作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

ヘーゲル『哲学入門』 第二篇  論理学  第五節 [思考と対象の関係]

2024年10月28日 | 哲学一般

ヘーゲル『哲学入門』 第二篇  論理学  第五節 [思考と対象の関係]

§5

Dies ist nicht so zu verstehen, als ob diese Einheit erst durch das Denken zu dem Mannigfaltigen der Gegenstände hinzutrete und die Verknüpfung erst von Außen darein gebracht werde, sondern die Einheit gehört  eben so sehr  dem Objekt an und macht mit ihren Bestimmungen auch dessen eigene Natur aus.(※1)

第五節 [思考と対象の関係]

このことは、あたかもこの統一がまず思考を通して対象の多様性にもたらされ、その結びつきが外部からはじめて持ち込まれたかのように考えてはならない。この統一は、まったく同じく 対象にも属しており、またその諸規定をもって対象に固有の本性をも構成しているのである。

 

※1
統一(主体・思考)と多様性(客体・対象)との関係について、
対象の多様な性質は、思考の介在なしに、すでに対象それ自体において統一されている。認識主体と客体の相互依存性を説明している。

 

ヘーゲル『哲学入門』 第二篇  論理学  第五節 [思考と対象の関係] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/QqPTZQ

 

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2024(令和6)年10月25日(金)曇り。#衆議院選挙

2024年10月25日 | 日記・紀行

 

2024(令和6)年10月25日(金)曇り。#衆議院選挙

明後日は衆議院選挙です。もちろん私も行くつもりでいます。

私はX(ツイッター)のプロフィールの自己紹介に「理念として「自由にして民主的な独立した立憲君主国家」を追求しながら、日本の国家としての再建をめざしてゆきます。」と書いています。私もまた哲学研究者としての立場から、国家としての日本の改革と建設に日々従事しているつもりです。

より良き国家社会をめざして改革と創造に努めることは、民主国家に生きる私たち国民の一人一人の権利と義務だと思います。ただ、普通の一般国民は、選挙によって政治家を選び、ふるい落とすことによってしか、その権利を行使しその義務に参加することができません。

そうして多くの人々、ふつうの国民はより良き国家社会への改革と創造をめざして、さらには政党の党員になったり、政治運動に従事したりするのだと思います。

とはいえ、よりよき国家社会の実現はそんなに甘いものではないようです。「地獄への道は善意によって敷かれている」という西洋の諺があるように、初心はそうした善意で政治運動に献身したとしても、かっての70年代の全学連の若者たちの学生運動のように、赤軍派の仲間内のリンチ殺人になり終わるというようなこともありました。

また、現在の政党の中には、民主的に構成されていない政党組織もあります。たとえば、日本共産党や公明党がそうだと思います。これらの政党は「事実として」民主的な政党ではないと思います。また最近になってできた日本保守党もその党規約から言えば民主的な政党組織ではないかもしれません。というのも、組織として党首を完全な自由選挙によって選ぶ構造にはなっていないからです。

このような政党は、民主的な政党ではないという点で「全体主義的な政党」と呼ばれたりしますが、なぜ、そうした政党が危険であるのか。

その政党の政策、綱領が正しくて、日本をより良き国家社会へと導くものであればいいのですが、しかし万が一その政党の政策綱領が間違っていて、日本を不幸な悪しき国家に導くものにしかならないとすれば取り返しがつかないからです。

民主的な政党組織であれば、その政策、綱領が間違っていれば、党首を自由な選挙で選び直して政策、規約、綱領などを正しいものに変えることもできますが、全体主義的な政党組織の場合は、それができません。

その政党組織の政策が、もし日本国のためにならない場合には、たといその政党に所属する一人一人の党員がどれほど善意の持ち主であろうと、その政党の掲げる誤った政策の結果として、日本という国家社会が劣悪なものに陥ることを防ぎようがないからです。

