作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

日々の聖書(13)――イエスの平常心

2007年02月27日 | 宗教・文化

日々の聖書(13)――イエスの平常心

さて、ある日イエスは弟子とともに舟に乗った。彼は弟子たちに「湖の向こう岸に渡ろう。」と言った。そうして彼らは漕ぎ出して行った。
しかし、弟子たちが帆を揚げたとき、彼は眠り込んでいた。すると湖に嵐が吹いてきて、舟は水に浸かってしまい、弟子たちは恐れおののいて、彼の所にやってきて彼を起して言った。「先生、先生、溺れてしまいそうです。」 すると彼は起き上がり、風とうねる大波にむかってお叱りになった。するとすっかり静かになった。
そのとき彼は弟子たちに言われた。「あなた方の信仰はどこにあるのか」
すると弟子たちは、恐れ驚いてお互いに言いあった。
「この方は何という人だろう。命ぜられると風も波も彼に従うではないか。」

(ルカ書8:22~25、マタイ書8:23~27、マルコ書4:35~41)

この一節からも、さまざまの事柄が読み取れると思う。自然をさえ従わせることのできるイエスの権威、あるいは、すべてに超然としたイエスの態度、あるいは、弟子たちの神に対する信頼心のなさなど。
弟子たちとその師であるイエスと間に見られるこの態度のちがいは何によるのだろうか。仏教などにおいても、修行を積んだ禅僧などにもイエスのような何事にも動じない平常心をしばしば見ることができる。ただ外見的には同じような不動心、何事にも超然とした平常心であっても、その由来は異なるようである。

「心頭滅却すれば火も自ら涼し」と言われるように、無神論の仏教ではその境地は無を観想する修行に由来する。

それに対して、イエスの教えによれば、畏れるべきはただ永遠の存在である神のみである。そこから、自己の生命に対しても、有限な存在としての人間の存在の本質的な虚しさの自覚も生まれてくる。そうして神以外の存在の一切に対する本質的に無頓着な態度から、生命の危機に対してさえも超然とした姿勢が生まれてくる。

だからイエスは言った。「身体を殺しても、それ以上に何もできない者を怖れるな」(ルカ12:4)と言い、「自分の命のために何を食べようか、何を着ようかと思い患うな」(ルカ12:22)と言った。哲学者ヘーゲルはこれを評して、歴史上もっとも革命的な言説であると言っている。

そして、さらにはイエスの祈りの精神がある。彼は弟子たちに「倦まず弛まず気を落とさず絶えず祈ることを教え」(ルカ18:1)彼自身も、血の汗を滴らせながら(ルカ22:44)祈った。イエスの不動心はこうした祈りの修練によってももたらされたのだろうと思う。そしてキリスト者とは、キリスト・イエスを唯一の師と認める者のことだから、イエスのこの境地は、当然にキリスト者の目指すべき境地でもあるのだろう。


さて、ある日イエスは弟子とともに舟に乗った。彼は弟子たちに「湖の向こう岸に渡ろう。」と言った。そうして彼らは漕ぎ出して行った。
しかし、弟子たちが帆を揚げたとき、彼は眠り込んでいた。すると湖に嵐が吹いてきて、舟は水に浸かってしまい、弟子たちは恐れおののいて、彼の所にやってきて彼を起して言った。「先生、先生、溺れてしまいそうです。」 すると彼は起き上がり、風とうねる大波にむかってお叱りになった。するとすっかり静かになった。
そのとき彼は弟子たちに言われた。「あなた方の信仰はどこにあるのか」
すると弟子たちは、恐れ驚いてお互いに言いあった。
「この方は何という人だろう。命ぜられると風も波も彼に従うではないか。」

(ルカ書8:22~25、マタイ書8:23~27、マルコ書4:35~41)

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桃山行き

2007年02月26日 | 日記・紀行

桃山行き

自転車で少し遠出する。これまで市内の東に向かうことはほとんどなかった。辿ったコースの町名などだけでもここに記録しておく。往路帰路で2時間半ばかり要した。途中に見た白壁の築地の上に、咲き零れている桃の花がまことに美しい。もうまもなく桃の節句である。紫式部にゆかりのある城南宮の梅の花が今見頃になっているらしい。今日はその門前を通過したのみ。

久世殿城町、久世工業団地、菱妻神社、久我橋で桂川を渡り、城南宮、新油小路、京セラビル、竹田街道、桃山中学、京都教育大学、墨染。京阪の墨染駅の近辺に来るのは、もう何年ぶりだろう。あるいは十数年以上も経っているかもしれない。記憶も薄れてはっきり分からない。ただ懐かしさだけはつのる。

