<目次>
第一部
1壁というもの、2国境と法律、3戦いと秩序、4敗戦と選挙
第二部
1権威としての宗教と哲学、2知識と学問、3哲学の迷路、4人間性を育てる哲学、5先生は困っている、6公平、7神道と仏教、8有限と無限はつながらない、9論理逆転の現象、10議論の土台、11古代の日本、12仏教の影響、13イデオロギーとは、14社会と個人、15議論と社会、16合意の必要性、17自分が世界の中心、18基準・標準、19心のつかれる二本立て、20民主主義と議論
第三部
1「当たり前」とは、2学問の役割、3論理と理論、4道理の通る道、5欲望こそ原点
まず、著者である沓石卓太(くついし たくた)氏についてネットで検索してみましたが、プロフィールが見当たりません。著者自身が自著を多くの図書館に寄贈されているようで、ある図書館のサイトに著者に関する次の紹介文があるだけです。
~著者は日本人の精神文化のルーツを研究し、現代社会による倫理観やコミュニケーション形成の問題点に対して積極的な問題提起を行っている。前著に「私の理想」、「日本の理想-楽しい議論ができる国に-」~
この前著に対してネット上では次の厳しい書評がありました。
<『日本の理想 楽しい議論の出来る国に』>
http://www20.tok2.com/home/takapan/hon/h_nihonrisou.html
さて、本書で著者は、既存の哲学が本来の学問としての体をなしておらず、問題を複雑にすることによって高尚な学問の位置に居座ったことで様々な議論を妨げる要因になっていると主張します。そして、それは仏教についても同じなのだと指摘しています。もはや哲学、宗教は学問ではないと断定するのです。
~既成の哲学の目的はなんでしょうか。心理の追求でしょうか。人間の研究をしているつもりが、いつのまにか、観念上の理念の研究になってしまっているのです。理念から論理を立ち上げようとする行為が間違いの始まりです。~
~理念だけの世界は、目的のない設計図と同じで、いくらでも書き足せる代わりに、何の役にも立たないのです。おまけに、概念だけで組み立てた世界は完全な世界ですから、その設計図をもとにすれば、存在しているものはすべて不完全ということになってしまうのです。~
著者が語る「世界の壁」はまさに哲学であり、宗教だと語ります。
~あかるい未来の方向へ議論が進むことをだれもが望んでいるのではないでしょうか。英雄が歴史を動かす時代ではありません。大衆が歴史を動かす時代です。いま、知識は大衆のものになりつつあります。情報技術の発達は、まさに、その時代の可能性を証明しているのです。~
~人間同士の関係が、よい意味での競争関係になり、快適で希望の持てる社会になるためには、それに相応しい認識の確立がなくてはならないのです。宗教、占い、まじない、人間はいろいろなものを考え出しましたが、学問という形で積みあがってきた知識は、最も信頼できる人類共通の知識です。時間を掛けて体系付けられてきた知識である学問に対しては、その合理性と有益性はだれも疑うことはできません、学問こそ、グローバル時代を支える太い柱です。~
~人間の問題をリロンで解決できるような錯覚に陥っているのが既存の哲学です。哲学ぐらい、現代の時代に必要とされている学問はないはずですが、如何せん、哲学は毒になるだけで何の役にも立っていません。~
哲学に対する怨念に近いような著者の反駁は、相当年季が入っていると思われますが、哲学を学ぼうとチャレンジしながらもその難しそうな論理の壁に敵前逃亡する私には著者の言わんとすることが理解できような気がします。
哲学、仏教に関する著者の指摘を別にすれば、本作は全編を通して議論による民主主義の前進を意図するもので、その道筋についてわかりやすく説かれています。それだけに著者の提示する問題に対し、賛否両論ありの「だれでも議論したくなる」一冊なのかもしれません。
<【閃光再来】>
http://flash.sairai.net/
<私の理想>
http://www.longview.jp/2024.htm
<備忘録>
「敗戦と選挙」(P23)、「権力と権威」(P29)、「合法性と合理性」(P33)、「哲学=究極の心理の追求」(P38)、「知識と愛」(P43)、「人間関係」(P44)、「理論と論理」(P69、132)、「哲学の仕事」(P90)、「人間の目的」(P130)、「哲学の間違い」(P130)、「人間にとっての社会」(P136、156)、「人間と組織」(P136)、「活かす道具、壊す道具」(P138)、「議論の二つの段階」(P144)、「国会の現実」(P146)、「民主主義を成功させるには」(p175)
第一部
1壁というもの、2国境と法律、3戦いと秩序、4敗戦と選挙
