作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

一年のささやかな回顧

2006年12月31日 | 日記・紀行

一年のささやかな回顧

今年2006年も今日でおしまいである。私にとっては平和なうちに静かに過ぎてゆく。私にとって今年はよい一年だっただろうか。悪い一年だったろうか。

もちろん、こうした問いが大した意味を持たないことはわかっている。良いこともあれば悪いこともあるのがこの世だからだ。ただ総体的にみればどうか。

私にとって今年一年の最大の喜びは、やはり七十人訳聖書を手に入れることができたことだろうか。

また、そこで、150年ほど前のイギリスに生き、その生涯に七十人訳聖書を訳したSir Lancelot Charles Lee Brentonという人を知ったことだろうか。同じような趣味、性向の人の存在を歴史の中に知ることのできるのは、一つのささやかではあるが、やはり、喜びであり、また励まされもする。彼を同志の人のように感じる。

今年一年で目立った記憶に残ることと言えばそれぐらいだろうか。あまりにもささやかな出来事であるとしても。その他は、相変わらずの一年だった。この世はこの世で、今日も、そして、おそらく明日もあさっても、私の生まれる前も、私の死後にも同じように、太陽に照らされ続けるこの世に新しいものはない。戦争も殺人も、結婚も誕生も繰り返され、動物と同じ運命が人間にも臨むだけである。
(伝道の書第一章第二章)何も目新しいことはなかった。

ただ、多少は世界と人間と自己についての理解が深まったことだろうか。ブログのようなものができて、以前なら公表も困難な個人的な生活の記録のようなものが、公に日記のように記録してゆくことができる。また他者のそれも読むことができるようになった。ただ、そこに私と同じ凡人の姿を、その多くにも確認するだけであるとしても。

来年も与えられた日々を神の恩恵と感謝して、自分のなすべきことを忠実に実行してゆくしかない。せいぜいできることはそれくらいである。いやそれすらも自分にはきちんとできない。まして、世界のことを憂いたとしてもどうなるものでもない。神の定められたことを私たちが変えることはできない。来年に願うことは、自分のなすべきことをきちんとできるようになることである。それすらできないから。(伝道の書第九章)(ヨブ記第二十三章)

それにしても、先日に聴いたバッハの教会カンタータ第25番では、世界は一つの病院に喩えられていたが、私には、世界が演芸場のように感じられるときもある。そこにはすぐれた多くの喜劇役者がいて、腹の底から大笑いすることも少なくないから。私もその中の下手な役者の一人かもしれない。


わが国では、道々に袖が触れ合っただけでも、それは他生に縁があったからだと言います。今年一年、何か縁あってこのブログですれ違うことになった皆さん。どうか良いお年をお迎えください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初雪

2006年12月29日 | 日記・紀行

初雪という優雅な呼び名も似合わない突然の雪。今年一番の寒さ。しばらく、冬の長雨や例外的な暖冬と続いたので、寒さがこたえる。
自転車のタイヤを修理交換している間に体が冷え切る。どうしても動きも鈍る。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日々の聖書(11)―――密かな弟子

2006年12月27日 | 宗教・文化

日々の聖書(11)―――密かな弟子

そしてこの後、アリマタヤのヨセフという、ユダヤ人を怖れてイエスの弟子であることを密かに隠していた者が、ピラトにイエスの死体を引き取ることを願い出ると、ピラトは許したので、彼は、イエスの身体を引き取った。

(ヨハネ書第十九章第三十八節)

公然と信仰を告白することが、昔からなかなかできなかったことは、すでにイエスの在世時からであったことがここでもわかる。イエスに対する公然の信仰告白が、昔から事実として、多くの犠牲なくしてできない場合が多かったことを示している。このアリマタヤのヨセフはユダヤ人たちから村八分にされることを怖れたために、イエスの教えの真理であることがわかっていながら、それを公然と告白することができなかった。