私が「全体主義的な政党」と、その党に所属する政治家を日本国民の一人として、選挙で投票しないのはそのためです。政党の掲げる政策綱領が誤ったものであれば、たとい個々人の政治家は福祉をめざしたり、公平な社会をめざしていたとしても、その実現の道は閉ざされているからです。それこそ「地獄への道は善意によって敷かれている」ということになります。

今回の選挙でも、政党と政治家を選ぶ私の基準は、どの政党と政治家が「自由にして民主的な独立した立憲君主国家」としての日本の実現へと、その国家社会の改革と創造により貢献するか、です。

差し当たっては、比例区は「国民民主党」に投票しようと思います。小選挙区は、自民党以外の政治家の中から選ぼうと思っています。

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』 第二篇  論理学  第四節 [「私」と思考]

2024年10月23日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』 第二篇  論理学  第四節 [「私」と思考]

§4

Der  Inhalt  der Vorstellungen ist aus der Erfahrung genommen, aber die  Form der Einheit  selbst und deren weitere Bestimmun­gen haben nicht in dem Unmittelbaren derselben als solchem ihre Quellen, sondern in dem Denken.(※1)

第四節 [「私」と思考]

表象の内容  は経験から取得されるが、その 統一の形式  そのものや、そのさらなるくわしい規定は、経験の直接的なものの中にではなくて、思考のうちにその源泉がある。

Erläuterung
説明

Ich  heißt überhaupt Denken.  Wenn ich sage:  ich denke,  so ist dies etwas Identisches. Ich ist vollkommen einfach.(※2) Ich  bin denkend  und zwar  immer.

「私」とは、そもそも「思考」のことである。もし私が「私が考える」と言うとき、これはまったく同一のことを言っている。私とはまったく単一なものである。「私」とは 思考するもの  であり、そして、つねにそうである。 

Wir können aber nicht sagen: ich denke immer. An sich wohl, aber unser Gegenstand ist nicht immer auch Gedanke. (※3)Wir können aber in dem Sinne, dass wir Ich sind, sagen, wir denken immer, denn Ich ist immer die ein­fache Identität mit sich und das ist Denken.

しかし、私たちは「私はいつも考えている」とは言えない。それ自体においては確かにそうだが、私たちの対象がまたいつも思考そのものであるわけではないからである。しかし、私たちが「私」であるという意味においては、私たちはつねに考えていると言える。というのも「私」とはつねに自己と同じ単一のものあり、それは思考だからである。

Als Ich sind wir der Grund aller unserer Bestimmungen. Insofern der Gegen­stand gedacht wird, erhält er die Form des Denkens und wird zu einem  gedachten Gegenstand.  Er wird gleich gemacht dem Ich d. h. er wird gedacht.(※4)

「私」として、私たちは私たちのすべての規定の根拠である。対象が思考されるかぎりにおいて、その対象は思考の形式を得て、思考された対象 となる。対象は私と同じものにされる、つまり、対象は思考されるのである。

 


※1
表象(Vorstellungen)の内容は人間の感覚や経験から得られるものだが、それらの感覚や表象をまとめ統一した形で認識するためには、感覚の経験を超えた「思考の働き」が、つまり、私たちが頭の中で行うカテゴリー化や概念化が必要である。それらは経験そのものからではなく、思考から生まれてくる。カントのカテゴリー表がふまえられている。

※2
個人、個体を意味する英語の、individual と同じ。「分割できないもの」「Atom」。

※3
くつろいでいる時や野球観戦中などのように、思考の対象がいつも具体的に存在しているわけではない。

※4
対象がただに存在するだけではなく、「思考される」ことによって私(主体)と同一化される。つまり、対象が思考の枠組みの中に取り込まれる。

 

ヘーゲル『哲学入門』 第二篇  論理学  第四節 [「私」と思考] - 夕暮れのフクロウ https://bit.ly/3AbRhGg

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』 第二篇  論理学  第三節 [思考と抽象]

2024年10月14日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』 第二篇  論理学  第三節 [思考と抽象]


§3

Das Denken ist Abstraktion, insofern die Intelligenz(※1) von konkreten Anschauungen ausgeht, eine von den mannigfaltigen Bestimmungen weglässt und eine andere hervorhebt und ihr die einfache Form des Denkens gibt.

