作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

秋色深し

2005年10月31日 | 日記・紀行

 

次第に秋も深まってくる。今日で十月も終わる。紅葉も色を深くしていく。
大原野あたりを歩いても、柿が売り出されるのを見るようになった。一籠大盛りで五百円ぐらいで売られている。

以前住んでいた家には軒下に柿の木が植わっていた。渋柿だったけれど、よく実をつけた。すぐにはもちろん食べることはできなかったが、枝の上で十分に熟すまで待ち、実がシャーベット状になると、とても甘くなった。だから一冬中柿の実に不自由することはなかった。今の家には残念ながら柿の木はない。桃栗三年柿八年と言う。だから、柿を植えても、その実を食べるには時間がかかるようである。機会があればまた植えたいと思う。

この世界には何事にも神の定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時。
植える時、抜く時。
泣く時、笑う時。
黙する時、語る時。  (伝道の書第三章)

 

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概念論③──自我について

2005年10月30日 | 哲学一般

自我について──メモ

       
すべての事物は、普遍と特殊と個別の契機を持っている。そのなかで、普遍的にして同時に個別的な存在であり、また特殊的な存在であるもの、それは何か。また、普遍的であると同時に現実的な存在でもあるものは何か。それこそ自我に他ならない。

自我はまた過去と現在と未来の統一であり、時間と空間の根拠でもある。そして、すべての概念はこの自我から生まれる。この意味で、自我は概念の概念でもあり、概念の魂である。 だから自我はまた理性の根拠でもある。


そして自我こそは現実的な概念であり、概念的な現実に他ならない。自我においては概念は存在と一致している。あるいは、概念の現実的な客観的な存在である。この自我は自己を対象として分離し、かつそのことを自覚することによって統一されている。この場合の自我は純粋な思考に他ならない。自我が対象を把握するとき、自我は概念に他ならないから、すなわち、概念的に把握することでもある。


そして、概念の概念が理性である。したがって、理性は絶対的な概念であり、それは自我のみが自覚しうる。それは絶対知でもある。だから、自我は理性的な存在である。このような存在は宇宙の中には自我のみである。

自我は自己を自覚している。だから自我は意識でもある。自我が自己を意識するとき、その存在は否定できない。だから自我は存在する。自我は意識であり、それは活動する意識である。意識は活動し、自我として対象を知る。意識の本質、自我の本質は知ることである。そして、自我は内的対象としての主観的な意識と、外的な対象として客観的な意識とに分裂し、二重化し、かつ、その統一としての絶対的な意識をもつ。そのとき自我は絶対的な知である。


外的対象が自我を規定するとき、それは、自我が理論的に振舞うことであり、自我が外的対象を規定するとき、それは自我が行動することであって対象を変革することに他ならない。


この自己意識は一切の根拠であり、始発点である。一切の表象と観念はここから生まれる。そして、この知の必然的にして体系的な展開が哲学に他ならない。ここでは内容が形式である。

この自我は同一であり、また、不同である。自我が矛盾するのは二律背反する自我のこの本質的な性質のためである。


没概念的預言者的説教。

 

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新憲法の制定──国家の概念②

2005年10月28日 | 哲学一般

                      
新憲法の制定が政治的な日程に上りだした。政党や学者から、さまざまに憲法の草案も上程されようとしている。

今日の日本国が抱えるさまざまな問題は、国家と民族のあり方を根本的に規定する日本国憲法の不備不全からきているものが多いと考えられる。家族の崩壊、他国による国家主権の侵害、国民全般の倫理的、道徳的な腐敗、またその結果としての国民の資質の低下、行政の縦割り化や不統一、地方政治と中央政治の分裂と不統一など。ここではその因果関係をいちいち論証できない。

しかし、現代日本国が、まともな国家としての体をなしていないと言うことはできるのではないか。日本国民が拉致されるなどと言う信じられないことがおきていることなど、その端的な一つの例である。郵政民営化法案の参議院否決による無駄な総選挙や落選議員の比例復活など、まだ他にも、無理無駄非効率は多い。日本国を一つの有機体と考えたとき、美しい人体をしているとはとうてい言えない。つまり、わが国はまだまともな国家概念にしたがって作られてはいないということである。

まともな国家とは何か。憲法制定の前に、この問題がまず徹底的に議論されなければならないと思う。国家の概念がまず明らかにされなければならない。この根底の不十分な憲法は、現行日本国憲法のように欠陥憲法にならざるを得ない。これほど国民に不幸をもたらすものはない。これでは国際社会から尊敬される「品格ある国家」などできないと思う。