しかし、信仰告白がたんに村八分ぐらいで済んでいればまだ幸いである。とくに、わが国の織田信長や豊臣秀吉、徳川家康などの戦国武将のキリスト信徒に対する弾圧は苛烈を極めた。

それは何もキリスト信徒に対してのみではなく、当時の封建的な戦国時代そのものの気風が本質的に過酷な統治で人々に臨んだものだった。信長は一向宗徒を焼き討ちにしたし、豊臣秀吉の甥の秀次ですら、一たび謀反の疑いをかけられると、一族郎党が皆殺しにあった時代である。

安土桃山の時代に布教が始まったキリスト教も当初は多くの信者を獲得したが、その教義の実体が時とともに明らかになってくると、戦国の武将たちは警戒を隠さなかった。長く続いた戦乱の不幸を痛切に知っていた徳川家康は、それが天草の乱として彼らの地位を揺るがしかねないことがわかると、あらゆる手段で禁圧弾圧に及んだ。内政的には檀家制度によって仏教で民衆の思想統制を強固に図るとともに、外政的には鎖国制度をしいて、海外からのキリスト教の流入を防ぎ、国内からキリスト教の完全な排斥につとめた。

今日でもその事実はさほど明確に自覚されてはいないけれども、徳川の幕藩体制を、その内政と外政を大きく規定したのはキリスト教の威力に対抗するためであったと言える。そうした過酷な時代に、アリマタヤのヨセフのような多くの隠れキリシタンの日本人がいたとしても責めることはできない。

かっての徳川家康の居城であった駿府城の一角に今ではカトリックのミッションスクールがあるし、現代では、イエスに対する信仰を明らかにしたからといって、誰も生命を奪われることもない。信仰の自由は憲法によって守られる時代だからである。

 

そしてこの後、アリマタヤのヨセフという、ユダヤ人を怖れてイエスの弟子であることを密かに隠していた者が、ピラトにイエスの死体を引き取ることを願い出ると、ピラトは許したので、彼は、イエスの身体を引き取った。

(ヨハネ書第十九章第三十八節)

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地方自治の再生

2006年12月25日 | ニュース・現実評論

片山知事が不出馬 鳥取、後継指名せず(共同通信) - goo ニュース

地方自治の再生

今年になって、知事が汚職問題で失職する事件が相次いだ。2006年9月には福島県で佐藤栄佐久知事が、今月の12月に入ってからも、和歌山県ではの木村良樹知事、宮崎県では安藤忠恕(ただひろ)知事らが相次いで逮捕され起訴された。さかのぼっては、2002年に徳島県で円藤寿穂知事が収賄で逮捕されるという事件があった。

こうした事件の発生の背景には、民主主義の政治制度自体の抱える問題もある。民主政治のもとでは、当然のことに知事は選挙に当選しないことには知事にはなれない。そして、選挙に当選するためには選挙運動は不可欠である。そして、現在の日本のように選挙運動が市民によるボランティア、手弁当でになわれるという選挙文化のない場合には、当然に一部の利害関係者の利害を目的とした参加と協力によってになわれる。

そして、その利害関係者の協力によって選挙に当選した知事はその在職中にはとくに公共工事関係の発注によって、選挙協力に対する恩義に報いることになる。しかし、最近になって知事が逮捕される要件になったのは、かってのような収賄罪ではなく、競争入札妨害罪によってである。

その背景には、今年の2006年の独占禁止法の改正によって談合事件の告発が行なわれやすくなった環境がある。公正取引委員会もかってのような行政の単なる飾り物ではなく、公共正義のために実際に機能し始めるようになったという背景がある。

しかし、地方自治の公正と健全さが、司法の手によって維持されなければならないというのも異常ではある。どうすれば、民主主義の学校とも言われる地方自治が正常に機能することができるだろうか。

知事が競争入札の談合に関与したり、収賄によって逮捕されたりするのは、まず、地方自治行政の中で、必然的に、知事が大きな権限をもたざるを得ないからである。地方行政は道路や河川や治水工事、山林保守など、地方住民の生活運営に深く関係せざるをえない。そこに土木建築工事などの関連においてその工事発注などの過程で、無数に利害関係が生まれてくるという背景がある。

