ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第八節[意識の発展と対象の変化]
§8
Zugleich aber ist der Gegenstand wesentlich in dem Verhältnisse zum Bewußtsein bestimmt. Seine Verschiedenheit ist daher umgekehrt als abhängig von der Fortbildung des Bewußtseins zu betrachten.(※1) Diese Gegenseitigkeit geht in der erscheinenden Sphäre des Bewußtseins selbst vor und läßt die oben (§. 3.) erwähnte Frage unentschieden, welche Bewandniß es an und für sich mit diesen Bestimmungen habe. (※2)
第八節[意識の発展と対象の変化]
しかし同時に、対象は本質的に意識との関係において規定されるから、したがって、その多様性は、反対に意識のさらなる発展に依存していると見なされなければならない。この相互性は、意識の現象する領域それ自体のうちに起きる。そして、先に(§ 3において)言及した問題は、これらの規定が本来的に(必然的に)かかえているところの、いずれが確定的であるかという問題については、未決定のままに残される。
※1
前第七節で、私たちの意識が対象(物)に応じて多様であるという、きわめて自明のことが説明されたが、本節では、逆に意識の発展にともなって(意識の)対象もさまざまに異なって多様であることが説明される。人間の意識の発展にともなって、その意識の対象も多様に変化していくということである。
人間も幼児のあいだは玩具などに興味を示す(意識の対象とする)が、成長するにともなって小学生などになれば、ゲームや野球やサッカーなどに彼らの意識の対象も変わってくる。そして、さらに成長して思春期などを迎えれば、異性を意識の対象としてもつようになるし、またさらに彼らが教養を積んで意識が発展していくに応じて、法律や芸術、宗教などをに興味や関心をもったり、原子力や医学などの自然科学の対象に興味や関心を抱くようになる。
要するに、彼らの意識の発展水準に応じて興味や関心をもつ対象も変化していくということである。意識のあり方によって意識の対象も異なってくる。
豚が豆を欲して真珠を真珠として意識しないのは、豚が人間並みの意識をもちえないからである。また、たとえば哲学などが興味や関心の対象になるには、すなわちその意識の対象となるには、そこまでに意識自体が発展していなければ無理だということである。
※2
先に(第三節において)言及した問題とは、「物が私の意識を規定する(実在論)」のか、それとも「私の意識が物を規定するのか(観念論)」という問題である。しかし、意識と物との関係は、本来的に相互的であるから、どちらが根源的であるか、という問題は未決定のまま残される。参照、第三節
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