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北東アジアの夢―――六カ国協議の遠い行方

2007年02月23日 | ニュース・現実評論

 

北東アジアの夢―――六カ国協議の遠い行方

 

北東アジアには、中国、南北朝鮮、ロシア、それにわが日本という民族と国家が存在する。これは、ユーラシア大陸の東に何億年、何千年という歳月をかけて形成されてきた地理と自然と、その上に育まれてきた民族の歴史に由来する。その近隣関係の因縁はどうしようもない宿命のようなものである。

たった六十年前には、これらの諸国にアメリカが加わって、第二次世界大戦の一角として太平洋戦争が戦われたばかりである。

政治思想家ホッブスが、国家をレヴィアタンとかビヒモスとかの怪獣に喩えて呼んだように、これらの六カ国は、あたかも唸り声を上げてお互いを威嚇しあうレヴィアタンやビヒモスのように、みずからの生存と威光を相手に承認させるために、虚々実々の駆け引きを展開している。国家や民族の関係というのは、動物の世界と同じで、残念ながら個人の人間関係のようにモラルの面でほとんど進展はしていないのである。

今その北東アジアで朝鮮民主主義人民共和国、北朝鮮の国家体制はもっとも危機的な状況にある。そもそも歴史の大きな流れの骨格からいえば、それは、いわゆる東側の社会主義国家群の崩壊の最終過程として捉えることができる。ソ連や東ドイツその他の東欧の共産主義国家は、1991年のソ連邦崩壊にともなって軒並みに崩壊して行ったのであり、旧社会主義国で今日もなお残存しているのは現在は中国、北朝鮮、キューバくらいだろう。

これらの国は、社会主義経済のままでは国家体制の存続は危ういので、資本主義的な原理を取り入れざるをえなかった。社会主義の計画経済が破綻を招いたために、いわゆる市場主義原理を導入せざるをえなかった。しかし、その経済政策の転換に失敗して、旧社会主義諸国の中で最後の断末魔のうめきと足掻きのなかにあるのが北朝鮮である。そうした歴史的な眺望の中に現在の国際関係の姿を捉える必要があると思う。

中華人民共和国、中国は鄧小平の改革開放路線によって、政治的には共産党による一党独裁体制を堅持しながら、市場の自由化を促進せざるを得なかった。現在のところそれにかなり成功して、中国は政治的にはかろうじて社会主義体制の存続を維持している。そして、経済的により「成功している」中国が、より「危機に瀕している」兄弟国家、北朝鮮の崩壊を支えている。これが現在の北東アジアの国際情勢の客観的な構図である。そうして、北朝鮮の崩壊は直ちに中国の国家的な危機に直結する。しかし、中国の危機も北朝鮮の危機も本質的には同根である。私たちの立場からすれば、中国も、北朝鮮もその国家的な政治的な本質が社会主義にあることは同じである。

そして、今度の六カ国協議の合意で、北朝鮮が取引に使った核保有政策の根本的な目的が、みずから体制維持にあることはいうまでもない。核兵器と言う武器を手に、体制維持のための経済援助を取引しようというのである。

こうした状況にあるとき、日本のなすべき事は何か。まず、経済的な、軍事的な侵略を招かないためには、国内の軍事的、経済的な安全保障の確立を第一の絶対的な課題にしてゆかなければならない。
その方策はどのようなものであるべきか。

残念ながら日本は太平洋戦争の敗北の結果として、精神的にも、また、実際上の軍事上の能力においても、すっかり、骨抜きにされた国家、国民に成り下がっている。だから、太平洋戦争前のように最小限の自力ですら国家の防衛を果たすことはできない。日露戦争時にもまだ発展途上の貧弱な国家に過ぎなかった大日本帝国が対ロシアとの脅威に対抗するためには、英国と同盟を結ばざるをえなかったように、日本は国家防衛のために、その足りないところは、アメリカとの安全保障条約によって補い、強固にしてゆくしかない。さらには、オーストラリア、ニュージーランド、インドなどのいわゆる自由民主主義国と友好関係を深めて、協力、連携を強めてゆくことだろう。

