を食べたのだった


カリフォルニアの稲穂を見に行く。

2024-10-13 04:14:11 | 生活

稲穂とは、稲の穂である。長い茎の先に花や実が群がりついたものを“穂”といい、特にイネのものを稲穂と呼ぶ。筆者は急に稲穂が見たくなった。日本で暮らしていれば、たとえ生活圏に水田がなくても、車や電車などの窓から何ともなしに水田を見る機会があり、秋には稲穂を目にするものだ。だが筆者の一時帰国はいつも何故か稲刈りの時期を外していたようで、もう永らく稲穂を見ていない。そこで暇な週末に、カリフォルニア米の一大産地であるサクラメント・バレーへ稲穂を見に行く決断をしたのだった。それはたぶん、郷愁、もしくは一種のナショナリズムである。

 

 

このドライブの記録は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。

 

 

①サクラメントへ

とはいっても“水田”を目的地にすることは難しい。であるからとりあえずサクラメントへ向かうことにした。というのも筆者には戦略があったのだ。米の産地に一番近い都市のサクラメントは、カリフォルニア州の都でもある。そこには小さくとも日系のスーパーもあるはずで、そこで米農家の情報が手に入ると考えたのだ。そしてそこでウマい昼飯の弁当なども購入できるという算段もあった。土曜の、それも二日酔いの朝に急遽立てた計画としては恐ろしく緻密である。ベイブリッジを渡り、80号線を北上した。

 

 

 

②カリフォルニア米

ここでカリフォルニア米について少し解説(パクリ)を記載しておきたい。カルフォルニア米の耕作は、20世紀初頭に北米へ移住してきた日本人によって始められた。しかし当時の日系移民たちはもっぱら日本から輸入したコメを好んだために、カリフォルニア米の売れ行きは芳しくなかったのだそうだ。だが事態が一変したのが第一次世界大戦後の世界的な食糧不足であった。日本では“米騒動”が起こるほど米の価格が高騰したために、米の輸出が抑えられた。そのため日系移民たちも仕方がなくカリフォルニア米を食べるようになり、それが昨今では加州から米を日本へ輸出するほどの一大産業になったのであるというのだから、面白い。

 

 

 

③オトズ・マーケット・プレイス

果たしてサクラメント市の南の外れには、“オトズ・マーケット・プレイス”という日系グローサリーストアがあった。それは筆者の予想以上に大きな店舗で、近辺の日系人の多さをうかがい知ることができる。それに日系らしき名前のファームを冠した芋やトウモロコシが売られていたのも興味深い。このオトズ・マーケット・プレイスはかれこれ50年以上もこのエリアで日系グローサリーを営む老舗というのだから、もともとは日系移民色の強いスーパーであったと思われる。どことなく売られている総菜にもハワイ臭がある。筆者の思惑通りカリフォルニア産ジャポニカ米の種類は豊富で、サクラメント市から小一時間北上すれば、高級コシヒカリ田牧(タマキ)米のファームがあることをまんまと突き止めたのだった。そしてハワイ臭の強い甘口の浸け物オニギリセットを購入し、さらに北上を続けた。

 

 

 

 

④タマキ・ライス

一大稲作地帯であるはずのサクラメント・バレーだが、5号線沿いからは水田を見つけることは少なくやや不安になっていた。しかし高速を下りてナビに従いタマキ・ライスに近づくと景色が変わった。田んぼがある。そして日本の水田よりもやや並びが雑然としているが、穂をたらした黄色い稲穂が密に並んでいる。筆者の心は踊った。タマキライスの工場の前に勝手に駐車し、あたりを散歩してみた。果たしてそれは水田だった。水路を引っ張ってきて水を引いている。稲穂の垂れた田にもまだ水が張ってあるようだ。広大な水田地帯に砂埃ともにイネの香りが吹き上げている。水路にはメダカのような小魚がいて、それをサギのような鳥が狙っている。トンボも飛んでいる。ミクロな目線で見ると日本に帰ってきたような風景があるものの、頭を上げると地平線まで田畑が広がる。

 

 

 

日本からやってきて稲作を始めた人々のことを考える。歴史がない新天地だったから、皆が入植者意識の持ち主だったから、(もちろんネイティブ・アメリカンを無視できないのは承知だが・・)成せる業だったに違いない。それを証拠に我が国を含めて他の国は、何年たっても“もともとは俺が原住民、お前が侵入者”“逆だろ!”といがみ合いから抜け出せない。2024年9月現在、アメリカ合衆国の覇権の終わりが近いと言われているが、アメリカに続く覇権国が、アメリカのような世界指導者になるには、歴史が長いぶんだけに時間がかかるように思う。そんなことを思いながら、広すぎる農道を疾走した。ちなみにタマキライスは高いので、買ったことはありません。


