作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

【LIVE配信】3党派による憲法改正シンポジウム_2023年8月19日(土)

2023年08月19日 | ニュース・現実評論

【LIVE配信】3党派による憲法改正シンポジウム_2023年8月19日(土)

 

憲法を国民の手に。

現行日本国憲法を改正しようという、こうした政党や政治家たちの意欲は買いますが、しかし肝心なことは、どのような憲法に改正するか、改正することができるかだと思います。

菅野志桜里氏、北神圭朗氏、玉木雄一郎氏、馬場伸幸氏など、現在の日本国の政治家たちに、五〇年後、百年後の歴史の評価に耐えうるような、まともな憲法を制定できるでしょうか。そうした能力を持った政治家はいないと思います。これは高慢なもの言いでしょうか。

 

※追記 (20230904)

ご参考までに、ヘーゲルが『法の哲学』の中で明らかにしている憲法観を引用しておきます。

ヘーゲルが言うように、憲法は「決してたんに作られるものではないからであり、それは数世紀にわたる労作であり、一国民において発展せしめられているかぎりの理念であり理性的なるものの意識」(法の哲学§274)が具体化されたものであるべきはずです。ヘーゲルの『法の哲学』を支持する立場からすれば、現行日本国憲法のように、日本の伝統文化にも無知なGHQの三流の進歩的知識人によって、二週間か三週間の一月足らずの間に作り上げられるようなものが憲法ではありえないからです。

『法の哲学』ノート§272(国家体制、憲法) - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/Pm96oJ

『法の哲学』ノート§273(国家体制、憲法2) - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/gRb2MZ

ヘーゲル『哲学入門』第二章 国家社会 第二十八節 [国家体制(憲法)について] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/pskQsE

自然憲法(Verfassung)と実定憲法(Konstitution) - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/OgAv2V

 

 

 

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令和五年五山送り火

2023年08月16日 | 日記・紀行

京都・五山送り火「大文字」火床の点火の様子(2023年8月16日、京都市左京区・大文字山)

 

2023(令和5)年8月16日(木)晴のち曇り。

今日は五山の送り火。

昨日の台風7号の近畿地方の縦断で、送り火の点火も危惧されていましたが、台風一過の晴れた夏の夜空に無事に煌々と火が灯されたようです。


とはいえ、この夏も家の中にあって、テレビの中継で五山の送り火を眺めることになりました。

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級  第一段  意識一般  第十八節[内なるものと外なるもの]

2023年08月10日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』中級  第一段  意識一般  第十八節[内なるものと外なるもの]

§18

Das Innere (※1)der Dinge ist das an ihnen, was einesteils von der Erscheinung frei ist, nämlich von ihrer Mannigfaltigkeit, die ein gegen sich selbst Äußerliches ausmacht;  andererseits  aber das, was durch seinen Begriff darauf bezogen ist. Es ist daher: 1) die einfache Kraft,  welche in das Dasein, die Äußerung,  übergeht.(※2)

 

第十八節[本質と現象、概念と定在] 

物の内的なものは、それ自体において、一面では現象からは自由なものである。つまり、内的なもの自体に対して外的なものを構成する物の多様性からは自由なものである。しかし、他面において、内的なものは物の概念を通して外的なものと関連している。したがって、物の内的なものは、単純な力でもあり、それは、1) そこにある存在へと、外的なものへと移り行く。

 

※1
Das Innere  内的なもの
ここで内的なものとは、たんなる主観的なものではなく、人間の認識を通して客観的な事物の内部に見出すところの主観=客観なものである。ここでいう「Das Innere  内的なもの」とは、その意味で、より具体的には事物の「本質」や「概念」のことである。

※2
この内的なもの、すなわち本質や概念は、みずからを外部に現出させる(Äußerung)ものである。内なるものは外なるものへと、本質は現象し、概念は定在化する。その意味で、本質や概念は、また運動の源泉として単純な力でもある。本質や概念は、一つの力として、動的なものとしてダイナミックに捉えられなければならない。

この節において初めて、内なるものから外なるものへ、本質から現象へ、概念からその定在へと移行する「力 Kraft」が出てくる。

 

参考
§ 280b[概念から存在への移行] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/j9SLmx

 

ヘーゲル『哲学入門』中級  第一段  意識一般  第十八節[内なるものと外なるもの] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/JtvdIC

 

 

 

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