六カ国協議の問題のより深い本質は中国問題であり、日本問題である。共産主義国家体制の中国と、自由民主主義国家体制の日本との間に存在する矛盾が問題の本質である。だから、当面の北朝鮮問題の、六カ国協議の最終的な問題の解決は、中国の民主化に待つしかない。それは長く困難に満ちた道程であるにしても、その最終目的は見据えておく必要があるだろう。

中国も北朝鮮ももちろん、自分たちこそが本当に自由で民主的な国家だと思っている。だから、問題はいずれが本当に自由で民主的かということである。それぞれの国家体制の概念が問われている。そして、真実にその概念にふさわしい国家こそが、真理として存続できる。そうでない国家は歴史の中で崩壊してゆくしかない。

そして、立憲君主国家日本の自由と民主主義の体制が、少なくとも私たちにとって絶対的であるかぎり、私たちは北朝鮮や中国に、お互いの立場の承認を求めざるをえない。

今回の六カ国協議の合意でアメリカは、明らかに北朝鮮に譲歩するという政策転換をはからなければならなかったのはなぜか。アメリカの立場からすれば、明らかに、北朝鮮問題よりもイラク問題が優先されることはいうまでもない。

極東の小国日本のようにひたすら中国の台頭や北朝鮮の核武装にかまけているだけにはゆかない。アメリカは冷戦に勝ち残った唯一の世界の大国として、世界の秩序の維持にそれなりの責任をになっている。アメリカの立場から緊急を要するのは、イラク問題であり、さらには、イランの核問題である。そして、イラクですでに手負いのライオンになったアメリカは、イラク・イランと北朝鮮の両方に対して同じ比重でかかわることができない。おそらく、イランとの戦争の危機さえ覚悟し始めたアメリカにとって、北朝鮮問題は中国の仲介による当面の安定を期するしかなかったのであろう。それによって北朝鮮の金正日体制の崩壊の危機は先延ばしにせざるをえないのである。

今のアメリカにとって切実なのは、イラク・イラン問題である。そして、そうである以上、アメリカは北朝鮮問題に本格的な力を振り向けることはできない。そして、アメリカの本格的な関与なくしては北朝鮮問題の根本的な解決は期待できない。何らかの体制的な危機は起こりうるかもかもしれないが、中国もアメリカも北朝鮮の体制崩壊を望まない以上は、国民を苦しめながらも、基本的にはまだ現在の金正日体制が存続してゆくだろう。

本当の危機は十数年後に、もちろん、それがいつになるか正確にはわかるはずもないが、中国の共産主義独裁体制が揺らぎ始めるときだろう。北朝鮮の崩壊があるとすれば、それは中国とともにその命運が尽きるときである。すでに、中国は1989年の天安門事件で体制的な危機に面していた。もし、あの時に反体制側の戦略が効を奏するだけのものであったなら、中国もすでにロシアや東欧と同じように民主化が実現されていたはずである。

しかし、人民解放軍の戦車の前に、中国の反体制勢力は鶏のように眠り込まされてしまった。しかし、それは今も眠り込まされているだけであって、死んでしまったわけではない。問題の真実の解決は、北朝鮮と中国の国民が自らの手で、民主化を実現するしかない。金正日の北朝鮮と共産中国がどのようにして平和裏に、生命の損失を最小限に抑えながら、その歴史的な体制変革を図るか、それが鍵になる。そこに至る過程が比較的に穏やかな道を辿るのか、あるいは、嵐に満ちたものになるか、それは分からない。

日本が自らの自由と民主主義を絶対的なものとするかぎり、経済と文化と軍事において自由と独立を確保しながら、その一方で、アメリカやその他の自由主義諸国と協力連携しながら、北朝鮮と中国の平和的な体制変革をあらゆる手段で期するしかない。

そして、やがて金正日の北朝鮮と共産主義中国の独裁国家体制が遠い過去の話しとなり、日本やアメリカのように自由で民主的な国家体制が、中国大陸と朝鮮半島に実現するときこそ、北東アジアに安定した平和が訪れるときなのだろう。

その時こそ、ユーラシア大陸を挟んで、西のヨーロッパ連合(EU)に対して、アジア連合(ASIAN UNION)が建設に着手されるときなのだろう。そうして中国人はより中国人になり、朝鮮人はより朝鮮人に、日本人もさらに日本人らしくなって、それぞれ民族としての特質を深めながら友好がはかられる。おそらく今世紀中には実現されるだろうが、もちろん、私たちはそのときまでは生きてはいない。

 

 

 

