作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

アメリカ考①

2006年08月28日 | 歴史

アメリカ①

アメリカという国は、江戸末期にペリー提督が黒船に乗ってやってきて、鎖国の天下泰平の夢にひたっていた日本人に、蒸気煎茶を飲ませて夜も眠られぬようにした国である。そして、二十世紀に入ってからはこの両国は、太平洋の大波を東西の両岸にはさんで対峙する。やがて両国は国家総力戦を戦い、そして、アメリカは原爆を投下し、日本国憲法を制定するなど勝者として君臨し、日本民族の歴史に未曾有の刻印を残した。

それから半世紀以上も過ぎた今日、日本国は日本国としての真の自由と独立を回復するために、あらためて太平洋戦争前後の歴史を、さらには日本国の近代史そのものを、今一度文明史の視点から、あるいは、民族の精神史、文化史の視点から、より深く相対化し検討せざるえない。そういう歴史的な段階に来たっているようである。アメリカは先の太平洋戦争を通じて、その日本の敗北を通じて、単に経済的のみならず文化的にも精神的にも日本国民に深い爪あとを残していった。日本人はそれゆえにアメリカという国を相対化して本質的に検証し、それを止揚することなくして、真に自由には、日本人にはなれない。

また、今日アメリカは二十世紀の東西冷戦を勝者として勝ち残り、唯一の超大国として二十一世紀にも世界に君臨している。このアメリカと、どのように関わってゆくかは、日本のみならず、世界中の多くの国家国民の切実な課題になっている。

とくに、高度の情報科学技術社会の到来にともない、いわゆるグローバリズムの吹き荒れる世界の中で、アメリカの本質をどのように認識して、国家が主体性を失わず、自由と独立を回復しながら、どのようなスタンスを取ってこのアメリカという国と外交関係を構築してゆくかは、単に経済的のみならず日本国民の文化的精神的状況にも致命的な命運をもたらすことになる切実な問題である。それは、日本人が自己のアイデンティティーを何に求めるかという問題ともかかわる。

アメリカの本質

アメリカという国をどのように認識すべきか。物事の本質というものは、それが発生し誕生した時の性質にもっとも明確に刻印されているものである。

アメリカという国が誕生したのはアメリカ独立革命によってである。その精神は、トマス・ジェファソンらによって起草された『アメリカ独立宣言』の中に表明されている。その精神とは、ピューリタンの思想家であったジョン・ロックの系譜を踏むもので、祖国イギリスの絶対君主制からの独立をめざして、自由と民主主義を国家の原理とすることを宣言するものであった。アメリカとは「自由と民主主義」の精神の母胎から生まれた国である。アメリカはこのような歴史的な、世界史的な使命(規定)を受け取って誕生した国である。

そして、自由と民主主義の精神が経済活動において現象するとき、それは資本主義となる。アメリカは、正しく世界史的な必然をもって、黒船に乗って太平洋の荒波を越え、その大砲によって、300年に及ぶ徳川封建制の天下太平の安眠を貪る日本人の目を覚まさせたのである。

それから百五十年、この国は今現在、二十一世紀の世界にあって軍事的にも経済的にも唯一の超大国として世界に君臨し、その影響力を行使している。さきの二十世紀の末には、朝鮮戦争・ベトナム戦争などを戦い、ソビエト連邦との冷戦に勝利し、さらに、アフガニスタン、イラク戦争など中東に深く足を踏み入れ、9・11以降は、世界に浸透する対「テロ」との戦いの泥沼に足を踏み込まざるを得なくなっている。

その一方で、アジア大陸において13億人の人口を擁し、経済的にも軍事的にも膨張著しい新興の中華人民共和国とは、かって日本が太平洋の両岸でアメリカと対峙したように、必然的にアメリカと対峙し、いずれは、その矛盾によってもたらされる緊張関係がどのような現象を引き起こすかは、この両超大国に挟まれた宿命的な地理的位置にある日本国の命運に深くかかわるものである。

 

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哲学の仕事②

2006年08月25日 | 哲学一般

先日のニュースで、数学の「ガウス賞」初代受賞者に、伊藤清京大名誉教授が選ばれたことが報じられていた。この賞は、実際に役立つ数学の応用に実績をあげた研究者を顕彰するそうである。伊藤清氏の業績は、氏が1942年に内閣統計局に勤務していたときに研究したという、粒子の不規則な運動を予測する「確率微分方程式」の理論に対して与えられたそうである。

しかし、この方程式が実際に応用され活用されたのは、実に40数年後の1980年代に、「デリバティブ(金融派生商品)」の価格決定に関する理論においてだそうである。だから、伊藤清氏の理論が株屋さんの金儲けに「実際に役立つ」のには、ほぼ半世紀の歳月を要したということになる。これは数学の世界の話である。

