ヘーゲル『哲学入門』 第二篇 論理学 第六節 [思考の種類とその意義2]
Erläuterung.
説明:
Die Logik enthält das System des reinen Denkens. (※5)
Das Sein ist 1) das unmittelbare; 2) das innerliche; die Denkbestimmungen gehen wieder in sich zurück. (※6)Die Gegenstände der gewöhnlichen Metaphysik sind das Ding, die Welt, der Geist und Gott, wodurch die verschiedenen metaphysischen Wissenschaften, Ontologie, Kosmologie, Pneumatologie und Theologie entstehen.(※7)
論理学は純粋な思考の体系をふくんでいる。「存在」とは(1)直接的なものであり、(2)内的なものである。;ここで思考の規定はふたたび自己の内へと戻ってくる。伝統的な形而上学の対象は物であり、世界であり、精神、および神であって、そこから存在論、宇宙論、精神論、神学といった形而上学のさまざま分野が生じてくる。
3. Was der Begriff darstellt, ist ein Seiendes, aber auch ein Wesentliches. Das Sein verhält sich als das unmittelbare zum Wesen als dem mittelbaren. Die Dinge sind überhaupt, allein ihr Sein besteht darin, ihr Wesen zu zeigen. Das Sein macht sich zum Wesen, was man auch so ausdrücken kann: das Sein setzt das Wesen voraus. (※8)
概念 が示すものは、存在するもの( Seiendes )であり、同時に本質的なもの( Wesentliches )でもある。存在は、間接的なものである本質に対して、それ自体は直接的なものである。物は一般に存在するものであるが、ただ、その存在によって自らの本質を示すものである。存在は自らを本質へと高めるが、また同じく、存在は本質を前提としているということもできる。
Aber wenn auch das Wesen in Verhältnis zum Sein als das vermittelte erscheint, so ist doch das Wesen das ursprüngliche. Das Sein geht in ihm in seinen Grund zurück; das Sein hebt sich in dem Wesen auf.(※9)
しかし、たとえ本質が存在との関係において媒介されたものとして現れるとしても、本質こそがやはり根源的なもの である。存在はその本質においてその根拠に回帰する。存在は本質において自己を止揚するのである。
Sein Wesen ist auf diese Weise ein gewordenes oder hervorgebrachtes, aber vielmehr, was als Gewordenes erscheint, ist auch das Ursprüngliche. Das Vergängliche hat das Wesen zu seiner Grundlage und wird aus demselben.(※10)
このようにして、その本質は生成されるものであり、また生み出されるものでもあるが、しかしそれ以上に、生成されたものとして現れる本質もまた根源的なものである。移り行くものは、本質をその基礎にもち、それから生じる。
Wir machen Begriffe. Diese sind etwas von uns Gesetztes, aber der Begriff enthält auch die Sache an und für sich selbst. In Verhältnis zu ihm ist das Wesen wieder das gesetzte, aber das Gesetzte verhält sich doch als wahr. (※11)
私たちは概念を作る。この概念は私たちによって「定立されたもの」であるが、しかし、また概念はもともと事物それ自体をも含んでいる。その概念に対して、本質はあらためて定立されたものであるが、しかし、定立されたものは、それでもなお真理である。
Der Begriff ist teils der subjektive, teils der objektive. Die Idee ist die Vereinigung von Subjektivem und Objektivem. Wenn wir sagen, es ist ein bloßer Begriff, so vermissen wir darin die Realität. Die bloße Objektivität hingegen ist ein Begriffloses. Die Idee aber gibt an, wie die Realität durch den Begriff bestimmt ist. Alles Wirkliche ist eine Idee.(※12)
概念 は一面においては 主観的 であり、一面においては 客観的 である。 理念 とは主観的なものと客観的なものの統一である。 もし私たちが、それは単なる概念にすぎない、と言うときには、そこには現実性が欠けていることを示している。それに対して、単なる客観性は概念を欠いている。しかし理念は、現実が概念によってどのように規定されるかを示すものである。すべての現実的なものは理念である。
※5
Die Logik enthält das System des reinen Denkens.
論理学は純粋な思考の体系をふくんでいる。
ヘーゲルにおける「論理学(Logik)」は、通常の形式論理学とは異なって、存在そのものの根底にある「純粋思考(das reine Denken)」を、すなわち、「思考の概念的運動」そのものを問題にしている。「純粋」というのは、思考そのものの内在的な自己展開には、経験的な、感性的な要素は関わらないからである。
ヘーゲルの全哲学体系はこの「論理学」に始まり、それは「概念の自己運動としての実在」が、つまり「理念(Idee)」への発展過程として示されている。
たとえば「存在」→「本質」→「概念」と進む弁証法的展開は、現実世界のすべてを根底で支える論理的な構造であって、それが「純粋思考の体系」として捉えられている。
※6
Das Sein ist 1) das unmittelbare; 2) das innerliche; die Denkbestimmungen gehen wieder in sich zurück.
