作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

§286c〔封建的君主制、専制政治の荒廃と破壊の歴史〕

2018年10月29日 | 国家論

 

§286c〔封建的君主制、専制政治の荒廃と破壊の歴史〕

Die ehemaligen bloßen Feudalmonarchien sowie die Despotien zeigen in der Geschichte darum diese Abwechslung von Empörungen, Gewalttaten der Fürsten, innerlichen Kriegen, Untergang fürstlicher Individuen und Dynastien und die daraus hervorgehende innere und äußere allgemeine Verwüstung und Zerstörung, 

かっての単なる封建的君主制は、専制政治とおなじように、叛乱や支配者の暴虐、内乱、支配者個人や王朝の没落によってもたらされるこれら支配者の交替と、そして、そこから生じた国内外の一般的な荒廃と破壊を、その歴史の中で示している。

weil in solchem Zustand die Teilung des Staatsgeschäfts, indem seine Teile Vasallen, Paschas usf. übertragen sind, nur mechanisch, nicht ein Unterschied der Bestimmung und Form, sondern nur ein Unterschied größerer oder geringerer Gewalt ist. So erhält und bringt jeder Teil, indem er sich erhält, nur sich und darin nicht zugleich die anderen hervor und hat zur unabhängigen Selbständigkeit alle Momente vollständig an ihm selbst.

その理由は、国家事業を分割するこのような状態においては、 国家事業の分担が 家臣や高官などに任せられるために、ただ機械的になり、使命や形式の違いによってではなく、そうではなくその違いは単に権力が大きいかあるいは小さいかだけである。そうして、それぞれの部門は、自己を保持しながら、ただ自己のみを、そして、そこでは同時に他者を生み出すということはなく、それぞれの部門は、他と関わりを持たない独立したものとなって、すべての要素を完全に自己自身のもとに持つことになる。 



 

 

封建的君主制や専制政治が荒廃と破壊の歴史をたどるのは、その体制の国家事業の分担が有機的な関係を失い、ただ権力の大小によって区別されるのみで、それぞれの部門が他者とは無関係な完全に自立した存在と化すためである。それぞれが独立してその生存をめぐって排他的に競合しあうことになるためである。フランス革命の末期にも権力は分裂して恐怖政治を招いて破滅することになる。認識論においては、悟性は分断(判断)をもたらし、理性は統一(宥和)をもたらす。 


 

§286c 〔封建的君主制、専制政治の荒廃と破壊の歴史〕 - 夕暮れのフクロウ 

 
 
 
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10月25日(木)のTW:§286c〔専制政治の荒廃と破壊の歴史〕

2018年10月26日 | ツイツター
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ノエルの死

2018年10月23日 | 日記・紀行

 

2018年10月23日(火)雨

夜になって飼い猫のノエルが死んだ。雨が降っていた。ノエルは寝床の中で、澄んだ緑色の目を半ば開けたまま痩せた躰を横たえて死んでいた。躰を撫でるとまだ温かかった。友だちだった犬のミカンはずっと前に先立っていった。二匹は天国で再会しているかもしれない。犬のミカンと違って洋猫のノエルは私に愛想を取るようなことはなかった。人間にも動物にも寿命はかぎられている。ノエルも人間の年齢では90歳以上に相当するらしい。

 
 
 
 
 
 
 
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§286 b 〔理性的な国家体制としての立憲君主制と公共の自由〕

2018年10月22日 | 国家論


§286 b 〔理性的な国家体制としての立憲君主制と公共の自由〕

Die monarchische Verfassung zur erblichen, nach Primogenitur festbestimmten Thronfolge herausgearbeitet zu haben, so daß sie hiermit zum patriarchalischen Prinzip, von dem sie geschichtlich ausgegangen ist, aber in der höheren Bestimmung als die absolute Spitze eines organisch entwickelten Staats zurückgeführt worden, ist eines der späteren Resultate der Geschichte, das für die öffentliche Freiheit und vernünftige Verfassung am wichtigsten ist, obgleich es, wie vorhin bemerkt, wenn schon respektiert, doch häufig am wenigsten begriffen wird.

長子相続にしたがって堅実に確立された継承へと、君主制の国家体制をつくりあげること、それをもって家父長的な原則へと、しかし、それも歴史的な起源としての家父長的な原則から、有機的に発展した国家の絶対的な頂点としての家父長的な原則へと、さらにより高められた規定に回帰させることは、歴史における最近の成果の一つであり、公共の自由と理性的な国家体制にとってもっとも重要な成果の一つである。ただそうであるとしても、前にも述べたように、(君主制の国家体制は)かねてより尊重はされてはいても、それは往々にしてもっとも理解されることの少ないものである。



近代において有機的に発展した国家における頂点としての家父長的な原則について、すなわち、立憲君主国家体制としての君主制については、「公共の自由」と「理性的な国家体制」にとってもっとも重要な歴史的な意義をもつ成果としてヘーゲルは評価している。それと同時に「君主制の意義」がもっとも理解されることの困難なものであるとしている。

「公共の自由」に対する君主制の意義についてのこの指摘は、自由の価値を知る者にとってはとりわけ重要だと思います。

「天皇制」と民主主義は両立しない、と断言して亡くなられた東大名誉教授で憲法学者の奥平康弘氏がもし生きておられれば、「皇室」の存在と「公共の自由」との関係についてたずねてみたい。立憲君主国家体制における皇室の存在は「公共の自由」を毀損するかどうか?




