![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/60/d00b1550cb5eb9a0023c6604ed3d89b5.jpg)
明治の大地主、作家太宰治の父である
津島源右衛門が建築した木造2階建、
入母屋造、和洋折衷建築の建物は、
1907年6月に落成しました。
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その2年後の1909年6月19日に太宰治誕生。
読書好きで成績は抜群、腕白でもあったとか。
16歳の頃には分筆活動活発、
1930年に東京帝国大学仏文学に入学。
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太宰治は、この家を『苦悩の年鑑』で
「この父は、ひどく大きい家を建てた。
風情も何も無い、ただ大きいのである」と
書かれているのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/ac/99cfc16baece8fcb1537cff1feba8ece.jpg)
米蔵にいたるまで日本三大美林のヒバを使い、
394坪の2階建ての建物に19室、
付属建物や庭園などを合わせた宅地
約680坪の豪邸でした。
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泉水を配した庭園もあります。
津軽地方有数の大地主であった津島家。
父の津島源右衛門は、政治家であり、実業家。
金木銀行頭取、陸奥鉄道取締役、
青森県農工銀行取締役を務めた人物でした。
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「仏間」にある仏壇も立派なものでした。
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明治時代の地方の銀行建築でもあり、
主屋をはじめ文庫蔵等の大型の土蔵や
敷地周囲の長大な煉瓦塀といった
屋敷構え全体がほぼ当時のまま保存されています。
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主屋の東に「中の蔵」、その東に「米蔵」、
主屋の北に「文庫蔵」が建ちます。
「文庫蔵」は太宰治の作品等が展示、写真はNG。
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二重廻し(マント)
太宰ファンであれば、着用して
写真を撮るのも良いかも
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/eq_1.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/92/cf32c7bc2e0d77542de07749f3c1e3d6.jpg)
私が気に入ったのがこの階段ですが、
冬の青森でこの階段は極寒ではいかと思います。
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当時の四万円(現在の約8億円)の巨費を
投じて造られており、どこを見ても
家の造りは豪華絢爛を極めていました。
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2階の和室の襖には「斜陽」の文字が書かれています。
農地改革後、津島家が豪邸を手放し、
町内の旅館経営者が買収、旅館「斜陽館」を開業。
太宰の小説『斜陽』から命名されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/05/bbce0a232046fb6a34b404c457e112bd.jpg)
著名作家の生家であるとともに、
大規模で質の高い邸宅建築、
屋敷構えが良好に保存、
文化財としての価値も高いものです。
青森県五所川原市金木町朝日山412-1
2022.9.14
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