ひるがえって、同じ学問科学の世界でも、哲学においてはどうだろうか。哲学は、果たして数学のように「実際に役立つ」ことを期待できるのだろうか。もちろん、その答えは、人がどのような「哲学観」をもつかによって決まるのだろう。ある人は、哲学は詩や文学と同じだから、必ずしも「実際に役立つ」ことがなくともよいのだ、というかもしれない。音楽などと同じようにそれ自体に意義があって、哲学が「実際に役立つ」ことなど求められるだろうかと言うわけだ。

あるいは、自然科学や社会科学と同じように、哲学にも現実に有効な「実際に役立つ」ことを要求する哲学者がいるかもしれない。私も実はこの立場に立ちたいと思っている。哲学もまた現実に有効な理論的知識でなければならない。

それでもし、哲学が実際に役立つとすれば、それは哲学がどのような性質を持っているからだろうか。

哲学はまず第一に、「真理」を探求することを目的としている。「真理とは何か」それ自体が哲学の中心的なテーマである。そして、宗教がまた「真理」にかかわる世界だとすれば、哲学は宗教と接点を持つということになる。哲学が宗教を問題にし、また、宗教とならべて論じられるのも、そのためである。だから、真理を知ろうとすれば、哲学や宗教の門をたたかなければならないということになる。

しかし、哲学が宗教と異なって一つの独立した領域を形作っている限り、哲学が宗教と異なる独自性があるはずである。その独自性とは何か。それは、哲学が思考をあるいは概念を唯一の研究手段としているところにある。哲学は何より真理を思考によって、概念によって把握しようとする。哲学とは、思考を思考によって分析すること、概念を概念によって研究することでもある。だから、哲学は「思考の科学」と呼ぶこともできる。哲学が言語学や心理学と近接した関係をもつのもそのためである。

ただ、この仕事は、それが極めて困難でゆえに、私たち凡人には容易に成し遂げられないということなのだろう。そして、哲学は宗教を理解するが、宗教は哲学を理解できるとは限らない。哲学も宗教も同じく「真理」を、世界との宥和を、宗教的に言えば「救い」を目的とし、対象としているのに、宗教が時には狂信的に熱狂し、「理性」を失って最悪の「非真理」に転化しがちであるのと異なっている。

宗教が「信仰」を求めるのに対して、哲学はその正反対に「疑う」ことを本質とする。その意味で、プラトンが、「どこに行き着くか分からないけれども、思考の、論理(ロゴス)の行き着くところまで徹底して行こう」と語っているのは、いかにも「哲学の父」にふさわしい言葉といえる。ヨーロッパ人のその「ロゴス」に対する信頼は、このプラトンに始まる。ヨーロッパの羨むべき貴重な伝統であり遺産だと思う。また一般に、コーカサス人種が観念的であるのに対して、モンゴル人種は実利的であるといわれているように、東洋人にとっては哲学は得意な分野ではないのかもしれない。

明治の文明開化以来100余年を経過しているけれども、残念ながらわが国にこの伝統が移植され根付いたとは全く思わない。わが国の科学や学問は、その実利的、実用性の側面はとにかく、ひよわな宗教の精神と同じく、あるいは、それが原因で、その根はまだ極めて浅く脆いと言うべきだろう。


人は誰でも自由にのびのびと思う存分に「思考」しているのだけれども、ただ、往々にして、優れた自然科学者であっても、その思考を論文、著書などに書き表しているのを読むとき、その論文に使用されている、「概念」や「判断」、および「推理」などがきわめて粗雑だと思うことが少なくない。もちろん、私自身のそれもきわめて粗雑だから、偉そうなことを言う資格は全くないことはよくわかっている。けれども、多くのベストセラー作品を生み出している、脳解剖学者の養老孟司氏や数学者の藤原正彦氏らの著書を読んだときも、そのような印象を受けた。(書評 藤原正彦著『国家の品格』)


だから、やはり、少なくとも学問や科学の世界で生きてゆこうと考えるような人は、一通り哲学の基礎的な訓練を受けておく必要があると痛感している。もし哲学に「実際に役立つ」実利的な性格があるとすれば、学者や科学者ら研究者の思考や論理がより正確により厳密になることが期待できることだろうか。少なくとも、哲学によって、つねに思考の厳密性、正確性を向上させて行かなければならないという自覚を持つようにはなる。

実際に太平洋戦争前の大学や大学院では、科学研究者の基礎的な教養として論理学の訓練を受けたと聞いているが、最近の大学や大学院ではあまりそういうことは聞かない。これはまあ私の世界が狭いだけかもしれない。


ある国民の政治や教育、芸術、行政(地方自治)その他の水準が貧しく低いとすれば、それは結局、その国民が所有する大学および大学院での教育の貧困に原因がある。国民や民族の文化は、その国民や民族が所有する大学および大学院の水準に規定されるからである。それ以上に高まることは期待できない。日本の大学教育と欧米のそれとを比較してみることである。

