作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

京都迎賓館

2017年09月30日 | 日記・紀行

 

久しぶりに御所に行きました。ちょうど迎賓館が公開されていましたので見てきました。日本の建築や絵画、織物、家具調度などの伝統を生かしたゲストハウスで、東京にある赤坂離宮の洋館とは違って京都にもなじむ美しい建築です。古木の一枚板を使った天井の木目も美しい。漆塗りの座卓も釘隠しも、また天井板に彫られたトンボや蝶も念入りな手仕事でした。この夏にもイギリスのメイ首相が来日した時に、渡し橋の上から池の鯉に餌を投げやっている様子がニュースで報道されていました。

 

 

天正拾七年八月の文字が読める。天正年間といえば、天正拾年の1582年には本能寺で信長が殺されています。迎賓館の庭園には昔の石材も素材に使われています。

 

紫の貴婦人

昔に見た少女は、今はやや細身の貴婦人となって、
私の眼前に現れた。
黒いセーターに、紫のジャケット。
昔のロシアの貴婦人のように
私の過去の面影を奥深くに潜めながら
その存在そのものが、この世の奇跡のように
今、私の前に立っている
歓びの反復と、悲しみの永劫回帰。
昔に見た少女は、今の私には悲しみの歓び
また再び彼女に見える日々の来ることあれば
昔に見た少女は、豊かな貴婦人の母。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

京都迎賓館

 

 

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9月29日(金)のTW:民進党の崩壊

2017年09月30日 | ツイツター
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9月27日(水)のつぶやき

2017年09月28日 | ツイツター
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大原の寂然

2017年09月27日 | 西行考

 

讃岐におはしまして後、歌といふことの世にいと聞えざりければ、寂然が許へ言ひ遣はしける

1228 言の葉の  情け絶えにし 折節に あり逢ふ身こそ
   悲しかりけれ

  かへし

1229 敷島や  絶えぬる道に 泣く泣くも 君とのみこそ
   跡をしのばめ


崇徳院が讃岐にいらっしゃった後には、和歌ということが世の中にほとんど行われなくなったので、寂然の許へ歌を詠んで送りました。

1228

和歌のことばにも 心が失われてしまった時代に 巡り合う我が身こそ悲しいものです
    
   次の歌を寂然が送り返してきました
1229 

和歌も途絶えてしまった道を、ともに泣きながらも、あなたとだけは、まだ和歌の盛んだった頃の跡を偲びあいましょう

保元の乱に敗れた崇徳院は都から遠く離れた讃岐へと流される。和歌に造詣の深かった崇徳院のいなくなった後には、和歌の道もほとんど廃れてしまった。そこで西行は、和歌の道にともに勤しんだ仲間である大原の寂然(藤原頼業)の許へ、歌を詠んで送る。

 

 

 

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9月24日(日)のつぶやき

2017年09月25日 | ツイツター
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9月22日(金)のTW:坂村健の目:被ばく影響、科学界の結論

2017年09月23日 | ツイツター
坂村 健氏の記事を保存しておきます。
#  坂村健の目
被ばく影響、科学界の結論

毎日新聞2017年9月21日 東京朝刊

坂村健

 今月1日に日本学術会議から「子どもの放射線被ばくの影響と今後の課題」という報告書が発表された。日本学術会議は我が国の人文・社会科学から理学・工学までの全分野の代表者からなる、いわば「学者の国会」。政府に対する政策提言から世論啓発までを役割としている。

 報告書が対象としている東京電力福島第1原発事故については、既に多くの論文や調査結果などが蓄積されている。国連科学委員会の報告でも、放射能由来の公衆の健康リスクについて「今後もがんが自然発生率と識別可能なレベルで増加することは考えられない」と結論が出ている。

 学術会議の報告でも、被ばく量はチェルノブイリ原発事故よりはるかに小さいという評価が改めて示されているが、特に不安の多い子どもへの影響に焦点を絞っている点が重要だ。「福島第1原発事故による胎児への影響はない」としており「上記のような実証的結果を得て、科学的には決着がついたと認識されている」とまで書いている。

 報告書を読むと、不安論者のよりどころとなる内部被ばくから、福島での甲状腺がん検査の評価まで、考えられそうなポイントはすべて丁寧に押さえている。

 その意味で、この報告書はいわば、事故後6年たっての科学界からの「結論」。これを覆すつもりなら、同量のデータと検討の努力を積み重ねた反論が必要だ。一部の専門家といわれる人に、いまだに「フクシマ」などという差別的な表記とともに、単に感覚にすぎない「理論」で不安をあおる人がいるが、そういう説はもはや単なる「デマ」として切って捨てるべき段階に来ている。