そうした中で、とくに知事が多選されて、知事を初めとする公務員としての行政職員と特定工事関連の業者との人間関係に多年にわたる交際から、いわゆる「癒着」状態が生じる。人間のことであるから、そこに不公正の余地が生まれる。

とくに、公共事業が不況などに強いうまみのある仕事であるとなると、なおいっそうそういう危険が生まれる可能性が増える。そうして生じた腐敗不正の結果、損害をこうむるのは、税金を無駄に使われる市民である。また、公務員や市民の倫理的な堕落そのものが大きな社会的な損失である。

今日の25日の記事で、鳥取県の片山善博知事が、来年の春の知事選に出馬しないことを明らかにし、「あまり一つのポストに長くいると、弊害が出る。10年が限度」と記者会見で知事自身の見識を明らかにしたのは、高く評価される。現職の知事自身の発言だけに、知事という職責にからむ弊害に対する自制、自戒の言葉として貴重である。また自民党なども来年から都道府県知事と政令市の市長の推薦を4選以降はしない方針を打ち出したりされてはいる。

その一方で、今月19日には神奈川県の松沢成文知事が提案した全国初の「知事多選禁止条例」案を県議会が否定したりする動きがあったし、大阪府の太田房江知事らは、能力や府民からの支持のある知事の多選禁止に疑問を呈したりもしている。

しかし、何よりも今日のような情報化された、とくに交通などの高度技術社会において、従来の都道府県制度とその行政単位は限界にきていると思う。行政単位としても、地理的にも物理的にもあまりにも小さすぎる。情報が瞬時に世界を駆け巡るこの情報化社会の中で、地方自治の行政の効率が非常に悪く、むしろ阻害要因にすらなっている。どう考えても、行政単位としての都道府県は中途半端である。道州制を早く実現して、知事の数も減らし簡素化するべきだろう。

そして、地方行政の効率的な運営のために現行のように知事に強力な指揮権限を与えるのはやむを得ないものとして、その強力な権力付与に対して、その一方でアメリカの大統領のように、二期八年か、鳥取県の片山善博知事が語っているように、せいぜい任期十年でそれ以上の多選を法律で禁止すべきであると思う。

知事にどれほどの能力と府民の支持があるとしても、やはり、人間性悪説にたって、任期十年多選禁止が人間の歴史に学ぶ知恵であると思う。それがまた、知事自身にも刑法犯罪に触れるという不名誉な機会から遠ざけ免れさせる予防にもなる。

そして、現在の地方交付税の実態に見られるような地方自治の行政に対する国家公務員の関与と介入によって、地方の産業を公共工事への依存という形で補助、援助するのではなく、産業技術の開発とその革新や経営指導という形で、地方産業の自立を促す形で支援してゆくほうが健全でのぞましい。

現在の日本の財政の危機的な状況からいっても、道州制の実現など諸制度の根本的な改革は急がれるべきであると思う。国家のレベルだけではなく地方においても、その体制を根本的に変革し、多くの無理無駄を省いて、とくに、財政を早急に健全化することが求められている。そのためにも、安部首相は構想力を持ち、もっと主体的に強力な指導力を発揮するべきであるし、もし、それが不十分であるなら、国民自身が世論を喚起することによってそれを促してゆかなければならないだろう。

神奈川県の松沢成文知事が提案した全国初の「知事多選禁止条例」案を県議会が否定した例に見られるように、国会議員や地方議員の意識は、国民よりも遅れ、いわゆる国民の「選良」は選良でなくなっているのが実情であると思われるからだ。学校での民主主義教育の充実と併行してゆく必要がある。

「いじめ」の文化から「民主主義」の文化へ(1) (2) (3) (4)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリスマス、おめでとう。

2006年12月24日 | 日記・紀行

クリスマス、おめでとうございます。

今年も、クリスマスを迎えました。

何とか、平穏無事で迎えられたことを感謝します。

しかし、あまり進歩のない一年だったと思います。
ろくな仕事もできませんでした。

今年も、日本も世界もいろんな事件がありました。
多くの幸福とともに、不幸もあったと思います。
それぞれに、豊かな慰めがありますように。

このマイナーで、堅苦しいブログを訪れてくださった皆さん。
どうかよいクリスマスを。
楽しい一夜をお過ごしください。

Merry X'mas !