加藤紘一氏や小沢一郎氏、小泉純一郎氏ら政治家も、また、財務省や外務省の公務員職員も、そして堕落したマスコミ人もすべて、大学で「教育」されて社会に送り出されてきたのである。彼らもまた大学で「倫理教育」と「学術教育」を受けて世に送り出されて来る。現在の大学が彼らのような水準の人材しか社会に送り出しえていないとすれば、大学教授をはじめとする大学の教職員は、今一度自分たちの使命と義務を深刻に反省する必要があるだろう。そして、その中でも、大学および大学院で、どの程度の水準で哲学研究が行われているかが決定的に重要であると思う。大学改革の難しさもここにある。

政治家における人材をとっても、吉田松陰などは言うまでもなく、岸信介や池田勇人ら往年の政治家らと比較しても現代の政治家の資質はどうか。自民党の総裁候補、安部晋三氏は憲法改正とならんで教育改革を新政権のテーマにするようである。江戸明治大正期の教育と教育制度を、もちろん、それらを絶対視するつもりは毛頭ないが、戦後世代が自分たちの受けた教育を相対化して反省し、現在のそれと比較することによって、アメリカ占領軍の統治下で始まったいわゆる戦後教育の制度と内容の欠陥を、あらためて根本的に再検討するという問題意識をせめてもたなければならないと思う。それが、日本が自由で独立した主権国家としての道を歩みだす第一歩である。哲学もまた「真理」の探求をみずからの仕事と課す限り、そのためにいささかでも貢献できることがあると思う。


 

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宗教と国家と自由

2006年08月23日 | 哲学一般


現行の日本国憲法は確かに信仰の自由、宗教の自由、良心の自由などは最高の価値として認めている。だからこそ、私たちは小泉首相の靖国神社参拝を否定しなかったのである。しかし、問題はそこにとどまるものではない。さらに、その信仰そのものの、その宗教の、その良心の「真理性」が問われなければならないだろう。少なくとも、私たちが宗教的に、文化的に高級な自由な人間であろうとする限り、さらにその信仰が「真理」であるかが問われなければならないのである。

「鰯の頭も信心から」という言葉があるが、その宗教が真理であるか、その「良心」の内容が真理であるか、が問われなければならないだろう。オーム真理教や靖国神社や創価学会その他の既成、新興の宗教が宗教として真理であるかが問われなければならない。神戸児童連続殺傷事件の酒鬼薔薇少年ですら「バモイドオキ神」を信仰していたではないのか。単に信じればいいという問題ではない。信じる対象が、真理であるのか、それとも「鰯の頭」その他なのかどうかが問題なのである。

真理以外の対象を崇拝することを偶像崇拝という。そして、宗教の自由とは、いかなる「神」をも信じる自由ではなく、真理を信じる自由のことである。憲法で保証されている言論の自由、宗教と思想信条の自由、良心の自由とは、この真理を信じることによってもたらされる自由のことである。

単に形式における自由のみではなく、その内容の自由が、その真理性が問われる必要がある。小泉純一郎氏をはじめ現代日本人にはこの問題意識がほとんどないのではないか。歌手プレスリーに舞い上がる小泉氏その他の政治家を思想家としてはほとんど評価しないのもそのためでる。そこにあるのは盲目的な「信仰」であり、その神が「鰯の頭」か「バモイドオキ神」か、はたまた「松本智津夫」か「毛沢東」か、その神々の内容こそが問われなければならないという自覚と反省はない。

神について劣悪な観念しかもてない民族は悲惨である。旧約聖書でモーゼやエリヤが異教徒の神々を攻撃したのは、それらの神々が人身御供を要求するような劣悪な神だったからである。モーゼは警告して言った。「あなたの主なる神に対しては、彼ら(異教徒)と同じやり方で崇拝してはならない。彼らは主が憎まれ、嫌われるあらゆることを神々に行ったからである。彼らは自分たちの娘や息子さえ祭壇の火に生け贄として捧げたからである。」(申命記第十二章第三十一節)

哲学者ヘーゲルも言っている。「神について劣悪な概念をもつ民族は、また、劣悪な国家、劣悪な政治、劣悪な法律しかもてない」と。また、「人間が絶対的に自由であることを知らない諸民族は、その憲法上でも、またその宗教上でも陰鬱な生活をしている」と。