 マスコミにも課題がある。不安をあおる言説を、両論併記の片方に置くような論評がいまだにあるが、データの足りなかった初期段階ならいざ知らず、今それをするのは、健康問題を語るときに「呪術」と「医術」を両論併記するようなもの、と思ったほうがいい。

 そういう転換点になりうる重要な報告なのに、毎日新聞を含めて報道の少なさはなんだろう。この報告書を、本コラムを読んで初めて知ったという読者も多いと思う。それも当然で、新聞でいえば、福島の地方紙以外は全国紙の福島版とデジタル版で一部報道された程度。子どもに焦点を当てたという点でも十分に「ニュース性」があるのに、だ。ネットでは、この報道の少なさに違和感を覚えるという多くの書き込みがされている。

 この報告の題名に「今後の課題」とあるのは、既に決着のついた科学分野についてではない。科学的には結論が出ても無くならない不安、さらにそれをあおろうとする言説だ。「子どもが産めないの?」という不安を福島の子どもたちに抱かせないようにするため、学術会議の「結論」をどう広く伝えるかが「課題」。マスコミができることは、もっとあるはずだ。(東洋大INIAD学部長)
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府立総合資料館の閉館と新しい京都学・歴彩館

2017年09月12日 | 日記・紀行

 

府立総合資料館の閉館と新しい京都学・歴彩館

京都府立総合資料館が昨年の平成二十八年の秋九月に閉館になった。この資料館には昔からよくお世話になったから、懐しい建物がまた一つなくなると思うと残念だった。

卒業して勤めはじめた東京の生命保険会社も結局やめて、学生時代を過ごした京都に戻ってきた。新しい勤め先が見つかるまで時間もあったので、その時にこの資料館にもよく来た。その頃は結婚してまだ間もなく、妻に弁当を用意してもらって通った。長女が生まれた時には、ここで名前を考えたりした。資料館の前にあった洒落た喫茶店も疾くの昔になくなり、今はそこにファミレスが建って、その近辺にも新しい店が増えている。個人的な好みとしては、旧資料館前の交差点も昔の古い町並みの方が風情もあって懐かしい。

この旧資料館には、私の大学のゼミで指導教授であった脇圭平先生もしばしば来ていて、出会った折には立ち話をしたり誘われて先生の研究室へ話に行った。どんな話をしたのか今はもうその記憶はない。脇圭平先生は、大学では西洋政治思想史を担当されていた。東大で丸山真男について学ばれたそうである。司法試験の試験委員などもされていた。

先生の研究室を訪れた時、書棚にキッシンジャーの核戦略に関する原書などが並んでいたのを覚えている。机の向こうで話されていた先生の背広の袖口からラクダの肌着が覗いて見えたのもなぜか印象深く記憶に残っている。未だその頃は先生も若かった。いずれまた機会があれば、脇圭平先生についてもう少し詳しく論じてみたいと思う。

脇先生の本で読んだ記憶があるのは、岩波新書から出ていた『知識人と政治』、ドイツ文学者の柴田治三郎氏とともに訳されたカール・レビット著『ウェーバーとマルクス』、それにウェーバーの著作を訳されて岩波文庫から出された『職業としての政治』と『職業としての学問』くらいしかない。その他に著作があるのかどうかわからない。

新しい資料館について書こうと思っていて、つい昔の総合資料館とともに古い記憶が蘇ってきたので思い出すままに書いた。

新しい資料館の名称は「京都府立京都学・歴彩館」というのだそうだ。今年の春には開館していたが、私が初めて訪れたのは夏の終わりも近い先月八月の下旬ころだった。

できたばかりで全てが真新しく、きれいで広々としたゆったりとした現代的な建築だった。建築会社の社員らしい人が館内の壁面や空調などさまざまな箇所を調整していた。

閉館した昔の資料館に比べると、明るく広くゆったりとして読書や調べ物ができる。前の資料館では、ただテーブルが並べられてあるだけで、利用者がそれぞれ座席に適当な距離をとりながら作業をしていた。

それに、以前は午後の四時半には閉館になって追い出されたのに、新しい歴彩館は平日なら午後の八時から九時頃まで利用できる。終館までいたことはないけれど時間に余裕をもって利用できるのはうれしい。中世の平安時代の蔵書や資料も豊富で、この間訪れた時には書棚に『昭和天皇実録』なども並んでいた。先日訪れた時少し拾い読みした。渡月橋あたりをなぜ大堰川と呼ぶのか、また、和気清麻呂の歴史的な役割もあらためて知った。平安時代に発達した荘園制度に関する研究文献も豊富で興味深かった。

 

 

 

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8月31日(木)のTW:#ならず者、#安倍晋三

2017年09月01日 | ツイツター
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