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バッハの言語――②カンタータ第25番

2006年12月23日 | 芸術・文化

バッハの言語――②カンタータ第25番

バッハのカンタータ第二十五番は、詩篇第三十八篇第四節のコラールを基礎に歌われている。

私の肉体には健やかなところがありません。あなたの激しい憤りのために。
私の骨にも安らぎはありません。私の過ちのために。
(詩篇第三十八篇第四節)

この詩篇第三十八篇では詩人はおぞましい疫病に冒されている。彼の肉体は爛れて膿み、悪臭を放っている。(第七節)
そのために、かって親しく付き合った友も、愛した人も今では自分から離れて去ってしまった。(第十二節)

それどころか、これを機会に敵は彼の命を付けねらい、彼を破滅に陥れようとうかがっている。(第十三節)

こうして、この詩人は不治の業病を患って、この世で考えられるかぎりの生き地獄の世界をさすらっている。

こうした悲惨な状況にある詩人の境遇は、マタイ受難曲思わせる悲しい旋律で合唱される。(第一曲)

それに応じて、次のレチタティーヴォでは、この全世界は無数の病人を抱え込む病院に過ぎないと説明される。子供も大人も病み穢れ、熱と毒で四肢を冒された病人に満ち満ちた病院の様子が、福音史家を思わせるテノールによって描写される。患者たちは人々からも見捨てられて、この世に身の置き所もなく、当てもなくさすらわなければならない(第二曲)
Die ganze  Welt  ist  nur  ein  Hospital  !

そうした救いのない世界で、彼の肉体の病を癒してくれるどんな薬も見当たらない中で、身と心を癒してくれる唯一の医者であるイエスに対する希望と願いが、苦しむ詩人のアリアのバスによって歌われる。(第三曲)

Du mein  Arzt, Herr  Jesu, nur  Weisst 
die  beste  Seelenkur.

しかし、この悩める詩人は、とうとうイエスの中に遁れ、そして清められ心も新しく強められて癒される。それで全心で命の限り感謝を捧げようと思う。ここでは明るいソプラノによって詩人の喜びが描写される。(第四曲)

続いて、救われた者のいっそう高揚した感謝の気持ちが、ソプラノのアリアで歌われる。(第五曲)

そして終局では、イエスの強い御手によって、まさに死の境にあった患いと悩みから解放された歓びと感謝から、人々は合唱によって、イエスを永遠にほめたたえるように勧める。(第六曲)

わずか10分たらずの小さな曲の中に、キリスト教の本質が美しく、心の中の対話があらわになる形で、その苦悩と感謝が、バッハのその芸術の天才によって、人々の心に刻み込まれる。こうしたカンタータを土台にして、彼の受難曲などが作曲されたのだろう。

聖書の詩篇も、もともと楽曲をともなって歌われたのだろう。中東の世界においてはもっと素朴な旋律だったと思う。バッハの場合は、詩の趣旨が見失われかねないほどに、その旋律はあまりに美しすぎる。ここでも罪の問題が人類の深刻なテーマであることには変わりはない。全世界は一つの病院である(Die ganze  Welt  ist  nur  ein  Hospital )と言う。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日々の聖書(10)―――富と貧しさ

2006年12月21日 | 宗教・文化

日々の聖書(10)―――富と貧しさ

富貴の人に気に入られようとする者は多く、贈り物をくれる者には誰しもが友だちになる。だが貧しい者は、兄弟にすら憎まれる。まして友人たちはいっそう彼から遠ざかる。貧しい者の言葉には誰も耳を傾けない。