第三節 [思考と抽象]

知性が具体的な直観から出発し、多様な規定の中から一つを捨て、他のものを取り上げて、それに思考の単純な形式を与える限りにおいて、思考は 抽象 である。

Erläuterung
説明

 Wenn ich alle Bestimmungen von einem Gegen­stand weglasse, so bleibt  nichts  übrig. Wenn ich dagegen eine  Bestimmung weglasse und eine andere  heraushebe, so ist dies abstrakt. Das Ich  z. B. ist eine abstrakte Bestimmung. (※2)


 私がある対象からすべての 規定を取り去るなら、そこには 何も残らない。反対に、ある 規定を捨てて(捨象)別の 規定を取り上げるなら、それは抽象である。たとえば、「私」とは一つの抽象的な規定である。

Ich weiß nur von Ich, insofern ich mich von allen Bestimmungen abson­dere. Dies ist aber ein negatives Mittel. Ich negiere die Bestim­mungen von mir und lasse mich nur als solchen.(※3) Das Abstrahieren ist die negative  Seite des Denkens.(※4)

私が、ただ私について知りうるのは、すべての規定から私のみを切り離して取りあげるからである。しかし、このことは否定的なやり方である。私は私についていろいろと規定することを否定し、そうして、ただ私を何らの規定をももたないものとする。抽象(捨象)するということは、思考の 否定的な  側面である。

 

※1
Intelligenz
情報, 知性, 知恵, 英知などと訳される。
Intelligenz(知性)が、学習や適応など問題解決能力のための技術などを学び活用する能力であるのに対して、
Verstand(悟性)は 論理的に判断する分析的な思考力のことであり、
Vernunft(理性)は真・善・美など道徳的な判断を含む綜合的な思考力である。

※2
思考のプロセスにおいて抽象化(捨象)が行われることを説明している。抽象は同時に捨象でもある。
「精神の現象学」の中においては、「塩」の白く、辛く、結晶の立方体、といったさまざまな規定(性質)の中から、ただ「白い」という性質のみをとり上げることを「悟性」の抽象化(捨象)の働きとして取り上げている。

ヘーゲル『哲学入門』序論についての説明 一[知覚について] - 夕暮れのフクロウ https://bit.ly/3NqITFJ

ヘーゲル『哲学入門』序論についての説明 六[思考について] - 夕暮れのフクロウ https://bit.ly/4f6CyLE

ヘーゲル『哲学入門』序論 七[意志の抽象的自由] - 夕暮れのフクロウ https://tinyurl.com/2d8bhwfk

※3
カントは「物」から、そのあらゆる規定を取り去ると、「物自体」という空虚な抽象しか残らないとして、現象と物自体を切り離し、私たちの認識は「物自体」には達しえないという「不可知論」を主張した。

※4
ヘーゲルは「抽象化」を思考の否定的な側面として指摘している。この指摘の重要性は一般的にあまり認識されていない。

6月15日(木)のTW:「平等」の強制 - 夕暮れのフクロウ https://tinyurl.com/2bkpk7gh

 

ヘーゲル『哲学入門』 第二篇  論理学  第三節 [思考と抽象] - 夕暮れのフクロウ https://tinyurl.com/2yhjbt34

 

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』 第二篇  論理学  第二節 [感覚から思考へ]

2024年10月09日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』 第二篇  論理学  第二節 [感覚から思考へ]

§2 

Das Denken ist überhaupt das Auffassen und Zusammenfassen des Mannigfaltigen in der Einheit. Das Mannigfaltige als sol­ches gehört der Äußerlichkeit überhaupt, dem Gefühl und der sinnlichen Anschauung an. (※1)

第二節 [感覚から思考へ]

思考とは、そもそも多様なものを一つの統一体として把握し、まとめることである。多様なものそのものは、一般的に外的なものであり、感情や感覚的な直観に依存している。

Erläuterung. 
説明

Das Denken besteht darin, alles Mannigfaltige in die Einheit zu bringen. Indem der Geist über die Dinge denkt, bringt er sie auf die einfachen Formen, welche die reinen Be­stimmungen des Geistes sind. 