現在の自民党の憲法調査会からも草案が発表されたそうである。具体的にどのようなものであるのかまだよくわからない。調べてみたいとは思っている。しかし、一見したところ、その憲法論議が非常に表面的なところで行われているように感じる。憲法制定の個別的な条項の議論の前に行われるべきはずの、国家と民族の関係や歴史と伝統、国際社会の中での、国際政治経済外交の中での、日本の地理的な、また歴史的に置かれている位置とその使命の哲学的な検証など、ほとんど行われているように思えない。一言で言えば、自民党の憲法調査会の研究レポートは質量ともに泣きたくなるくらいに貧弱だと言う印象をもってしまった。これが、わが国の司令塔の、中枢神経の作品なのだろうか。

全体として、一個の有機体として国家を捉える観点がほとんどないようである。国家を一人の人間として例えるなら、その頭脳にあたる統治機構としての三権分立体制の確立を、特に国家の頭脳として首相や内閣を国家の司令部としてどのように確立するのか。現在のように、首相とは別なところで官僚がもう一つの頭を持っている多頭動物メドゥーサのような国家としての体をなしていないお化けのような状況では、国民は混乱するし、国民生活も不効率だ。

また、戦争に備えて、武器となる腕や足に相当する軍隊は、どうすれば頭脳に相当する首相の指揮命令下にしたがって効果的に活動させることができるかなどの問題意識や研究がほとんど見られない。要するにあらゆる意味で、国家概念が、国家についての哲学が不足しているように思われる。

新憲法の制定にあたっては、国家国民の持ちうる最高の知力のすべてを振り絞って制定できる体制を整える必要があると思う。自民党の頭脳は国民の誇るべきものになりえているのだろうか。

 

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改革のテーマ──テレビ局の改革(1)

2005年10月27日 | ニュース・現実評論

郵政民営化総選挙で国民の支持を得て小泉自民党が圧勝したことで、改革路線は定着しつつあるといえる。また、野党の民主党の党首に前原誠司氏が就任して、互いに改革を競い合うことによって、改革路線が定着しつつあるのは喜ばしいことである。政治においては前進か停滞かがあるのみで、前進がなければ停滞であって、自転車と同じように改革し前進してこそ国家社会の安定も保たれる。時代の変化に応じて常に改革されてゆくべきものであると思う。
 
いわゆる抵抗勢力が勝利して、政治の主導権を確保していれば、日本社会は停滞と後退とを余儀なくされ、国家的な損失はどれほど大きく、社会もどれほど息苦しいものになっていただろう。
とはいえ、改革についてはいまだ端緒についたばかりである。また、一応の改革の姿勢がとりあえず定着しつつある現在、これからは改革の内容と効率が問われてくる。
 
郵政民営化や道路公団の改革も、国民の要求からは遠く、きわめて妥協的な産物となった。一体誰と妥協したのか。そもそも民主主義の国家社会においては、国民全体の意思が政治に実現されるだけの話で、本来、国民的な意思の実現においては、そもそも妥協などはありえないのである。妥協があるというのは、抵抗する勢力が力を持っているということであって、こうした現実の存在することが意味するのは、国民全体の意思が実現されていない半民主主義の、あるいは反民主主義の国家の現実を証明しているにすぎない。
 
犯罪人や政治家や大金持ちや公務員やその他の国民の特権的な一部ではなく、大多数の平均的な「普通の」国民が可能な限りもっとも幸福に生きるうること、これが民主主義の理念ともいえる。この点からいえば、まだ多くの点で日本国は真の民主主義国家となりえていない。
 
たとえば銀行の金利の問題などもある。経済の回復という大義のもとに、ほとんどゼロ%に近い預金金利を国民は余儀なくされているが、これはいわば合法的な略奪行為ともいうべきもので、それは普通一般国民の財産であるである預貯金が収奪されている状況なのである。経済状況が健全化すれば直ちに適正な金利水準に回復されるべきものである。
 
また圧倒的な大多数の庶民の小口預金などから構成される郵便貯金なども、その資産残高などは、もっと平均的な国民や中小企業の産業と福祉に役立てられるべきものである。戦後復興時においては産業基盤の確立のために資金運営部資金として国家経済のために特定産業に優先的に運用されることもやむ得なかったかも知れない。しかし、今日ではもっと中小企業や一般国民の産業や福祉を融資対象にして運用されてしかるべき資金である。しかし、実際にはそうはならずに中小企業や一般国民は高金利の融資に泣かされることになっている。銀行や金融の民主化なども今後の政治的な課題としてゆくべきだろう。
 
その他にも、医療改革、弁護士制度や裁判制度など法曹関係の改革(裁判員制度など司法制度はいくらか改革されたが)、地方自治体や教育なども憲法改正と同時に根本から改革されるべき分野である。
 