第二部
1権威としての宗教と哲学、2知識と学問、3哲学の迷路、4人間性を育てる哲学、5先生は困っている、6公平、7神道と仏教、8有限と無限はつながらない、9論理逆転の現象、10議論の土台、11古代の日本、12仏教の影響、13イデオロギーとは、14社会と個人、15議論と社会、16合意の必要性、17自分が世界の中心、18基準・標準、19心のつかれる二本立て、20民主主義と議論
第三部
1「当たり前」とは、2学問の役割、3論理と理論、4道理の通る道、5欲望こそ原点
まず、著者である沓石卓太(くついし たくた)氏についてネットで検索してみましたが、プロフィールが見当たりません。著者自身が自著を多くの図書館に寄贈されているようで、ある図書館のサイトに著者に関する次の紹介文があるだけです。
~著者は日本人の精神文化のルーツを研究し、現代社会による倫理観やコミュニケーション形成の問題点に対して積極的な問題提起を行っている。前著に「私の理想」、「日本の理想-楽しい議論ができる国に-」~
この前著に対してネット上では次の厳しい書評がありました。
<『日本の理想 楽しい議論の出来る国に』>
http://www20.tok2.com/home/takapan/hon/h_nihonrisou.html
さて、本書で著者は、既存の哲学が本来の学問としての体をなしておらず、問題を複雑にすることによって高尚な学問の位置に居座ったことで様々な議論を妨げる要因になっていると主張します。そして、それは仏教についても同じなのだと指摘しています。もはや哲学、宗教は学問ではないと断定するのです。
~既成の哲学の目的はなんでしょうか。心理の追求でしょうか。人間の研究をしているつもりが、いつのまにか、観念上の理念の研究になってしまっているのです。理念から論理を立ち上げようとする行為が間違いの始まりです。~
~理念だけの世界は、目的のない設計図と同じで、いくらでも書き足せる代わりに、何の役にも立たないのです。おまけに、概念だけで組み立てた世界は完全な世界ですから、その設計図をもとにすれば、存在しているものはすべて不完全ということになってしまうのです。~
著者が語る「世界の壁」はまさに哲学であり、宗教だと語ります。
~あかるい未来の方向へ議論が進むことをだれもが望んでいるのではないでしょうか。英雄が歴史を動かす時代ではありません。大衆が歴史を動かす時代です。いま、知識は大衆のものになりつつあります。情報技術の発達は、まさに、その時代の可能性を証明しているのです。~
~人間同士の関係が、よい意味での競争関係になり、快適で希望の持てる社会になるためには、それに相応しい認識の確立がなくてはならないのです。宗教、占い、まじない、人間はいろいろなものを考え出しましたが、学問という形で積みあがってきた知識は、最も信頼できる人類共通の知識です。時間を掛けて体系付けられてきた知識である学問に対しては、その合理性と有益性はだれも疑うことはできません、学問こそ、グローバル時代を支える太い柱です。~
~人間の問題をリロンで解決できるような錯覚に陥っているのが既存の哲学です。哲学ぐらい、現代の時代に必要とされている学問はないはずですが、如何せん、哲学は毒になるだけで何の役にも立っていません。~
哲学に対する怨念に近いような著者の反駁は、相当年季が入っていると思われますが、哲学を学ぼうとチャレンジしながらもその難しそうな論理の壁に敵前逃亡する私には著者の言わんとすることが理解できような気がします。
哲学、仏教に関する著者の指摘を別にすれば、本作は全編を通して議論による民主主義の前進を意図するもので、その道筋についてわかりやすく説かれています。それだけに著者の提示する問題に対し、賛否両論ありの「だれでも議論したくなる」一冊なのかもしれません。
<【閃光再来】>
http://flash.sairai.net/
<私の理想>
http://www.longview.jp/2024.htm
<備忘録>
「敗戦と選挙」(P23)、「権力と権威」(P29)、「合法性と合理性」(P33)、「哲学=究極の心理の追求」(P38)、「知識と愛」(P43)、「人間関係」(P44)、「理論と論理」(P69、132)、「哲学の仕事」(P90)、「人間の目的」(P130)、「哲学の間違い」(P130)、「人間にとっての社会」(P136、156)、「人間と組織」(P136)、「活かす道具、壊す道具」(P138)、「議論の二つの段階」(P144)、「国会の現実」(P146)、「民主主義を成功させるには」(p175)
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