キツネやヘビを崇拝する宗教をいまだ脱しきれていない日本国民には、この哲学者ヘーゲル氏の言葉に耳を傾けて、その真偽を検証する価値と必要があるのではないだろうか。

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詩篇第九十篇註解

2006年08月18日 | 宗教・文化

詩篇第九十篇

祈り。モーゼ、神の人。

主よ、あなたこそ、代々に私たちの住み家。
いまだ山々が生まれぬ前から、
あなたが地と世界をいまだ造られぬ前から、
永遠から永遠にいたるまで、あなたは神。
あなたは人を土に帰して言う。
「帰れ、人の子よ」
まことに千年といえど、あなたの目には
まさに昨日の昼のように過ぎ去り、
また夜の見張りの一時のよう。
あなたは人を眠りのうちに流し去る。
朝には草のように萌え出で、
朝には花のように咲き出で、
夕べには、刈られて枯れる。
まことに、私たちはあなたの怒りによって燃え尽き、
あなたの憤りによって恐れ惑います。
あなたは私たちの不正を御前に置き、
私たちの隠された悪をあなたの御顔の光にさらされる。
まことに、我らの日々はすべて、あなたの怒りの中を過ぎ、
私たちの生涯はため息のように尽きます。
私たちの齢は七十年。
たとえ健やかであっても八十年。
しかもそこに得たものは苦しみと災い。
瞬くうちに過ぎ去り、私たちは飛び去ってゆく。
誰があなたの怒りの力を知っているのか。
あなたの憤りを畏れるように。
私たちの生涯の日々を正しく数えることを教えて、
私たちの心に知恵を得させてください。
戻って来てください。主よ、いつまでなのか。
あなたの僕らを憐れんでください。
朝に、あなたの愛に満ち足りれば、
私たちは生涯を喜び歌い、祝うでしょう。
あなたが私たちを苦しめられた日々と、
私たちに災いを降された年々に応じて、
私たちを喜ばせてください。
あなたの僕らにあなたの御業を見させ、
彼らの子供たちのうえにあなたの栄光を現わしてください。
そして私たちの神、主の恵みが私たちの上にありますように。
どうか私たちの事業を確かなものに、
どうか私たちの事業を揺るぎなきものにしてください。

 

詩篇第九十篇註解

主なる神の絶対性と永遠性、それに対する人間の有限と果敢なさ、敬虔な神の人、モーゼの嘆き。

詩篇の中にはダビデ作とされるものが圧倒的に多いが、この第九十篇はモーゼの祈りとされている。モーゼの生涯については、いわゆる『モーゼの五書』の中の「出エジプト記」から、「申命記」に至るまでに記録されている。それによれば、モーゼはエジプトの王女の養子として、当時の最高の教育を授けられて育てられたようである。

いずれにせよ、モーゼはユダヤ教、イスラム教、キリスト教の父といってもよい存在である。これらの宗教は「モーゼの五書」を根底に据えることによって、精神的な類縁関係にある。彼がいなければこれらの宗教もなかった。現代のユダヤ人も現在のような形で存在していたかどうかわからない。モーゼがいなければ、キリストもマホメットも存在しなかった。それほどにモーゼは、人類の歴史の核心に位置する人物である。

モーゼは十戒をはじめとするさまざまな律法の規定を彼自身の民族に課したが、何よりも特筆されるべきは、唯一神教に代表されるこの宗教の世界観であろう。その神は天地、宇宙の創造者として唯一である。唯一であるがゆえに絶対的でありまた排他的である。そうした傾向を、ユダヤ教イスラム教キリスト教は共通の精神的な母胎としてもっている。

モーゼの生涯やその宗教の特質についての詳細についても興味はあるが、ここでは深くは立ち入れない。これからも詩篇に読みとれる限りで、モーゼの精神と思想に触れてゆきたいと思う。ユダヤ教やイスラム教、またキリスト教の精神を研究しようとすれば、当然にその母胎であるモーゼの宗教に、さらには、この民族の始祖であるアブラハムやこの中東地域の伝統的な宗教の司祭であるメルキデセクらの宗教にも触れざるを得ない。しかし、この地域の宗教の歴史的な発展に根本的な影響を及ぼしたのはモーゼである。モーゼの宗教はこれらの民族の宗教の集大成として存在する。

主よ、あなたこそ、代々に私たちの住み家。

主は、世々に私たちの住む所であることをモーゼは歌う。ヤーベ神は、モーゼにとって永遠の隠れ場、住み家、逃れ場である。この神は、天地、宇宙が創造される前から、そして、永遠の昔から未来永劫にわたって存在する神として知られている。モーゼ五書の劈頭の書『創世記』にも記されているように、この神は天地創造の神であり、また、人類の造り主でもある。土から人を造り上げた神はまた、人間にとって「主」としても存在する。この神は、人間に命令し人間を支配する。また人を限り有る存在として土に帰す。主の永遠性に比すれば、人間とは実にはかない存在である。

主なる神にとって、千年や二千年は、人間にとっての一日のように、時間の長さを超越した存在である。それに比して、人間の生涯はなんと果敢ないことか。それは、果敢なく空しいものの象徴である草や花にたとえられる。その生涯は眠りの中の夢のように果敢ない。モーゼは、永遠の存在者との対比において人間の果敢なさ、空しさを歌う。

仏教でも同じように、「朝の紅顔、夕べの白骨」として人間の命の果敢なさは捉えられているが、仏教の基調は無であり空の上に立てられた果敢なさである。そこには、唯一神の存在はなく、また、人間の隠された悪を憤りと怒りをもって裁く「人格」としての神もない。それに対して、モーゼの宗教では絶対者であり永遠者である主なる神を前にして、おそれ慄く人間がいる。

周知のようにモーゼにおいては、神が絶対的唯一神として、かつ人格的、倫理的存在として捉えられていることである。これが、モーゼの宗教を他の諸宗教から区別する隔絶して異なる根本的な点である。モーゼの宗教に比べれば、他の諸宗教の倫理的な意識は、朦朧としたベールのなかにある。