また、切実な問題としてマスメディアの改革という課題もある。今日ではメディアとしては新聞、ラジオ、テレビ、それらにさらにインターネットを加えるべきかも知れないが、とりあえず、新聞、ラジオ、テレビの改革も大きな国民的なテーマである。インターネットなどは使い方次第で、大手の新聞が商業上の営業上の理由で伝えられない真実も明らかにし伝えられる可能性をもっている。とはいえインターネットの現状は、ゴミの投げ合い、阿鼻叫喚のエール、オス猫とメス猫との喚きあいに近いものになってしまっている。インターネットを健全なメディアに育ててゆくのも国民の課題である。
 
特に問題にしたいのはテレビ局である。NHKの不祥事が取り沙汰され、今も受信料不払いなどに尾を引いているが、テレビ放送の腐敗と堕落の問題は何もNHKだけではない。ただ、NHKには国民が受信料を払っているだけに国民の権利意識も強く直ちに問題化したが、その他の民営テレビ放送も、限られた周波数を優先的に割り当てられ、特権的に放映権を獲得しているという点で、その公共性はNHKと何ら変わるものではない。国民はNHKのみならずテレビ放送一般の公共性をもっと自覚し、その番組内容の質的な向上のために、もっと積極的に発言し行動してゆかねばならない。
 
最近、韓国ドラマがNHKでもよく放送されているが、もちろん、そのこと自体はとやかくいうことでもないが、問題は、NHKの番組製作能力が低下し、NHKの手による優れた質的な内容のあるドラマが放映されなくなったということである。私たちは韓国ドラマを見るために受信料を支払っているのではない。NHKも優れたテレビ番組を製作して、もっと外貨を稼ぎ出すくらいの自覚と自主的な努力が必要である。

このことは、民間放送にも言える。民間だからと言って、きわめて公共的なメディアを使いながら、国民の総白痴化を促進するだけしか意味のない番組を垂れ流すことが許されているわけではない。

テレビドラマの韓流ブームも、楽しく本当に面白い番組も見ることができない国民の、テレビ局に対する欲求不満の現われに他ならない。テレビ放送は独占的な放映権のために、競争原理が働かず、番組の質的低下に拍車をかけている。

 
国民に対する情報提供、文化形成に大きな影響を与える テレビ局の、チャンネル開放も含めて、番組放送の質的向上のために、また、番組製作における国際競争力の強化のために、どのような改革が必要であるか、心ある一般国民のさらなる議論も期待したい。

 

 

 

 

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母の記憶

2005年10月24日 | 日記・紀行

 
来月に入ると母の一周忌を迎える。


母についての印象に残る記憶は必ずしも多いわけではないが、やはり折に触れて思い出されるのは、幼少の時の記憶である。特に、風邪か何かで熱を出して、看病してもらった時のことを思い出す。その頃はまだ母も若かった。


その折は、よくお粥を作ってくれた。芋粥や、ただの梅干粥など、白米のおかゆの白さと芋や梅干のきれいな色彩を、今もそのときの味とともに病み上がりの舌に記憶している。
そして、まだ、ジューサーもミキサーもない時代、りんごを擂ってりんご汁を飲ましてくれた。また、まだ当時それほど出回っていなかったバナナも病気の時には定番だった。玉子酒や葛湯もよく作ってくれた。熱を出すことも多かったので、その時はいつも氷水で冷やしたタオルで額を冷やしてくれた。いたずら坊主で迷惑もかけたと思うけれど兄弟の中でも特に粗末に扱われたということはもちろんない。


いわゆる思春期を過ぎて、母を一人の女性として、その限界にも気づきだしてからは、議論して反抗することも、話すことも少なくなってしまったが、そしてまた、母にとっても決して立派な息子だったとはいえないと思っているが、やはり、よく思い出すのは、病気の時いつも親切に看病してくれたことである。

 

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小泉首相の靖国神社参拝

2005年10月21日 | ニュース・現実評論

 

小泉首相の靖国神社参拝が外交問題になっている。小泉首相は公約にしたがって就任以来毎年靖国神社には参拝しているのであって、これまでも靖国神社の参拝も適切に判断すると言っていたのであるから、今回の参拝も当然に予期されたことではある。

哲学に興味と関心のある私のようなものにとっては、小泉首相の靖国神社参拝問題は、国家と宗教の問題として、哲学上の恰好の練習問題でもある。まあ、それは少し不謹慎な言い方であるにせよ、宗教と国家の関係については、終生の哲学的なテーマとして、当然に切実な問題であり続けることには変わりはない。

これまでも、小泉首相の靖国神社参拝問題については、幾度か私自身の見解を明らかにして来た。

「政治文化について」    http://blog.goo.ne.jp/askys/d/20050731                                               「宗教としての靖国神社①」  http://blog.goo.ne.jp/aseas/d/20050716    
「政教分離の原則を貫く判決に反対する人々」  http://www8.plala.or.jp/ws/e7.html
「靖国神社参拝違憲論争」http://www8.plala.or.jp/ws/e3.html
「小泉首相の靖国神社参拝について」
  http://www8.plala.or.jp/ws/e1.html など。(関心のある方は読んでください)