(箴言第十九章第六~七節)

富は多くの友人を作るが、没落して貧して窮した者には、兄弟や信じていた親友すら離れ去る。このような事実を体験するのは、バブル経済に天国と地獄を体験した平成の世の日本人のみに限らないらしい。

紀元前200年、300年もの昔に作られた聖書の『箴言』のなかにもこのように語られているからである。砂漠に生きたアラブ人、ユダヤ人、エジプト人たちもそうだったらしい。人間の本性というのは、古今東西そんなに変わらないことがわかる。


豊かになるにしても貧乏になるにしても、実際の世の中は、往々にしてままにならないものである。人は誰しも好むと好まざると、運命の巡り合わせから、不本意な境遇に陥ることはある。人間の生はもともと不安である。だから誰しもそれなりの覚悟はしておけということなのだろう。

私たちは、この聖書の言葉から、何を学ぶことができるだろうか。それは第一に人間のもって生まれた弱さだろう。そうした行為は弱さから来るからだ。もちろん、人間にはもって生まれた強さというものもある。しかし、弱い人間の限界の一面として、この箴言が記しているような態度をとる人間は多い。それを恨んでも仕方のないことである。

それは人間の弱さのせいであって誰も非難はできない。だから、人は逆境に立ち至ったときのために、ふだんから人間関係にそれなりの覚悟をしておくことだろう。また一方で、そうした事態を招かないように人事を尽くすことだろう。

さらに望ましいことは、イエスを私たちの共通の絆として、同じ主と仰ぐことのできる友を得ることだろう。なぜなら、彼はその堅き信仰によって、不確かな富に望みをおかず(テモテ前6:17)、主の貧しさによって豊かであるから(コリント後8:9)。彼は、富める時も貧しいときも支えてくれるにちがいないから。

イエスを友として授かれば、ましてなおさらである。彼ならこのような態度をとることはありえない。しかし、この世ではこれが大方の人間の真実なのだろう。

富貴の人に気に入られようとする者は多く、贈り物をくれる者には誰しもが友だちになる。だが貧しい者は、兄弟にすら憎まれる。まして友人たちはいっそう彼から遠ざかる。貧しい者の言葉には誰も耳を傾けない。

(箴言第十九章第六~七節)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

詩篇第百十二篇註解

2006年12月19日 | 宗教・文化

詩篇第百十二篇

主を誉めたたえよ。
何と幸いなことか、主を畏れる人は。
彼は主の戒めをまことに歓ぶ。
彼の子孫は地上の勇士となり、
正しい者たちの世代は祝福される。
彼の家は富と財産に満ち、
彼の正義は永遠に揺るがない。
正直な者たちは、暗闇の中に光輝き、
豊かに恵み、憐れみ深く、正しい。
良い人は、憐れみ深く、物惜しみしない。
彼の言葉は、裁きの場でも受け入れられる。
永遠に揺らぐことなく、義しい人は永遠に忘れらることもない。
彼は悪評を恐れず、
彼の心は堅く主に信頼している。
彼の心は堅く揺るがず恐れることもなく、
ついには敵どもの敗北を見る。
貧しい人々には豊かにふるまい、
彼の正義は永遠に揺らぐことなく、
彼の角は栄光のうちに高く掲げられる。
悪人はそれを見て怒り、
歯ぎしりして消え去る。
神に逆らう者たちの願いは滅びる。

 

詩篇第百十二篇註解

ハレル(誉めよ)ヤー(主を)ではじまる賛美の歌。また、各句の冒頭は暗記しやすいように、日本のイロハかるたのように、アルファベット順に並べられている。ユダヤ人たちはそうして詩篇を暗記して昼夜口ずさむのだろう。

ここでも幸福な人とは、主を畏れる人である。しかし、たんに主を畏れるという消極的なことではなく、主の教え、主の戒めは詩人にとっては深い歓びと慰めの源でさえある。(1節)

