
20250407
2025(令和7)年04月10日(木)曇り、のち小雨。#能因法師
花曇りというか、うっすらと陽が差し込んだ午後、高野川の川端通りを北に向かって帰途につく。前方の北北東の正面にはいつものように比叡山の山容があり、今日は少し翳って眺められる。
この日はさすがに日々見慣れている高野川堤の桜並木も、見事とか素晴らしいとか月並みの言葉では言い表せない。冬枯れの季節から赤く蕾をふくらませて、そして今日のような花爛漫の姿まで日々飽きるほどに眺めている。
歌人の西行が慕った能因法師は、摂津国の難波のあたりの光景を眺めて、
こころあらむ 人に見せばや 津の国の 難波わたりの 春のけしきを
と詠んだらしい。もちろん、当時の摂津の国の難波のあたりの春のけしきがどんなものであったのか、想像もつかない。しかし、この日ばかりは遠く比叡山を遠景に延びる爛漫たる桜並木を眺めて、まず第一に今は離れてすむ娘たちに「見せばや」と思う。
なでし子に見せばやみやこ北の方高野堤の春のけしきを
能因法師も「春のけしき」を、誰彼にでも見せたいとは思っていない。「こころある者に見せばや」と言っている。「こころあらむ人」とは誰のことか。私にもこの春の今ここのこの一瞬の美の現前を誰か他者と共有したいという思いは生まれてくる。しかし、それは限られた者にである。それは連れ合いであり近親者であり友人であり、精神的に近しい者である。
20250407

20250409
どんな写真も、やはり現実の美しさにはおよばない。
※追記
伊勢姫 - 作雨作晴 https://is.gd/eW8yqn
能因法師を偲んで事跡をたずねてからもう三年も経過している。










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