基本的には考えは今も変わってはいないが、細部において、考えが深まっているかも知れない。今後も、引き続き国家と宗教の問題については、考察してゆきたいと思っている。

結論からいえば、私の立場は、国立の慰霊施設を造るべきだというものである。その理由は、まず、靖国神社が国家に殉じた人々を祭った宗教施設であるとしても、それが軍事関係者に集中していることである。国家のために身命を投げ打った者は、何も軍人のみに限らない。
先の太平洋戦争において国家のために尽くし、その犠牲となった人々は軍人のみに限られない。たとえば、勤労動員中に広島での原爆投下で亡くなられた人々は靖国神社においては慰霊の対象にはなってはいない。また、東京大空襲によって犠牲になられた方々についても同様である。靖国神社を国家的な慰霊施設にするには、そのように公共性に問題があるとも思われる。

もうひとつの理由は、宗教上、思想信条上の問題である。現代民主主義国家としての日本国は、宗教の自由、信仰の自由が認められている。そのために、日本国民は、いわゆる「神道信者」だけで構成されているわけではないということである。なるほど確かに、神道は日本の民族宗教として、日本国民にとっては特別な位置を占めていると言うことはできる。しかし、現代国家としての日本国の国民の中には、キリスト教徒もいればイスラム教徒もいる。また、靖国神社参拝に躊躇する仏教信者もいるだろう。それに無神論者、唯物論者もいる。要するに、現代国家の国民は、その宗教も多様であるということである。国際化した今日はいっそう多様化してゆくと考えられる。

そうした状況では、国家としての慰霊のための施設は、特定の宗教から独立した施設であることが好ましい。靖国神社が特定の教義と儀式を持つ宗教である限り、国家の機関である内閣総理大臣が職責として国家のために殉じた人々のために慰霊する場としてはふさわしくない。

実際に、靖国神社は戦後は一宗教法人になっているのであって、多くの株式会社と同じように、国家とは独立に、自らの宗教活動そのものによって参拝者を増やす努力をしてゆけばよいと思う。その活動の自由は完全に認められている。小泉首相にも、もちろん、一私人として、靖国神社に参拝する自由は完全に保証されている。しかし、国家の機関として内閣総理大臣の立場としての参拝であれば、いくつかの裁判判例で疑念が示されているように問題が多い。

だから、今回の参拝のように、小泉首相が一私人の立場であることをより明確にして、一般参拝者と同じように参拝したことについてはまったく問題はない。もちろん私人小泉純一郎氏と内閣総理大臣は切り離せないから、その影響力は避けられない。それはひとつの限界である。

政教分離の思想は、宗教と国家が癒着することによる自由の束縛、あるいは侵害に対する歴史的な教訓から生まれた。特に西洋では多くの宗教戦争や迫害という歴史が背景にある。思想信条、宗教信仰の自由、言論の自由など、いわゆる「自由」は精神的な存在である人間にとって、基本的な人権の最たるものである。これが侵害されることは、人間の権利の最大の侵害になる。自由の価値を自覚するものは、宗教と国家の分離に無関心ではいられない。特に、わが国のように戦前にいわゆる国家神道として、国家と宗教が深くかかわった歴史的な体験をもつ国家において、また、国民の間に自由についての自覚がまだ成熟していない国においては、政教分離の原則を今後も五十年程度は厳しく貫いて行く必要がある。

宗教は国家の基礎である。だから、真実な宗教である限り、国家は宗教を保護しその宗教活動の自由を保証しなければならない。したがって、靖国神社も他の宗教法人と同様に、国家から税法上その他の特別な取り扱いを受けているはずである。国家は自らの法津に従い、オーム真理教のように違反して敵対的にならない限り、諸宗教に対しては自由に放任し、寛容でなければならない。それがもっとも国民にとって幸福な関係である。

最近の一連の「靖国神社参拝」訴訟で、最高裁をはじめとして、総理大臣の参拝が、国家としての宗教行為に該当するか否かの判断の基準として「目的効果基準」の考え方が採用されているが、これは、判断基準としては必ずしも適正な概念ではない。この概念の根本的な欠陥は、何よりも「何が宗教的な行為であるか」についての判断が、裁判官の恣意裁量に任されてしまうことである。また、それは政教分離の思想の歴史的な由来にも合致していない。あくまで、「靖国神社参拝」の違憲訴訟においては、国家の宗教の分離という観点から、国家の宗教に対する中立性が、違憲、合憲の判断基準でなければならない。