このように主の教えを愛する人の子々孫々は、勇敢で強く、主の教えに従う人たちの世代は祝福された幸福な世代である。そんな彼の家族には豊かな富がある。

旧約では、正義と富とは一致すると楽天的に信じられている。決して間違いではないとしても、往々にして成金的な富は正義に反して得られる場合が多い。しかし、そうした富は長続きしないのだろう。
それは市場原理主義の現代でも同じだと思う。

ユダヤ人にも貧しい人は少なくないが、世界的な長者も少なくない。人口比から言えば、もっとも大金持ちの多い民族だろう。おそらくそれは、この詩篇に歌われているように、ユダヤ人には、先祖代代にわたって主の教えを愛し、正義に生きる人々が多かったことによるのだろうと思われる。キリスト教徒の場合でも同じだと思う。古い家系のキリスト教徒に裕福な家族は少なくない。富や豊かさは、もともとは神からの贈り物なのだろう。


山上の教訓で、イエスが「心の貧しい人は幸いである」(マタイ書5:3)と言ったことから、従来のキリスト教は貧しさを尊ぶ傾向が強いけれども、経済的な貧困自体は不自由なものである。貧困自体は良いものではない。本来の趣旨は、「心の貧しさ」、「謙遜」の価値を語ったものだと思う。ここで良い人、正しい人とはどのような人であるか語られる。それは、憐れみ深く、物惜しみせず与える人だという。(4節5節)そして、彼は法に従って行動するから、裁判所でも彼の言葉は信頼される。そして、何よりも、死後に行なわれる神の前での審判においても、彼の証言は受け入れられる。

また、主に信頼する人は揺るがない。(6節)だから、人から悪評を立てられても恐れない。実際に人から悪口を言われなかった者はいないだろうし、また、人の悪口を言わない人も少ないのではないか。人の口から悪口を絶つことはできないし、人間とはそうした者である。主に信頼して支えられているから詩人は悪評も恐れず、信じる道を歩んでゆく。そしてついには、敵の敗北を目に見る。そうして彼の角は主によって高く掲げられる。角とは、勝どきを上げるラッパのようなもので、それは力と支配を表すシンボルである。

正しい人がそうして主に支えられるのを見て、悪人は憤り歯ぎしりして怒るが、やがては力を失い、彼らの野望も消えてなくなるという。この詩も主の教えに忠実であることの歓びと慰めを歌っている。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

政治の貧困 ⎯と国家の理念(イデー)

2006年12月18日 | 政治・経済

 

政治の貧困 ⎯と国家の理念(イデー)

 

安部首相が指導力を発揮しないことによって、支持率を下げています。日本の政治が劣悪なものであるのは、今に始まったことではないでしょう。岸信介や大野伴睦らの政治屋たちが、右翼の児玉誉士夫たちの采配と取り仕切りのもとで金権政治を展開する様子が、日経新聞の12月から「私の履歴書」欄に掲載され報告されています。

そのなかで、読売新聞の元社長の渡邉恒雄氏が、自民党番記者として自民党の有力政治家たちに「密着」取材していた現役記者時代を回顧し記録しています。戦後の焼け跡から経済復興しつつあった、いわゆる「高度成長期」の日本の政治の様子を描写していますから、そうした頃を知らない今の若者たちは、ぜひ読まれるとよいと思います。

そのころの日本の政治に生まれた金権政治体質はその後に田中角栄に引き継がれ、その派閥政治が残した膨大な借金政治の附けは現在と将来の日本国民が背負って解決してゆかなければならないものになっています。ある意味ではそうした日本政治の体質は、日本国民自体の体質であり、その反映でもあるわけですから、日本国民の体質が変わらないかぎり、日本の政治の体質も変わらないのも道理です。