モーゼもその生涯にさまざまな苦難と試練の中を生き抜かざるを得なかった。彼が生涯に出会った苦難は、エジプトにおける彼の同胞たちを奴隷的な境遇から解放するためであった。そのためにモーゼは、彼が育ったエジプトの王宮の快楽に満ちた生活を捨てた。(モーゼの生涯の内容については「出エジプト記」や「民数記」「申命記」などに詳しく記録されている。)そのためにモーゼは、近隣の異民族、異教徒たちに対してだけではなく、同胞たちの堕落とも戦わなければならなかった。モーゼの死の苦しみは、主の怒り、主の憤りによるものだった。

モーゼは生涯の苦しみは、主の御怒りによるものであり、それは、隠された罪のためである。その苦しみのなかに、彼の生涯はため息のように尽き果てようとしている。仏教もまた苦の諦観の中に人間を置くが、しかし、仏教は本質的に無神論であるか多神教であるから、無や空を観照する中で救いを得ようとする。それに対し、モーゼの神は絶対者であるから、その仲介者無くしては救われない。

誰があなたの怒りの力を知っているのか。
あなたの憤りを畏れるように。

モーゼはそうした苦しみの中に人間に与えられた生涯の時間が瞬く間に消え失せてゆく空しさを歌うとともに、絶対的な裁きとして現れる主なる神の威力に対する畏れを教える。

また、人間の生涯は短く、その日数も数えられる。人間はいつか必ず死ぬ。それによって、みずからの有限性を悟り、心に知恵を得られるようにと祈る。モーゼの神は生ける人格神として、人間の精神と直接にかかわることで、その祈りは生きて躍動するダイナミックなものとなっている。

戻って来てください。主よ、いつまでなのか。
あなたの僕らを憐れんでください。

モーゼの生涯も、イエスと同じように苦しみに満ちていた。その苦しみの中から、モーゼは主なる神の愛と憐れみを求め、苦しみに応じて喜びと楽しみを賜ることを祈る。モーゼの詩のこうした祈りを読むとき、これと同じ精神がイエスや聖書のその他の預言者の中にも貫かれていることがわかる。このモーゼの祈りは、その千数百年後に生きたイエスの祈りでもあった。

モーゼは彼の民族に、呪いと祝福を与えたが、呪いが本意でなかったことはいうまでもない。モーゼは彼の子孫のために、主の栄光を、神の摂理を見つめることを祈り、主の喜びが彼らの頭の上に留まることを祈った。

そして最後に、モーゼは彼の仕事が確かなものとなるように祈る。
モーゼの使命とは、彼の民族を宗教的に導き、神の民とすることであった。その使命が永遠に揺るぎなく果たされることを祈る。


このモーゼの祈りは、神に聴き入れられたか。それは人類の歴史を見ればわかる。モーゼの事業は、イエスに受け継がれ、マホメットに受け継がれて、永遠に揺るぎなきものになっている。

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悲しきチャンピオン―――亀田興毅選手一家に見る戦後日本人像

2006年08月10日 | ニュース・現実評論


人は独りでは生きられない。だから、人間は社会的な動物であるともいわれる。そのために人間の生活には、社会生活を効率的に快適に営んでゆくために、人と人とのかかわり方を律する何らかのルールや規律が絶対的に必要とされる。歴史のある国や社会であるならば、それが文化や伝統として長い歴史的な時間のなかに、人々の行動様式にまで形成されているはずである。そうしたルールや規律が、言葉(日本語)であり、また、いわゆる道徳とか倫理とか呼ばれるものなのだと思う。

言葉と同じように、その文化や伝統における倫理や道徳の消滅していることをまぎれもなく示したのが、先のライト・フライ級世界タイトルマッチ戦に見られた亀田興毅選手とその兄弟一家ではなかっただろうか。

全国ネットのテレビ局TBSはドラマ仕立てで、それを全国に放映してくれた。このドラマのテーマは亀田選手で、ストーリィは、勝利者チャンピオンの「個性」である。チャンピオンでありさえすれば、いちいち他人の眼や思惑など知ったことか、「カラスの勝手でしょ」ということのようだ。個性や自由という言葉も実に軽くなったものだ。

確かに、どんなに振舞おうが、それは亀田選手の自由で、それは彼の個性かもしれない。まして、彼はテレビ局やジムの周囲の大人たちからの奨励もあり承認も得ているのだから。このようにして現在および将来の日本人は、自分たちの身近にさらに多くの亀田選手のような個性を、これからも隣人としてもち、付き合ってゆくことになる。

とは言うものの、亀田選手の周囲に集うスポーツ関係者たちには想像力や論理的に推測する能力に欠けているのではないだろうか。もしそうなら、とうてい真の強者にはなれないのではないかという印象をもった。本当の強者となるには高度の想像力や論理的な能力が必要であることは、先のドイツ・ワールドカップ戦でのジーコ・ジャパンチームの惨めな敗北で分析したところである。(「日本サッカー、対オーストラリア初戦敗退が示すもの」)おなじスポーツであるプロボクシングにおいても論理的には同じことが(さらにいえば、国家や国民についても)言えると思う。

残念ながら、この程度の知性では、歴史に残るような本当に強いチャンピオンとして名を残せないのではないか。流れる川の浅瀬のあぶくのように、はかなく消えて行くのみであるのかもしれない。あるいは、ひょっとして、面白くはかなきチャンピオンの象徴として名を残すのかもしれない。だから何となく悲しいのである。そして、彼はまた日本人のチャンピオンでもある。

このチャンピオン戦の放映で、ダウンを奪われた相手のベネズエラのランダエタ選手から亀田選手が判定勝を勝ち取ったシーンでは、瞬間最高視聴率は、52.9%にも上ったそうである。だから、興行的には大成功だったといえるかもしれない。

しかし、物事は短期的にばかりではなく、長期的にも見なければならない。テレビ視聴者の93%が、亀田選手の敗北を確信する中で、ベネズエラのランダエタ選手にではなく、2対1で亀田選手に勝利を宣告したジャッジの判定が、ボクシングというスポーツの品位と信用をなくして、やがては、このスポーツの長期の衰退を招くことにはならないかと思う。杞憂であればいいのだが。


それにしても、テレビ局というメディアは、こうしたスポーツイベントに、どこまでかかわることができるのだろうか。私のような門外漢の素人にはよく分からない。しかし、亀田兄弟選手のリング場の内外での派手なパフォーマンスに、マスコミ関係者が全く無関係であるようにも思えない。


チャンピオン戦前夜の選手の体重計量記者会見で見られたのは、亀田興毅選手がチキンの腿肉をしゃぶり、ランダエタ選手の顔のフライパンをへし曲げるというパフォーマンスだった。そこにあるのは、ファン心理をあおって視聴率を稼ぎ出そうという魂胆をさらけ出した周囲のマスコミ、ボクシング関係者その他のマモニズム、黄金崇拝者たちの姿ではないだろうか。まあ堅いことは言わず、面白ければよいとするか。


いずれにせよ、こうして彼らによって作り出された虚像の新チャンピオンは、やがて、その実力を天下の衆人の眼の前にあっけなくさらすことになるだろう。実力をもって勝ち取るのではないとすれば、チャンピオンベルトを果たして何時まで腰に巻いていられるだろうか。それとも亀田興毅選手はウルトラマンのように変身できるのか。

 

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初台風の風

2006年08月08日 | 日記・紀行

台風七号の接近で空模様を心配していたが速度が遅いらしく、夕方までは夏らしい美しい青空が広がっていた。台風の接近を予感させる強い風と、足の速い天空の雲の切れ目から、透き通るような陽光が降り注ぐ。

国道九号線の亀岡から桂方面へと下る桂坂あたりからも、京都の市街地が眺望できるが、ふだんは空気も淀んでいるため、市街地はいつも低く灰褐色に広がっている。けれど今日は、近づく台風の強い風で塵が吹き飛ばされたせいか、光も透き通っていた。まだ高い陽の光を受けて、京都タワーをはじめ、さまざまなビルやその他の建物の一つ一つが、それぞれの色彩と輪郭を際立たせていた。きれいな鏡に影を映したように、東の低い盆地一帯に広がっている。まぎれもない夏の光景だ。

かって静岡で暮らしていたとき、ちょうど家の近くに中田島砂丘があり、黒松林の続く海岸公園が家の前にあった。それで、折りに触れて海岸に出て散歩したことがある。京都に戻ってきてからは、あらためて大原野一帯の里山の美しさに気づかされることも多いが、ただ一つ残念なことは、浜辺を散策できなくなったことだ。京都は盆地の中だからどうしようもない。そういえば、今年になってまだ一度も撫子の花を見ていない。

潮風に吹かれながら遠州灘の海辺を裸足で散歩する快さは言うまでもない。水平線のはるか彼方には汽船が行き交っていた。さらにその向うにはアメリカがあった。四季それぞれ浜辺に趣はあるが、夏の浜辺も印象深い。海をたやすく見れなくなったのが、唯一残念な気がする。そして、ちょうど今日のような暑い夏、海岸にまで出る途中の防砂林の中の草むらのあちこちに、撫子がよく咲いていたのを思い出す。その一株を引き抜いて家の庭に移し植えたこともある。

夏が来て、百日紅や夾竹桃の花はあちこちに見るけれども、そういえば撫子の花だけはまだ見ていない。また、何かの折に見つけられるかもしれない。もともと撫子は、光の豊かな東海の、砂地の多い土地にふさわしいのだろうか。

 