最後に、首相の「靖国神社参拝」が中国や韓国との関係で外交問題にまでなっていることについて。もし、中国や韓国が一私人の小泉首相の思想信条の自由を侵害するものであれば、むろん、私たちは小泉首相個人の信仰上の自由を擁護しなければならない。特に中国など政教分離がいまだ確立しておらず、自国民の宗教の自由をどれだけ保証しているかについて重大な疑念のある国家においては。
しかし、また、先の太平洋戦争において、旧日本軍兵士の一部の間に、実際に国際戦争法規違反の事実があり、アジアの多くの無実の非戦闘員に対して惨害をもたらしたことも歴史的な事実である。その点で太平洋戦争の戦争指導者たちの責任が問われるのはやむを得ない。また、靖国神社にいわゆる「A級戦犯」が祭られていることからくる、そうした誤解を近隣諸国から受けるのを避けるためにも、宗教から独立した、そして、日本国民のみならず、日本国に関係した諸外国民をも含む慰霊施設を用意すべきであると思う。その一つの例として、沖縄の「平和の礎」があると思う。

 

※ 追記20140125

上記の考察では、新しい『国立の慰霊施設』の建設を主張しているけれども、2014年の現在においては、新しい国立の慰霊施設の建設については反対へと考えが変わった。軍人以外の戦死者に対する慰霊施設としてはすでに千鳥ヶ淵墓苑があるし、おそらく、国立追悼施設としては今後千鳥ヶ淵墓苑に収れんしてゆくことと思われる。

靖国神社については戦前における「宗教の自由」の状況についてもう少し調査研究したうえで、また論理的な帰結をさらに再検証した上で、改めて意見を述べたいと考えている。

要するに、靖国神社を民族の伝統的宗教に関連する施設として認めるとしてもそれは本質的な問題ではないと考えるに至ったからである。核心は国家が信教の自由をどのように保証するか、ということにある。戦前の歴史的状況と明治憲法の本質について改めて調べなおさなければ、靖国神社問題について発言できないと思った。上記の考察からすでに八年が経過している。

現時点では、明治憲法下での宗教観がどのようなものであったのか、結論を出すにはその本来のその概念の認識がまだ不十分であると考えている。特に先週になってインターネット上で初めて知見を得た、佐藤雉鳴氏の「国家神道」問題についての見解を再検討したうえで、これらの問題の歴史的な背景をも含めて再研究した上で、改めて自分の意見を述べるつもりでいる。

 

 

 

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十三夜の月──時と永遠

2005年10月14日 | 日記・紀行

雲の多い空に十三夜の月が浮かぶ。十三夜の月は、中秋の月のような大きな円盤ではなく、楕円に近い。雲の切れ目の暗黒の池の中に、この月が浮かぶ。これはこれで風情がある。そして、これと同じ月を、紫式部も道長も、西行も芭蕉も眺めたと思うと、もちろん、人間の果敢なさを思い出すとともに、また、「永遠」という概念を思い出させる。

もちろん、「永遠」とは単なる時間的な概念ではない。単なる無限な量としての永遠は、正確には永久と呼ばれるべきものであって、それは、真の無限としての永遠ではない。永遠とは理性的な概念である。

真の永遠は、時間を克服している。そして、人間がこの無限を意識するのは、今夜のような月を見る時である。

西行も芭蕉も、そして紫式部も、多くの芸術家や宗教家はこの永遠を求めようとした。そして、それを芸術や神や仏の中に見出した。神こそ、その本性が永遠に他ならなかったから。

時間と永遠の問題について──これは波多野精一氏の名著『時と永遠』 のテーマでもあったが、──私もまた、機会があれば折に触れて、このような問題についてさらに考えてみたいと思っている。

 

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信仰と知

2005年10月13日 | 哲学一般

 

信仰と知

 

信仰(信念)と知識(科学)──宗教と科学──の関係は、ヘーゲルにとっても大きな問題だった。カントに代表される啓蒙哲学が、信仰の問題を知識の対象から、物自体として、認識の対象から外し、信仰の問題を認識できないものとしてしまったから。その結果、近代の信仰は、知識を回避し、信仰には単なる抽象の空虚な主観的な無の確信しか残されないことになった。ヘーゲルはこれに不満だった。

なぜ、このようなカントの啓蒙哲学が生まれたか。それは、ルターの宗教改革の必然的な帰結だといえる。なぜなら、ルターの「信仰のみ(sola  fides)」を原理とする信仰は、ただ信仰者の良心による是認のみという主観的な問題に還元されることになったから。その信仰は神を個人の神として、主観的な精神のなかにのみ認められるものにしてしまった。そこでは信仰者の自己の信仰の是非は教会の是認ではなく、理性による確証に求めざるを得なかった。こうしてルターの信仰のみの原理が、カントの主観性の哲学になって現われたのである。近代哲学がプロテスタント国民から生まれる必然性もここにある。


しかし、カントは信仰の理性による把握の不能を彼の主観的観念論によって、不可知論によって認識の可能性を否定してしまっただけだった。
この点を批判したのがヘーゲルである。彼は、本質と現象をそれぞれ媒介なきものとするカントの見方を悟性的として退け、現象の総体のなかに本質が認識されるという弁証法の認識論を主張した。ヘーゲルにとって神は認識できないがゆえに信仰されるのではなく、理性によって認識できるものであり、むしろ、神は理性そのものでもあった。