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セザンヌのりんご

2007年02月19日 | 芸術・文化

セザンヌのりんご        拡大図

人間はなぜ絵を描くのか。絵や景色などは、ただ楽しめばよいものを、こうした不粋な問いでしらけさせてしまうのも、哲学愛好者の悪い癖なのかもしれない。

それにしても、なぜ人間は絵を描くのだろう。いや、単に絵だけではなく、音楽を作曲し、詩や小説などの文学を創作する。芸術を創作し、楽しむ。猿などの動物たちがそんなことを楽しんでいるとは考えられないから、それは人間だけの特性であり、特権であると言える。

人間はなぜ芸術にかかわるのか。それは根源的な問いでもある。この問いには、さまざまな答えが用意されるだろう。そこに、回答者の数だけの人間観が現われる。あなたならどのように答えられるだろう。

それは人間が神の子であるからだ。あるいは少なくとも、人間が精神的に神に似せられて造られたからだ。神が世界を創造したように、人間も神に似て、神のように世界のなかに自分の創造物を刻もうとする。それが芸術行為にほかならない。神が創造の御技を楽しむように、人間も芸術作品の製作と鑑賞を楽しむ。神も人間も精神的な存在だからである。そこに祈りも会話も成り立つ。

人間が人間として世界に登場して以来、歴史的にも芸術においてさまざまの創作に従事してきた。その中でもとくに近代絵画の扉を開いた画家としてセザンヌは知られている。なぜ、セザンヌの芸術が近代のとば口に立つのか。それは画家セザンヌの精神がもっとも近代人のそれだったからである。

近代人の精神とはどのようなものか。それは二人の人物に、ルターとデカルトの精神にそれを見ることができる。ルターは信仰における個人の自立を果たした人間である。そしてデカルトは、思考に存在の根拠を見出した人間である。彼らはそのような精神をもって神に、世界に、そして自然に絶対的に対峙した。(ここではその歴史的な由来は問いません。)

セザンヌもまた近代人として、自然を光と色彩の感覚で捉えようとした印象派の画家たちの跡を受けて、美術の世界に登場した。しかし、セザンヌは世界を単に感覚で捉えるだけでは満足できなかった。もちろんセザンヌは画家としてなによりも視覚の人である。モネたちの印象派のあとを受けて、光と色彩の価値は十分に知り尽くしていた。しかし、セザンヌが印象派に感じた不満は何か。印象派に欠けていたのは何か。それは堅固な構想力である。

印象派は世界を自然を光と色彩に分析しただけである。そして、外からの自然の美を、自分たちの感覚にただ感受するままにキャンバスに映したに過ぎない。それではまだ自然の真実を捉えきったことにはならない。光と色彩にあふれた自然の奥行きにはさらに何があるか。それは何をもって構成されているのか。それをセザンヌは追及した。そして、そこで彼が発見したのは、色彩の光学的な原理と自然の空間が球と円筒と円錐からなるという単純な原理の発見だった。

セザンヌは、絵画の世界ではじめて立体を、三次元を、空間を発見した画家であった。もちろん、ダビンチもレンブラントもかねて対象を物体を物体として描いてはいたが、対象を三次元の空間として分析してとらえたことはなかった。そこにセザンヌの近代人として知性が、その精神が明確に見て取れる。

しかし、セザンヌは単に分析に終始するのではなく、それを自我の意識において再構成しなおし、それを第二の自然として、みずからの自我の生産物として、自然から独立したセザンヌの独自の世界として、それを自然のなかに打ち立てるのである。それはあたかも近代世界で科学的な工業製品を芸術の世界で実現するようなものである。

セザンヌの絵画の世界では、一度は分析され分解された色彩と空間が、セザンヌが理想とする色彩と立体によってさらにふたたび再構成されて世界に置かれる。それは自然から感受した美を、印象派のように単に写し取るだけではなく、セザンヌみずからの自我によって分析され構想されて、人間の精神によって新たに創造された美として、より深い真実の美として主張されているのである。

   セザンヌの絵画は次のサイトでも楽しめます。

   Cezanne's Astonishing Apples

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歴史における個人の力

2007年02月17日 | 歴史

歴史における個人と国民の概念

最近というか、ここ二、三年、金融業界にとりわけ不祥事が多いことに国民は気づいていると思う。損害保険業界では、昨年は損保ジャパンと三井住友海上で保険金の不払いが明らかになって、両社は業務停止命令を受けたし、保険金の未払い事案について業務改善命令が出された東京海上日動火災保険株式会社の石原邦夫社長がテレビで頭を下げていたこともまだ記憶に新しい。