思考とは、あらゆる多様なものを統一的に把握し、一つにまとめることにある。精神が事物について考えることによって、それを単純な形式に変えて、その形式が精神の純粋な規定であることを示す。

Das Mannigfaltige ist dem Den­ken zunächst äußerlich. Insofern wir das sinnlich Mannigfaltige auffassen, denken wir noch nicht, sondern erst das Beziehen desselben ist das Denken. Das unmittelbare Auffassen des Mannigfaltigen heißen wir Fühlen oder Empfinden. 

多様なものは、思考に対してはまず外的なものである。
私たちが感覚的に多様なものを捉えているかぎりは、まだ思考しているわけではなく、それらを関係づけることこそが思考である。多様なものを直接的に捉えることを「感じる」とか「知覚する」という。

Wenn ich fühle, weiß ich bloß von etwas; in der Anschauung aber schaue ich etwas als ein mir Äußerliches im Raum und in der Zeit an. Das Gefühl wird zur Anschauung, wenn es räumlich und zeit­lich bestimmt wird.

私が感じるときは、ただ単に何かについて知っているだけであるが、しかし、直観においては、私はある物を空間や時間の中にある私にとって外的なものとして捉える。つまり感覚が空間的および時間的に規定されるとき、それは直観である。

 

※1

思考の働きとは、私たちが日常から得ることのできるさまざまな個別的な具体的な感覚や経験を、一つの意味のある全体へと、つまり普遍へとまとめて認識することである。
外的な事物に対して、私たちの意識が、感覚ー→直観ー→思考へと進むプロセスが説明されている。

 

ヘーゲル『哲学入門』 第二篇  論理学  第二節 [感覚から思考へ] - 夕暮れのフクロウ https://tinyurl.com/yr9fmt87

 

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ヘーゲル『哲学入門』第二篇 論理学 第一節 [論理学と自然論理]

2024年10月04日 | 哲学一般

G.W.F. Hegel
Philosophische Propädeutik
Zweiter Kursus. Mittelklasse. Phänomenologie des Geistes und Logik.
 
第二課程 中級 精神の現象論と論理学

 
Zweite Abteilung. Logik.

第二篇  論理学
Einleitung.
序論

ヘーゲル『哲学入門』第二篇 論理学 第一節 [論理学と自然論理]

§1

Die Wissenschaft der Logik hat das Denken und den Umfang seiner Bestimmungen(※1) zum Gegenstande. Natürliche Logik (※2)heißt man den natürlichen Verstand, den der Mensch überhaupt von Natur hat und den unmittelbaren Gebrauch, den er davon macht. Die Wissenschaft der Logik aber ist das Wissen von dem Denken in seiner Wahrheit(※3)

第一節[論理学と自然論理]

論理学は、思考とその規定の範囲を対象とする。それに対し、自然論理とは人間が本来的にもっている自然な判断力であって、その判断力を直接に使用することである。しかし、科学としての論理学とは、思考そのものの真理についての知識である。

Erläuterung.
説明

Die Logik betrachtet das Gebiet des Gedankens überhaupt. Das Denken ist seine eigene Sphäre. Es ist ein Gan­zes für sich.(※4) Der Inhalt der Logik sind die eigentümlichen Be­stimmungen des Denkens selbst, die gar keinen anderen Grund als das Denken haben. Das ihm  Heteronomische (※5)ist ein durch die Vorstellung überhaupt  Gegebenes.