ヘーゲルはまた、信仰は知識と対立するものではなく、信仰がじつは知識の特殊的な形態に過ぎないと言うのである。ここから、信仰の知の特殊性とはなにかの解明へと、信仰の概念的な認識に向かうことになる。そして、この道こそが宗教を真に克服する唯一の道である。ヘーゲルにとっては、それが哲学することに他ならなかった。ただ哲学は宗教を内容においてではなく、形式においてのみ克服するのである。

 

 

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源氏物語(1)光源氏の母、桐壺の更衣(桐壺考)

2005年10月12日 | 芸術・文化

 

光源氏の母、桐壺の更衣(桐壺考)

源氏物語は光源氏の母、桐壺の更衣の描写から始まる。
古典の中の古典『源氏物語』の主人公、光源氏の母である桐壺の更衣は、ただ源氏物語の冒頭の巻『桐壺』に登場するだけである。この冒頭の巻の中に、流星のように現われては果敢なく消えて行く。

多くの女御や更衣たちが帝に仕える中で、その美貌のゆえに帝の寵愛をうけた桐壺の更衣は、帝の寵愛がかえって不幸の種になって短い薄幸の生涯を終える。この桐壺の更衣は、主人公光源氏の母であるから、当然に源氏物語そのものの母でもある。全五十四帖の物語はすべて、この美しい悲劇の女性、桐壺の更衣の胎内に含まれている。

帝に愛されたこと、そして、すべての悲劇の種は桐壺の更衣が必ずしも高貴な身分ではなかったことにある。そのために、桐壺の更衣は帝の正妻である弘徴殿の女御や同僚や下臈の更衣たちの羨望と嫉妬を一身に集めることになる。

芸術家は批評しない。ただ、淡々として事実を芸術的な表象として描写し読者の直観にさらして行くだけである。作者紫式部もこの更衣の悲劇を事実として叙述するだけである。しかし、読者はこの悲劇の原因を目撃している。

傾城の美女の逸話がつとに人々にあまねく知られていたことは、作中に楊貴妃の例が冒頭に挙げられていることによっても分かる。実際に作中に楊貴妃の例を取り上げることによって、帝を取り巻く公卿たちに、帝の桐壺の更衣に対する寵愛振りに眉を顰めさせる。

紫式部は長恨歌をこの源氏物語の構想の下にはっきりと意識していた。そして、彼女は長恨歌と同じモチーフを、彼女の生きた平安期の貴族社会を舞台にして、彼女がその生涯の内に出会い心をときめかした事柄を、源氏物語という大作の中に封じ込めて行く。源氏物語の中には、平安の貴族社会に生きた人々の思考と感情が、紫式部という類まれな女性の意識という鏡の中に見事に映し出されている。

紫式部は道長の娘、彰子に仕えた。源氏物語が紫式部のように宮廷生活に精通した、教養豊かな女性によってしか書かれるはずのなかったことも明かである。私たちは何よりも源氏物語を読むことによって、紫式部の広大な内面世界を垣間見ることになる。

この帝と桐壺の更衣との間に皇子が生まれる。
このような子供の生まれることは、当時の人々にとっては、前世の浅からぬ因縁のゆえである。また一方で、桐壺の更衣との間に生まれた皇子が、正妻の弘徽殿の女御の第一皇子よりも比較にならないほど可愛く美しかったことがますます正妻の嫉妬と猜疑をあおることになる。これが桐壺の更衣に与えられた宿命である。

桐壺の局に住まっていた更衣のもとに頻繁に通われる帝に対して、更衣への人々の羨望も嫉妬も止む得ないものとして、作者も女御や同僚たちの恨みにも同情を寄せてもいる。そして、帝の更衣に対する寵愛が深まれば深まるほど、人々の更衣に対する羨望や嫉妬が深まるという不幸な構図が浮き彫りにされるなかで、これといった、有力な後見人を持たずに宮仕えをせざるを得なかった桐壺の更衣は、ただただ帝の庇護だけを頼りにして、不安で孤独な宮中生活を過ごさざるを得ない。

桐壺の更衣が同僚たちからどのような取り扱いを受けたか、その様子などは実際の宮中生活の体験なくしては描写できなかったように思われる。読者はこの美しい気の毒な更衣の幸せ薄い運命に同情せざるを得ない。

幼き源氏がようやく三歳になって御袴着を終えたばかりの夏には、女御や同僚の更衣たちの嫉妬やいじめが募った心労から病が篤くなり、実家に退出しようとするが、更衣を手許から離したくなかった帝は容易に許そうとはしない。とても可愛らしかった更衣ももうこのときにはすっかり面痩せて、だるげで、意識もあるかなきかの様子である。さすがに帝も拒みがたく、仕方なく退出を許されるが、加持祈祷の他にこれといった治療法もないなかで、その功もなく、更衣は里で果敢なく身罷ってしまう。