政治の改革なくして日本の経済、文化、教育の再建がありえないことを、小泉政権の誕生によって国民も理解し始めたといえますが、そして一時期の、渡邉恒雄氏の描写しているような派閥政治の腐敗からはいくらかは改善の兆しは出始めたとはいえ、道のりは容易ではないようです。はたして国民は改革による痛みに耐え、克服できるのでしょうか。与党のみならず、民主党も人材を得られず混迷しているようです。

政治の混迷は、何も人材を得ないことだけから来るのではないと思います。何よりもその政治の理念(イデー)がはっきりとしていないからではないでしょうか。安部首相の「美しい国」のような情緒的であいまいなものでは、国家の理念として論理がないと思います。
日本政治の根本イデーを、日本国民がまずはっきりと自覚し、それを目的として追求してゆく必要があります。

政治の根本イデーとは、どのようなものでしょうか。それは日本国を自由と民主主義に立脚する自由民主主義国家とし、その政治的原理を基本的には、民主党と自由党による二大政党政治が担ってゆくことです。

そのためには、現在の自民党が合併する以前の、自由党と民主党へと再度に分割分離して、民主主義を原理とする民主党と自由主義を原理とする自由党に、それぞれ政治家を再結集し、政党政治を再構成しなおすことです。一方で、国民一人一人に対して、自由主義と民主主義についての教育を充実させてゆく必要があります。民主党と自由党の違いは、民主主義と自由主義のいずれに重点をおくかのニュアンスの違いであって、政策などは、八割方同じであってよいと思います。そして、さらにより完成した「自由にして民主的な独立した立憲君主国家、日本」の実現を根本的に追求することにおいては自由党も民主党も同じです。

政治において、このような根本理念(イデー)を明らかにして追求してゆけばよいと思います。そして、政治家は、このような理念の追求と実現によって評価されるべきであると思います。政治家が先にありきではなく、理念が先にありきです。

それと併行して、「宗教改革」も実行されるべきでしょう。政治の改革は国民の体質を変えてゆく「宗教改革」の実行とその基礎の上にこそ、真に実の挙がるものになると思います。それはまた、100年、200年500年と幾世代もの積み上げの必要な息の長い仕事であると思います。歴史の歩みはゆっくりとしたものです。

参考までに

自由と民主政治の概念

宗教と国家と自由

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エルニーニョ現象

2006年12月15日 | 日記・紀行

花の寺1  花の寺2

ここ三日ほど、初冬には珍しく、しつこく雨が降り続いた。天気予報によると、エルニーニョ現象が発生しているせいでもあるらしい。スイスなどでも、雪が少なくスキー場を開けないところもできているという。年々に環境問題が深刻化しているということなのだろう。

これからも中国やインドなどの人口大国がその経済的な発展の度を高めつつあるから、地球環境はますます悪化してゆくのは避けられないのかも知れない。とりわけ石油に代わる水素エネルギーなどの開発が急がれる。

現段階の人類の科学技術が中途半端で低い段階にあるから、こうした環境破壊が避けられないのかもしれない。さらに幾倍か高度に科学技術が発達して、より環境にやさしいものとなれば、人類は危機を脱することができるかもしれない。科学を否定するのではなく、むしろ、現代の中途半端な科学技術を、さらに高度な本質的に自然なものに発展させる必要があるのだろう。それが可能かどうかはわからない。むしろ問題は、科学よりも人類のモラルにあるのかもしれない。

久しぶりに空に晴れ間が見えたので、散歩に出る。ここ数日の雨に、紅葉はほとんど枝から打ち払われて散っていた。雨に濡れた紅葉やイチョウの葉などが道々の上に美しく型を取ったように造形を描いている。

さすがに、途中に見る風景も冬枯れてゆこうとしていて、華やかな様子の目に付くものもない。

勝持寺に立ち寄る。雨も降り続いたせいか人影はなかった。紅葉の盛りの面影が、ちり積もった落ち葉に残されていただけである。今年の秋の終わりを実感する。カメラを持って出たので、写真に取った。海外のメル友に送ると、部屋に飾るといって歓んでもらえたのはうれしい。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする