作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

11月29日(水)のTW:#テレビ、#新聞、#マスコミ、#劣化、#改革

2017年11月30日 | ツイツター
 
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11月28日(火)のTW:#刈萱、#恋、#永野重雄

2017年11月29日 | ツイツター
 
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西行と藤原俊成・定家父子との関係(1)

2017年11月21日 | 西行考

西行と藤原俊成・定家父子との関係(1)

藤原俊成

生誕     永久2年(1114年)
死没     元久元年11月30日(1204年12月22日)


藤原定家

生誕     応保2年(1162年)
死没     仁治2年8月20日(1241年9月26日)

西行(佐藤義清)

生誕  元永元年(1118年)
死没   文治6年2月16日(1190年3月31日)



左京大夫俊成、歌集を集めらるると聞きて、歌遣はすとて

1239

花ならぬ  言の葉なれど  おのづから  
    色もやあると   君拾はなん


   かへし            俊成
1240

世を捨てて  入りにし道の  言の葉ぞ
    あはれも深き  色も見えける


西行法師高野に籠りゐて侍りしが、撰集の様なるものすなりと聞きて、歌書き集めたりしもの送りて包紙に書きたりし(長秋詠藻)

 

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11月18日(土)のつぶやき

2017年11月19日 | ツイツター
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二尊院の紅葉

2017年11月17日 | 日記・紀行

 

二尊院の紅葉

二尊院に西行の庵の跡があると知って訪れました。探すのに苦労するかと思いましたが、門の近くにあってあっけなくすぐに見つかりました。西行がここに庵を結んで暮らしていたかどうか、石碑のしるべを信じるほかはありませんが、和歌からも彼がこのあたりの小倉山の麓で暮らして居たことは確かなようです。

485
小倉山  麓に秋の  色はあれや
   梢の錦  風にたたれて

486
我がものと 秋の梢を
   思ふかな 小倉の里に
      家居せしより

百人一首を撰したという藤原定家の時雨亭の跡にも、たまたま行逢いました。定家が小倉山の麓に結んだ庵での暮らしの中で、その日々を比叡山や都の町並みを眺めながら過ごしていたことも偲ばれました。



 建保五年四月庚申、秋朝

小倉山しぐるるころの朝な朝な昨日はうすき四方のもみぢ葉(続後撰418)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嵯峨野へはこれまで通り過ぎるばかりで、ほとんどまともに訪れたことがありませんでした。寺院の多さも改めて知って、一日では到底まわりきれないと思いました。嵯峨野の寺社を巡るには自転車がいちばん便利なようです。

 大覚寺のライトアップも見ました。

 

 

 

 

 

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11月14日(火)のTW:ヨーロッパ武芸

2017年11月15日 | ツイツター
 
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圓通寺

2017年11月12日 | 日記・紀行

圓通寺   円通寺 (京都市) - Wikipedia

  広沢の池

 

 円通寺の庭から比叡山を望む

 市街地から比叡山を望んで写真を撮ろうとしても、被写体の中に電柱や電線が入り込んでしまって、どうしても見にくく感じてしまいます。その点では、圓通寺の庭園はもともと比叡山を借景として作られているせいか、このお寺の庭から眺める比叡山は電柱や電線から解放されています。百年前や五百年前の近代化、現代化される前の、ルイス・フロイスや西行たちの眺めた都はどんなにきれいだったろうと思ったことでした。

 

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11月9日(木)のTW:Remarks by Trump in Seoul

2017年11月10日 | ツイツター
 
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嵯峨に住みける頃

2017年11月08日 | 西行考

 通い慣れた道から比叡山を望む(20171102)

 

嵯峨に住みける頃、隣の坊に申すべきことありて、まかりけるに、道もなく葎の茂りければ

 

471 
 
たちよりて  隣とふべき 垣に添ひて  

     ひまなく這へる   八重葎かな

嵯峨に住んでいた頃、お隣の僧坊にお伝えすることがあって、行きましたが、道も消え失せるほどに、葎が生い繁っていましたので

たちよりて  隣とふべき  垣に添ひて  ひまなく這へる    八重葎かな

立ち寄って、お隣をお尋ねしなければならないのに、進むべき道も分からないほどに、垣根に沿って葎が生い繁っていました。

隣にどんな人が住んでいて、どんな用事があって西行が訪れようとしたのかもわかりません。西行が嵯峨に住んでいたのは、出家してまだ二、三年も経っていない二五、六歳の青年の頃だといいます。ただわかるのは、庭の手入れもされず、雑草も生え放題になったままだから、僧坊に住んでいるらしいその出家者のところへは、訪れるものも誰もいないほどに侘び住いしていたのかもしれません。
いずれにしも、この和歌の主題は八重葎で、八重葎は万葉の昔から、雑草の生い茂ったままになっているあれた屋敷や庭を形容するものだったようです。
西行も、万葉集で次のような歌を知っていて、八重葎を見て和歌を思い出して読んだのかもしれません。


思ふ人 来むと知りせば 八重むぐら 

        覆へる庭に 玉敷かましを

                 (巻11・2824番歌)

 玉敷ける 家も何せむ 八重むぐら 
 
        覆へる小屋も 妹と居りてば

                 (巻11・2825番歌)

新潮社版の山家集の注によると、西行は出家してさほど年月も経っていない二五、六歳の頃に嵯峨に移り住んだそうです。小倉山の二尊院の手前に今も庵の跡があるそうです。

今日も朝から時雨れていました。紅葉もいっそう濃く染められたはずです。時間があれば二尊院の紅葉を眺めにゆきたいものです。

題知らず

472

いつよりか  紅葉の色は  染むべきと

      時雨にくもる  空にとはばや

 

 

 

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