桐壺の更衣はもっとも美しい日本的な女性として、中国の傾城の美女、楊貴妃と対比するように描かれている。更衣の容貌は「いとにほいやかに、うつくしげなる人」とわずか二つの形容動詞で描写されているに過ぎないが、「唐めいた粧はうるはしうこそありけめ」と対比的に描写することによって更衣の和風の美人像が描かれる。中国の圧倒的な文化的な影響を脱して、平安期の時代としての、日本的な美意識の成熟がある。唐風の影響も残してはいるが、宮廷生活や気象天候の描写を通じて日本独自のいわゆる国風文化の美意識が作者紫式部によって明確に自覚されていることが見て取れる。

この「桐壺」の舞台は、今もなお存在する清涼殿である。紫式部は現実に存在する宮廷を物語の舞台として設定することによって、その物語の実在感を確かなものにしている。清涼殿の建築構造の正確な描写や御袴着などの宮中儀式の的確な描写を通じて、この物語のリアリズムが揺るぎなきものになっている。物語という言わば「影の国」が、単なる現実よりも現実的でありうるという優れた芸術作品の例がここにある。桐壺の更衣はこの清涼殿のなかで、桐壺の局で帝の寵愛に生き、また、女御や同僚たちのために悩み、苦しんだ。

人間関係における嫉妬、羨望、猜疑や、病気、死などの人間的な真実が、宮中生活の細部に至るまでの克明な描写と、野分や月光や八重葎の生える荒れた庭先などの自然描写を通じて、娘を失って闇に暮れ惑う北の方の心情が描き出される。
そして、このような宮中のさまざまの人間群像の実際の姿を描くことによって、源氏物語もその他の多くの古典作品と同様に人間の普遍的な真実を明らかにしてゆく。

台風一過の後の肌寒さがいっそう募る夕暮れ時の、帝よりの使者、靫負の命婦と更衣の母北の方との二人の婦人の会話、そして、彼女らの会話のなかで命婦の言葉の端々に描写される、最愛の女性を失った帝の失意と落胆の様子、また、若宮の参内の催促に対する北の方の不安と戸惑いなどに、時代を超えた人間の真実が物語として、読者の眼前に展開されて行く。その叙述にはいささかの弛みもなく古典名作の誉れにふさわしい。

ここに登場するのは、平安貴族の、しかも当時の国政の中心をなす帝とその周辺の人々の生活であるが、皇位継承に絡む確執なども唐や高麗などの異国との交流をも織り交ぜながら、藤壺とこの物語の主人公である光る君との関係を機軸とする物語の展開を暗示して桐壺の巻は閉じられる。

桐壺の更衣の死を中心に展開するこの巻の物語はたしかに悲劇とも言い得るけれども、もちろんここには神の意志や裁きといった観念はなく、帝と更衣の出会いと、その皇子光源氏の誕生も、前世の因縁の深かりしゆえと、仏教的な世界観でそれも暗示的に説明されるに過ぎない。

特に帝の性格や行動は、きわめて女性的で、帝を一個の男性として独立的に造形することに紫式部が成功しているとは言いがたい。また当時の一夫多妻制や婚姻制度ももちろん批判的な観点などはなく、貴族や女性たちの性行動も極めておおらかであり、自由で奔放ですらある。
桐壺の更衣の死の後、さらに幾月かが経過して、若宮が六歳になったときに、娘の跡を追うようにして北の方も亡くなる。孤独に取り残された光君は、父桐壺帝をのみ頼りに宮中に移り住む。高麗人の人相見を鴻臚館に招き若宮の顔相を占わせることによって、若宮の姿が描き出される。
光君が幼くしてすでにただならぬ存在であることが明らかにされる。この高麗人の人相見から、光る君と呼ばれる若宮の容貌も母と同じく、「にほいやかでうつくし」と描写されるに過ぎない。

七歳になった若宮は学問も音楽などの技芸も上達著しく、それゆえにいっそう、第一皇子の母、弘徽殿の女御や祖父の大臣の疑いを招くことになる。高麗の人相見から若宮の不吉な未来を予言された父帝は、光君の地位を確かなものとするために、源氏姓を賜って臣下に組み入れになる。

やがて十二歳になった若宮は元服され、長い年月の経過も、慰めにはならず、帝は、内侍の勧めに従って、なき更衣の面影を持った藤壺を召し出す。もちろん桐壺には代わるうるものではないが、それでも自然の人情として藤壺に心が移ろって行く様子を感慨深いと紫式部は描く。