インテル(榊渉)のせいで人生が決まったこと

2024-09-19 13:02:13 | 生活

インテル(榊渉)のせいで人生が決まったこと

 

 

インテル(榊渉)のせいで人生が決まったこととは、筆者と同じ予備校の寮生の、“インテル(榊渉)”という男のせいで、筆者の進路が決まった事件のことをいう。そう、またもや予備校の思い出シリーズだ。それだけ浪人生活が、筆者にとって濃厚な時間だったということだろうか、それとも生活があまりに残酷で不毛だった所為で、些細なことを鮮明に記憶しているだけだろうか。2024年の9月、AIバブルでエヌビディアなどのテック企業の株価が上昇を続ける中、奇しくも業界の老舗であるインテルが“業績不振でダウ平均から除外”というニュースが舞い込んだのも、何かの因縁かも知れない。

 

 

彼との思い出は以下のとおりだ。参考にしてもらいたいんてる。

 

 

 

①インテル(榊渉)

インテルとはあだ名であって、彼の本名は榊渉という。大学に落第し、そして突然に同じ建物で生活することになった寮生たちは、主に食堂などでグルーピングを始める。その過程において、“あだ名をつける”というメンタル・スキンシップ行為が行われた。とはいえよく知らない相手である。外見や方言などであだ名をつけることには差し障りがある。そのため当時流行っていた“欧州サッカー選手の名前をあだ名にする”という大変に当り障りのない手法が取られたのである。今思えばやや恥ずかしいが、“サラスくん”や、“ガブちゃん”などと、当時の有名どころの選手の名が次々と各寮生に当てはめられていった。そして榊渉には“インテル”があてがわれたのだが、なぜ彼だけが選手名でなくチーム名をあだ名にされたのかは記憶がない。この“名づけ行為”はグルーピングのためのコミュニケーション手段に過ぎなかったため、グルーピング期が終われば多くのあだ名は立ち消えになっていったのだが、インテル(榊渉)だけがずっと“インテル”と呼ばれていたのも、今思えば興味深い。

 

 

 

②インテル(榊渉)

インテル(榊渉)は栗尾和尚(栗尾和尚の回参照のこと)と同じ三階に住んでいた。当時のインテル(榊渉)の言動には不思議な説得力があった。インテル(榊渉)は二浪だが、高校時代からの彼女が、彼の合格をずっと待っているのだとサラリと言う。そして童貞ではないことを、自慢するでもなく当たり前のように語る。童貞の筆者らに対しては、『お前らも大学に入れば、絶対“フィーバー”するって!』と、さらりと標準語で励ましてくれるものだから、そのねずみ男のような風貌にも関わらず、なんとなく納得させられてしまうのであった。たいていはねずみ男風のフード付きのトレーナーを被り、ジャージにメガネ姿の比較的ダサ目な恰好でいたのだが、不思議な格好良さを持っていた。

 

 

 

 

③インテル(榊渉)

彼はスポーツ医学の道を目指しているのだと言う。サッカー選手を目指していたものの、ケガであきらめざるを得なくなった。だが、サッカーに関わる仕事をしていたいから、スポーツ医学の道へ進むことにしたのだ、と語る。“よ、よくある安いエピソードだな・・”と思わせない不思議な魔力が、彼の態度にはあった。一方当時の筆者は進路が決まらず、何だかモヤモヤしていた。それを彼に話すと、“お前、それはダメだよ。絶対に目標がないと受からないって。目標決めるのが先だよ。”と、さらりと標準語でお説教をしてくれたのだ。 “え? でもこの人、二浪だよな・・”とは思わせない不思議な魔力が彼の言葉にはあり、なんとなく納得させられてしまうのであった。そして筆者は数日考えた末、目標大学の目標学部を決めた。

 

 

 

筆者はその目標先へ合格し、今もそれに強く関係する仕事をしている。つまりはっきり言って今の自分があるのは、ほぼインテル(榊渉)のおかげでなのである。一方インテル(榊渉)は、成績が(本人が)思うほど伸びず、スポーツ医学の道は早々に諦め、違う学部へと進んでいった。彼が今どこで何をしているのかはわからない。今思えば、ただのいい加減な男だったのかも知れない。きっと筆者の人生にこんなにも影響を与えたことなどすっかり忘れて生きているに違いない。でも人間関係とは、たいていそういう一方的なものなのかも知れない。因みに大学に入っても“フィーバー”することはなかった。ていうか“フィーバー”で何だよ。