 
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台風21号の傷跡

2018年10月20日 | 日記・紀行

 

2018年10月20日(土)晴れ 

台風21号の傷跡


久しぶりに大原野神社へゆく。境内はまだ紅葉には早い。先月の9月4日に日本列島を横断した台風21号の被害を受けたらしく、本殿の傍に立っていた樹齢450年といわれる樅の木の大木が2メートルぐらいの高さから生木を裂くように折れて倒壊していた。朱塗りの本殿は無事だったけれど、樅の木の裏にあった建物が損壊したらしく、シートがかけられていた。

大原野神社は由緒ある神社で、清和天皇の女御となった藤原高子がこの神社に参詣する折にお供をした在原業平が和歌を献じたことが伊勢物語にも記録されている。源氏物語にも「行幸」の巻には、「その師走に、大原野の行幸とて、世に残る人なく見騒ぐを、六条院よりも、御方々引き出でつつ見たまふ。卯の時に出でたまうて、朱雀より五条の大路を、西ざまに折れたまふ。桂川のもとまで、物見車隙なし。」と当時の行幸の様子が描写されている。紫式部自身も時代祭などでみるような風俗でこの神社へも訪れたことだろう。

また境内には「瀬和井」という井戸が今も残されてある。藤原高子をお后とした清和天皇がこの井戸を産湯に使われたという。また大伴家持や紀貫之たちも、この井戸を訪れた折に和歌を詠んでいるから、この井戸は古来それなりに名も知られていたにちがいない。

この井戸のすぐそばから伸びている脇道が、隣接している勝持寺への近道になっている。この道を辿ってゆくと、途中には倒木も多く見られて、先の台風の余波が未だ片付けられずに残されたままになっている。お寺の拝観時間もすでに過ぎていたので、仁王門をくぐっただけで階段を降りて帰る。洛西に暮らしていた時にはこのお寺へは自転車でも花の頃に訪れた。

今となってはこの花の寺の脇を貫くようにはしる京都第二外環状道路は、その計画から工事の完成にいたるまでずっと、山の畑から畝を耕しながら眺めていた。これほどの環境破壊はない。当時の知事だった山田氏には、歴史的な風致地区を保存するために、せめて地下に道路を掘って走らせるという知恵も英断もなかった。市民の多数にもそんな関心もない。現代生活の利便性の前に歴史的な遺産が犠牲にされる。

あと20年30年50年も経過すれば、かろうじて残されている勝持寺の周辺の面影もすっかり失われて、このお寺も街中にあるお寺のようになってしまっているだろう。西行が出家した頃のこのお寺の面影は、今ですら失われつつあるのに、その頃には見る影もなく消えてしまうことだろう。そしてそれが誰にも当たり前として受け取られる。

仁王門を階段を降りて再び大原野神社の駐車場にまで戻る。その前にあったお店でヨモギ餅の二つ入ったぜんざいをいただく。

台風21号で平野神社では暴風のために、桜の木々が数十本も倒れたらしい。慶安3年1650年に建立されたという拝殿が倒木のあおりを受けて倒壊したことを報じるテレビニュースのひどい映像も見た。  

一昨年の初夏の候に初めてこの神社を訪れたときには、拝殿の傍に植えられていた新緑の橘の木にはきれいな白い花が咲いていたので写真にとってこのブログにも記録していた。




 
 
 
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10月17日(水)のTW:#§ 286〔君主権を客観的に保証するもの〕

2018年10月18日 | ツイツター
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10月16日(火)のTW:#Fudoshin Ryu Aikijujutsuなど

2018年10月17日 | ツイツター
 
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Fudoshin Ryu Aikijujutsu Japanmarkt (Leiden 2016) 2e demonstratie

2018年10月16日 | 芸術・文化

Fudoshin Ryu Aikijujutsu Japanmarkt (Leiden 2016) 2e demonstratie

Fudoshin Ryu Aikijujutsu demonstratie op 15 mei 2016 tijdens de Japanmarkt in leiden.

柔道はすでに言うまでもなく、剣道も空手も合気道も忍術も居合道も、日本の戦国時代の昔から有名無名の多くの武士によって研究され開発されてきた武道、武術は海外に出た日本の武道家たちによって、いずれも極めて正統にオーソドクスに欧州を中心に受け継がれています。こうした貴重な遺産が肝心の母国日本においては失われつつあるのは惜しい。いつの日か再び武術、武道の隆盛を迎える時の来ることを期待して。青少年時代にこれら武道、武術の一つを選んで修練することによって得られるものは大きいと思います。

 

 
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Takamatsu Sensei

2018年10月16日 | 芸術・文化

Takamatsu Sensei

Documentary. The story about the last Japanese ninja and the Mongolian Tiger. Takamatsu Sensei.

 

 
 
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Masaaki Hatsumi: The 34th Grand Master of the Togakure-ryu Ninjutsu

2018年10月16日 | 芸術・文化
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