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桜井ファンダさん

2006年08月06日 | ニュース・現実評論

桜井ファンダさん、コメントありがとうございました。

http://blog.goo.ne.jp/askys/cmt/9fc08c3d7ba2883c383b7411ad5103b4
その中に、

>靖国問題で産経、朝日などとありますが朝日はともかく産経は靖国では正道を行っていると思ってますが。
日経と産経を間違われたかと、、<

というご意見がありましたが、間違ってはいません。
ただ、このブログの記事を書いていた時点では、まだ日本経済新聞のいわゆる「富田メモ」のスクープ記事と、それを利用した小泉純一郎氏の「靖国神社参拝」反対キャンペーン、および、そのための天皇陛下の政治的な利用については、それほど露骨にはなっていませんでしたので、新聞社の名の中に、朝日と産経の二紙の名前しか挙げてはいませんでした。

その後の日本経済新聞の「富田メモ」を利用した小泉純一郎氏の「靖国神社参拝」反対キャンペーンと、そのための露骨な天皇陛下の政治的な利用を見れば、当然に産経、朝日の他に日本経済新聞の名も含めねばならないとも思います。

これらの新聞社は「立憲君主制」の意義と価値を正しく理解していないと思います。天皇陛下ご自身の政治的な利用は厳に慎まなければならないと思います。これを犯すことは国民の幸福のためにならないと思います。

また、私が朝日のほかに産経も取り上げたのは、私の小泉純一郎氏の靖国神社参拝を肯定する理由が産経新聞とは異なるからです。

産経新聞は、小泉首相の「内閣総理大臣の資格における参拝」を、いわゆる公的参拝に賛成し、さらにはそれを促進しようとしているのですが、私の立場は、政教分離の立場から、小泉首相による靖国神社の公的参拝には反対しているからです。

私が小泉氏の靖国神社の参拝を支持しているのは、小泉純一郎氏個人が「私人としての参拝」を明言しているからなのです。
私が、小泉純一郎氏の「靖国神社参拝」を肯定しているのは、すべて、「信教の自由」「思想信条の自由」などという「自由」を擁護する立場からです。信教の自由は人間の尊厳の最たるもので、この自由の破損は人間にとって深刻な悲劇になるという認識があるからに過ぎません。小泉純一郎氏の個人的な「靖国神社信仰」の自由は、どんな新聞社の干渉からも、また、いかなる諸外国の干渉からも守られなければならないと思うからです。

ですから、小泉純一郎氏の「靖国神社参拝」に反対はしませんが、私は国立墓地の建設に賛成の立場です。
http://blog.goo.ne.jp/aseas/d/20051024
この点で、桜井ファンダさんと立場が異なるかもしれません。
(桜井ファンダさんのサイトもわからず、トラバもできないので、ここに書きました。)

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ブログでの討論の仕方

2006年08月03日 | 日記・紀行

ブログでの討論の仕方

哲学や宗教に関するようなどちらかといえば比較的に「堅い」テーマの多い、このマイナーなブログにおいても、公開してからいくらか日数も過ぎると、いろんな人の眼にも触れるようで、中には、このブログが関心をもつようなテーマにふさわしくない人の眼にも留まるようです。

もちろん、それはそれでかまわないのですが、ただコメントやトラックバックをいただく場合、そこに一切に完全な自由放任を認めても良いのかという問題が当然に起きてきます。

なぜなら、完全な自由放任にしますと、多くの掲示板に見られるように、「便所の落書き」の様相を呈することになりかねないからです。残念ながら、人類の段階は猿以下というか、実際人間の本性は猿より悪いというのがキリスト教などが認識してきた人間観だろうと思います。そして、本当の民主主義を知らず、教育も訓練もされていない多くの日本人は、まともに議論を展開したり討論する能力もマナーも持ち合わせてはいないのが現状なのではないでしょうか。悲しいですが、これが日本国民の平均的な水準だと思います。

もちろん、多くのブログの中には、自分たちの水準にふさわしく「便所の落書き」ブログになることを期待して開設したものもあるでしょうから、それはそれでいいと思います。幸いにもまだ、このブログは、そうはなっていませんが、もちろん、これからも「便所の落書き」ブログにするつもりはありません。

そこで、こうしたブログを開設していく上で、トラックバックやコメントで、議論を展開し、討論してゆく上で基本的なルールを決めて、ブログが「トイレの落書き」化しないようにしてゆくべきだと思います。

本当にまじめに宗教や哲学の問題を考えることに興味をもてない人は、その人たちにふさわしいテーマの「ブログ」が別にあるでしょうから、そちらで楽しんでいただいたらよいと思います。やはり、今後の実りある議論のために、コメントやトラックバックの掲載でのいくつかの基準を決めておいたほうが良いと思いました。そして、こうした任意の私的なブログでは管理人の自由裁量が認められて良いのだと思います。

もちろん、言論の自由は最大限尊重されるべきだいうのは、このブログの発行人自身の「哲学」でありますから、それが根本方針ではありますが、残念ながらこの自由を正しく行使できず、悪用してしまうのが人間の実際だと思います。そこで、最少必要限の原則だけを決めておきたいと思いました。