論理学は、思考の領域全体を考察する。思考は論理学に固有の領域である。論理学はそれ自体において一つの全体である。論理学の内容とは思考そのものに固有の諸規定であり、それは思考の他にまったく根拠をもたない。思考にとって「異質なものもの」とは、表象一般を通して 与えられるもの である。

Die Logik ist also eine große Wissenschaft. Es muss allerdings zwischen dem reinen Ge­danken(※6) und der Realität unterschieden werden; aber Realität, insofern darunter die wahrhafte Wirklichkeit verstanden wird, hat auch der Gedanke. Insofern aber damit nur das sinnliche, äußerliche Dasein gemeint ist, hat er sogar eine viel höhere Realität.(※7)

論理学はそれゆえに偉大な科学である。 しかし、純粋な思考と現実性とは区別されなければならない。ただ、現実ということで真の現実性を意味するのであれば、思考もまた現実性をもっている。しかし、現実性ということで、たんに感覚的な外的な存在のことのみが考えられているなら、思考はさらにより高い現実性をもつ。

Das Denken hat also einen Inhalt und zwar sich selbst auf  autonomische  Weise.(※8) Durch das Studium der Logik lernt man auch richtiger denken, denn indem wir das Denken des Denkens denken, verschafft sich der Geist damit seine Kraft. Man lernt die Natur des Denkens kennen, wodurch man aus­spüren kann, wenn das Denken sich will zum Irrtum verfüh­ren lassen. Man muss sich Rechenschaft von seinem Tun zu geben wissen. Dadurch erlangt man Festigkeit, sich nicht von Andern irre machen zu lassen.

したがって、思考には内容があり、それ自体が 自律的な 存在である。論理学の研究を通して、人はより正しく思考することを学ぶ。というのも、私たちは「思考の思考」を考えることによって、精神はその力を得るからである。思考の本質を知ることで、思考が間違いに陥りそうになるとき察知できるようになる。人は自分の行動をどう説明するかを知らなければならない。そうすることで、他人に惑わされない力を得ることができる。

 

※1
「Bestimmung」とは、ある対象がその対象そのものとして存在するための性質や特性を定義する要素をさす。思考の「規定(Bestimmung)」とは、具体的には、「有」「無」「成」から「本質」「現象」「現実性」などから「精神」に至る概念のことで、それらの範囲は、すでに論理学の体系として示されている。

※2
「自然論理」とは、特に学問的、科学的な訓練を受けていない状態での、人間が生まれついてもっている論理的思考の能力、直感的な思考のことである。

※3
真理(Wahrheit)とは単なる事実の集合ではなく、弁証法的な過程の中で生成され認識されるものであり、対立する要素の統合を通じて成立する全体性と体系を意味している。
たとえば「成」  (Werden)は「有」(Sein) と「無」(Nichts) の真理であるとされる。
(ヘーゲルの「真理」概念)

※4
思考はそれ自体が一つの「領域」であり、「全体」である。思考は他の何かに依存するものではなく、それ自体で存在し、自己完結的なものである。

※5
表象によって与えられるものは「異質なもの(Heteronomische)」である。
表象とは、私たちが何かを頭の中で思い描いたり、心に浮かぶイメージのようなもので、これは経験や感覚に由来するものである。そうした外的な要因や表象(イメージや想像)によって思考に与えられる要素は、哲学的な思考の自律的で純粋な活動とはちがったものだから、他律的で「異質なもの」(Heteronomische)である。

※6
「Gedanke」は「思考」という意味で、個人の論理的な推論や思索のプロセスであるが、「reinen Gedanken」は、そうした個別の具体的な現象や外界の影響を受けない、純粋に論理的な思考のことである。

※7
「より高次な現実性」
ふつうに現実性という場合、眼に見える形や物体など、たんに感覚的で外的な物質的な性質をさす場合が多い
が、そうした物質や外的な存在よりも、それらの背後に存在する法則性や概念を「より高次な現実性」として捉える。

※8
「哲学における自律的な思考」とは、表象(イメージや想像)など、外部から与えられたものではなく、思考それ自体の論理によって自らを生成するものだから「自律的な」ものである。

 

ヘーゲル『哲学入門』第二篇 論理学 第一節 [論理学と自然論理] - 夕暮れのフクロウ https://tinyurl.com/2772hq5k

 

 

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