ニュー・サガヤ

2024-09-09 08:30:54 | 生活

ニュー・サガヤとは、アラスカ州アンカレッジにあるスーパーマーケットのことである。アラスカ旅行の3日目の朝、筆者はスワードの町からバスに乗り、アンカレッジへ戻った。スワードの町を出発してしばらくは、バスの道は山を避けて広い谷を蛇行して進むので、来るときに鉄道から見たトンネルや峡谷風景とは違い、パノラマ・ビューが楽しめる。だがしばらく行けば鉄道と合流し、穏やかな湾沿いを走る。黒い干潟が広い。3時間ほどでアンカレッジ空港に着き、レンタカーを借り、民泊サイトで予約したアパートへ荷物を置きにいく。そこは小さな韓国系のショップや性的っぽいマサージ店が入る暗いアパートだったが、部屋の中は広くて小ぎれいだった。

 

 

この旅の記録(のつづき)は以下のとおりだ。参考にしもらいたい。

 

 

 

①アンカレッジ・ミュージアム

まだ少し日が高いから、酒を飲む時間になるまではアンカレッジ・ミュージアムで過ごしすことにした。ダウンタウンの外れの小ぶりなミュージアムは、アラスカらしい作品で溢れていて楽しい。Kivetoruk Mosesという画家の、先住民らの暮らしを題材にした素朴な絵画や、Bradford Washburnという探検写真家の素晴らしい山々や氷河の写真など、見所がある。また、アラスカ先住民たちの衣類や生活道具が展示されたコーナーも興味深いものだった。“エスキモー・イヌイット”といった言葉はなく、各部族の名前で展示されている。アラスカ半島のうちベーリング海峡に近い区域に暮らす“イヌピヤク”や“ユーピック”と言う名の部族の人々の風貌がアジア人に近く、アメリカ大陸に近い部族の顔が中南米人に近くなっているのが面白い。彼らの厳しい気候での暮らしが偲ばれる。

 

 

②ニュー・サガヤへ向かう

そして夕飯時である。ツーソンのSandyi Oriental Marketや、ソルト・レイク・シティのSAGE Japan Market、ロスのミツワのように、米国内の旅先で日系のグローサリー・ストアを訪ねることが筆者の楽しみになっている。極北のアンカレッジにはあまり期待せずにいたのだが、果たして“ニュー・サガヤ”という、昭和のビジネスホテルのような響きの名前の店があるという。さっそく視察に赴いた。ニュー・サガヤは、ダウンタウンから南に少し離れた場所にある。気候が厳しいアンカレッジは、アメリカの中でも特に車社会なのであろう、乞食以外の歩行者がまるでいない。それに土地が有り余っているようで、どこの店舗も駐車場はガラガラなので、ダウンタウンを外れればそこには富山県の国道沿いのような寂しい雰囲気がある。

 

③ニュー・サガヤへ入る。

筆者はアジアの食に詳しいので、ニュー・サガヤで売られている商品から、この店が日本人のみを対象にした店ではなく、中華・韓国・ベトナムからフィリピンまで、広い東アジアの人々を対象にしていることが見てとれた。だが“日本強め”であることは間違いない。総菜コーナーや精肉コーナー、雑貨コーナーには、小学生が描いたものかと思われるような独特な絵画センスの看板と共に、やや雑なレタリングの日本語で“デリカテッセン”“高級セトモノ”“特選肉”などの看板があったり、特に雑貨コーナーには日本の民芸品が多くを占めている。鮮魚コーナーはスワードのセイフ・ウェイとは比べ物にならないほどの充実ぶりで、アラスカ産の牡蠣やヒラメなどが生け簀にある。筆者はここで総菜を買い込んで、宿で酒盛りをする判断を下し、タコ・ポキ、アラスカ・ロール、冷凍枝豆にさつま揚げ、冷ややっこ、それにアラスカサーモンの皮のスモーク(鮭とば)、さらにサラダ・バーでおつまみ豆サラダを作り、購入したのだ。因みに酒は売っていないので別の酒屋で購入する。

 

 

 

宿には調理用具も揃っていたので、カニや牡蠣を買って鍋にしても良かったと後悔しつつも、ニュー・サガヤの一人総菜酒盛は大盛況で、筆者はデストラーデ選手ばりのガッツポーズを決めてしまった。さて、ウェブサイトを見れば、ニュー・サガヤはアンカレッジエリアで30年以上も営業するなかなか老舗のスーパーで、アラスカ産魚介類の冷凍通信販売業なども行っているのだという。だが店の歴史や屋号の由来(佐賀屋なのか嵯峨屋なのか)を見つけることはできなかった。それにしてもアンカレッジには、少なからず日本人・日系人が暮らしている様子が分かり、筆者は何となく嬉しい気持ちになったのだった。そして性的っぽいマッサージ店には次回来店することにし、眠りについた。