幼くして母を失い、その面影さえ記憶にとどめない若宮が、今はなき母更衣に似た面影を持つと、人々から噂される藤壺に心引かれ、また藤壺も帝から若宮を可愛がるようにと命じられる。若宮は左の大臣の娘、葵の上を正室に迎えてはいるが、若宮の心は藤壺の姿をたぐいなきものに思い、内裏住まいをのみ好ましく思って、葵の上の許には絶え絶えにしか参上しようとしない。このとき、若宮は元服を終えたばかりの十二歳、藤壺は十六歳。若宮はやがて一途に父君の側室、藤壺に傾斜して行く。


静かな湖面に投げ入れられた小石のように、
帝の行為が無限の波紋を生み出して行くなかで、光源氏の運命の歯車が回り始める。

 

「桐壺の巻」の構図
登場人物
帝、桐壺の更衣、母北の方、弘徽殿の女御、光る源氏、靫負の命婦、その他の更衣、女房、乳母、藤壺、葵の上、左の大臣



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きれいな秋空、宵の明星

2005年10月06日 | 日記・紀行

 

きれいな秋空、宵の明星

昨日降った雨も上がり、今日は美しい秋空だった。宵闇も早く訪れるようになった。夕刻に紺青から漆黒へ次第に移る空の中に宵の明星、金星が輝く。

NHKテレビでブラジル移民を主人公にした「ハルとナツ」というドラマを見る。戦後の日本人と戦前の日本人の違いがよく分かる。日本が太平洋戦争の敗北によって何を得、何を失ったかのか。ブラジルや韓国に古き日本の良さがよく保存されている。

私はそれは家族だと思う。敗戦の結果として、民法を改正(悪?)することが日程にのぼせられた。そのとき、「進歩的」な憲法学者宮沢俊義氏や民法学者我妻栄氏らが戦前の家長制度を廃止することを主張したのに対して、刑法学者の牧野英一氏らは、家族という日本の良き美風を破壊することになるとして、猛烈に反対した。

しかし、アメリカの後ろ盾もあり、結局は民法を改正して、アメリカの夫婦単位の社会構成に日本は倣うことになった。そのために、戦後の日本は「マイホーム」などが風靡することになったが、もともとキリスト教の伝統も裏付けもないまま、戦前の家族制度を廃棄した日本の家族がどれほどが惨めなものになっているか、しっかりした大家族などの背景を持たなくなった日本人がどれほど変質したかを、認識するものはほとんどいないのではないか。最近に頻発する子供の虐待など、アメリカの支援による「民法改正」の「成果」なのではないか。日本人の人間の質が戦前とは変わってしまったのだ。

もちろん、戦後の改革を全面否定はしない。しかし、日本国憲法の哲学的思想的な浅薄さは文字通り、戦後の日本社会として結実している。もちろん大衆はそんな問題意識のかけらも共有することはないだろうが。

いづれ憲法も改正されるだろう。その時には、敗戦を契機とする戦後の改革が、その功罪両面が、より長い歴史的な観点から、根本から今一度検証される必要がある。特に、せめて、まず理論的にだけでも、戦後の民法改正の功罪を──特に家族制度における──検証する必要があると思う。明治の優れた法律家、牧野英一氏らの反対を軽く考えるべきではない。宮沢氏たちのいわゆる改革派の歴史的な意義とその限界も、戦後六十年還暦を迎えてあらためて検証しなおす必要がある。

 今日の日本が軍事的に、文化的に半植民地の情況に置かれていることを、ほとんどの日本人は自覚してない。個人の財産や生命すら犠牲にして、国家の独立を維持しなければならないという義務感を戦後の日本人は共有せず、自国の独立の保障を他国の軍備に依存する自らの国家を恥じることもない。

奥平康弘氏や小林直樹氏ら、東大系の憲法学者たちは、日本国憲法の「戦争放棄」条項を後生大事に主張しているが、その結果として、自国の軍隊を保持することによって国家の独立を守るという最高の栄誉を国民に忘れさせ、主権を担うことの困難さを国民に育することをこれらの東大教授は放棄し、そのために国民の倫理的な健全さをそこない、国民の腐敗を助長することになっている。アメリカ駐留軍がいなくなれば誰が日本を守るのだ。

北朝鮮よる拉致という重大な国家主権の侵害も、「憲法第九条」の論理的な帰結である。このこともまた彼らは認めようとはしないだろう。横田めぐみさんの涙の責任を、これらの「進歩派」憲法学者や土井高子氏や辻元清美氏ら「狂信的」平和主義者が自覚することがあるのか。

早く憲法を改正して、国防軍を保持し、真の独立を回復して、国民の倫理的な腐敗を改革し、そして国家主権をより完全なものにして国民と国土を防衛しなければならない。

これらの問題については、また、別個に考える機会があると思う。

詩篇第十六篇注解を「海と空」に載せる。恐らく去年に書いたもの。日付は記録していない。

 

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