(1) ブログの内容について、疑問や質問や批判を発するのはもちろん一切自由ですが、その答えを強要しないこと。これは、共産党などの査問が往々にしてそうなるように、自己批判の強要という、最大の人格侵害になりかねないと思います。また批判や質問に筆者が答えないことが、一つの回答ということもありますし、それに、すべて問題は自分自身で考えることが原則です。質問して答えてもらうという甘ったれた態度ではなく、原則として、自分で考え抜く姿勢を身に付けていただきたいと思います。まして、このブログは信仰を勧誘しているのではなく、本来、考えるための材料を集め提供し、哲学することを目的としているのですから。

また、先生の資格も権限もない者にそうした要求をする方が間違いだと思います。月謝を払って学びに来ているのなら、もちろん先生は生徒の質問に答える義務もあるでしょうが。

(2) 議論や討論は、勝ち負けを競うものではないということです。このブログは自分たちの哲学や思想を深めることが目的ですから、個人の特定の結論を強制するものではありません。一つのテーマで、議論しあって結論が一致しないなら、それぞれ三回ずつ自分の意見を展開し、記録しておくだけで、その是非や真偽は、──少し大げさですが「歴史の審判」に任せることにしたいと思います。何が正しいかは、有限な人間には分からない、間違うかもしれないという謙虚さがどこかに必要だと思います。どんなに強固な個人的な信念であっても、狂信に陥らないことだと思います。


とりあえず、この二つの原則を、コメントやトラックバックのルールにしたいと思います。もっとさらに、整理する必要が生じるかも知れませんがとりあえず、ここから出発しようと思います。

また、議論の公正と向上を期するためにも、当ブログ発行人も含めて、ハンドル名の使用は自由であっても、匿名は避けるべきかとも考えています。

 

コメント (5)
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カナの婚礼(ヨハネ書第二章)

2006年08月02日 | ニュース・現実評論

カナの婚礼(ヨハネ書第二章)

イエスが洗礼者ヨハネと出会ってから五日後、ガリラヤ地方のカナという土地で婚礼があり、イエスの母マリアがそこにいた。そして、イエスと弟子たちもその結婚式に招かれた。
その時のことである。

にぎやかな婚礼でぶどう酒もすっかり飲み尽くされてしまい、困ったイエスの母マリアは、イエスのところに来て言った。
「ぶどう酒がなくなってしまいました」
すると、イエスは母に答えられた。
「婦人よ、私はあなたと何のかかわりがあるのですか。私の時はまだ来ていないのに」
彼の母は召使たちに言った。
「彼があなたたちに申し付けることは何でもしてあげてください」
すると、そこにユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置かれてあった。それぞれ四、五斗水が入っていた。
イエスは彼らに言われた。
「水がめを水で満たしなさい」
そこで、彼らは、水がめを縁いっぱいまで水で満たした。
すると彼は彼らに言った。
「さあ、汲み出して宴の主人まで持って行きなさい」
そこで彼らは持って行った。
宴の主人が水を味見したとき、ぶどう酒になっていた。だが、それがどこにあったものかは知らなかった。(しかし、水を持って来た召使たちは知っていた)
宴会の主人は、花婿を呼び、そして彼に言った。
「人は誰でもはじめに良いぶどう酒を出し、酔っ払ってから悪い酒を出すものだ。あなたは今まで良いぶどう酒を取っておいたのですか」
これはイエスがガリラヤのカナで行った奇跡の初めである。そうして彼の栄光をお現しになった。そこで、弟子たちは彼を信じた。
この後、彼と彼の母と彼の兄弟と彼の弟子たちはカペナウムに下ったが、そこでは多くの日を過ごされなかった。

ヨハネ書第二章では、カナの婚礼での出来事をこのように記録している。
イエスがその生涯で初めて奇跡を現されたのは、ガリラヤ地方のこのカナにおいてだった。このあたりは、ユダヤ王国の中心地エルサレムからは遠く北に位置する。どちらかといえば辺境の地で、ユダヤ人も異邦人と共に暮らしていたと思われる。イエスが両親のヨセフやマリアと共に幼い日を過ごした故郷のナザレとも目と鼻の先にある。この奇跡がこの地に現れたことからも、カナには信仰深い人が多く暮らしていたことがわかる。このあとに行かれたガリラヤ湖畔のカペナウムにイエスは住まわれ、そこで多くの弟子を見出された。

新約聖書のカナと現在のレバノンのカナが同じかどうかについては論争があるらしいが、いずれにせよ、この地方は新約聖書の歴史と深いかかわりを持った地方である。平和の象徴とでもいうべき婚礼の行われたこのカナの地で、先日7月30日に報じられたニュースによれば、イスラエルとヒズボラーとの紛争のなかで、イスラエル軍の攻撃によってアパートが破壊され、56人が殺されたそうである。そのうち34人が子供であったという。

奇跡の恩恵のあった地で今日殺戮が行われる。このカナでは10年前にも100人以上の市民が殺されたばかりである。これらの事件は、現代人の不信仰の証明のようにも見える。和解は不可能なのだろうか。和解の道はないのか。第三次世界大戦の忍びよる足音さえ聞こえてきそうだ。

 

コメント (3)
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