存在とは(1)直接的なものであり、(2)内的なものである。思考の規定は再び自己の内に戻ってくる。
ここでは「存在(Sein)」のもつ二重の性格が述べられる。
まず、unmittelbar(直接的な)というのは、何の媒介もなく、ただそこに「ある」ものとしての存在であり、それはもっとも抽象的な起点であり、感覚的な「ある」である。
innerlich(内的な)というのは、この存在が、たんに外部に感覚的に現れるだけでなく、思考によって反省(反射)的に捉えられたときには、内面性をもつものとして、存在はその内に折り返して、自己反省して、本質(Wesen)を洞察する。
思考の運動としては、「思考の規定(Denkbestimmungen)」がただ他者を規定するだけではなく、自らに戻ってくる(内面化する)という動きである。思考は、存在のたんなる外面を超えて、存在するものの中へと進んでいく。これは「自己への反射(Reflexion in sich selbst)」でもあり、ここから本質論へ入る。
※7
Die Gegenstände der gewöhnlichen Metaphysik sind das Ding, die Welt, der Geist und Gott ...
伝統的な形而上学の対象は物、世界、精神、神である。
ヘーゲルはここで伝統的な「形而上学(Metaphysik)」の四つの主要な対象領域をあげる。
Ding(物):存在の最小単位、物理的対象。ー→ Ontologie(存在論)
Welt(世界):物の全体構造としての宇宙。ー→ Kosmologie(宇宙論)
Geist(精神):人間の自己意識的活動、自由をもつ存在。ー→ Pneumatologie(精神論)
Gott(神):絶対的存在としての究極者。ー→ Theologie(神学)
しかしヘーゲルにとって、これらはすべて論理的に一つの体系の中で発展するもの、理念の自己展開として説明される。
※8
Was der Begriff darstellt, ist ein Seiendes, aber auch ein Wesentliches ...
概念が示すものは、存在するものであり、同時に本質的なものである。
「概念(Begriff)」は単なる言葉や定義ではなく、存在を自己運動によって本質化する動的な論理的な構造のことである。
Seiendes(存在するもの)とは、現実にそこに「ある」もの。
Wesentliches(本質的なもの)とは、そこに「あること」に内在している根拠や意味のこと。
たとえば、「レモン」という存在の本質は、リンゴやバナナといった他の果物と比較され関係付けられて、反省(Reflexion)され、柑橘類としてその酸っぱさや、黄色という色彩や、絵画や文学の素材などとしてレモンの本質が認識される。また、たとえば「国家」という存在は、ただ制度として存在するのではなく、その存在を通じて「自由」や「理念の実現」といった国家の「本質」を現すような論理的な構造をもっていることが洞察される。
※9
Das Sein hebt sich in dem Wesen auf.
存在は本質において自己を止揚する。
存在(Sein)はそのままでは感覚的に抽象的で空虚なものであり、それを思考の媒介を経て内面化、深化させたものが本質(Wesen)である。したがって、存在が本質へと移行する過程は、単なる否定ではなく、より深い真理としての「本質」のうちに、「存在」が保存され、止揚される運動ととして捉えられる。これは論理学において「存在論」から「本質論」への必然的な発展の論理として、「止揚(Aufhebung)」の具体的な事例として説明されている。
※10
Das Vergängliche hat das Wesen zu seiner Grundlage
移り行くものは、本質をその基礎にもち、それから生じる。
「万物は流転する」というヘラクレイトスの立場を引き継いだヘーゲルは、「生成(Werden)」という動的過程を強調する。移ろいやすいもの(Vergängliche)は偶然的なものに見えるが、移り行くものの生成には、その事物の本質が現象してくる。一見「生成された(Gewordenes)」もの、つまり変化したもの、結果のように見える存在も、実は「根源的(ursprünglich)」な本質が自己展開したものにほかならない。
たとえば、一つの国家制度が変化・崩壊したとしても、その現象の背後には「自由」や「理念国家」といった根本理念が本質が変容しながら働いている。
移ろいやすいもの(Vergängliche)は偶然的なものに見えるが、その生成を通して、理念の必然的な運動がそこに貫かれていると見る。
※11
aber das Gesetzte verhält sich doch als wahr.
定立されたものは、それでもなお真理である。
本質も概念も思考主体によって主観的に「定立された(gesetzt)」ものであるが、しかし、
それは単なる主観の任意な思いつきではなく、対象そのものの真理を含んでいる。
つまり、本質(Wesen)も概念(Begriff)も私たちが「作る」ものであると同時に、そこには「客観的真理」が保存されている。そこでは主観と客観が止揚され統合されている。
※12
Alles Wirkliche ist eine Idee.
すべての現実的なものは理念である。
ヘーゲル哲学においては、Begriff(概念)は単なる主観的な思考の産物、観念ではなくて、主観的・客観的側面を統合したものである。その統合とされたものとしての、Idee(理念)は、現実(Wirklichkeit)を構成する原理である。
ここで言う「理念(Idee)」は、単なる理想や観念ではなく、概念によって貫かれた現実そのものであり、たとえば、「国家」という現実も、「法」や「自由」「倫理」といった概念によって規定され、そうである限りにおいて、国家は「理念的な実在」である。
逆に言えば、理念を欠いた現実(たとえば、倫理なき法、理念なき制度)は「真の現実」とは言えない。つまり真の「現実性(Wirklichkeit)」を持たない。
だから、理念を欠いた日本国憲法の上に立つ日本国家は「真の現実」ではなく、ヘーゲル哲学的な観点からみれば「現実性(Wirklichkeit)」を持たないということになる。
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