ヘーゲル『哲学入門』 第二篇 論理学 第七節 [論理学と真理]
§7
Die Wissenschaft setzt voraus, dass die Trennung seiner selbst und der Wahrheit bereits aufgehoben ist oder der Geist nicht mehr, wie er in der Lehre vom Bewusstsein betrachtet wird, der Erscheinung angehört. (※1)
第七節 [論理学と真理]
科学としての論理学は、自己自身と真理との分離がすでに止揚されていること、すなわち精神がもはや『意識の学(精神現象学)』において考察されるような仕方で〈現象〉に属していないことを前提としている。
Die Gewissheit seiner selbst umfasst Alles, was dem Bewusstsein Gegenstand ist, es sei äußerliches Ding oder auch aus dem Geist hervorgebrachter Gedanke, insofern es nicht alle Momente des An- und Fürsichseins in sich enthält: (※2)
自己自身の確信(自己のうちにある確実性)は、意識にとってのすべての対象を、すなわち外的な事物であれ、精神から生み出された思考であれ――を含んでいる。ただし、それが〈それ自体であること〉(Ansichsein)と〈それ自身にとってあること〉(Fürsichsein)のすべての契機を内に含んでいる限りにおいて、である。
an sich zu sein oder einfache Gleichheit mit sich selbst; Dasein oder Bestimmtheit zu haben. Sein für Anderes; und für sich sein, in dem Anderssein einfach in sich zurückgekehrt und bei sich zu sein. (※3)
Die Wissenschaft sucht nicht die Wahrheit, sondern ist in der Wahrheit und die Wahrheit selbst.(※4)
すなわち、「それ自体である」とは、自己と単純に一致していること、「現存在」や「規定性」をもっていること、「他なるものに対して存在していること」、そして「それ自身にとって存在すること」――これは、他なるもののなかにあっても、それが単純に自己へと立ち返り、自己のもとにあることである。
論理学は真理を 探し求める のではない。論理学は真理のなかにあり、それ自体が真理なのである。
※1
「論理学(Wissenschaft)」とは、ヘーゲル哲学においては体系的な自己展開を行う思考のことである。「Trennung(分離)」は、以前の段階(『精神現象学』)で「意識=主体」と「真理=対象」との対立構造にあったものが、それが「aufgehoben(止揚された)」ことによって、両者が弁証法的に克服されて、精神が自己自身のうちに真理をもつ段階に入ったことを意味する。
「現象(Erscheinung)」に属さない、ということは、現象界の背後にある理念的・概念的な真理の場に到達しているということ。
※2
〈それ自体であること〉(Ansichsein)とは、あるものが、それ自身であり、内在的に規定されている状態で、他者との関係性を持たない「存在そのもの」、客観的存在。
〈それ自身にとってあること〉(Fürsichsein)とは、主体が、自分を他者から区別して、自己を自己として意識している状態であり、自己意識や主体性、自律性を意味している。
Gewissheit seiner selbst(自己確信)とは、『精神現象学』でいう「自己意識(Selbstbewusstsein)」のことで、自己を「知っている」という主観的な確信・信念であり、そこにはあらゆる対象が含まれているが、それだけでは不十分であり、ここで主観と客観が統合されて「真に自己である存在(an und für sich)」であるときにはじめて「真理」となる。
※3
単なる「存在」ではなく、「他なるものとの関係性」を経て、「自分自身に戻ること(=自己同一の再獲得)」という理念の構造が予告的に述べられている。「客観(an sich)」→「主観(für sich)」→「統合・絶対(an und für sich)」というヘーゲル弁証法の三段階の構造が端的に説明されている。これは「理念(Idee)」のダイナミズムでもある。
※4
ヘーゲルはここで「思考(主観)と存在(客観)の一致」をあきらかにし、論理学とは真理の展開に他ならないという。カント以前の哲学では、真理は「対象を発見する」ものであったが、ヘーゲルにおいては、真理とは概念(Begriff)そのものの自己運動である。この前提の上に、その論理は、存在論ー→本質論ー→概念論ー→理念論 へと展開していく。
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