生命保険業界においても、明治安田生命の保険金未払いなどが明らかになったのをうけて、金融庁は、国内の全生命保険会社38社に対し、保険金の「支払い漏れ」の件数、金額の報告を求める命令を出した。

http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/mnews/20070216mh06.htm

そして去る15日には、三菱UFJフィナンシャル・グループ傘下の三菱東京UFJ銀行の畔柳信雄頭取に対し、金融庁が国内の法人向け全店舗で新規の法人顧客への融資の7日間停止を命じるなどの行政処分を行なったばかりである。業務上横領事件などを起こした財団法人「飛鳥会」との不適切な取引を、旧三和銀行時代から長年続けて改善されることもなく、内部管理体制などに問題があると判断したのである。

こうした大手金融企業の不祥事にからんで、企業のトップが深深と頭を下げる様子をテレビの画面の中で見ない月がないくらいである。それほど、金融業界はいわゆる企業の法令遵守(コンプライアンス)の問題で、金融庁から業務改善命令をしばしば指導を受けている。

最近になってそれほど急に金融業界に不祥事が増えたのだろうか。決してそうではないと思う。不祥事ははるか昔からあった。バルブ経済の時期には、大手銀行の頭取が闇世界との取引に絡んで自殺する事件などもあったし、金融業界は深刻な債権不良問題に長年苦しんでいる間に、闇世界との関わりをいっそう強めたはずである。ただ、それが表面化しないだけである。

官庁と土木建築会社のいわゆる談合問題も、大蔵省が財務省と金融庁に編成変えになり、金融行政と監督行政の機能が分離され、また独禁法が改正、強化されたりして、最近になってこうした業界にようやく監督行政が機能し始めたにすぎない。

もちろん、こうした不祥事の摘発も、それを実行する人間が現場に存在することなくして不可能であることはいうまでもない。こうした不祥事の摘発が明らかになったのも、曲がりなりにも、小泉改革で竹中平蔵前金融相が、金融庁長官に五味広文という有能な長官をトップに据えたからである。諸官庁がどのような行政を行なうかは、根本は国家の最高指導者である首相の地位にどのような人物がつくかということが決定的であるとしても、実際の行政の実務では、長官クラスの力量に左右されることが多い。現在の安部首相の支持率低下も、周囲に有能な大臣、官僚を配置できないでいるためでもあるだろう。

また、昨年12月には三菱東京UFJ銀行が、アメリカの金融監督当局からマネーロンダリング監視に不備があるとして業務改善命令を受けたのに引き続いて、三井住友銀行が米国の金融監督当局から業務改善命令を受けている。

日本の不正義がアメリカから明らかにされる場合は多い。かっての田中角栄や小佐野賢治らが関係したロッキード汚職事件もアメリカでの議会の証言から発覚したものである。売買春にからむ人身売買の問題でも、アメリカ国務省は日本の取り組みに懸念を示している。残念ながら、正義の感覚について、聖書国民との差を示しているということなのだろう。

五味広文という長官を迎えて、ようやく最近の金融行政が消費者の方に顔を向けて行なわれはじめたということである。これが本来の国民のため行政なのである。日本国民はそれを体験する機会がなかっただけである。いわゆるグレーゾーン金利の問題で、消費者金融に暴利を許してきたのも、最近になってようやく行政は重い腰を挙げた。それまで長年の間その影で、どれほど多くの国民が泣いてきただろう。行政や組織でどのような人間が指導的地位につくかで、国民の幸福が大きく左右されるのだ。

知事や行政官庁のたった一人のトップが、国民全体の方に顔を向けて正義を追求するだけで、国民は大きな恩恵を受けるだろう。そうして人類の歴史と社会に貢献し、大きな足跡を残す者は英雄とも言われる。しかし、社会は英雄のみでは成り立たない。

先日にも、自殺をはかろうとした女性を救助しようとして(この女性がなぜ死のうとしたのかも問題だが)殉職した板橋署常盤台交番の宮本邦彦巡査部長のように、また秋霜烈日の伝統を守る検察庁などに黙々と働く無名の人がいる。社会は確かに英雄によって進歩するのかも知れないが、それを支えるのは、名もなき庶民という真の「英雄」である。彼らによって、これほど腐敗し堕落した不正義のはなはだしい日本社会もかろうじて持ちこたえられているといえる。

やがて国家全体の行政が国民大衆のために行なわれるようになれば、どれほど国民は幸福を享受できるだろう。そうした国家の国民の愛国心は黙っていても強まる。それを実行できるのは本当の民主政府であるが、残念ながらそれをいまだ日本国民は持ちえず、歴史的に体験する機会ももてないでいる。しかし、それは遠い日のことではないかもしれない。

(07/02/19一部改稿)

 

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風強し

2007年02月15日 | 日記・紀行

風強し

春一番というのだろうか、全国的に強い風が吹いているようだ。静岡では竜巻のような強い風が吹いて、民家や温室が吹き飛ばされて被害が出ているという。このまま冬らしい冬も迎えないまま、春にずれ込むとでもいうのだろうか。

久しぶりに、ブログに日記を書いている。
今日は、竹の径を抜け、校庭裏の桜並木を抜け、大蛇ヶ池のあたりを散輪した。途中に貯水場がある。なかなか洒落たデザインなので一度紹介しておこうと思う。強い風に、竹林のざわめきも激しい。帽子も何度か吹き飛ばされそうになる。

とくに大蛇ヶ池の前で写真を撮ろうとしたとき、竜巻のような突風が吹いてきた。公園にいたカラスがすべて、仲間内に警告でもしあうかのように、その跡にいっせいに鳴いたので、木立の騒ぎとカラスの鳴き声と風の音が一緒になって、現代交響楽の不協和音のような不安なざわめきが木立の間を響き渡る。


このあいだ中国残留孤児の損害賠償訴訟があって、神戸と東京の地方裁判所で相反する内容の判決が出たのはご存知だと思う。それでその際、裁判官の国家観について一度書いてみようと思ったが、やはり自分の国家観をふくめて、あらゆる面で、きわめて幼稚で未熟であると感じた。さらに学びなおす必要があると思った。いずれにせよ、あらゆる面で勉強不足を痛感する。

あらためてまだ、自分にはこうした問題についてブログで論じる資格もないように思う。もう少し学ぶことに力を入れてゆこうと思った。それだけブログを書くことに費やす時間も減らさざるを得ないかもしれない。ペースももう少し減らしてゆこうと思う。それが内容の充実に繋がればよいのだけれど。もちろん、できるかぎりは書いてゆこうとは思っている。


現代の日本ではこうしたテーマのブログは残念ながらマイナーで、もちろん、ランキングなど鼻から問題にならないのは承知はしているけれど、それでも時折り訪ねてくれて楽しんでくださる読者の方もおられるようで、また同好の士らしい人も、さらには哲学の国を祖国とするような奇特な人たちにも読んでいただけるのはうれしいけれど、ブログの記事は減るかもしれない。もう少し学ぶことに比重を移してゆこうと思っている。

 

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ある劇作家の死―――木下順二氏のこと

2007年02月01日 | 日記・紀行

ある劇作家の死―――木下順二氏のこと

ある劇作家の死といっても、木下順二氏はすでに有名な人だから、「ある劇作家の死」などといった思わせぶりな言い方はふさわしくないのかもしれない。しかし、最近の若い人にはこの劇作家を知らない人もいるだろう。

高名であった割には、氏の作品を私も全く読んではいない。ただ氏の脚本になる『夕鶴』が、すでに同じく亡くなられた作曲家の團伊玖磨氏の手によって日本製のオペラ『夕鶴』になったのを、ただ一度、それもテレビで見ただけである。つうと与ひょうの夫婦を中心とする物語で、登場人物も西洋オペラのように大掛かりな人数ではなく、内容も質朴なものだった。女優の山本安英さんの記録的な回数の上演が話題になったこともある。

だから木下順二氏は名誉や顕彰にふさわしくない人ではなかった。しかし、氏は生前にはそれほどマスコミにも登場しなかったし、私もテレビで何かの折に見た記憶がかすかに残っているぐらいだ。故郷の名誉市民の授与も国からの賞や勲章も辞退したらしい。


木下順二氏が逝かれたのは、実は昨年の十月三十日で、氏自身の遺言で、半年は黙っていて欲しい、延命治療も葬式もしないでと希望されたという。死を見取ったのも養女の木下とみ子さんただ一人だったらしい。そして、氏の遺灰は母親のそれとともに海に撒かれるという。今年の一月十九日の新聞の追想録という欄に内田洋一という記者が報告していたのを読んで、はじめて氏のご逝去を知った。享年九十二歳だった。関係者の方がたぶん、追悼文など書かれていたはずだが、自分には読む機会もなかった。 

 

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